劇団花吹雪 模倣(パクリ)の才は創造力

2016年9月26日 神戸 新開地劇場

特別パクリ狂言『龍馬と近藤と沖田と時々ゴルフ』(特別出演:伍代孝雄)

 

物語のベースは落語家桂三枝(現・6代目桂文枝)の創作落語ゴルフ夜明け前』(1980年代はじめ、youtubeで視聴可能)。幕末の鎖国と開国の国家政策をめぐって敵対する坂本龍馬新撰組 近藤勇沖田総司が西欧文化の象徴のようなゴルフに当初は戸惑いながらもやがて打ち興じるようになる。ひいては熾烈な争いをくりひろげていたライバル同士が心を許しあうという現実的にはありえないドラマが展開する。

 

元ネタである落語の秀逸さは(世間に広まっている類型化された性格づけではあるが、)ゴルフに興じる三者の個性のぶつかり合いをユーモアたっぷりに描き分けた点にある。花吹雪はその発想をじょうずにパクってみせた。おみごと!

 

とりわけ印象深い人物は無骨を売り物にしている印象の強い近藤勇だ。近藤役の伍代孝雄は達者な役者ぶりを披露してくれた。滑稽なのは近藤がゴルフにのめり込み見事なスィングを披露するくだり。ちなみに伍代はゴルフを趣味とするのでクラブの振り方がみごとなのも当然だ。

 

イデアのパクリはこれにとどまらない。他劇団からの関係作品や劇団花吹雪の過去の上演作品からのつまみどりも加わる。春之丞・京之介両座長が事前に予告していたとおり台本なしどころか座長による口立てさえないとのこと。登場する座長をはじめ座員たちが了解していることといえば(両座長から事前に伝えられた「あらすじ」のみ。セリフはその場、その場に応じたアドリブだという。これでほぼ2時間観客を退屈させることなく上演しきった劇団花吹雪に対してa big two thums upを謹んで進呈させたいただこう。それにしてもみなさん各自が経験を通して脳内と体内に構築してきたセリフの「抽き出し」がすごい。ほころびを感じさせない言葉のやりとりが展開していた。脱帽!出演者全員をリスペクトするしかない。

 f:id:bryndwrchch115:20160927185852p:plain (両手の親指が上向きに立ってます。賞賛のジェスチャー。)

終始笑いに包まれた場面展開だった。しかしひとおり物語が終了したあとエピローグでは沖田総司の扮装のまま京之介座長が書状を読み上げる形式で劇中では敵同士ながらも仲良くゴルフに興じていた面々の悲痛な最期が語られる。京之介座長は感情移入しすぎたせいかいささか涙声になっていたようだ。雄々しい男たちの悲劇に涙したにはちがいない。だがそれ以上にあらすじだけ理解している2時間近い長丁場をほとんどつかえることなく滑らかに仕上げた主人公のみならず出演者全員の奮闘に対する感謝の気持ちが座長の涙声としてあらわれていたのだと信じる。

 

感動を覚える舞台を見せてくださった出演者のみなさんの奮闘ぶりに私も心から謝意を表したい。

 

劇団花吹雪の「パクリ」芸は単なる猿真似の霊異記をはるかに超えて創造性あふれる芝居になっていた。

 

<キャスト>

龍馬:春之丞、沖田:京之介、近藤:伍代孝雄、勝海舟:寿美英二、土方歳三:愛之介、中岡慎太郎(龍馬の友人):酒井健之助(劇団 井桁屋座長)ほか

一竜座 「風月光志まつり」H28年9月ーGood job!

歴史好きだという風月光志が構成・演出・主演した『岡田以蔵物語ー izo-K』( K はKoji 光志?とすれば光志版・岡田以蔵物語)は荒削りながらも見応えがあった。

 

「人斬り以蔵」こと岡田以蔵(1838-1865)は幕末という動乱の時代に30年たらずという短い生涯を生きた土佐藩の下級武士(郷士)。田中新兵衛河上彦斎(かわかみ げんさい)、中村半次郎とともに「幕末四大人斬り」として有名だ。風月光志は迷いながらもおのれの魂のあり方を模索するひとりの青年の苦悩を描こうとした。以蔵は剣の修行と尊王攘夷思想に全身全霊で没頭した剛直な人物だが、その一方で幼なじみの娘を恋い慕う純真な面の兼ね備えていた。今回の舞台では後半末を誓ったお光を殺されて苦痛を味わわされる。この時点でかなり絶望の渕に近づいた以蔵。尊王攘夷思想を報じた以蔵の残酷な運命は幕府ならびに土佐藩山内容堂の怒りを買った以蔵を死に追いやる。この以蔵処刑の場面で(おそらく)風月光志が思い描く岡田以蔵のイメージが浮き上がったと思う。牢屋のそばでは桜が舞い散る季節に設定されていて以蔵は死に臨んで最後の望みとして斬首され血にまみれたおのが体を桜の花びらでおおってほしい旨申し出る。観客を楽しませることを狙いとする物語のひとつのまとめ方としてこれはうなづける。

 

ちなみに史実では以蔵が処刑されたのは慶応元年閏5月11日(グレゴリオ暦1865年7月3日)なので桜の季節ではない。だが文芸作品などでは改変は許される。

 

ひとつ不満なのは土佐勤王党弾圧の流れで捕縛された以蔵が取り調べ時の拷問にやすやすと降参し同志の名前などを自白したというほとんど定説とは逆にむしろ英雄視した理由をご本人の口上挨拶時に開陳してほしかった。

 

しかし芝居小屋は歴史学会の会場ではないので特異な解釈をとった事情を述べる必要はないかもしれない。また風月光志の岡田以蔵人物像は次の点からも明らかといえるかもしれない。つまり剣と思想(尊王攘夷論)の師匠である土佐勤王党の中心人物武市瑞山(たけち ずいざん、1829-1865)との関係についてもよくいわれるように以蔵が生涯武市の操り人形ではないこと。以蔵にはみずから判断して袂を分かった趣旨のセリフがあることからも以蔵の自立した生き方を今回の上演では強調されているのだと理解すべきか。

 

言わずもがなの意見をもうひとつ。以蔵の思い人「お光」はとくたろうが演じたが、かれの女形では娘の色気が感じられない。十代後半のとくたろうはよくも悪くも男っぽさが出てきている。立役には好都合である一方女形ではこの面をカモフラージュし抑制しないとまずい。白龍という理想的なモデルが身近にいるのだから教えを乞うべきだ。また多少年長だが他劇団にも女形の模範となる役者がいる。たとえば三咲暁人(18歳、劇団 暁、若座長)、荒城蘭太郎(21歳、劇団荒城、花形)、里見こうた(20歳、劇団 美山)。生の舞台が見られないならDVDを通して学ぶべきところは学ぶという手がある。

 

さて以蔵は歴史に残る大変革の時代状況を的確に認識していたわけではないので同郷で一時親交もあった坂本龍馬ほど注目は浴びない。

 

だが50年あまり前から映画や以蔵本人あるいは龍馬との関連でTVドラマで描かれるようになり司馬遼太郎などの小説でも主人公として取り上げられる。2000年代にはいると舞台やコミックスにも登場。2008年には劇団新感線の「いのうえ歌舞伎」の一環(「IZO」)として上演されたとか。

 

ここで話がとぶが、先にふれたとおり岡田以蔵と同じく幕末四四大人斬りのひとりだった河上彦斎は漫画家和月伸宏・作『ろろうに剣心』に登場する「緋村剣心」のモデルだそうだ。るろうに剣心』といえば昨年6月浪速クラブでの公演だったと思うが、竜美獅童がこのコミックスを元に舞台化している。残念ながら私は見ず仕舞い。これも再度改訂版を上演してほしい。あるいは風月光志と竜美獅童のおふたりがアイデアをもちよって共同構成(脚本)・演出を実現させるのもいいな。

 

最後の最後にもうひとこと。風月光志の持ち芸のひとつであるひとみ婆ちゃん」が見れなかったのはかえすがえすも残念。

『超高速!参勤交代』ー 権威は空虚であることが肝腎

本木克英・監督、土橋章宏・脚本『超高速!参勤交代』(2014年)

続編=超高速!参勤交代 リターンズ』(2016年) 

ーーーーー

猿之助が演じる「八代将軍吉宗」は「エア充」感満載 

最近『超高速!参勤交代(2014年)の続編超高速!参勤交代 リターンズ』が世間の注目を集めている。2014年版を見てからにしようと思い、さっそくgoogle playのレンタル(100円でダウンロード、視聴開始後72時間の範囲で再生可能)で楽しんだ。両作品とも登場人物やストーリー展開が似ているものの続編を劇場で見ても退屈しなかった。

 

時は江戸時代中頃、強大な幕府の権威を笠に着た幕閣の主要メンバーがが参勤交代を終えたばかりの小藩に対して再度の参勤を命じる。しかも通常の所要日数の半分である5日でこなせという。将軍や幕閣に対する手みやげが粗末だったことに起因するイジメである。この手みやげとは藩主が信頼する領民たちが愛情をこめて土を耕しそこに植えた大根でできた漬け物のなのだ。この設定はやや過度にヒューマニスティックであるため滑稽みを醸し出したりする。そのコミカルなヒューマニズムの大甘ぶりとバランスをとるためにはこのイジメの黒幕、陣内孝則演じる老中松平信祝の見せる極悪非道キャラが必要だ。主役佐々木蔵之介のストレートに誠実な役作りと同様、あるいはそれ以上に陣内孝則のグロテスクな戯画的演技もこの映画の人気に大いに貢献しているにちがいない。

 

イジメにあうのは主人公(現在の福島県いわて市にあった)湯長谷(ゆながや)藩第四代藩主内藤政醇(ないとう まさあつ、実在の人物、1711年ー1741年)。その温厚篤実な人柄をみごとに体現した佐々木蔵之介がはまり役だ。湯長谷藩は石高1万石程度で小藩だったが、代々の藩主は堅実な治世をおしすすめて藩を幕末まで存続させた。映画に描かれたように領国の安定と繁栄に農業生産が重要だと認識し農民を人間として扱った領主だったと地元では伝説化しているらしい。

 

悪意の固まりみたいな極悪官僚は通常1年の猶予があるはずの参勤交代なのに帰国直後に即江戸へ再度参れという。そんなむちゃな命令も拒絶できない時代の体制。しかしこの映画の趣旨は小規模大名内藤政醇に味方する。湯長谷藩家老(西村雅彦)が次々にひねりだすのは苦肉の策か名案か。かててくわえて忠義に篤く武道に秀でた側近たちと(奇縁で仲間に加わる)一匹狼の忍者の働きで難題をクリアしてみせるのだ。

 

さて(新味のない前置きが長くなったが、)ここからがようやく本題。タイトルにある「エア充」に話題を移したい。言わずもがなのことをいわせてもらうとエア充リア充の真逆で現実味がまるでなく空気みたいに空疎、空無なヒト、モノ、コトをさす。この「空虚さ」を八代将軍徳川吉宗を演じた市川猿之助に筆者は感じた。空虚といっても否定的な意味ではない。カメラがとらえた猿之助の演技が主役の佐々木蔵之介をはじめ他の俳優たちのそれとは質的に決定的な差異、意義深い差異があるように思えたのだ。演技の質という面では(アイドルグループHey! Say! JUMP所属の知念侑李をのぞけば)映画やTVで活躍する俳優専業の出演者ばかりの中で猿之助ただひとり歌舞伎役者である。それが本木監督の意図なのか演者個人の意図なのかどうかはてんでわからない。

 

猿之助が短いセリフを口にするか無言の大写しが数カ所あるだけで他の登場人物との絡みがほとんどない。(観客がたやすく認識できる)超有名人がちょこっと顔出しするカメオ出演に近い。猿之助の出演時間は全体の5パーセントにも満たないだろう。が、それでも猿之助の存在感は大きい。いや、猿之助というより将軍吉宗の存在感が浮き立つというべきか。

 

実質上他の登場人物との絡みがない「吉宗」は物語的にはリア充を保証されている「内藤政醇」の次元あるいは世界から分断されねばならない事情があるのではないだろうか。

 

吉宗といえば開府以来100年あまり経た18世紀前半惰性に流れがちな幕藩体制を引き締めるべく享保の改革を断行した人物だ。吉宗のめざした改革は丁寧に幕閣を説得して進めるたちのものではない。その意志は断固として実践されねばならない。そのためには吉宗の存在自体が周囲を圧倒する威厳を放つべきである。いわば他者の容喙を許さない権威の<象徴>となるのだ。象徴は物理的作用を発揮しない。にもかかわらず人間の心理、集団の心理に大きく作用する可能性がある。

 

温情大名政醇のように臣下や領民とじかに対話するのとはちがい、<象徴>としての威光を放つことで治世を、政治的支配を遂行する。この映画で吉宗が血肉を欠いた人物に見えるのは映画が2次元的であるからではない。現に政醇らは全員3次元的な生身の存在としてスクリーンにあらわれている。2次元のいわば厚みのない存在が条件がそろえば絶大な威力を発揮する。

 

この映画で展開する物語の世界では将軍吉宗は幕府の頂点に立つ最高権威者である。その意味で現実世界のいかなる力も作用しない<象徴>という2次元的存在でなければならない。 これこそ猿之助が「吉宗」という目に見える存在を通して表象表現するものだ。支配体制に決定的な歪みが生じない限り象徴としての権威は揺らぐことがない。「エア充」感満載という印象を周囲に与えることによって歌舞伎役者猿之助は絶対的権威の象徴として充分に機能していたと思う。「吉宗」に象徴される権威、権力は実質的に空虚である。だが空虚であるがゆえに影響力が絶大だという逆説。

 

象徴の実態が空無だという発想はロラン・バルトを思いださせる。かつてバルトは1960年代フランス文化使節の一員として幾度か来日し、その体験をもとに『表徴の帝国 (L'Empire des signes)』(1970年)を著した。この異邦人にはこう思えた。つまり一見意味ありげな記号や象徴に満ちあふれる日本社会・文化だが実は「空虚」こそその本質だと。そこにバルト自身はある種の救いを見いだしたのかもしれない。バルトにいわせると自分が属する西欧文化は死にものぐるいで意味の追求に奔走する。偏執狂的にあらゆるモノ・コトを意味で充満させずにおかない。それに対して日本は無意識のうちに空無を志向し、その空虚に美を見いだすと。こういう日本人の姿勢に焦りはなくむしろ楽しんですらいるように見えたらしい。ちなみに全身、満身「日本通」のドナルド・キーンはバルトのあまりに素朴な旅行者的感想にドン引きしたとか。

 

猿之助的「吉宗」の象徴的権威は必ずしもバルトのいう「空虚」と重なるわけではない。バルトの場合「空虚」なるものをやや美学的に評価しすぎているが、人間社会というコンテクストを考慮に入れると空虚には積極的な作用力を認められるような気がする。その一例として猿之助「吉宗」の象徴的権威をあげることができるだろう。

 

長めの余談。参勤交代は人間社会の諸相と人間の心の奥底を映しだす鏡といえる。殿様だって人間である。国元の財政が豊かでなくとも見栄を張りたい。いやそうしなければ格好がつかないという脅迫観念にとらわれもする。見栄ばかりでなく現実的な必要性からだろうが江戸中期に当時の日本最南端にあった薩摩藩島津家の場合、片道17億あまりの経費を費やしたとか。また生身のからだゆえ旅の途上で病気にもなる。それに殿様がご老体なら旅をするのは苦痛以外のなにものでもない。いやいや、そればかりではない。トラブルの種はごまんとある。参勤交代途上で見舞われる金銭問題や刃傷沙汰。出立前と帰国後の商人相手の莫大な借金の清算に大わらわ。往きと帰りの藩同士が出くわすとどうなるか。石高の差で優先順位が決まっても譲歩した下位の藩はあとあとまで屈辱を根にもつ。

 

このような参勤交代に見る人間の生々しい現実は安藤優一郎・著『参勤交代の真相』(徳間文庫、2016年9月)に詳しい。内容的に先学の知恵に負うところが多いが、同書は入手しやすく、読み応えがありかつ高速読破可能なおいしい本だ。ほかに忠田敏男・著『参勤交代道中記ー加賀藩資料を読む』(平凡社、1993年)やネット掲載の資料「(金沢市図書館)新春展『金沢から江戸へ』」(www.lib.kanazawa.ishikawa.jp/kinseikanazawakara.pdf)も画像資料が豊富で読み応えあり。

2016年9月一竜座 気迫が感じられない

9月14日

久しぶりに大阪にもどってきている一竜座。月初めに一度見て、それから10日ほどして今日が2度目。前回は期待していただけに劇団の活気のなさに驚いた。今日は「座長祭」だからきっと本来の魅力をとりもどしているだろうと堺 東羅い舞座に着くまで心はワクワクしていた。

 

たしかに竜也座長は芝居も舞踊もプロの出来映えだ。

 

今日の芝居は『稲葉(因幡?)小僧シンスケ』で新作だとか。物語としては類似の作品を何度か見た気がする。シンスケという若者が草深い田舎で百姓として一生を過ごすのは嫌だと親の止めるのも聞かずお江戸をめざして出奔する。ところが例に漏れず求職に失敗し結局盗人稼業に身を落とす。一方かれの妹が兄を探して上京する。兄と妹の奇遇な出会い。しかしシンスケの正体が露見し捕縛される。重罪犯であるシンスケは死罪をまぬがれない。シンスケにとってひとつの救いは護送される途中温情ある役人の計らいで実家の父や妹としばしの別れを惜しむことだ。

 

座長の舞踊、とりわけ「飢餓海峡」や「安宅の関」に合わせた踊りは見る者に一遍のドラマを感じさせるほどすばらしい。

 

とはいえ劇団全体としては生気が失われているように思う。旗揚げ後1年たっていた昨年6月の浪速クラブでの公演で見せたインパクトあふれる舞台は今はない。座長とその右腕たる白龍をはじめとして子役の竜美紫恩にいたるまで個性あふれる役者ぞろいの一竜座。にもかかわらず各人がてんでんバラバラでまとまらない。個性の輝きがない。全員疲労困憊としか思えない。

 

劇団の重鎮たる座長と白龍ですら1年あまり前の浪速クラブ公演と比較して冴えない。ただし白龍は体調不良。のどを痛めてセリフがしっかりしゃべれないとか。明日検査を受けるそうだが、必要な休養はしっかりとっていただきたい。若手が大勢いるので一時的な欠員状態はカバーできるはずだ。

 

こういう劇団沈滞期を抜け出すには劇団重鎮のお二人ではなく中堅どころの竜美獅童と風月光志が経験と若さのパワーを発揮して上演内容の構成と演出に集中するべきではないか。今評判の映画『超高速 参勤交代 リターンズ』(2016年)に登場する湯長谷藩家老相馬兼嗣(西村雅彦)みたいに窮地に臨んでこそ有効な解決策が思い浮かぶと期待する。(ちなみに正編というか前編というか2014年封切られた『超高速 参勤交代』はgoogle.comに100円支払えば即時youtubeで視聴できる。)

 

劇団重鎮である座長と白龍はジタバタする必要はない。お二人は「権威」の象徴としてどっしり構えていてほしい。象徴的存在は生身(なまみ)の次元を超越している。現実的感覚からすると「無」である。しかし否定しようのない実在性を帯びているのだ。その証拠にお二人の舞台姿、特に舞姿は美の極地に達している。

 

最後にひとこと。風月光志の「ヒトミばーちゃん」が見たい。きっとご本人も「ヒトミばーちゃん」で再ブレークしたがっていると勝手に信じている。

鴨リンピック 2016

『青木さん家の奥さん II (つう) 』

作・内藤裕敬 、演出・荒谷清水 

出演・鴨鈴女、水嶋カンナ、藤田記子、橘花梨(年齢順)

8月25日ー28日、大阪心斎橋「ウィングフィールド」 

f:id:bryndwrchch115:20160908180713p:plain

 

f:id:bryndwrchch115:20160908180737p:plain

f:id:bryndwrchch115:20160908180752p:plain

 

 

「戟党市川富美雄一座」に期待する

2016年8月、大阪市大正区にある「笑楽座」で公演中。

8月11日久しぶりに笑楽座を訪れ初めて見る戟党市川富美雄一座を観劇。当日は(後で考えると)ゲスト(下町かぶき組劇団一家の)岬寛太座長のおかげでほぼ満席だった。私の経験では桟敷席にまでお客が入ることはなかったので驚いた。芝居は『新月桂川』。渡世人の兄貴分と弟分の一家の跡目と親分の娘をめぐる争いが生じる。だが兄貴分は男気、義侠心を発揮して親分の娘と相思相愛の弟分にライバルの一家の親分の首級をあげた功績を譲り去ってゆく。富美雄座長が兄貴分、市川千也が弟分をそれぞれ演じる。二人とも比較的あっさりとした役作りながら一種の兄弟愛が説得力のあるものとして私には伝わってきた。上出来だった。

 

13日(土)に再訪。週末にもかかわらず客入りがよくないし桟敷席にいたっては無人。11日の盛況はやはり(今年1月から5月にかけて近畿圏で公演した実績が生んだ)「岬寛太・効果」だったのか。下町かぶき組ファンとしてはうれしいけれど戟党市川富美雄一座を新規に応援する者としてはがっかりだ。

 

さてこの日の芝居は『興津の夜嵐』。座長のお話では座長の祖父にあたる方が昔舞台にかけていたとか。忠誠を誓った親分(笑楽座所属・中海加津治)の身代わりに罪を着た男(市川千也)はようやくご赦免になり近々帰ってくるという。しかし男の服役中に女房(紀 訥紀乃)はライバル一家の親分(富美雄座長)となさぬ仲となっている。一家にもどった男は女房の裏切りを知る。復讐の鬼となった男は女房とその情夫を成敗しようと敵地に乗り込むが、返り討ちにあってあえない最期をとげる。

 

それを知った男の弟分(飛雄馬)が兄貴分の仇討ちに。われらがヒーロー<飛雄馬>の活躍の場となる。

 

この仇討ち譚はもうひとりヒーローが登場する。それが座長の15歳の次女市川菜々美演じる美形の若衆、振袖千太である。主筋に関係なさそうなのにやや唐突に出現。本人いわく空腹のあまり一家の軒先に倒れていたのを助けられたとか。それ以来一家の客分として世話になっているそうだ。助けられた恩義に報いるためと称してこの弁天小僧ばりの振り袖を着た女装の若衆も仇討ちにかけつける。二人のヒーローの活躍で無念の死を遂げた男のかわりに無事間男成敗を成就する。

 

とりわけ振袖千太の活躍はめざましい。弱冠15歳の實川菜々美が仇討ちの場面で見せるお嬢吉三か弁天小僧かとみまごうばかりのタンカがお見事。いなせなセリフ回しはまだ修練が必要ではある。が、まだコドモっぽさが残る声音ながらドスをきかせるところはきちんと効果を出していた。大衆演劇の子役にまま見受けられる妙に完成したようなこましゃくれた演技とは違い菜々美の舞台姿は未完成ながら今後の成長を期待させるにじゅうぶんだ。

 

この芝居では菜々美は女優として振袖千太という女装するオトコに扮していてジェンダー(社会的に位置づけられる性別)が一捻りも二捻りもされた役柄を魅力あるものに仕上げていたようの思える。タカラヅカの男役にも引けをとらないだろう。こういうジェンダーの転換に関連させていえば個人舞踊で踊った立役(曲:氷川きよし『白雲の城』)も踊りぶり、体さばきがよかった。すぐに頭打ちする小器用さとは無縁の才能がうかがわれる若き女優だ。

 

振袖千太に見られる人物設定の魅力とは別にこの芝居の魅力がもうひとつある。ホンモノ(真)とマネゴト(贋)のコントラストがそれである。男の女房と悪の親分との不倫関係がモドキ(マネゴト)という仕掛けで再現されて観客の笑いを誘う。芝居の前半で女房と間男が手に手をとって退場する男女の道行きの場面がある。それを振袖千太が逗留する一家の三下(座長の三女 實川 結)が見ていて偶然通りかかった敵方の用心棒(市川千也の二役)を相手に道行を真似てみせる。これで物語の生命力が向上する。生き生きしてくるのだ。

 

この芝居だけでなくほかの芝居でもこういうモドキはどしどし工夫を凝らしてとり入れるべきだ。伝統的に大芝居、いわゆる正統の歌舞伎のモドキを見せて観客を感心させ楽しませるのが小芝居、緞帳芝居、旅芝居の特徴であり強みである。大芝居を忠実に再現するのではなく、いかにもそれらしくホンモノの「コピー」を新たに創造することの醍醐味。小芝居が大芝居に対抗できる魅力の源泉がここにある。

 

余談だが、振袖千太という人物が物語に関与してくる事情が現状では曖昧すぎるので理由づけをはっきりとさせる必要あり。座長によるひと工夫を期待したい。ちなみに軒先に倒れているという設定はすでに廃れてしまったといえる厄払いの儀式として新生児を一時的に捨て子状態に置くという習わしを連想させないでもない。捨て子の過程を経ることで新生児は健やかな成長と幸福な人生を約束されるとかつては信じられていた。今でもこういう習わしが存続している地域もあるらしい。折口信夫のいう「貴種流離譚」の変形かもしれない。英雄となるべき人物はきびしい試練をくぐり抜けてこそ将来世に尊ばれる英雄へと成長するものだという民衆の期待。この芝居にかぎらず「振袖千太」と同種の人別設定の背景にはこの手の民衆の期待があるのだろう。

 

余談をもうひとつ。振袖千太役の菜々美の衣装はなんと彼女の祖父市川千車が50年以上前梅田コマ劇場出演時にまとった振袖だと座長が打ち明けていた。絹物は大事に保管すれば長年月衣装として輝きを放つものだと感心した。多分今は亡き祖父が孫の名演に力添えしたのだろう。

 

 

 

狂言(茂山一門)がこんなに生き生きしているとは知らなかった

先月見た「花形狂言2016『おそれいります、シェイクスピアさん』」のおかげで狂言が能の添え物という偏見を払拭できた。

 

そこで先日8月6、7日の二日にわたって大槻能楽堂(大阪)で久しぶりに同じメンバーにベテランが加わった狂言公演『納涼 茂山狂言祭』を観劇。先月の「花形狂言」が若手による伝統形式からの建設的逸脱の試みだったのに対して今回は狂言の伝統を重視するものだ。ただし狂言は伝統的に同時代性、つまり今、現在の「ナウい」ユーモアのセンスが命なので能のようにいささかかしこまって見るものではない。

 

ちなみに「花形狂言」は8月の公演でも大活躍された茂山千五郎(71歳)が40年前まだ若手だったころ実弟茂山七五三(しげやま・しめ)と従弟茂山あきらを誘って結成。現在は長男正邦たちの世代が引き継いでいる。第一世代はつつましく、おとなしく「花形狂言会」となのりながら<現代的笑い>を追求していたようだ。他方現在の第二世代(茂山宗彦、逸平、正邦、茂、童子)は20年前にスタートしたが、そのユニット名が実に大胆だ。当時デビュー10年で人気がますます高まっていた「ジャニーズ少年隊」の向こうを張ってか「花形狂言少年隊」なのだ。当時まだ中学生で参加していなかったらしい童子(33歳)以外のメンバーは二十歳になるかならないかのころ。その若さなら(おそらく)幼少時からTVを通してなじんできた異業種の人気アイドル・グループにライバル意識を燃やしたのもうなづける。

 

話をもとにもどそう。『納涼 茂山狂言祭』の演目だが、『樋(ひ)の酒』、『磁石』、『死神』(8月6日)、『船渡婿(ふな わたし むこ)』、『口真似』、『新・夷毘沙門』の六曲。若手5人を中心に茂山千五郎、七五三、あきら、千三郎、丸石やすしらベテランならびに中堅が脇を固める。

 

『樋(ひ)の酒』は狂言でおなじみの太郎冠者と次郎冠者(従者)が知恵競べで主人を小気味よく打ち負かす。庶民が大部分であったと思われる(室町時代の)観客の共感を誘ったにちがいない。

 

『磁石』は(法律的にも道徳的にも違法なふるまいをする当時「すっぱ」とよばれた悪人に窮地に追い込まれた善人が相手を知恵でねじ伏せる痛快な話。自分は「磁石の精」だと称して悪人が振り上げた刀剣を磁石さながらに吸引し飲み込んでしまうというと悪人がそれを信じて退散。8世紀末に完成した『続日本紀(しょく にほんぎ)』(巻第六)によると8世紀初めには近江で磁鉄鉱が発見され天皇に献上されている。当時すでに磁石の物理作用に気づいていたようだ。

 

さて初日最後の演目『死神』は初代三遊亭圓朝が19世紀のグリム童話あるいはイタリア・オペラを翻案したといわれている同名の落語を狂言にとりこんだ作品だ。生活に窮した凡人が気まぐれで情けをかけてくれた死神を巧みにに利用して幸運をつかむ。死神は凡人に偽医者になるようにすすめ、自分が病床のどの位置にすわるかで回復するかどうかがわかるようにしてやるという。病人の枕元なら命は助からないし、また足下なら助かるというわけだ。偽医者はこのトリックを利用して大もうけ。あるとき死神が枕元に座る。そこで偽医者は知恵を振り絞って死神を足下へ移動させようとする。偽医者を演じたのは大ベテラン千五郎。対する死神は千五郎のいとこ、あきら。どっかと枕元に居座る死神の腰をあげさせようと偽医者は観客になじみ深い歌を繰り出してみせる。阪神タイガース・ファンである千五郎、『六甲おろし』で初め、最後は『蛍の光』でまんまと死神を病人の足下へ追いやる。ただし結末は偽医者自身の寿命を示す蠟燭がついには消えてしまうという多少苦みのあるものではあるが。いずれにしても知恵あるいは悪知恵を次々に編み出す庶民のしたたかな生き様が活写される。

 

二日目も三曲そろっていつの時代の庶民にも共通する厳しい現実を生き抜くための柔軟な思考力がおもしろおかしく描かれる。

 

狂言、それに能もそのルーツは素朴な娯楽を提供する演芸にある。7世紀頃(現在の)中国や朝鮮半島から芸人たちが日本に渡ってきた。これら渡来芸人たちの芸能は部分的には遥かに遠い古代ギリシアやローマなどで誕生し、シルクロードなどを通じて伝来した芸能の影響を受けてもいただろう。そういう外来の芸能を受けて日本の(放浪)芸人たちはそれを自分流にアレンジをして日本的娯楽芸を形作り始める。

 

こういう雑芸、エンタメ芸能はやがて猿楽あるいは申楽と総称されるようになる。15世紀初めにはこれらの雑多な芸能の一部が世阿弥らの才能と努力で芸術へと昇華して新たに「猿楽(申楽 )」とよばれる。それより400年ほど昔、11世紀に藤原明衡(ふじわたのあきひら)が著した物語『新猿楽記』は序文で軽業(アクロバットやモノマネなど種々さまざまな芸(猿楽)が当時のあらゆる階級の人々を楽しませていたようすを述べる。とはいえ猿楽の描写は全体の10分の1以下にすぎない。残りはというと某日猿楽見物に出かける右衛門尉(うえもんのじょう)という下級警察官僚の家族一人ひとりに関する人物評なのだ。ただし主の右衛門尉は除く。お上のお手当でまかなえるのかどうか心配になるほどの総勢39人という大家族。3人の妻、16人の娘と上から10番目までの娘たちの夫、最後に9人の息子たちという具合。この中には10人の義理の息子が含まれるが、どれだけあてになる収入があるのか怪しそうだ。かれらの生き様こそ路上で演じる猿楽芸人たちにけっして引けを取らないみごとな芸当の持ち主にみえてくるのがおもしろい。きっと作者藤原明衡は序文で猿楽の概要を述べ、本文で縷々語る家族の人物像を猿楽芸人たちの実像になぞらえているのではないかとさえ思えてくる。

 

右衛門尉の妻3人をのけて半分以上が職業をもつ。猿楽の開催に伴って商売できそうなものも混じるのが興味を引く。博奕打ち、相撲取り、(非公認の)陰陽師、能筆(実は代書屋?)などなど。9番目の息子(九郎の小童)は雅楽寮に勤める人(ほんとに正規の職員かな?)の養子だとか。舞が上手らしい。それから、それから、末の娘(十六の君)がなんと遊女屋の女主。祝祭日でなくとも商売できる。奇妙なのはその直前に置かれた末から2番目の娘(十五の君)の話で女ヤモメで現在は貞操堅固な尼僧だそうだ。これはわたしの勝手な連想だが、(歌舞伎の創始者ではないかといわれる)出雲出身の女優お国は女優と遊女を兼業した歩き巫女でもあったのでこの十五の君も同様に思えて仕方がない。

 

話が狂言からかなりそれてしまったが、芸能というものが深い所で人間の欲望や願望と結びついていることは間違いない。狂言はどちらかといえば人間の内面の明るい部分を照らし出してはいる。だが明るい部分は暗い部分と表裏一体の関係にあるものだ。狂言の笑いを通して人間の内面を覗き込むという時間も人間性の両面をとらえる貴重な体験のためにあるのではないかと思えてくる。そんな妄想を巡らすきっかけになった「納涼茂山祭」であった。楽しかった。来る10月は茂山正邦が父千五郎のあとを継ぐ「十四世茂山千五郎襲名披露公演」が楽しみだ。