『瞼の母』と『鶴八鶴次郎』〜 決断の時

2017年12月の芝居2本

歌舞伎座十二月大歌舞伎第三部『瞼の母』(市川中車坂東玉三郎 主演)  

 長谷川伸 (1884-1963年) 原作 (1930年)

*浅草木馬館『鶴八鶴次郎』(12月4日、劇団 曉、三咲夏樹・三咲春樹兄弟座長主演)  川口松太郎 (1899-1985年) 原作 (1934年)

 

瞼の母』で印象に残るのは原作者長谷川が用意していた複数の結末部(「荒川堤」の場)の案(異本)のうちもっともシンプルな形で結んでいることだ。従来歌舞伎であれ大衆演劇であれヤクザ渡世に身を落とした番場の忠太郎はそういう生き様の悲哀を強調する演出が多いようだ。確かにこれは外題にもある「瞼の母」というイメージを単刀直入に表現する。その意味で説得力もある。

 

前場で番忠太郎は料亭「水熊」の女将おはまこそ自分の生みの親だと察知し期待に胸膨らますが、すげなく追い返される。拒絶され打ちひしがれる忠太郎は親探しを諦めて渡世人として流浪の旅にもどる決心をする。忠太郎にとっては「瞼の母」こそ本物なのだ。そう達観するしかないのだ。忠太郎が荒川堤にさしかかると金目当てで「水熊」の女将のいわば男妾になろうとする遊び人素盲の金五郎が忠太郎に斬りかかるが、手も無く返り討ちに遭う。

 

この場で忠太郎は母の情に駆られて親子の名乗りをしようと後を追ってきたおはま(と異父妹お登世)とはすれ違いのまま顔を合わすことはない。(異本によっては二人が二十数年間ぶりに<再会>する。実人生で生母と生き別れた作者長谷川の秘めた心の一端がそこに表れているのだろう。)忠太郎は「瞼の母」を後生大事にする<決意>を固めているのだ。この忠太郎の姿は心中での葛藤の末に現実的次元の幸福な出会いを<断念>する。現実世界ではこの断念は不幸以外のなにものでもないことは理解できる。

 

生き別れの親子の再会という喜びは文芸の世界では必ずしも読者・観客の心の高揚に結びつかない。今回の『瞼の母』の場合、「瞼の母」にすべてを賭けるという忠太郎の<断念>が浮き彫りにされることで印象深い出来上がりになったと筆者には思える。玉三郎の「おはま」は一つの至芸の境地に達している。

 

ここで懐かしく思い出すのは(特定の劇団に所属しないフリーランス大衆演劇の役者)藤 千之丞だ。彼が松井 悠劇団で演じた「おはま」も、玉三郎とは演技のスタイルが異なるが、至芸の境地に達していた。わが子忠太郎を頑なに拒む態度が内面の動揺をかすかにうかがわせる絶品の演技だった。しかしあの時の出演陣が揃うことはもうニ度となさそうで残念至極。

 

玉三郎と中車の朗読劇(2014年10月が動画で201510月にアップされている。

https://www.youtube.com/watch?v=8Glm6QgC-YI

この公演は2014年10月の演劇人祭のもの。

http://www.kabuki-bito.jp/news/2014/09/post_1198.html

 

さて翌12月4日関東圏の大衆演劇のメッカの一つ浅草「木馬館」で劇団曉の公演を観劇。この劇団は先先代座長三咲てつやが今をさかのぼること24年前に栃木県で旗揚げ。その後11年して同県塩屋町船生(ふなお)に常設劇場「船生かぶき村」を創設した。現在は三代目座長三咲夏樹・春樹(兄弟)が「船生かぶき村」だけでなく関東ならびに中部地方で月単位の公演を繰り広げている。

 

毎回感じるのだが、関西や九州の劇団と比べると関東の劇団は実にあっさりしている。筆者は普段情の濃い芸風に接する機会が多いのでこういうあっさり系は大歓迎だ。(情の濃い芸風は生身の次元に執着し、ややもすれば精神性の高みに飛翔し損ねる気がする。)2年ぶりに見た劇団 曉の舞台には大変満足した。舞踊ショーも楽しかったが、2時間近いやや長めの芝居『鶴八鶴次郎』が特に気に入った。の作品も『瞼の毋』同様歌舞伎や大衆演劇でよくとりあげられる。

 

筆者の思い込みかもしれないが、これら2作品とも<断念>を<決意>するという点で大いに共通するように思える。

 

『鶴八鶴次郎』は大正時代を舞台に当時人気のあったエンターテインメントの一種である「新内」語り師のコンビを巡るひめたる愛と別離の話だ。三味線弾きの女、2代目鶴賀「鶴八」とその母初代鶴賀鶴八に仕込まれた相方で義太夫語りの男、鶴賀「鶴次郎」。二人は将来を嘱望される若き芸人コンビである。二人の芸はすでに一流の域に達している。そのせいか大聖刻の舞台が引けて楽屋にもどるとどちらも相手の芸の不手際を指摘していつも喧嘩になる。

 

実は二人とも密かに結婚を望んでいるのだ。だがそれを打ち明けられないまま、その苛立ちが相手に対する芸の批判となってあらわれてしまう。やがて鶴八は贔屓筋の男と結婚することに。裕福な家のお内儀になるのだ。コンビ解散と愛する女鶴八を失ったことでやけを起こした鶴次郎は義太夫語りを続けるものの芸は荒んで場末の芸人に身を持ち崩す。

 

コンビが解散してはや3年が経つ。以前から鶴八・鶴次郎コンビに仕えていた佐平(三咲夏樹座長の長男、暁人が大健闘)が二人の才能を埋れさせてはいけないと2年ぶりに二人がコンビを再結成できるように仕組む。理想の相方と再会できて喜ぶ二人。

 

だが、夫と別れてでも舞台に立ちたいという鶴八を前にしてこの2年間ピン芸人として芸人稼業の儚さが身に沁みている鶴次郎は思案の挙句にある決意を固める。鶴八には裕福で堅気の生活を手放さず女としての幸せに恵まれてほしいと鶴次郎は強く願う。結局コンビは解消。鶴次郎は場末の居酒屋で佐平を相手に酒を酌み交わしながら心の丈を打ち明けるのだった。

 

この最後の場面は見ようによってはなんとも救いのない、惨めったらしいと思えるかもしれない。しかし本心では鶴八と夫婦になり(コンビで舞台に立ちたかったに違いない)鶴次郎だが、今もまだ惚れつづけている女、鶴八のせっかく手にした幸せを願って清水の舞台から飛び降りるような気持ちで決断した。鶴次郎はきっとサバサバしているはずだ。一方、佐平にしても裏方ながらこの名コンビの芸に惚れ、尽力してきたのだからコンビの解消には彼の心も傷ついている。だが、鶴次郎が辛い思いを断ち切って鶴八に対して見せた心遣いに感動する佐平でもある。

 

今回の劇団 曉の舞台は鶴八を演じた三咲夏樹と鶴次郎役の三咲春樹の抑制のきいた演じ方のおかげで心に強くて残る舞台であったと思う。それから最後の場面を静かに盛り上げてくれた若座長、三咲曉人の功績も記憶にとどめたい。

 

過去に映画芸術家の誉れ高い成瀬巳喜男監督の同名作品(1938年)では鶴八を名女優山田五十鈴が演じたが、女優の場合単なるラブ・ロマンスとしての性格が強くなってしまい<人間探究>の面白みが半減する。男女の物語と同時に<人間の物語>にするには鶴八は女形が好ましいのではないか。鶴八を女形で演じることで過度の情の表出を避けられるように思う。

近松「文楽」—— 特異な心中物

2017年11月国立文楽劇場(大阪)

『鑓の権三重帷子』(やりのごんざかさねかたびら)

『心中宵庚申』(しんじゅうよいごうしん)

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近松門左衛門の心中物といえば『曽根崎心中』や『心中天の網島』など10編以上ある。ほとんどの場合、遊女と商人など惚れ合った男女が世間の理解を得られず世を儚んで自害するストーリー展開になる。中には『卯月紅葉(うずきのもみじ)』やその続編『卯月潤色(うずきのいろあげ)のように若夫婦(従兄妹同士)が夫に対する舅(夫にとっては実の叔父)の悪感情から進退極まって心中へと至るケースもある。

 

だが、今回観劇した『心中宵庚申』と『鑓の権三重帷子』は事情が異なる。両作品とも心中の当事者である男女は世間に対する義理を可能な限り最大限に果たそうという意志は疑えない。それでいながら彼ら自身の誇りというと曖昧になるが、強い自覚に基づく<矜持>を世間に対して見せつける点で特異である。

 

『心中宵庚申』で心中するのは若夫婦だが、夫(半兵衛)は武士の出で事情があって結構大きな商家(青物商)の養子になる。養父母には実子はないものの血縁の甥子がいるが、養子である半兵衛を見込んで店を継がせる。この意味で彼には養父母に対する重大な義理ができる。自分の才能、人柄、将来性に大いなる期待をかけてくれる養父母の意思には逆らえないのだ。

 

半兵衛は好き同士で結ばれた女房千代がいるのだが、なぜか養母は彼女を毛嫌いする。ついには半兵衛に千代を離縁するように迫る。養母に対する義理と孝行心に篤い半兵衛は女房に対する愛も全うするべく究極の判断をせざるをえなくなる。つまり養母の意思を重んじて千代を離縁し、そののち自分たち夫婦が比翼連理のたとえのごとく相思相愛の仲であることを世間に知らしめようと心中を決行する。

 

現代の観客にとっては半兵衛と千代の二人が前近代の実に旧弊な時代と社会の犠牲となったことが痛ましいと思える。しかし筆者には彼らが哀れな犠牲者だとは思えない。逆に誇らしい理想家に見える。二人は世間対する義理を果たし己の尊厳を守るという離れ業をやってのけるのだ。

 

『心中宵庚申』と同様に『鑓の権三重帷子』も<義理と矜持の葛藤>が主題であることを確認したい。ここでいう「義理」は『心中宵庚申』のように世間一般だけでなく武士社会も意識しているように思える。主人公笹野権三は某藩の小姓であって歳は若くともれっきとした武士である。「鑓の権三」と異名をとる武道の達人であり、その上美男子である。人並み優れた武芸の才能と容貌、ことに後者が一人の年上の女性の心を惑乱させて、その結果思いもよらぬ悲劇が彼に降りかかる。

 

笹野権三は同僚であり、茶道の相弟子でもある川側伴之丞(かわづらばんのじょう)の妹雪と密かに契りを交わしている。日頃は馬術で互いにライバル意識を燃やしている二人だが、藩の重大な行事に際して二人は茶道の腕前を競い合うことになる。

 

相手に先んじるには茶の師匠浅香市之進が保管する奥義書を見なくてはならない。折しも市之進は出張中なのでその妻さゐに頼み込んでこっそり奥義書を覗き見するしかない。伴之丞は伴之丞で悪巧みを講じているが、純朴というか機転が利かない権三はさゐにこの願いを直接ぶつける。

 

さゐは以前から権三をぜひ娘菊の婿にとりたいと考えているのだが、娘思いの感情にいつしか自分が権三と契りたいという欲望が重なり合う。ある夜更け、さゐは権三を屋敷に招き入れ奥義書を見せる。ちょうどその時さゐを欺して奥義書を盗み見ようと企んだ伴之丞が屋敷の庭に忍び込んでいて障子越しに権三とさゐの姿を見てしまう。伴之丞は二人が主人の留守をいいことに密会していると上司に訴え出る。

 

ここからの展開はやや強引ではある。夫市之進の名誉を守るため妻であるさゐは権三に向かって二人は不義を働いたので二人でいっしょに夫に成敗される「女敵討ち」の運命を受け入れてほしいと無理を承知で懇願する。(権三の言い分や意思は明かされないまま)権三は承諾し、他国の京都伏見でみごと市之進に成敗されて果てる。

 

さて、近松がこの作品で描く男女関係をめぐる男尊女卑イデオロギー丸出しの倫理観は現代では到底受け入れられない。ましてや「女敵討ち」は封建時代の悪しき倫理観にのとった習わし以外の何ものでもない。同時代を生きた近松自身そう考えていたに違いないだろう。だとすればなぜそういう作品を今尚繰り返し上演し感動する観客が少なからずいるのだろう。今回この作品を初めて目にした筆者も感動した。

 

『鑓の権三重帷子』と『心中宵庚申』は筆者にとっていつの時代であれ己が置かれた状況や環境を簡単に無視することは不可能だろうと気づかせてくれる。少なくとも無視することが困難な場合が多いのではないか。人は誰もがそれぞれの人間関係の中で生きている。確かにその人間関係を切り捨てるしかない状況がありうることは否定しない。己と関わりをもつ人間の顔を立てるというか少なくともその人間の事情に配慮する必要に迫られる。しかしその一方で己の尊厳をうっちゃるわけにはいかない。世間の義理と己の尊厳という究極の二律背反を正面から受けとめるには半兵衛と千代(『心中宵庚申』)あるいは権三とさゐ(『鑓の権三重帷子』)が選んだ自死をおいては他になかったのではないかと思えてくる。

 

正直なところ現実世界で同じことを実行できるかと問われると答えに窮する。だが、現実的な判断とは別の判断がありうると納得させてくれるのが文学・芸術の世界ではないだろうか。

 

この二つの作品が描く世界とは違い、昨今のニュースから読みとれる価値観は首をかしげることが多い。万人が平等だという価値観があまりに平板に理解され、誰もが可能性も能力も同じでなくてはいけないとあちこちでがなりたてる輩がうじゃうじゃいる。それをまたマスコミが煽り立てる。例えば議員が職場である議場に乳児を連れてきて当然か?違うだろ!と言いたくなる。入学試験を全廃すれば社会の知的レベルが向上するか?これに対してはしませんと断言できる。義務教育以後の教育費を全て無償にするって?それはアカン。義務教育の学習内容を必要なだけ習得していないのにそんなことして害悪が生じるだけでしょ!

 

最後になったが、義太夫語りについてはとりわけ竹本千歳太夫さん(『心中宵庚申』)と豊竹咲甫太夫(『鑓の権三重帷子』)のいつもながらのドラマチックな語り口を堪能できてありがたかった。

 

両作品のストーリーは南条好輝さんのサイトが便利:http://tikamatu24.jp/a-19.htm

 

筆者とは解釈が異なるが、『鑓の権三重帷子』のキーワードである「女敵討ち」についてはデジタル論考「女敵討ちを考える〜吉之助流『仇討ち論』・その4」が興味深い:

http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/geinohsi17.htm

森川劇団 「かっこよさ」が薄らいでる?

劇団(というより座長?)のプライドと思いが観客の期待と噛み合わないのではないかと思う。

 

プレゼントをあれこれ繰り出して客寄せをするのは見当違いのような気がする。プレゼントにつられてくるお客さんは心底劇団を応援してくれないだろう。

 

それから、前売り券を300円も下げて(1,100円)売るのは観客としては心苦しい。借金がかさむのじゃないかと。その分衣装、小道具、あるいは座員の給料にあててほしいと思うのは私だけだろうか。

 

浪速クラブを出て朝日座の前を通って地下鉄の駅に向かう私だが、朝日座の前で客を見送る「里見劇団進明座」は活気がありそうだ。(でも某ブロガーによるとかつての「要ちゃんフィーバーにもいささか翳って来たとか。)

 

われらが森川劇団はご近所の劇場で公演するライバル劇団のことをしっかり偵察しているんだろうか。半時間程度でも時々のぞいて有益なアイデアは盗んでいいのに。

 

竜二座長の熱い想いと健闘ぶりは高く評価したい。若干過熱気味。ここでちょっと息抜きして残る1週間は副座長竜馬に采配をふるってもらうのがいい。ヒラ座員諸氏も観客を挑発するアイデアを捻り出してもらい、芝居と踊りに新味を出すのはどうか。

 

座長には今後の劇団運営と出し物の構想を練ってもらうのはどうだろうか。出し物に関しては高価な映像資料(DVDなど)を買わなくともネット環境さえあればyoutubeで有益な動画が視聴できる。例えば歌舞伎のみならず能や狂言も面白いアイデアがいっぱい詰まっていると思う。youtubeではこういう古典芸能の一部、場合によっては全編が視聴可能だ。

 

余談:前回の記事のくり返しになるが、子供にとって学校教育は大事です。

森川劇団の自信作『お富与三郎 蝙蝠安』は残念ながら<ミスキャスチング>!

2017年11月23日、浪速クラブ(大阪、新世界)

この題材は劇団花吹雪の代表作のひとつ『おとめ(乙女)与三郎』でも使われている。爆笑劇だが、本来は一見移り気な芸者・女郎の隠れた真心を浮かび上がらせる芝居だ。

 

さて今回のキャスティング。まだ中学生の森川煌大、大役「お富」を演じるには幼すぎた。それに(梅毒とハンセン病をごたまぜにしたような病のせいで)鼻の一部が欠損して発音が不明瞭な夜鷹(最下層の売春婦)を演じた森川慶次郎もまだ笑わせる演技が足りない。花吹雪版ではこの夜鷹は<もう一人のお富>と言える存在で、名前もわざとらしく似せて「おとみ」ならぬ「おとめ」。この夜鷹「おとめ」を座長桜春之丞が演じる。フガフガ喋る、その滑稽な喋りっぷりで客席を爆笑の渦に包み込む。一方まだ若手の慶次郎を大ベテランと比べると気の毒だが、その差は歴然としている。

 

座長森川竜二が裕福な家のお坊ちゃん、与三郎と悪事にせいだす蝙蝠安(原作では遊び仲間だが、ここでは「お富」を奪い合うライバル)の二役だ。確かにうまい。となれば相手役、お富は当然<一代新之助を置いてほかになかろう。この新之助、一見謎の新入り座員、実は(訳ありの)元・森川劇団座長こと三代目森川長二郎。脇役、端役でも見事にキャラ立ちさせる演技力の持ち主だ。

 

座長と新之助が昼の部と夜の部で「与三郎・蝙蝠安」と「お富」を交代で演じてほしかった!!!!!!

 

大阪の名門劇場、浪速クラブは森川劇団にとって晴れの舞台だ。今回こそ大阪の観客を感嘆させる配役をすべきだった。

 

この題材は劇団花吹雪の代表作のひとつ『おとめ(乙女)与三郎』でも使われている。

元ネタは幕末期の歌舞伎の『与話情浮名横櫛』(よわなさけうきなのよこぐし)。作者は三代目瀬川如皐(せがわ じょこう)。(徳川の世を震撼させた「黒船」が来航する2ヶ月前、1853年5月に江戸中村座にて初演。通称『切られ与三』(きられよさ)『お富与三郎』(おとみよさぶろう)、『源氏店』(げんやだな)。

 

 

提言:

1. 中学生座員(座長の長男)は義務教育をきちんと修めなくては。かつては学校教育をほとんど修めていなくても大衆演劇の役者はつとまったかもしれない。だが、今ではそれは通用しない。知的に優れたアイデアを繰り出してライバルを一歩も二歩も先んじないと、劇団自体どこからもお呼びがかからなくなる。また伝統的な大衆演劇界も境界が曖昧になり、広く演劇関係の分野から若くて見栄えも良い有能タレント軍団が参入する時代がもうそこに来ている。

 

上演内容の企画、構成、演出は高度に知的な作業だ。そういう営みを実践しようとすれば生きるための基本となる学業、古めかしく言えば読み・書き・そろばんが役者にとって最低限のスキルだ。

 

義務教育だけでは学識、教養のレベルが低いと見られがちだが、この9年間の学習内容はかなり高度だ。(今時の大学生でもそれ以下の場合がままあるらしい。)

 

小中学生にとって一ヶ月ごとの転校ではたとえ内向的でなくても馴染みのない集団に入るのが大いに苦痛だろう。場合によっては家庭教師もいいかもしれない。大学生なら交渉次第で手頃なバイト賃で引き受けてくれるにちがいない。

2.音楽のボリュームもう少し下げて!耳が痛くなる。難聴気味の人を意識しているのかもしれないが、客の半分近くは聴力に問題ないはず。ボリュームあげたからといって劇的効果が高まるわけではない。

森川劇団は<宝の持ち腐れ>に気づいて!

<一代新之助>は芝居も舞踊も絶品芸人だ。

2017年11月23日、浪速クラブ(大阪、新世界)

 

女型舞踊

鳥取砂丘」と「都忘れ」というしみじみとした曲で絶品の踊りを見せてくれた新之助

立役の踊りで見た「無法松」や「俵星玄蕃」もたまらなくいいけれど、今日の女型舞踊も素晴らしいの一語に尽きる。

 

それにしても新之助は選曲のセンスが抜群だ。

鳥取砂丘」歌詞:http://kashinavi.com/song_view.html?10827

動画:https://www.youtube.com/watch?v=jCjHGYiIO1Y

「都忘れ」歌詞&動画:https://www.uta-net.com/movie/37003/

 

薄鼠色の地に金糸をふんだんに使った衣装は渋い。が、一見地味でありながら、観る者の心に強くかつ上品な色気を感じさせる。

 

<一代新之助>は常に枠の中納まっている。過剰な動きもないし、過剰な思い入れもない。通常、枠にはまった<美>は優等生的な美ではあっても人の心にぐさりと突き刺さるようなインパクトはないものだ。ところが一代新之助は過剰であることを拒絶しながら舞台上に強烈に美的な空間を創造するのだ。こういう新之助がたまらなくいい。ずっと応援したい。

美術品は展示されるコンテクスト(環境)が異なると別物に見える?

兵庫県立美術館『大エルミタージュ美術館展 オールドマスター 西洋絵画の巨匠たち』

2017年10月3日[火]~2018年1月14日[日]

 

ひと月前サンクト・ペテルブルグに出かけたおり本家では見られなかった展示絵画を近場で見ようと兵庫県立美術館へ。

 

阪急王子公園からJR西灘、阪神岩屋をさらに南へ下る。久しぶりに見たJR西灘とその南の地域がオシャレに変身していて驚いた。摩耶埠頭を臨む海辺近くにある美術館はこの現代風に身繕いした一帯の司令塔みたいに一段と優雅だ。途中にはもう一つ2009年に開館したBBプラザ美術館がある。広々とした芸術・美術エリアだ。

 

2004年に現・兵庫県立美術館が開館するまで王子動物園近くにあった県立近代美術館(現・兵庫県立美術館王子分館 原田の森ギャラリー)を発展させたのが2004年に開設された兵庫県立美術館だ。さすが安藤忠雄の設計し美術館だけに建物自体が美術品という感じがする。

 

ヨーロッパ絵画の巨匠たちEuropean Old Master artistsの作品から16−18世紀に絞った35点が展示されている。モダンな赤地の壁に並んだ作品はたしかに21世紀の今もなお時代を超越したオーラを放つのものだと印象づける。

 

ちなみにエルミタージュ美術館では(すべて見たわけではないが)300万点以上の美術品を所蔵しているそうだ。

 

今回はとりわけOld Master artistsの作品に関心があったわけではない。本家で見れなかった作品ってどんなのかなという単なる好奇心から。

 

展覧会のために学芸員の方々は精魂傾けておいでだろうことは察する。でも、なんか物足りない。

 

本家は冬の宮殿、冬宮である。実に豪壮な建物だ。あの見る者を圧倒する壮大な建物という容れ物があるから金に糸目をつけずヨーロッパ中から収集した逸品が生きてくるに違いない。ロマノフ朝全盛期の女帝はエカチェリーナ2世(1729 ~ 1796年)エルミタージュ美術館創設を構想し実践に移すだけの力を持つ女性。偉丈夫の女性版か。この容れ物と収蔵物は彼女の権力と富の絶大さばかりでなく知性と美意識の高さを象徴している。この容れ物たる冬宮から引き離され、しかも量的にもそのごく一部に縮小されるといかに巨匠の作品群とはいえ迫力が衰えるような気がするのは私だけだろうか。

参考画像:http://www.saint-petersburg.com/palaces/winter-palace/

http://www.arthistory.ru/hermitage.htm

 

世界最大級の美術館を立ち上げたエカチェリーナ2世は傑物だと改めて思う。

ロシア(サンクトペテルブルク)バレエはキレがいい

10月下旬サンクト・ペテルブルグ(旧レニングラード)に8泊、マリインスキー劇場とミハイロフスキー劇場でバレエ6本とオペラ1本を観劇。

 

マリインスキー (去る10月の演目は劇場の英語版HPに詳しいhttps://www.mariinsky-theatre.com/playbill/search/10-2017/

バフチサライの泉』(バレエ)

『ジゼル』(バレエ)

真夏の夜の夢』(バレエ)

11月以降来年2018年3月2日までの上演予定演目およびチケット購入は https://www.mariinsky-theatre.com/playbill/search/11-2017/

 

ミハイロフスキー (10月公演は英語版HP https://www.mikhailovsky.ru/en/afisha/performances/2017/10/

フィガロの結婚』(オペラ)

ラ・シルフィード』(バレエ)

『海賊』(バレエ)

来年4月までの上演予定演目・チケット購入はhttps://www.mikhailovsky.ru/en/afisha/performances/

 

私はバレエ初心者ファンなので今回の出演者については予備知識なし。それでもダンサー全員が優れた技能の持ち主だということは納得した。プロポーションのいい身体と高度にリズミカルな動き。見ていて気持ちが高揚する。西洋生まれのバレエはいわゆる西欧人的形姿が最適なのか。多分そうだろう。スポーツ、たとえば柔道とは事情が違うような気がする。たとえ前近代から続く流れの中にあるとはいえ柔道は日本の近代に生まれた武術というより国際的なスポーツの部類なのだ。

 

さて話を元にもどして今回鑑賞したバレエとオペラについて。一つ強く印象に残ったのは『バフチサライの泉』と『フィガロの結婚』が大いに<オリエンタリズム>に彩られていたことだ。

 

いうまでもなくオリエンタリズムは人類の歴史と文化を主導してきたと自負する西洋列強がこの自文化中心主義ethnocentrismの発想から創造あるいは想像した東洋(=非西洋)に関する認識であり理解の仕方である。ここで幻想される東洋という異世界は(和風に言えば)エミシ(蝦夷)のような存在にほかならない。必ずしも敵対者でないかもしれないが、親密な関係になるのは是非とも避けるべき<他者>なのだ。だが、この存在は西欧人の目に怪しく異様でありながら、あるいはそれゆえに妖しい魅力を放つものだと映る。

 

オリエンタリズムOrientalism」という用語・概念は今から40年近く前1970年代末に出版された同名の著書以来世界に広まった。著者はパレスチナ生まれでアメリカで活躍した文学研究者エドワード・サイードEdward Said (生没年1935-2003)。多文化主義が一層の高まりを見せ西欧列強に夜植民地主義に対する批判 (postcolonialism) が熱を帯びはじめた当時の世界にはこの概念が登場する必然性があったに違いない。サイードの念頭にあったのは主として自身の生まれ故郷であるイスラム文化圏としての中東地域である。アジアことに日本や中国など東アジアは議論の中心ではないが、非西欧世界という意味で「オリエント」の概念に緩やかに組み込まれているに違いない。

 

そもそも人類の歴史が始まって以来世界には無数の自文化優位主義がある。だが、西欧16世紀以降急速に発達した航海術などのおかげで広い視野で<世界>を意識するようになる。西洋が獲得した世界に対する意識は東洋に対する差別意識、蔑視を生み出す。こういう選民思想が現在も解決のめどが立たない中東などを舞台とする紛争の原因の一端なのだろう。

 

おっと、再度話を引きもどさなくては。『バフチサライの泉』で西洋に敵対するのはアジアからロシアを中心とするヨーロッパまでユーラシア大陸の北半分に渡る広大な地域に分散したタタール人Tartarsの世界だ。タタールという存在だが、かつて日本には中国から「韃靼」という表記が輸入された。学問的にはモンゴル系、(広大なユーラシア中央部に点在する)テュルク系、(旧満州から南シベリアにかけて住む)ツングース系および(永久凍土に覆われたロシア北部のツンドラ気候地域に住むトナカイ遊牧民)サモエード系などの民族をさすそうだが、歴史を振り返ると時代時代で定義づけは大きく変動してきたらしい。

 

そういう曖昧模糊とした「オリエンタリズム」だが、その不明瞭さがかえって「西洋」が「東洋」に対して抱く不安と期待がないまぜになった感覚を生み出すには格好の条件だったように思える。ある意味で実に便利な思考や認識の<道具>なのだ。 『バフチサライの泉』の時代背景は16世紀だろうか。「バフチサライ」という語に含まれる「サライ」は英語でsarai あるいはseraiと表記されるが、ペルシャ語に由来してもともと「宮殿」を意味したそうだ。ただしAramco World: Arab and Islamic cultures and connections というサイトによると「(壮大な?)庭に囲まれた宮殿the palace in the garden」(http://archive.aramcoworld.com/issue/201202/the.palace.and.the.poet.htm)。

 

(現在のクリミア自治共和国にある)バフチサライは劇中でウクライナ南部、黒海に臨むクリミア半島を支配するクリミア・ハン国の首都。ちなみに「ハン」は漢字表記では「汗」である。ジンギスハン(ジンギスカン)に代表されるタタール文化圏の種々の統治者の称号だ。

 

劇中の国王はギレイ・ハンKhan Ghirey。彼に命じられた一団が西方にあるポーランド人の一王国に侵入し王女マリーMarieを誘拐しギレイ・ハンのハーレムに連れ去る。ギレイ・ハンの第一夫人ザレマZaremaが寵愛を失うのを恐れてマリーを殺害するが、怒ったギレイ・ハンが彼女を処刑する。しかしギレイ・ハンは己の欲望が原因で愛する二人の女を失ったことで絶えまない苦悩に苛まれることになる。

 

この作品に関しては日本語による解説http://d.hatena.ne.jp/yt076543/20151016が一読の価値あり。

 

劇の大半はタタール人のハーレムが舞台になるので西洋人にとっての異民族の風俗が前面に出る。とりわけ第一夫人ザレマのコステュームなどはタタール文化に関する知識が乏しい私にはペルシャの姫君に見えてしまう。おそらく原作者プーシキン(英語風表記Alexandr Pushkin、生没年1799-1837)もサイードのいうオリエンタリズムにとらわれていたのだろうか。

 

しかし、私としてはオリエンタリズムの視点から文芸作品にケチをつけるのには違和感を覚えざるをえない。というのもこのバレエ作品はオリエンタリズムが肯定的にかつまた効果的に働いていると考えるからだ。プーシキンのようなコーカソイド、白人系(アンチ(赤色)共産主義ソビエトの考えをもった「白系」とは異なる)ロシア人の意識の中にはタタール文化は怪しくも美しい、エロチックでさえあるものだったに違いない。

 

おもしろいことにタタール人であるギレイ・ハンも異民族、異文化に引きつけられている。彼にとって西洋文化の中で輝く王女マリーは怪しくも美しい異族の女性だ。非西欧世界に見られる<裏返しのオリエンタリズムオクシデンタリズムOccidentalism?)>と呼ぶべきかな。

 

注記:ここからしばらくは冗漫な文章が続くかもしれないので読まずにすっ飛ばすこともアリ

 

ちなみにオリエンタリズムを理論づけたサイードに対しては<裏返しのオリエンタリズム>として批判する向きもある。サイードは西欧世界がそれ以外の世界についてその複層的な性格を無視して単一的な面貌を描き出した。そのサイードの頭の中には非西欧世界を植民地主義的支配を実践し、そういうイデオロギーで蔑視するのが西欧だという一面的決めつけがあるという批判だ。サイードの没後間もなく公表された中国系カナダ人研究者の論文にはサイード批判の視点が紹介されている。http://postcolonial.org/index.php/pct/article/view/309/106

 

しかしArab Leftist(このハンドルネームが暗示するのは左利きアラブ人ではなく左翼思想を信奉するアラブ人というか、左翼主義者はゲイ・レズビアンに理解がある[つまりqueer leftism]ので「ホモセクシュアリティーを許容するアラブ人」というニュアンスかな?)と名のるブロガーによるとサイードが西欧を根っからのオリエンタリズムの権化とみなしたというのは誤解らしい。このブロガーのサイード擁護論は過剰に長いが読み応えあり。 http://arableftist.blogspot.jp/2013/04/joseph-massad-occidentalists-other_21.html

 

イードが批判するのは16世紀以降のスペインやポルトガル、ついでイギリスとオランダが展開した植民地主義だという。古代、中世の西欧に(サイードのいう)オリエンタリズムは成立していなかったというのだ。それをサイード信者たちはサイードがあたかも西欧世界には根源的にオリエンタリズムが蔓延していると勝手に言いふらしているとこのブロガーは考えているようだ。

 

確かに考えてみれば、西欧世界にオリエンタリズムが芽生えたのは中世が終わり近代に入ってからだというのは正論のように思える。それ以前に(まだ西欧にその存在を認知されていなかった「アメリカ新大陸」とその実態が曖昧模糊としていた「暗黒大陸アフリカ」を除く)世界の主要部、つまり(ヨーロッパ西部を除く)ユーラシア大陸の大部分を支配下に置いたのはモンゴル帝国(14〜15世紀)と(20世紀初めまでかろうじて命脈を保った)オスマン帝国(16〜17世紀)である。時代的にズレがあるとはいえモンゴルとオスマン・トルコはいわば強者であり、対するヨーロッパは脅威におののく弱者であった。

 

その当時<強者>であったモンゴルもオスマン・トルコも非西欧、いわゆるオリエントではないか。この状態ではいわゆるオリエンタリズムが成立するはずがない。

 

道草を食ってしまったが、近代と呼ばれる時代に西欧に蔓延したオリエンタリズムにも光と陰の両面があるのではないか。この光と陰の微妙な混ざり合いがあるせいでバレエ『バフチサライの泉』は今なお人気のある作品の一つなのではないか。

 

イードオリエンタリズムについて先年亡くなったアメリカ人作家・映画批評家ドナルド・リチー(Donald Richie、1924年—2013年)が<オリエンタリズム>擁護論を書いている。”Rescuing Orientalism from the School of Said”, The Japan Time (2001年12月30日付)。ネットに掲載されてもいる。 https://www.japantimes.co.jp/culture/2001/12/30/books/rescuing-orientalism-from-the-school-of-said/#.WgZkzBO0MQ8 リチーは終戦直後来日し、コロンビア大学での勉学期間を除いて60年あまり日本に定住。日本映画をこよなく愛したことは広く知られている。

 

このエッセイでリチーは卓越した日本文化論『表徴の帝国L'Empire des signes 』(1970年、日本語訳あり)でも知られるロラン・バルトに強い共感を覚えている。(サイードよりむしろその信奉者に不信感を抱く)リチーはオリエンタリズム同様上から目線につながりがちな言葉「エキゾチシズム」をあえて持ち出してオリエンタリズムの全面的廃棄の無謀さを訴えたいようだ。自己・自文化に回収、順化、適応化できない他者・異文化に極力偏見を排して向き合うことの意義を聞き手・読者に理解したいらしい。哲学者でもあるバルトの詩的感性の鋭さを上記日本論に読みとり他者に真摯に対面しようとするバルトの姿勢をエキゾチシズムという用語を頼りに理解しようとするリチー。エキゾチシズムは物見遊山的感覚と見下されがちだが、素直な驚きと好奇心という人間本来の感覚に根づいているのであながち捨てたものではない。それどころか物事の本質を突いていることもあるのだ。

 

注記:ここらあたりまでこの記事を無視することもアリ

 

オリエンタリズムに関しては渡辺京二・著『逝きし世の面影』(葦書房1998年/平凡社ライブラリー 2005年)で鋭くかつ的確な指摘をしている。この書は幕末から明治初期にかけて日本に滞在した西洋人がとらえた日本の姿を論じたものだ。とかく西洋人が未知の国日本を観察したところで偏見だらけだと思いがちだ。が、事実は違うと渡辺は主張する。

 

以下『逝きし世の面影』からの引用ー

「異邦から来た観察者はオリエンタリズムのメガネをかけていたかもしれない。それゆえに、その眼に映った日本の事物は奇妙に歪められていたかもしれない。だが、彼らはありもしないものを見たわけではないのだ。日本の古い文明はオリエンタリズムの眼鏡を通して見ることができるようなある根拠を有していたのだし、奇妙に歪められることを通してさえ、その実質を開示したのである。

(略)問題は、賛嘆するにせよ嫌悪するにせよ、彼らがこれまで見たことのない異様な、あえていえば奇妙な異文化を発見したということにある。発見ではなく錯覚だということはたやすい。だが、錯覚ですら何かについての錯覚である。(略)幻影はそれを生む何らかの根拠があってこそ幻影たりうる。」(52頁)

有益なサイト:1203夜『逝きし世の面影』渡辺京二|松岡正剛の千夜千冊 https://1000ya.isis.ne.jp/1203.html

 

一方『フィガロの結婚』は某伯爵の家来フィガロがこれから結構しようとする小間使いスザンナにちょっかいを出そうとする伯爵の企みをこと荒立てずに防ぐ。機転がきく庶民がいささか横暴な貴族をやり込めるお話。演出担当のヴァチェスラフ・スタラデュブツッェフ Vyacheslav Starodubtsevは斬新さを打ち出そうと中国趣味をふんだんに盛り込んだという。劇場HPにある一連の画像を是非ご覧あれ。 https://www.mikhailovsky.ru/en/afisha/performances/detail/1009586/

 

なるほどコスチュームは清朝あたりの中国を思わせる。が、女性陣の一部の髪型はオペラ『蝶々夫人』に影響されたかして日本髪風だ。それに伯爵がもつ劔は紛れもなく日本刀。オリエント、いや東アジア文化の<ごたまぜ (misch masch)>だが、見ていて楽しい。見慣れたものに新規さを見出そうとする意欲の発露と受けとめたい。これも先ほどの(読み飛ばし可能箇所での)リチーが注目するエキゾチシズムの効用といえなくもない。音楽と歌唱という聴覚だけでなく舞台上のウイットのきいた動く絵を楽しめて視覚も満足させられた。

 

伝統も切り口を変えればいくらでも新しい発見があるはずだ。

 

マリインスキー。バレエ(旧キーロフ・バレエ)とミハイロフスキー・バレエ(旧レニングラード国立バレエ)は日本から遠路はるばる出かけて観劇するに値すると独り合点している。

 10月下旬は秋の終わりだとかで最高気温摂氏5度。一週間いる間に気温が徐々に下がってほとんで零度くらいにしか上昇せず。それでも楽しかった。

おまけ:ホテルなど

Family Hotel Pyjamaは清潔な居心地のいいホテルだ。評価もたかい。それに安い。シングルだと朝食付き1泊4千円弱。二人部屋だと3千円を下回るらしい。

http://family-hotel-pyjama.hotelsinsaintpetersburg.net/en/

地下鉄主要駅のすぐそばで交通の便がいい。ホテルのそばには巨大なショッピング・モールGaleriaがあり、ここにはユニクロH&MZaraも出店。またО'Кей(オーケー)という名のスーパーもあって食料品が買える。

ただしこのホテルで注意すべきことが一点ある。民間アパートの中にあってそのアパートに入るには鍵が必要。(ホテルの看板もない。旧共産主義国のことだから無許可営業ではなさそうだ。出ないとネットに堂々とHPを掲げられない。)チェックイン後は鍵をもらうので問題ない。でもその鍵を観光中に紛失したらどうするか。スマホでホテルと連絡とるしかない。

私は日もとっぷり暮れた午後9時ごろホテルに着いたが、ホテルに頼んでおいた送迎タクシー(白タクに違いない)のドライバーがホテルのフロントまで案内してくれたので助かった。バスなどを乗り継いでいたらホテルのそばまで来てもホテルの場所を見つけるのに困ったはずっだ。この場合もスマホがあれば問題なし。(今回私はスマホなしで滞在。)タクシーの料金は空港からホテルまで片道1,200ルーブル(約2,400円)。

白タクのドライバーはみな好人物ばかりだった。マリインスキーもミハイロフスキーもどちらも片道運賃400ルーブル(約800円)。

 ミハイロフスキーは地下鉄主要駅から近い(徒歩10分)ので男の場合終演が午後10時過ぎても往復地下鉄利用できる。一方マリインスキーは最寄駅から徒歩20分。親切な人がそう教えてくれた。ただし地下鉄からバスに乗り継ぐ方法もある。駅員さんにおおよそのバス停の位置を教えてもらったものの、そのバス停で数人の人に尋ねたがどのバスに乗るのかわからず仕舞い。夜更けは寂しい運河沿いに歩くのでー危険そうー帰りはホテル経由でタクシーを予約した。流しのタクシーを拾うのは難しい。また劇場前で帰りのタクシーを拾えるが、運賃を高くふっかけられる危険性あり。ホテルで予約するのが無難である。