能楽「高安流ワキ方」の魅力

「ECO ろうそく能 」なにわ文化芸術芸能推進協議会10周年記念特別公演

 山中能楽堂大阪市阿倍野区阪南町)にて。

 <演目>

  1.トーク「高安流の芸」

  2.仕舞 「和布刈(めかり)」岡 充、

   「春栄(しゅんねい)」有松遼 一、「大蛇(おろち)キリ」小林 努

  3.能『弱法師』

   シテ(俊徳丸):山中雅志(やまなか まさゆき 観世流

   ワキ(高安通俊):原 陸(高安流)、アイ(下人):野村太一郎

   笛 野口亮、小鼓 久田舜一郎、大鼓 白坂信行

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 公演皮切りのトークでは「高安流」を題材に原 大(はら まさる 高安流ワキ方)さんのお話。予定では高安勝久さんと原さんのお二人のトークだったが、高安さんがなにか事情があって御欠席。また高安さんは『弱法師』でもワキ方として高安通俊を演じる予定だったが、原 陸さん(原 大さんの息子さん)が代演。インフルエンザかな?

 東京から来演の和泉流狂言師の野村太一郎さんは若手ながらりっぱに一人前の舞台を勤めていた。何年か前TVのドキュメンタリー番組で祖父の人間国宝野村 萬さん(1930年生まれ)の指導を受ける太一郎さんの姿を見た。孫の芸の下手さに萬さんが苦虫を噛み潰したような顔つきをされたことが印象に残っている。だが精進の甲斐あってか今回の舞台は堂々としたものだった。

 ちなみに会場受付で太一郎さんが下足番をしておいでだった。きっと志願したのだろう。謙虚さも芸能にたずさわる人の大事な要素にちがいない。

 

なくもがなの解説:

 『弱法師』は基本的に説経節「信徳丸」、浄瑠璃「摂州合邦辻」のテーマと共通する。伝説に多く見られる貴種流離譚の一つ。裕福な家に生まれながら讒言に迷わされた父親により生家を追放される青年俊徳丸。生まれ故郷を離れてハンセン病にかかり失明するという不幸を背負いながら一人彷徨うが、神仏のご加護のおかげで父と再会し、めでたく実家にもどる。

  「和布刈」は禁忌を犯した男神に対する女神の激しい怒りが原因で陸と海が引き離されてしまう。その怒りを鎮めようと神官たちが磯で和布 (にき‐めとはワカメの異名)を刈りとり捧げる話。つい好奇心に駆られて妻であるトヨタマヒメ(海神の娘)の出産の場面をのぞいたヒコホホデミノミコト(山幸彦)をめぐる神話が元になっている。

 「春栄」は死に瀕した武士(もののふ)兄弟間の愛を描く。承久の乱が起こった1221年のこと。鎌倉幕府軍と後鳥羽上皇率いる反乱軍が相まみえた宇治橋合戦が背景。

 「大蛇キリ」は八岐大蛇(やまたのオロチ)神話に基づく。(ピンからキリまでというように)キリは能の最後の部分を指し、強い感じの舞になることが多い。

 

 山中雅志さんはその凛とした舞台姿は印象的だ。それから高安勝久さんの代役ながらベテラン(山中さん)を相手にその父親の役を演じた若きワキ方原 陸さんにも拍手を送りたい。

 仕舞を舞い、謡われた高安流ワキ方の面々、岡、有松、小林さんたちは主に京都でなんども拝見している。小林さんは古くからの伝統を踏まえた語り口が耳に心地よい。皆さん体力が充実している年代なので動きがキビキビしていて見ていて気持ちがいい。

 

 個人的ながら印象に残ること。頭の両サイドに剃り込み(?)を入れた原さんのヘヤスタイルがいい。原さんの舞台を初めて拝見したのはちょうど2年前春日若宮御祭でのこと(演目は後に記す)。『羽衣』では天女(シテ)役の金春穂高さんに対して羽衣を拾得し我が物にする漁師白龍を演じ、他方『黒塚』では安達ヶ原の鬼女を演じる櫻間右陣さんを相手に修験者、阿闍梨祐慶として登場。数珠を激しく擦り合わせて魔物を折伏する場面が今も記憶に残る。この時の原さん、ドスの効いた声と個性的なヘヤスタイルが相まって迫力満点だった。

 しかし今回トークショーで聞いた舞台のセリフでない話し方がすごく柔和だったのには驚いた。

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2016年12月春日若宮御祭 後宴之式能
★能 羽衣 金春穂高 原大
 笛 貞光訓義 小鼓 荒木賀光 大鼓 井林久登 太鼓 前川光長
狂言 因幡堂 茂山あきら 網谷正美
★能 黒塚 櫻間右陣 原大
 笛 貞光訓義 小鼓 荒木賀光 大鼓 井林久登 太鼓 前川光範
<参考画像> http://pinbokejun.blog93.fc2.com/blog-entry-1006.html

 

<高安流ワキ方 原 大さんと小林努さんに関する記事>

 「劇空間キョウト」https://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/gekijyou/part2-6.html

 

<次の高安能関連の催し>

 2019年2月13日「八尾と能」

 午後2時から八尾市民文化会館プリズムホールにて。

 内容は解説と実演

 出演者:山中雅志、原 大、原 陸(高安流ワキ方)、安福光雄(高安流大鼓方)

劇団暁『研辰の討たれ』に見る若座長の気概

2018年12月10日(昼)浅草木馬館 

 久しぶりに「劇団暁」観劇。若座長三咲暁人の意欲が感じられる歌舞伎演目の上演。しかも見て楽しい『研辰の討たれ』に出くわす幸運な日だった。この作品は比較的最近(劇場空間で言葉を弾けとばせる才能にあふれた演劇人)野田秀樹とコラボした故・一八世中村勘三郎の舞台で見た。それから純粋な歌舞伎作品として片岡愛之助の舞台も見た。いずれも評判をよんだ舞台だった。

 一方大衆演劇版『研辰の討たれ』はかなり事情が異なる。潤沢な資金を投じて大掛かりな歌舞伎座公演とは違い舞台空間も出演者も制約がかかる。そういう制約にも関わらず、いやむしろ制約を逆手にとって劇団暁は主人公守山辰次こと「研辰」の笑いと悲哀がないまぜになった後半生を凝縮して舞台化していたと思う。例えば道場稽古の場面は研辰を含めわずか六人でそれらしい雰囲気を醸し出していた。特筆に値するのは全編を通して主演の暁人若座長が熱演で観客の心をしっかりとらえていた。(彼が尊敬するという)勘三郎を意識的に真似ていたが、結果として単なるコピペに終わらず演者三咲暁人の個性を打ち出していたように思う。グッジョブ!

 ちなみに当日いただいた劇団暁初代座長三咲てつやが発行する日刊『劇団暁かわら版』によると12月6日には歌舞伎『会談乳房榎』を三咲暁人主演で舞台にかけたとのこと。これも仇討ち譚だが、伝統的な歌舞伎芝居で父の仇を赤子だった兄弟が成長してみごとに討つ物語。いわゆる新歌舞伎の演目に数えられる『研辰の討たれ』のように敵討ちに対する近代的批判の視点はない。それでも21世紀を生きる若者たる三咲暁人がどう演じたのか気になる。いつか見れる機会を待つしかない。

 武家の価値観や倫理観が優勢であった江戸時代に上演された歌舞伎作品と異なり、『研辰の討たれ』は初演が1925年というそう遠くない昔。この近代歌舞伎作品は江戸時代末に起きた現実の仇討ち事件やそれを元にした文芸作品がネタになっている。そのひとつが1823年研ぎ師羽床(はゆか)辰蔵が郷里讃岐舞いもどり、そこで敵討ちにあう事件の実録物(戯曲ではなく読み物)『綾南復讐記』(綾南=アヤナミは現在の香川県綾歌郡綾川町羽床あたり。讃岐うどんでも有名らしい)。もう一つはそれを歌舞伎に翻案した『敵討高砂松。さらに明治になると『敵討研屋辰蔵』(1895年)と題した小説も出版される。これら先行作品を題材にしてベテラン歌舞伎狂言作者木村錦花(1877-1960年)が同時代の観客の心をつかむ工夫を凝らして読み物に整え、次に平田兼三(1894-1976年)が歌舞伎台本に仕上げたそうだ。この辺りの詳しい事情は出口逸平氏が「『敵討研屋辰蔵』考」(2014年、大阪芸術大学紀要『藝術36』)および「歌舞伎『研辰の討たれ』の成立」 (2016年、大阪芸術大学紀要『藝術38』)で論じている。両論文ともネット上に公開されている。またこれらの論考は『研辰の系譜―道化と悪党のあいだ』(2017年、作品社) という1冊の本に進化している。

 物語自体は徳川体制下の封建社会に設定されているが、切り口は仇討ちを批判するという点で明確に近代的なものだ。木村錦花と平田兼三による合作と言ってよい『研辰の討たれ』は徳川幕府崩壊から60年近く過ぎたとはいえ、いわゆる封建的観念がまだまだ払拭されていない昭和元年に舞台にかけられた。それでも鎖国の呪縛から解き放たれた日本は(大正デモクラシーとやらの影響もあったのだろうか)人間の生き方を比較的マルチな視点から考える余裕が出てきたようだ。そういう時代背景があるせいで仇役の研辰は悲哀感の混じるドタバタ喜劇の主人公にならざるをえない。そればかりか父を殺された兄弟が仇討ちの本懐を遂げても心の奥底では虚しさを感じるばかりという結末になるのだ。近代人としての意識が高い木村錦花や平田兼三にとってカタキ討ちが正義でもなく倫理にかなうものではなかった。

 そういう意味で(昭和元年=1925年版)『研辰の討たれ』は伝統的歌舞伎劇というより<近代劇>とよぶのがふさわしい。事件の当事者の周囲に偶然居合わせていたにすぎないにも関わらず「かたき」と「討手」双方の心理を操り、自分達に都合のいい方向へと駆り立てる無責任極まりない<大衆>、<群衆>の存在にスポットが当てられる。こんなことは江戸時代に上演された作品ではありえない。

 しかしこれは今から90年も昔の時代感覚である。21世紀における大衆、群衆の定義は変化していても不思議ではない。だからといって本当に変化したといえるだろうか。勘三郎の求めに応じて、あるいは共同して木村・平田版『研辰の討たれ』に大胆に手を入れた上で演出した野田秀樹による『野田版 研辰の討たれ』だ。この現代版の主役が誰かといえば、研辰であるよりむしろ物見高く自分の言動に責任感などまるでない<大衆・群衆>なのではないか。そういう大衆・群衆の実態を野田は舞台の端から端へ絶えず流れ歩く無名の集団、いわば<浮浪する精神>として視覚化し観客に強いインパクトを与えた。野田(と勘三郎)の洞察力は鋭い。だからこそ今でも語り草になるのだろう。

 さらにいえば野田(と勘三郎)は<現代>だけを問題にしているにではなくおそらく研辰の討たれが現実の事件として怒った江戸時代もまた無責任な大衆・群衆がひしめき合っていたと考えている気がする。これは何も責任ある行動をしろと諭せばすむことではない。大衆・群衆というものはいつの時代もそういうものだ。それが良くも悪くも人間のサガ(性)、生まれつきの性質なのだ。そういう人間が大半の社会にも違う種類の人間もいる。様々な性格の人間が寄り集まっているからこそ時に人を感動させるドラマが現実社会で展開するのではないか。野田(と勘三郎)はそんな風に考えているような気がする。

 話を劇団暁にもどそう。夏樹・春樹兄弟座長の庇護と指導のもと今後劇団の要となっていく暁人若座長には野田や勘三郎の演劇センスも見習いながらその先を行く心構えをもつように期待したい。大衆演劇の伝統的名作を斬新な視点で読み直し、新しい命を吹き込んでほしいものだ。

 

 ちなみに劇団暁の本拠地「船生(読み:ふにゅう)かぶき村」(栃木県)がテレ朝『何コレ珍百景』(2018年10月26日放映)で取り上げられた。どなたかがYoutubeに全編アップロード済み(そのうち「船生かぶき村」の紹介は31分から10分間ほどの箇所)。

(現代)狂言に今も息づく「世阿弥以前の猿楽」のエネルギー

金剛能楽堂

<茂山狂言 笑いの収穫祭2018>
 ~古典・昭和・平成 各時代の選りすぐり三本立~

 ・狂言「素袍落」茂山千作、茂山七五三、茂山あきら

 ・狂言「宗旦狐」茂山 茂、茂山千五郎

 ・新作狂言「かけとり」茂山逸平茂山宗彦、茂山童司

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伝統ある茂山狂言を支える親子2世代が繰り出す笑いの波に飲み込まれて快感。

 古典狂言「素袍落」では主人は叔父のところへ太郎冠者を使いに出す。いつもながら調子のよさを発揮して無意識に小智恵を働かせてしまう太郎冠者である。思いがけず酒を振舞われ、その上貴重な晴れ着(素袍)を頂戴する。主人に頂戴物をとり上げられるのを恐れてここでまた悪智恵を発揮するも不首尾。それでへこむ太郎冠者ではない。小手先の知恵を繰り出してまんまと大事な素袍を取りもどす。太郎冠者を演じた五世千作さん。四歳で初舞台を勤めて以来七十年という年月の積み重ねがあるからこそ今回の太郎冠者が生まれたにちがいない。私は狂言を熱心に見はじめてから3年くらいしか立っていない。なのでわかったふうな口をきいてはいけないが、それでも千作さんの芸の見事さには魅せられる。

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http://kyotokyogen.com/actor/shigeyama_sensaku/195027aa_subphoto3_1/

(千作さんの「悪知恵の宝庫ながらも心根が憎めない太郎冠者像」をお見せしたくて無断で拝借しました。画像所有権者の方、すみません。) 

 次いで「宗旦狐」。初めて知ったが、京都では有名な伝説らしい。上京区相国寺に伝わる化け狐、というよりむしろ茶道という芸術文化に通じた、人間でいえば「粋人」だ。外題の由来は狐がが千家茶道の礎となった千宗旦(1578−1658)に化けて茶席に現れるが、そのお点前の完璧さゆえ誰も化け狐だと見抜けなかったそうだ。

 この狂言は昭和の新作狂言で、作者は井口海仙(1900−1982)というこれまた粋人。裏千家宗家の出であり、1950年に創業された京都の書店、茶道を始め美術工芸関係の書籍を出版する「淡交社」の社長を勤めた人だ。そんな事情は初耳だという私の無知は恥じるべきだが、今回新しい発見ができてありがたい。

ちなみに宗旦狐伝説は澤田ふじ子 作『宗旦狐——茶湯にかかわる十二の短編』(光文社文庫)でも描かれている。 

 前説を担当した逸平さんが楽屋で控える宗旦狐役の従兄の茂さんに対して狐ぶりがまだ不足とダメ出し?いわく「ただ舞台で舞えばいいのではなく、狐として舞え」と煽っていたのがおかしかった。このことから推察して、茂山一門の若手の従兄弟同士は仲がいいばかりでなく互いにライバル意識を燃やしているのだ。これは芸能に関わる者として当然のことだろう。

 演目の締めは平成の狂言「かけとり」。これは作者である逸平さんがいうには(故・三代目桂米朝さんの長男)桂米團治さんの同名落語がヒントになったとのこと。米團治さんといえば本職以外の文化芸術の分野でも活躍している才人だ。その才能を生かしてクロスオーバーというか、ジャンルの垣根を飛び越えて落語を活性化し続ける。狂言界で越境を試み続ける若手狂言師の一人である逸平さんが米團治版「かけとり」に感応するのも不思議ではない。

 茂山狂言は二世茂山千作(1864-1950)さん以来京都の豆腐の持ち味同様「控えめで柔軟」であることを一門の方針としているだけあっていつ見ても楽しいし、観劇後も気持ちがほんわかする。

 だが、お豆腐狂言だからといって表向きの柔らかさだけを見ていてはいけない。世阿弥 (1363? ー1443?) が猿楽を高尚な芸術に洗練する以前の野卑でありながらも人間の生命力であり創造力の成果でもある「猿楽」の精神が現代に至るも狂言に引き継がれているのではないか。茂山一門が披露する狂言は厳しい稽古の産物ではあるにしても、いやそれだからこそ舞台に展開する芸はすました秩序を破壊するような笑いを誘発するパワーに溢れている。その精神の次元ではまるで地底のマグマが地表に噴出する際の勢いに通じる。

 能・狂言の元祖たる猥雑な芸能としての猿楽。世阿弥の登場でこういう古い形式の猿楽は消滅したに等しい。世阿弥以前は演者が自らの体を張って行なう<物真似>や<ドタバタ喜劇風の寸劇(スラップスティック)>が猿楽として主に庶民の人気を博していた。世阿弥は親の世代(観阿弥)までの猿楽ではやがて人々に飽きられ長続きしないと考えたのだろうか、自分の生得の美意識、芸術感覚に駆り立てられるようにして高尚な芸術路線へとシフトする。世阿弥の方針は室町時代以降の権力者に受け入れられる。やがて江戸時代になると武家の式楽として規定されて庶民の娯楽とはいえなくなる。(おっと、こんな下手な講釈は無用でした。)

 それでも世阿弥以前の猿楽ってどんなものだったか気になる。『新猿楽記』(平凡社 東洋文庫、1983年)を読むと平安時代中期(1050−1060頃)の猿楽の人気ぶりがうかがえる。作者は学者貴族藤原明衡(ふじわら の あきひら、989?—1066)で一見記録文学形式で一族大勢(妻3人、娘16人あるいはその夫、息子9人)を引き連れてある晩猿楽を見物した様子を身内に対しては結構辛辣な眼差しで描く。藤原明衡は実在の人物だが、家族構成は作り事。それはさておいて猿楽の芸人たちの姿が彷彿する。猿楽芸の描写は当然作者による脚色があるにしても現在見るような枯淡の味わいを特色とする<能>とは似ても似つかない。きっと熱狂の嵐の中で猿楽役者といより芸人たちは得意の技を披露していたのだろう。  

 古い形式の猿楽、能の延長線上に成立した歌舞伎も江戸時代は上演中も観客は静粛にしていなかったらしい。  

 20種類以上もの芸があったとか。猿楽は放浪芸人を含む芸人たちによる<雑芸>の総称みたいなものだったのだろう。博打も猿楽芸の一種だったのがおもしろい。  

 そういう雑芸から能とともに生まれた狂言も笑いを眼目としながら現在では観客も控えめに、上品にしか笑わない、というか芸術鑑賞の嗜みと思い込んでいるせいで笑えない。思うに、東の狂言に比べて西(京都の)茂山狂言はおかしければ大声で笑うべきなのだろう。その方が演者もうれしいにちがいない。今回の公演でも逸平さんによる前説から狂言師の熱情が感じられたし、前のめりで観客に語りかけるスタイルは意図的な挑発だったのだろう。茂山一門は古い時代の猿楽のパワーあふれるおもしろさを再現していると思いたい。

 

 

 

 

 

 

2018年11月文楽公演(大阪)は女性演者が登場かと勘違いした慌て者の私

第1部 午前11時開演

蘆屋道満大内鑑 (あしやどうまんおおうちかがみ)   

 葛の葉子別れの段   

 信田森二人奴の段

桂川連理柵 (かつらがわれんりのしがらみ)   

 六角堂の段   

 帯屋の段   

 道行朧の桂川

第2部 午後4時開演 

鶊山姫捨松 (ひばりやまひめすてのまつ)   

 中将姫雪責の段   

近松門左衛門=作

女殺油地獄    

 徳庵堤の段   

 河内屋内の段   

 豊島屋(てしまや)油店の段

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今回は夜の部一回、昼の部は『桂川連理柵』をもう一で見たくて2回観劇。

今年5月、大夫(義太夫節語り)の大長老他竹本住大夫さんが93歳で逝去。3年前まで現役だった人だ。文楽界を震撼させた大事件だったが、これが長年の伝統に注目すべき変化をもたらした。ようやく世代交代の時節到来だ。おかげで若手の存在感が高まっているのはうれしい。今回はベテラン、中堅だけでなくまだ世間に広く名が通っていない若手の人形遣い、大夫、三味線が実に生き生きと演じている。

 

大夫に目を向けると、今年1月(2018年)豊竹咲穂大夫改め六代目竹本織大夫襲名したが、この方はやや一面的なパワフルさという印象が強かった咲穂大夫時代と違って若々しさの中に貫禄というか、渋みを感じさせるようになってきたと感じる。

 

11月公演の大夫陣の中でとりわけ輝いている(と私には思える)のが豊竹呂勢太夫さん。長いこと大勢の超ベテランの間に挟まって目立たないままだった。健康上の問題を抱えておいでだったのかな。そんな詮索はさておき、『桂川連理柵』の「帯屋の段」ならびに『女殺油地獄』の「豊島屋油店の段」ではその熱演ぶりで存在が際立っていた。

 

分別盛の四十男が親子ほども歳の離れた隣家の娘と男女の関係になるという話の展開だが、これはありそうでなさそうな微妙な筋書きだ。世間に対して義理立てできない窮地に陥った二人は結局心中という道を選ぶ。江戸時代当時、心中事件はいくつかあり、それが人形浄瑠璃や歌舞伎の格好の題材となる。どう考えても大多数の庶民にとって自分たちが事件の当事者になりそうもなかったに違いない。それでも、いやそうだからこそ心中沙汰の主人公になってみたいと夢想するのが人間ではないだろうか。一度たりとも世間の注目を浴びることなく一生を終える庶民のささやかな夢、変身願望だ。

 

一方、これまたありそうで、なさそうな話を描く『女殺油地獄』。既婚女性と根っからの遊び人の若者との間に潜在的に芽生える愛欲が殺人事件を招いてしまう。いつの世も人間社会の出来事といえば意識下のレベルなら小説のネタに溢れているだろう。近松のように文才溢れる人の手にかかれば、ありえない事態も現実化するように見えてしまうから不思議だ。

 

「帯屋の段」にしろ「豊島屋油店の段」にしろ呂勢太夫さんは物語の語り手として一定の冷静さを保ちながら悲劇の主人公に対する観客の思い入れに添い、さらにはそれを一層焚きつけるように語り口に感情をこめる。呂勢太夫さんは冷静さと熱狂ぶりのバランスのとり方が絶妙だったと思う。

 

私にとって今月の文楽公演は心から楽しめる出来栄えであった。

 

おっと、ここで終わるとタイトルの意味がわからんままになる。実は私、今月の舞台には出演していない<女>義太夫と三味線のことでとんでもない勘違いをしてしまった。

 

二度目の昼の部(「信田森二人奴の段」)のこと、オペラグラスで大勢の大夫と三味線弾きの居並ぶ上手脇(通常二人居並ぶなら床=ゆかだが、この場合もゆかと呼んでいいのかな?)を見ると大夫と三味線弾きの集団に女性としか思えない人が一人づついるではないか。今回は世代交代ばかりでなく女人禁制を通してきた文楽が変貌したのか。と思いきやあとで文楽劇場に問い合わせると全員男性だとのこと。私の誤解でした。

 

女性の大夫と三味線弾きはそれぞれ竹本越孝さんや鶴澤寛也さんをはじめ数名おいでのようだが、まだまだ「女義太夫」という表現が生きていて男性とは別くくりのようだ。フェミニストの敵みたいな私だからいうのかもしれないが、もうしばらくは男性陣が文楽を独占していてほしい。

狂言と伝統舞踊は相性がいい!

      「逸青会」10周年記念特別公演

  長唄『汐汲』尾上菊之丞

  狂言『御茶の水』茂山逸平

  『煎物』藤間勘十郎尾上菊之丞茂山逸平

  『鏡の松』尾上菊之丞茂山逸平

 

 狂言師茂山逸平さんと(日舞尾上流四世家元菊之丞さんがタッグを組んで10年。「逸青会」に青の字が出るのは2011年に三代目菊之丞を襲名するまで尾上青楓を名乗っていたため。  

 私は熱心な狂言ファンのつもりだが、真剣に見始めてまだ3年ばかりの駆け出し。一方舞踊(日舞)は以前から歌舞伎で玉三郎さんらの踊りの美しさには気づいていたものの、より深く日舞の魅力を意識するようになったのは一年足らず前のこと。昨年(2017年)12月京都芸術劇場春秋座で梅若玄祥(現 五十六世梅若六郎)さんの縁者が公演されるというので今回ゲスト出演された藤間勘十郎さんの踊りをみてインパクトを受けた。力強さと優美さが融合するみごとさに魅された。  

 つい先日も国立文楽劇場(大阪)での伝統芸能公演鑑賞会で(安珍清姫伝説に基づく地唄『古道成寺』を舞った)吉村雄輝さんのキレのある舞踊を見て興奮したところだった。若い頃には理解できなかった伝統舞踊に開眼(?)できてありがたいと思う。

 「逸青会」は今回が初めて。菊之丞さんは本職ではないはずの狂言特有のセリフ回しが板についている。日舞の枠を超えて積極的に他流試合を経験してきた方だし、過去10年にわたる逸平さんとのコラボを積み重ねたことが生きているのだろう。まるで一流の狂言師だ。本職の舞踊も軽快で優美だった。舞台人として見せる、魅せる芸。逸青会は今後も楽しみだ。  

 10周年記念という特別行事で菊之丞さんが懇請されたのか勘十郎さんがゲスト出演。一年ぶりに踊りを見れる楽しみが加わった。勘十郎さんのエネルギッシュで優雅な所作はいつ見ても素晴らしい。来月8日は春秋座(『藤間勘十郎 春秋座 名流舞踊公演』 四代目市川猿之助監修)でまたお姿を拝見できるのが待ち遠しい。  

 ところで今回の演目で気になったのは菊之丞さんが脚本を書いた『煎物(せんじもの)』という狂言仕立ての舞踊。12世紀末(鎌倉時代)以降上流階級(僧侶、公家、武士)の間で茶の飲用が普及。お茶は現在のようなドリンクの一種ではなく薬用として理解されていたそうだ。お茶は実に高価なものであった。そのため(ネット上の『日本の食べ物用語辞典』によると)一般には茶葉から作る茶ばかりでなく、というかむしろもっぱら「茶外茶」とよばれた薬草類を煎じたものが飲まれたらしい。劇中で逸平さん扮する煎物売りが生姜などの薬用植物(生薬類)の名を口にしたのもうなずける。喉の渇きを癒すばかりでなく命を活性化する、いわば福をもたらすドリンクを主人と太郎冠者が喜んで飲む様子は観客も見ていて楽しくなってくる。当時の喫茶文化に疎い現代人の心にも訴えかけるというのは当の文化自体がもつ新鮮な魅力ばかりでなくそれを可視化する芸能の魅力があってこそだろう。  

 もう一点、劇中の煎物売りはベタなリアリズムを避け、優美に簡素化した商い道具(天秤棒の両端に下がる小ぶりのザル)を担いでいた。(中世の職人たちを文字と絵で紹介する)『七十一番職人歌合』所収の「二十四番」には 煎物売りの項があってずっしり重そうな携帯用釜を担いでいる(ウィキペディアにあり)。無知な私には面白い発見だった。  

 今回初めて見た「逸青会」公演は新鮮な驚きを覚えさせてもらってありがたかった。

ライフスタイルの新しい選択肢

 とかく良識ある「オトナ」の意見がまかり通る傾向が強かった「戦後日本社会」もインターネットが普及してきたおかげで若い世代の言い分が人目に触れるようになってきたことは好ましいことだ。

 過去30年ほどを振り返るとインターネット経由の情報発信が急増している。こういう状況を「知的な向上」と見ることには異論もあるらしい。無用、無意味な情報のかさが増えただけで質的な意義なしという批判だ。しかし多くの場合量と質は反比例しない。

 情報発信による知的刺激を得意とするジャーナリズムは日本の近代以前も以後も存在意義があったことは否定できない。だが、インターネットに代表されるIT技術の登場で従来型のジャーナリズムもその欠陥が露わになってきた。惰性的に紙媒体を優先するいわゆる「一流新聞」なるものに執着していると社会の変化、人間世界の変容に気づかないままで歳を重ねることになる危険性がますます高まるように思える。

 このような変化を恐れるか、それとも未来への可能性が開けると積極的に受け入れるか、極論すると二者択一を迫られているのが現代のわれわれではないだろうか。

 否応なく日本社会を巻き込んで進行するパラダイム・シフトに対して鋭敏に反応しているのは現段階では俗に「意識高い系」とよばれる人たちばかりのような気がする。

 

1.遊びと仕事は本質的に両立する スーツにネクタイで毎日通勤という仕事(古めかしい言葉で表現すれば「労働」)のイメージも例えばホリエモンこと堀江貴文氏の登場ですでに崩れかかっている。

 しかし徐々にではあるが、ホリエモン的感覚を常識と受け入れる集団がホリエモンより若い世代で出現し始めている。「プレイライフ株式会社」のような伝統的「会社勤め」という概念が当てはまらない新種の企業が誕生している。こういう企業では「働く」ではなく「参加」というべきだろう。各人の主体性が大きく作用するようだ。仕事と遊びを両立させるという発想はもはや過去のもの。自分の興味・関心が集団内での交渉を経て生かされる。遊びと仕事の境界が崩れるなど革命的だといってもいい。

 

2.感動する能力が洞察力を生む 人は成長するにつれ現実を知るようになる。一般的にはオトナになること妥協することを覚えることだと言われる。だけど本当にそうだろうか。確かにコドモ時代の夢や希望は非現実的かもしれないが、夢見る心や素直に感動する心は失いたくない。

 日本の国語教育も捨てたものじゃない。かつて、例えば1980年代小学校高学年の国語教科書には(強烈な個性の持ち主たる)尾崎放哉(1885‐1926年)の俳句が採録されていた。放哉といえば、成人後波乱万丈の人生を送った俳人だ。明治時代の末に希少な存在であった帝大卒という肩書きをもち保険会社に就職するも30代半ばで離職。妻を捨て流浪遁世の道を選んで一介の乞食坊主として41年の生涯を閉じた。

 身近で経験したことだが、わずか10歳の小学生が人間本来の孤独を鋭くついた放哉の句に感動していた。

  「咳をしても一人」

  「二階から下りて来てひるめしにする」

 こういう感性はおそらく誰にも芽生えるものだろうが、成長するにつれ薄らいでしまうこともある。しかし世間にたやすく取り込まれずにいる場合は成人後も長く感性が鋭くかつ柔軟に保たれるのではないだろうか。代名詞としてのホリエモンのような人種にはそういう若々しい感性と知性があるのかもしれない。

 

3.待ったなしのグローバル化を迫られる世界の研究者 先日(毀誉褒貶相半ばする)社会学小熊英二氏による「学問と国際化 ―英語化する欧米学界」と題したエッセーに出くわした。日本人がとらわれがちな島国根性は ーこの手の中華思想、自己中的発想は日本人だけではないがー 学者・研究者の世界にも見られるようだ。2016年前半にドイツでの在外研究を経験した小熊氏によるとJapanology(日本学)とくれば日本で蓄積された文献、資料や研究が最優先されそうなものだが、今や日本は蚊帳の外に置かれた状態にあるという。海外の研究者たちが世界共通語とみなされる英語で研究成果を発信しており、それがJapanologyの正道と認められている。日本が大きく出遅れている第一の原因は英語で発信できていないことだ。質的に優れた論文が日本語で書かれていても日本語論文を読む海外の研究者はほんの一握りだと推測できる。日本人としては残念だし、国際的存在感が希薄になるのもやむをえない。筆者の狭い視野に入るかぎりでもこの指摘は正しい。

 ちなみに英語文化・文学の研究者が必ずしも英語で書く努力をしているわけではないという現実も無視できない。

 また英語論文を執筆する場合、テーマが日本に特化したことであっても国際的な場で論じられる社会学歴史学さらに哲学などの知識も必要になる。当然日本文化や日本語の語彙に精通していればすむことではなくなる。

 小熊氏は(非英語圏の)ヨーロッパのみならず東アジアの研究者も英語で発信する必要に迫られている現実にふれている。「国際化しないと職がない」というきびしい現実だ。小熊氏の一連の指摘は傾聴に値する。

 

4.研究のみならず(高等)教育もボーダレス化する 日本は江戸時代まで遡っても世界有数の識字率の高さを誇っていた。現在も国民の教育への関心は高い。

 しかし数年前から高等教育をどこで受けるかということについては国内トップ・クラスの大学を蹴って海外の国際的評価の高い大学へ進学する若者が徐々に現れている。研究者の世界のグローバル化以上に衝撃的な事態だ。だが考えてみればこれも自然の流れかもしれない。半世紀近く前には異文化理解だとか多文化主義という標語が巷に溢れ始めた。ただし日本の場合、海外旅行者向け英会話を学べとばかりに英会話学校が増えただけだ。いやそれどころか高校や大学の英語教育で「英会話」が重視され、果ては小学校で英語教育導入に至る始末。哀れとしか言いようがない。

 とはいえ世界の多くに国々では庶民は外国語に無関心だし、生活上必要ではない。他方、ごく少数の有能な若者には政治的、文化的境界を超えてよりよい教育の恩恵に浴してほしいものだ。

 最後に余計ないい草を。テロリスト組織に莫大な活動資金をくれてやっただけのYasuda事件は一部の日本人が本気で紛争当事国や難民キャンプの実情など知りたくもないくせに身ぎれいなリベラル派を気取っている輩をあぶり出してくれた。ニッポンのジャーナリズム、いや「しんぶんがみ」を愛読する平和と身の安全が無料と思い込み、安全地帯で物申す聖人君子モドキはそのタネが尽きないものだと改めて思わされる。「現地」に身を置けば「現実」が見えるわけではない。知性、感性、想像力が欠如していれば自分に都合のいい幻しか見えてこない。

能楽堂で眠気とワクワク感を同時に味わうことの楽しさ

2018年10月28日『金剛定期能』(京都金剛能楽堂

事情があって9月から能狂言から遠ざかっていたが、今月10月は19日に大槻能楽堂で見た『忠三郎狂言会(茂山良倫初舞台公演)』に続き、2回目の能楽堂公演だ。能楽堂独特の雰囲気は気分を落ち着かせてくれる。

===演目および出演者===

★能 『三井寺』 金剛永謹 福王茂十郎 中村宜成 喜多雅人 廣田明幸(はるゆき、子方、2008年生まれ) 茂山千五郎 茂山 茂  笛・赤井啓三 小鼓・竹村英雄  大鼓・山本哲也  後見・宇高通成ほか  地謡・松野恭憲ほか

狂言 『柑子(こうじ)』 茂山千作 茂山 茂

★仕舞 『清経』 キリ 山田伊純 ★仕舞 『江口』 クセ 今井清隆 ★仕舞 『枕慈童(まくらじどう)』 宇髙竜成

★能 『雷電』 豊嶋晃嗣 原大 岡充 原陸 山下守之  笛・杉信太朗 小鼓・林大和 大鼓・河村大 太鼓・前川光長  後見・豊嶋三千春ほか  地謡・金剛龍謹ほか ======

三井寺』は『百万』、『桜川』、『隅田川』などと同様に親子の離別と再会がテーマだ。人買いなどが原因で母と子が生き別れになり、母は気が狂ったように(物狂い)となって必死に子を探し求める。やがて神仏ご利益で母と子は再会を果たす。こういう物語はどれだけその展開に馴染んでいても見るたびに感動を呼ぶものだ。

 

とはいえ親子の別離ははるか昔、中世という特定の時代状況にかぎられた出来事ではない。時代や洋の東西を問わず起こる。人間社会には付きもののような気がする。例えば親権争いから生じる子の連れ去り事件は時々ニュースになる。

 

狂言の演目構成でおもしろいのはそういう悲劇性を帯びた演目に続いて狂言が演じられることだ。これは悲劇を喜劇で中和する狙いというよりむしろ人間性あるいは人間社会の多面性が、たとえそれが分かり切ったことであっても見る者の心にすんなり入ってくることに関係しているのではないだろうか。さらにいえばこの多面性を再確認することがある種の感動をもたらすようにも思える。

 

狂言『柑子』はだれもが普段親しんでいる(外来種で改良に改良を重ねてきたおかげで糖度の高い)ウンシュウ(温州)ミカンではなく日本原産の酸味の効いたミカンをさすらしい。現代日本人には酸っぱすぎる柑子も室町時代にはご馳走と思われていたようだ。しかも縁起のいい三成りというから果実が3個小枝でつながっているのだろう。主人が期待した縁起の良さも太郎冠者の食い気というなんとも可愛らしい欲望のせいでぶち壊しになるという設定がいい。

 

茂山茂さん演じる主人は上から目線満載だ。それに対抗する(手練れの役者)茂山千作演じる太郎冠者が悪知恵を繰り出して、はじめ3個あった柑子が一つひとつ減っていく言い訳をやってのけるくだりがお見事。大いに笑えた。千作さんの持ち味である飄々とした仕草と口のきき方が太郎冠者の存在を生きいきと描いてくれた。

 

一つ気がかりなのは千作さんのお膝の具合。グリコサミン摂取では間に合わんかな。なんとか脚の筋肉を増強してほしい。

 

20分休憩の後仕舞が3本。山田伊純、今井清隆、宇髙竜成はお三方とも声も体捌きもメリハリが効いていて楽しめた。

 

最後に『雷電』。平安時代初期の9世紀、時の左大臣藤原時平が権力拡大を図る上で邪魔者(政敵)とみなした右大臣菅原道真(菅丞相)を僻地太宰府に追いやり、道真は不当な処遇がもとで憤死する。その恨みの思いが怨霊となり雷神と化して都に次々と災いをもたらす。藤原時平は宗教者を操って道真の怒りを鎮めようとする。さらに道真は太政大臣を追贈され、天神としても祀られることになる。ついには道真も怒りの矛を収める。演者も奏者も私にはおなじみの面々でうれしい。

 

しかし人の恨みというのはこれほどに凄まじいものなのかと改めて思い知らされる。

 

ここで、気まぐれな連想だが、21世紀の現代もMarxistsや自称revolutionariesに信奉されるGiorgio Agambenなら不条理極まりない親子の別離や(道真の例に見られるような)恨みの発露についてどう思うのだろうか。 AgambenはFoucaultが(西洋)近代の権力が提起した社会の個々の構成員の精神のみならず身体をも支配・統治する強力な装置に関する言説をほとんど普遍化する。西洋近代をはるかに遡る古代ローマの法律という強力な統治制度が現代の権力の起源だと考えているらしい。そうだとすると日本の古典芸能たる能狂言が描く不条理な状況は — 現代にも通じるところなしとせずと現代人も思っているようなのだが — 考察・批判の対象にならない枝葉末節と見なされるのだろうか。私の気まぐれでそんなことを思ってしまった。