笛方 藤田六郎兵衛(ふじた ろくろびょうえ)は多面的なアーティスト

 今年(2017年4月8日)に催された「篠山春日能」については別記事で述べさせてもらった。本記事はその続きみたいなもの。

 藤田六郎兵衛さんの(わたしにとっては)意外な面貌について。これまで見たどの笛方も舞台では気難しそうな顔をされていた。藤田六郎兵衛さんも例外ではない。

 終演後地元を走るバスでJR篠山口駅に向かう。能公演の会場であった春日神社そばにバス停がある。だが、バスが来るまで20分あまりあったのでお土産でも買っった後次のバス停から乗ろうと考えた。

 バスに乗り込んでしばらくしてわたしのそばの座席に六郎兵衛さんがおいでではないか。ご自身のスケジュールが混んでいて急いで次の仕事先へむかうところだったかもしれない。そのときも気難しそうなお顔で、すばらしい演奏に対するお礼をひとこと述べたかったけれど気後れしてできなかった。

 先日藤田六郎兵衛さんのことでネット検索していてご本人のHP (http://fujitaryu-noh.jp/) 偶然発見。トップ・ページの右側にある「フォトギャラリー」 をクリックするとご本人が出演した動画を見れる。

 この一連の動画を見て驚いた。御本職の能管演奏ばかりではないのだ。かつてはミュージカルに出演されたり、洋楽とのコラボ、講演などさまざま。多才なお方だ。歌唱の動画もある。おしゃべりしているときの六郎兵衛さんを見ると実は大変人懐っこい御仁だとわかる。

 ちなみに六郎兵衛さんにふれた(2009年1月9日付けの)ブログ (http://pinhukuro.exblog.jp/9379476/) もおもしろい。「三流の笛方は超一流だった あぜくらの集い・「新春『笛』の音楽会」(国立能楽堂)」。

篠山春日能(2017年4月8日)

演目:

能 『桜川』 大槻 文藏 (74歳、2016年7月に人間国宝認定)          
狂言『魚説経(うおぜっきょう)』 茂山 逸平          
能 『邯鄲(かんたん)』 浅見 真州

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 毎年4月恒例の能・狂言上演を初めて観劇。今年で44回目だが、能・狂言に本気で関心をもってまだ1年足らずのわたしなのでつい最近までまったく知らなかった。

 同じ兵庫県でも「篠山は遠い」という漠然とした感じをもっていたが、自宅から1時間半ほどの楽々日帰り圏内だった。思い込みはこわい。

 会場は数日前からの天気予報では直前まで雨だった。が、幸運なことに当日になると曇りどころか青空さえ顔をのぞかせた。能舞台のそばにある数本の桜が満開に近づいていて能公演のムードを盛りあげていた。

 午後1時開演、終演は午後4時半。午後4時ごろから雲行きが怪しくなり小雨がぱらつくも野天の観客は傘なしでもなんとか耐えられてよかった。

 春日神社能舞台は幕末の頃篠山藩主で幕府の重職を勤めた青山忠良公により寄進されたものだそうだ。

 今回の公演はシテ方観世流能楽師、大槻文藏さんと浅見真州のお二人とワキ方福王流、福王茂十郎さんと(ご子息)福王和幸さんの芸を楽しめた。また狂言は昨年6月以来舞台姿を何度も見ている茂山一門の若手のお一人茂山逸平さんのいつもどおりよく響く声を聞けてよかった。

 ちなみに逸平さんの御父君、茂山七五三(「七五三」は「七五三縄 [しめなわ] -- 注連縄・標縄とも表記 -- に由来していて「しめ」と読む)は能『邯鄲』で劇中ただひとりの狂言方として間狂言(あい きょうげん)を演じる。間狂言は物語の進行を助ける重要な役どころで、まさに狂言回しだ。

 能楽師が演じるシテ方ワキ方の生真面目さ、深刻さとは逆に滑稽味をただよわせる狂言師。無為の人生を過ごしていた青年が一念発起求道の旅に出る。旅の途次(中国の)邯鄲という町で一夜を過ごした宿屋を営むのが非常に下世話な女主人(七五三)。女主人はこの客に人生の指針をしめしてくれるという魔法の枕、「邯鄲の枕」を貸し与える。夢の中で男は波瀾万丈の50年を生きるが、現実的にはわずかな時間の夢が覚めればすべては雲散霧消している。この経験を通して男はあくせくした生き方のむなしさを悟ることになる。

 このような宗教的達観を得るという物語は多少とも滑稽な間狂言が組み込まれることでかえってコトの重大さが観客に伝わる。また観客も緊張しっぱなしでは物語の趣旨を素直に受け入れにくい。芸歴を重ねてある種枯淡の風味を感じさせる七五三さんの演技が生真面目な能作品という大枠を崩さずにふくらみのある芸能に仕上げるのに役立っていたように思う。

 最近、能・狂言に親しむようになったが、いわゆる役者ではない囃子方地謡が魅力的だと思えてきた。今回の公演ではとりわけ囃子方、能管(笛)担当の藤田六郎兵衛さん、小鼓の大倉源次郎さん、大鼓の山本哲也さんが印象に残る。

 以前、能・狂言に親しんでいなかった頃は思いもしなかったことだが、実に「色っぽい」芸能だと気づいた。わたしの場合、この色っぽさは世俗的な意味合いと芸術的、美的、形而上的な意味合いとが分ちがたく結びついている。今後も色っぽい舞台に接していきたい。

 

 

 

 

 

 

春もまた茂山狂言がたまらなくいい

1.『花形狂言 2017』2017年3月31日 兵庫芸術化センター 演目:「蝸牛・改(改訂版)」、「かけとり~落語「かけとり」より~」、「寄せ笑い」、 「My Sweet Home~旅は道連れ~」、「狸山伏」

2.『春爛漫 茂山狂言会 五世茂山千作・十四世茂山千五郎襲名披露記念公演』 2017年4月1日 兵庫芸術化センター 演目:「三番三」、「縄綯」、「髭櫓」

 

 今回幸いにも二日づづけて茂山狂言を楽しめた。茂山社中といえば、昨年7月同じ芸文センターで『花形狂言 2016 — おそれいります、シェイクスピアさん』を見て狂言のおもしろさに気づかされた。ベテラン落語作家小佐田定雄の脚本を元に演出を担当したのがわかぎゑふ(劇団リリパットアーミー II [ツウ] 代表)。こんな豪華版スタッフの功績もさることながら茂山若手陣の活躍が印象に残った。シェイクスピア劇と台本書きに追われる作者としてのシェイクスピアを下地に現実と虚構がごちゃ混ぜになるルイジ・ピランデッロもどきの世界観が舞台に展開する。とてもウィッティな作品だ。

 また近いうちに伝統的狂言から逸脱した芝居が見たい。どういう伝統芸能であれ硬直した「型」、「形式」ばかりが世代から世代へ継承されても仕方がない。伝統の死でしかないだろう。伝統には新しい息吹をふきこまなくては。世代が新しくなれば演者の身体も精神も変化しているはずだ。伝統からの<逸脱>を恐れないように願う。能・狂言の先祖、祖型であった曲芸や物真似などの雑芸が芸術のレベルにまで発展してきたのは伝統の先へ踏み出そうという欲求、衝動があるせいではないか。

 たまたま十二世茂山千五郎(1919—2013年)著『千五郎狂言咄』(講談社、1983年)を読んでいたら、狂言以外のさまざまな芸能分野に踏み出して活躍されていたことを知った。特に興味を引かれたのは30代後半(1955年)で三島由紀夫 作・武智鉄二 演出『綾の鼓』、50代後半(1978年)には(映画監督)中島貞男 作・(実弟)千之丞 演出のギリシャ喜劇風『田舎親爺ソクラテスを殴打したること』という演目だ。故 千五郎ご本人の意欲が感じられる。こういう芸術的野心を受け継ぐ孫や又甥あたる若手連のさらなる冒険が楽しみだ。

 こういう茂山社中との出会いがきっかけで関西での上演作を中心に能・狂言を堪能している。

 今年の花形狂言では「かけとり」と「My Sweet Home~旅は道連れ~」がとりわけ気に入っている。 「かけとり」は元ネタの落語をきいたことがある。人によりさまざまな趣味などに打ち込むというのは世の常。ただし趣味の一種とはいえ「縄綯」にあるような賭け事は要注意だ。暮れの節季には毎年苦労してない知恵を絞り出す庶民の明るさとたくましさが心を打つ。謝金とりに責め立てられる長屋の住人を茂山逸平が演じた。大家が能が趣味だと女房に知恵をさずけられ、相手の趣味を出しに借金の支払いをごまかす。深みのある逸平の声音が大いに効を奏して説得力があった。狂言師だけあって物真似が上手だ。

 もう一つ特筆すべきは囃子方の物真似。女房を演じた茂山茂が能管(笛)のコミカルな口まね。つづいて島田洋海による大小の鼓と太鼓を口と膝打ちで再現。島田の大鼓は素っ頓狂とも思えるかけ声と打ち込みが作品の喜劇的効果を高めていてすばらしかった。

 ついでながら黒々とした髭が自慢の「男」は『源氏物語』に登場する「髭黒の大将」を連想させる。男の身勝手さの典型みたいな人物だ。「髭黒の大将」の方は妻がいながら「玉鬘」を第二の妻にする。もっとも平安時代の貴族階級の規範では複数の妻を娶るのは不道徳ではなかったが。この「玉鬘」というのは光源氏が興味をもっていたのに親友の頭中将がさっさと正妻にしたといういわくつきの女性だ。男女のあいだには複雑な事情が絡むことが多いのか。しかし、一夫多妻の慣習は別にしてこと男の横暴さに関しては室町時代の女性たちも腹に据えかねていたようだ。

 つぎに「My Sweet Home~旅は道連れ~」はなにやら哲学的なテーマかいなと思えた。京から江戸へもどる旅人と逆に江戸から京へもどる別の旅人とのあいだに生じる日常空間が奇妙なぐあいに歪むという現象。今現在の自分の居場所が次第にわからなくなるという認識の混乱をネタに喜劇がうまれる。至極当然の事柄も視点を転換するとまるで別物に変化するのか。別の機会にこの作品の発展形=「続編」に出くわすことを期待したい。

 ところで「新 千作・新 千五郎襲名」関連の公演はこれで二度目だ。昨年10月大槻能楽堂(大阪)では両氏の『襲名披露公演』を見ている。今回の公演と比較するべきではないかもしれないが、わたし的には皮切りの「三番三」ほか三曲とも初めての演目ばかりで10月よりも濃く楽しめた。

 「三番三」は五穀豊穣を願う祈り、予祝が趣旨なので足を踏みならし、手にもつ鈴を振り鳴らす。まさに魂振りだ。季節、気候、その他の理由で衰えた生命のエネルギーを再度活性化させようと地の神、田の神(畑の神)に呼びかける。ただ少し残念だったのは稲穂の象徴である鈴の音がお囃子に負けてしまったことだ。もっとよく響く鈴を振り鳴らしてこそ神々の耳に届く、また「鈴舞い」のありがたさが観客に伝わるのではなかろうか。

 「三番三」(「三番叟」)は大衆演劇で正月三が日に演じられるものは親しんできたが、神事という点では両者に共通する原始的な宗教性を感じる。

 4月1日の公演での「三番三」と「髭櫓」はわたしにはひとつ驚くことがあった。わたしが知らなかっただけだが、http://www.nohkyogen.jp/visitor/noh7/noh7.htmlによると能だけでなく狂言でも囃子方が登場するそうだ。登場したメンバーは大倉源次郎(小鼓)と山本哲也(大鼓)という手練の奏者が入っていてわたしにとっては喜びが倍増する思いがした。

 能狂言の舞台に接して毎回思うのだが、演者、奏者ともに苦痛をともなうと思える姿勢を長時間とらねばならないのは若干痛々しい。こんなこというのは余計なお節介どころか失礼にあたることは承知しているつもりだ。それでも老年期になるとやはり大変だろうなと思わざるをえない。たとえば立位から座位に移る場合、床に膝がぶちあたる音。痛そうだ。どうせ袴で隠れて見えないのだからニー・パッドをつけてほしいと思ったりする。

人間国宝・梅若玄祥は芸と演出力がともに冴える

能『安達原(あだちがはら)』白頭、急進之出

2017年3月20日、山本能楽堂(大阪)

シテ 梅若玄祥

ワキ 福王和幸

 

 『安達原』は物語の背景に都(京)の公家に仕えた乳母の悲しい伝説がある。乳母は自分が育てている姫の病を治したい思いに駆られるあまりそれと知らずに自分自身の娘を殺害する。犯行後事態を悟った乳母は気が触(狂)れて山奥に隠れ住むようになる。世間の噂によると人間の血が恋しさにこの狂女は山に迷い込んだ人間を次々とくらうとか。そういう次第で山姥、鬼女とよばれるようになる。鬼女の死後祟りのないようにと地元民により墓がたてられ「黒塚」とよばれる。

 なくもがなの粗筋を少しだけ。(現在の福島県安達太良山(あだたらやま)付近をさすらしい)安達ヶ原でのこと。そこに修行のため諸国を行脚する山伏の一行三人が通りかかる。日が暮れて宿を探す一行は山道で親切そうな老婆に出会い、老婆の家で一夜を過ごすことになる。夜の冷気に震える山伏たちのために老婆が薪を刈りに外出するが、一行の中でも一番年若い見習い山伏が老婆の正体を知りたいという好奇心を抑えきれず老婆の寝室をのぞく。するとそこにはおびただしい数の人間の骨が散らばる。やがて老婆がもどるが、寝室をのぞかれたことを察知した老婆は激怒し、その姿は見るも恐ろしい鬼婆に変身している。山伏を食らおうとする鬼女とそれに法力で対抗する山伏たちの壮絶な対決が始まる。長い戦いの果てに鬼女は法力で調伏され退散する。

 見どころは親切そうな老婆が見せる実に緩やかな動きが印象的な前半部と自分が人食い鬼だという人に知られてはならない秘密を露見させた山伏たちに対する怒りに燃えた鬼女の激しい動きとの鮮やかなコントラストである。「急進之出」と小書(こがき=一段小さい文字で示される添え書き)にあるが、これは後半部で鬼女の正体を表わす老婆が突如として激しい体の動きを見せることによる。この演出法を選んだ玄祥氏の演技はメリハリがきいていて楽しめた。

 だが静と動の対比が生むビジュアル面でのおもしろさばかりにとらわれるべきではない。後半部で鬼女がつける鬘が白い点にも注目。このことは小書に「白頭(しろがしら)」と明示されている。白頭は能のきまりとして「老体」を表わす(注1)。白頭をまとう鬼女。前半部で見た老婆の老いが強調される後半部である。自分の子を殺め、さらに人食いに耽るという地獄落ちの大罪を犯した過去をもつ女性。この女性が長年苦しんできた呵責の念は老年期にいたりますます強まる。そういう老女の姿の哀れさが観客の心を打つはずだ。人間に災いをもたらす存在とはいえ、哀れを誘う鬼女の姿。

 山伏が奥深い山中での厳しい修業の末に修得した法力(験力 [ゲンリキ])のおかげで鬼女は長年苦しんだ煩悩から解放されたのかどうか。心の平安をえた鬼女は彼岸の世界へと旅立つはずだと期待したい。

 ちなみに特殊演出法のもう一つの選択肢として(前半部の「静」と後半部の「動」を対比的に浮き上がらせる「急進之出」以外に「長絲之伝」がある。「長絲之伝」の場合、前半部で老婆(実は人食い鬼婆)が見せる糸繰りの場面を時間をかけて丁寧に描く。この糸繰りという仕草について上演後の質疑応答のセッションで玄祥氏がわが子の命を奪い、人食いに耽るという罪深いおのれの半生にじっと向き合い耐えている姿を彷彿させるという趣旨のことをおっしゃっておられた。今回ははずされたが、この「長絲之伝」に籠められた思いが「急進之出」版にも静かに息づいているにちがいない。

 この作品の前場(マエバ)と後場(ノチバ)のはざまで演じられる間狂言(あいきょうげん)に登場したのが人間国宝狂言師野村萬(1930年生まれ)の孫にあたる若手狂言師野村太一郎(1990年生まれ)。山伏の心得がまだまだ乏しい見習い山伏として出演。三人連れ山伏の先達の言いつけも何のその、好奇心溢れる若さに任せて老婆が人食い鬼だと露見させる役回りを軽やかな身振りで演じていた。若干26歳の野村太一郎は山奥にひっそりと暮らす親切な老婆の静かな一面を描く前半部とおなじ人間が残虐、無慈悲な鬼女でもあることを暴露する後半部の境界に位置して両者の大いなる落差を照らし出す重要な役目を担う。まさに人間世界と魔物の棲む世界を行き来するトリックスターを彷彿させた。この若手狂言師を抜擢した玄祥氏の眼力がすごい。

 私事ながら野村太一郎氏については観劇後自宅で偶然見つけたyoutube動画に映された彼の5年ほど前の姿を見ることになる。2012年10月16日に放映されたバラエティ番組『もてもてナンティナイン』の特集『究極の御曹司軍団SP』にとり上げられたひとりが太一郎氏。人間国宝である祖父の前で稽古をするものの、その芸の拙さに何度もしかめ面を見せる祖父の姿を無慈悲なカメラがとらえている。当時はまだ子どもっぽさが抜けない太一郎氏だったが、今回の舞台では腰の据わった演技を見せていたとわたしは思う。

 今回の公演全体として印象深かったのは梅若玄祥氏の卓越した芸はいうに及ばず、出演者全員(役者、囃子方地謡)の統制のとれたアンサンブル効果というかそれぞれの秀でた芸の相乗効果である。私見だが、共演者、能楽界の中堅として注目される役者のひとりワキ方名門福王流の出、福王和幸(1973年生まれ)の山伏がとりわけ輝いていた。 

 

(注1) 石井倫子・著『能・狂言の基礎知識』、角川選書、2009年(google booksのサイトで読める)によると赤頭は神、龍神、天狗など超人的存在、黒頭が怨霊、童子、そして白頭が老体、神霊を表象する。

国立能楽堂記念行事には「演劇の巨人・渡邊守章」による解説がふさわしかった、残念!

2017年3月11日、国立劇場開場50周年記念行事の一環

狂言 『濯ぎ川(すすぎがわ)』  茂山 千三郎大蔵流

能  『昭君(しょうくん)』  観世 銕之丞観世流

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 39日からパリ オペラ座バレエ日本公演(京文化会)、歌舞伎座三月大歌舞伎につづき今回上京の最後の楽しみだった能狂言公演。狂言師茂山千五郎茂山逸平能楽師観世銕之丞らのプロの技を期待して遠路遥々関西から千駄ヶ谷国立能楽堂にやってきた。

わたしの頭にはベテラン演者たちのことだけしかなかったので上演前に能楽師狂言師ではない方の「前説」があることに気づかなかった。開演時間午後1時になり演者が出てくると思いきや現代服姿の御仁が延々半時間にわたってつづくことに。プログラムをよく見なかったわたしが悪いのだが、それにしてもこの解説ならぬ前説はむごかった。

能楽伝統芸能の中でも最高に色気溢れるものなのだ。華麗な衣装を誇る歌舞伎が形式、内容ともに色気が濃いことはまちがいない。だが、そのいわば直球のイロケに対して能楽のそれは外部に爆発的に放出することなく内に貯めつづけるイロケとでもいおうか。能楽者はそのことを厳しい修練をとおして修得するのだろう。能楽者でなくても能楽を語ろうとするなら聞き手にそういうイロケの片鱗でも感じさせる語り口であるべきだ。

演劇の巨人・渡邊守章なら能楽者にまけないイロケを発散する。

しかしながら今回の前説担当者はまるで蝉の抜け殻みたいに思えた。研究者の卵——そうとしか思えなかった−−がかなり手垢のついた批評用語、たとえば悲劇性、(女性の)驕慢などをもちだしても『昭君』という作品の魅力はなにも見えてこない。キーワードである「鏡」にも言及していたが、話の時間を15分にしぼってこの話題だけで能楽好きにわかる言葉遣いでしゃべればよかったものを。あの内容では研究者でも歓迎しない。実際会場内には長過ぎる前説のあいだずっとうつむいて眠っているみたいな観客がたくさん見受けられた。

退屈な『昭君』論がようやく終わったかと思いきや今度は濯ぎ川』に話題転換。けれどこの作品には説明名など一切無用。

(いまから思うと過度に)近代精神溢れる=男女平等論者?の劇作家飯沢匡1909199年)が1952年に発表した笑劇がネタである。この飯沢の笑劇自体が16世紀フランスの小咄「洗い桶の笑劇 [La Farce du Cuvier]」を元ネタにしている。ほどなくしてその翻案を茂山一門が一遍の狂言に仕上げたらしい。ネットに公開されている研究ノートをみるかぎり (http://www.tsukuba-g.ac.jp/library/kiyou/97/kawanabe.pdf) 濯ぎ川』は元ネタであるLa Farce du Cuvierそのまんまだ。

学者や研究者とよばれる人たちのなかには学術的にすぐれた人材も多いことは承知している。だが分野に関わらず学術的能力に疑問符のつく人もいる。今回の上演前のお話はの虚能「昭君」の機巧からくり」と題されていたが、固過ぎるタイトルはさておいてもカラクリ仕掛けのおもしろさは見えてこなかった。

昭君』では「鏡」が重要な役割をはたすだそうだが、能楽郡山宝生流連合会に所属する小原隆夫という方がブログでご自分も出演したこの作品について詞章もあげて詳しく紹介している。 

   http://www5.plala.or.jp/obara123/u2133syouk.htm#昭 君(しょうくん)       

そこにしるされた粗筋は簡潔でいい。いわく、

「昭君」は漢と胡国の和平のため胡国の邪将につかわされた昭君の老父母昭君への思いを述べ、昭君が旅立ったに植えた柳が枯れてしまったので、昭君は国の地で亡くなったのにいないとする。哀れに思った里人が故事にあるように柳を鏡に映して昭君の姿を見るように勧めるので、老父母がその通りにしてみると、美しい昭君の霊と鬼のような邪将の霊が映る。やがて邪将の霊は鏡に映った自分の姿を恥じて姿を消し、昭君にお姿だけがいつまでも映るという能です。

    

」を問題にするならルイスキャロル作『の国のアリス』などを引き合いに出すと心をかき立てたのではないか。あるいは(生半可な知識で申し訳ないが、)英国の詩人ジョン・ダン(John Donne, 1572-1631年)の恋愛詩「おはよう[The Good-Morrow]」も参考にならないか。その詩にある一節がおもしろい。

  僕の顔が君の眼に。君の顔が僕の眼に映る。 二つの顔に貞節な心が宿っているからな。

                        (浅信之 『ジョンダン全集』、1996年)

  英語原文はhttps://www.poetryfoundation.org/poems-and-poets/poems/detail/44104

眼(まなこ)が鏡となる。ダンの詩では恋人どうしだが、昭君』の場合早世した娘と後に残されたその老父母。幽明界を異にする者どうしがたがいを偲ぶ心が「心の眼」となってたがいの姿を宿しているかもしれない。

ネットに公開するブログは誰かを貶すべきではないのだが、今回はすぐにでもベテランの芸を堪能できるという期待をはずされた恨みが出てしまった。今後は慎みたい。

 

ちなみに能楽者や研究者がつづる『昭君』論はネットでもいくつか入手できる。

http://awaya-noh.com/modules/pico2/content0368.html

粟谷明生『昭君』を勤めて--不条理な演出の見直しを

(平成井23626日 喜多流自主公演にて)

http://www.hibikinokai.com/2005-2013/guide/syokun.html

http://aobanokai.exblog.jp/12341972/

  *http://choyokaikan.com/noh_plays/japanese/shokun/

*小林健二「"昭君"攷」『国文学研究資料館紀要』

198103月、小林健

https://kokubunken.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=372...

林健 - 1981

能楽の楽しさを堪能させてくれた「能と囃子の会」

2017年3月5日(日)大槻能堂(大阪)

 午前九時から午後七時までたくさんのベテランや中堅の演者や奏者が入れかわり立ちかわり登場。これでなんと入場無料(出入り自由)でさらに美味なおこわのおにぎりつきだ。

 能・狂言など古典芸能はチケットが5千円以上するのが当たり前だが、わたしとしては今後観劇にかかる費用についてぼやかないようにしよう。それだけ投資する値打ちがある。

 こんな企画があるとは直前まで知らずにいて人から教えてもらって観劇した。ネットで調べたかぎりでは定期的に催されているわけではなさそう。発表会というような趣旨なのかもしれないが、主催者や出演者の方々には負担が大きすぎるような気がする。

 海外の博物館・美術館によくあるような寄金箱があるとよかったのに。強制でなく自由意志で寄付できるように。

大阪府 【笛を楽しむ 能と囃子の会】
9時 大槻能楽堂
野口亮・森田啓子・斉藤敦師のお社中会
最初に
居囃子 翁
連管 舞働
11時頃
一調一管 望月
能 猩々乱 置壺 上田拓司
13時頃
能 半蔀 立花供養 大槻文蔵
15時半頃
能 船弁慶 重キ前後之替 長山禮三郎 長山耕三
最後に
舞囃子 三笑
19時頃終了予定
●無料

ソース:能楽(能・狂言)公演情報

 

 『能楽名演集』(NHK DVD)は20世紀の名人たちの演舞を納めていて見るものを感動させる。たしかに名人は高齢になっても舞姿がすばらしい。それはそうとして今回まだ老齢期には達していない、比較的若い演者や奏者の力強い体のさばきや声音もまた大いに魅力的だと思い知らされた。そういう意味でいい機会に恵まれてありがたいと思う。

 

 

 

狂言はどの流派も楽しい

善竹十番<狂言・行く年来る年>

 

201725日 神戸市灘区民ホール

《鶏聟》小林維毅・善竹忠重・大槻尚平・前川吉也
《惣八》前川吉也・牟田素之・阿草一徳
《節分》善竹忠亮・岡村和彦

 

狂言を熱心に見始めてまだ1年にならないものだから「善竹」家(大蔵流狂言善竹家)はほとんど名前だけしか知らなかった。さいわい自宅から行きやすい会場で公演があるというのでさっそく観劇に。

普段主に京都を本拠地にする茂山千五郎一門の舞台を楽しんでいる。善竹はなじみがないのでワクワクしていた。会場は能楽堂ではなく多目的公演用の舞台だが、能・狂言の舞台を特徴づけるかり、影向(ようごう)の松、四隅の柱、ワキ、目付、シテはしつらえてあった。ただし柱は高さ1メートルほどであくまで象徴的なものにとどまる。

いうまでもなく四隅の柱は出演者の(立)位置を定め、(おもて)(能面)をつけているため視界が不自由な役者に位置情報を与える役目がある。一方橋かりは現世と異界(霊界)を橋渡しする空間。(舞台正面奥の)影向の松もまたふたつの世界の接点となる。天界から人間世界を訪れる神霊が一時的に宿る場所である依代(よりしろ)代)を表象するので重要だ。

三曲が始まる前狂言師智史さんが15分ほどかけてソフトな口調で狂言の世界へ誘う。温厚そうなお人柄を反映しているせいか観客の緊張をほぐす楽しいおしゃべりであった。

いよいよ狂言が始まる。1曲目はわたし的にはおなじみの『鶏婿』。集団の和を乱すまいと心配りする心根を描く人間描写だ。鋭い風刺というより比較的暖かい人間観察といべきか。が、見方によっては融和の精神をやや過度に尊ぶ日本社会に対する冷静な観察あるいは批判ともいえる。

次に『惣八(宗八)』。さるお金持ちが住み込みの料理人と(住み込みで毎日読経をしてもらうための)僧侶をおのおの一名募集する。応募してきたのが殺生を嫌って出家した元料理人と我慢ばかり強いられて窮屈な出家生活を捨てて料理人になった男。新しい主人に仕事を命じられたもののどちらも仕事に不慣れでたがいに相手の不器用さをなじるばかりだ。ここにアベコベの滑稽さが浮き上がる。やがて主人に素性がばれて叱られる。仏教がすでに定着した室町時代の日本だが、当時の人々は堅苦しい(日本的)仏教の教えに人間の本性との矛盾を感じとっていたのだろう。

こういう矛盾は現代では周知の事実だろうが、それと意識せずに本音と建前を使い分ける日本社会では『惣八』の風刺はいまだ有効だ。

最後に『節分』が演じられる。季節にちなんだ曲なので楽しい。伝説の理想郷、蓬莱の島から何かいいものはないかと日本にやってきた鬼が人間の女に恋をする。女は夫の留守をひとりで守っているのだが、それをいいことに鬼は女にしつこく言い寄る。女は機転を働かせて鬼の宝物をまんまとわが物とし、挙げ句のはてに豆で鬼を追い出してしまう。室町時代の男の眼には女の方が頼りがいがあると思っていたのだろうか。(わたしには)男であれ女であれ頓馬なひとはどちらにもいるものだと思うが。

ちなみに節分といえば、つい先日23日京都は北野天満宮で催された節分行事で茂山社中による追儺(ついな)(鬼やらい、いわゆる「豆(魔滅(まめ)まき」)狂言を見たばかりだ。神社などで行われる正式な追儺儀式を見たのは久しぶりだが、劇場で見るのとはちがって印象深い。

今回の出演者は狂言の家に生まれた方もそうでない方も狂言師だけあってみなさん発声がお見事。マイクなしで声を響かせる技量は修練の賜物なのだろう。

ところで善竹家善竹彌五郎18831965年)に始まるそうだ。彌五郎は狂言界(大蔵・和泉両流)に8人居る人間国宝のうちで最初に国宝認定された人らしい。彌五郎は幼少時に母が茂山忠三郎豊(18481928年)に再嫁したので狂言師として育てられることになる。

継父の家は近江井伊藩に召し抱えられていた茂山千五郎正虎(18101886年)が確立した茂山千五郎家の分家筋に当たる。

今回観劇した善竹狂言はわたしの印象に過ぎないが、ざっくばらんさが魅力だ。理屈をこね回す言葉遊びに徹するというよりむしろおかしいこと、おもしろいことには素直に笑う気楽さがいい。その意味で茂山千五郎家の伝統である「お豆腐主義」に通じるところがありそうだ。

お豆腐主義とは古典芸能のプロ集団という肩肘張った姿勢を避け、性別、年齢、社会的地位とか立場などに関係なく誰にでも愛される狂言をめざす。求めがあれば小、中、高の学校訪問も積極的に引き受ける。これが狂言の普及に役立っている。その柔軟さ、気さくさが庶民の日常的食料である豆腐に似る。豆腐は軟らかいが、少々の振動では崩れない耐久性もあることからお豆腐主義、お豆腐狂言という名称ができたそうだ。

10世千五郎(正重、18641950年)が最初にお豆腐主義を唱えて以来千五郎家の家訓として受け継がれている。

わたしは善竹狂言が神戸、大阪、さらに京都を中心に上演されていることすら知らずにいた。わたしにとってほとんど地元といえる神戸で善竹狂言に出会えたことをきっかけにより一層能・狂言に親しんでいこうと思う。