加古川本蔵と大星由良之助は肝胆相照らす仲だ

大阪国立文楽劇場

2019年11月公演 夜の部

通し狂言仮名手本忠臣蔵』(八段目より十一段目まで)

前 竹本千歳太夫、豊澤富助

後 豊竹藤太夫、鶴澤藤蔵

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 

このうち「山科閑居の段」が強く印象に残る。この段で注目したいのは高師直に侮辱された塩冶判官が師直に怒りの刃を向けるが、それを制止、いや妨害したのが加古川本蔵だ。大星由良之助らが敵対する師直の家来ではないものの、行きがかり上いわば敵役の加古川本蔵が内に秘めた本心を吐露するのがこの段である。歌舞伎特有の人物造形である「モドリ」の一例として悪人と思えたのが実は善人だったという(元の本性にもどる)仕掛け。

 

作品自体は18世紀半ば、江戸時代の価値観を背景にしていて武家社会の忠義が賞賛すべき徳目とみなされている。

 

私は長いこと忘れていたのだが、原作では本蔵自身が大星由良助たちと同じ苦境を経験し心情的にも共通すると明示されている。本蔵が仕える桃井若狭之助は直情的な性格ゆえに師直から侮辱されるが、本蔵は君主の立場を保全するために賄賂を使って事態を現実的に処理した経験をもつ。原文はつぎのとおりだ。

 

「当春鶴丘造営のみぎり、主人桃井若狭之助、高師直に恥ぢしめられ、もってのほか憤り(略)明日御殿にて、出つくはせ、一刀に討ち止むると、(略)止めても止らぬ若気の短慮、小身ゆゑに師直に、賄賂うすきを根に持つて、恥しめたると知つたゆゑ、主人に知らせず、不相応の金銀、衣服、台の物、師直に持参して、心に染まぬへつらいも、主人を大事と存ずるから」(『新編日本古典文学全集』 77 「浄瑠璃集」、小学館、2002年,125-6頁)。

 

むやみやたらに理想を振り回さない、いわば有能な官僚なのだ。そういう本蔵が由良助の苦境を理解していて当然だし、自分と同じ苦い経験をさせまいと主人同様直情的な塩冶判官の刃傷沙汰を制止したのだ。君主に使える武士として彼は彼なりに最善を尽くしたと言える。

 

しかし由良助らは忠義に殉ずべき武士道にもとると理解して、いや誤解してしまう。その誤解もこの段で本蔵が自らの命と引き換えに(正義というと意味がぼやけるので)「正しい道」という意味での「義」を貫いて見せる。それを由良之助もようやく理解するという設定だ。

 

ここで思うのだが、江戸時代ならいざ知らず21世紀の現代にあって「忠義」はもはや正しい道とは言えない。「義」ではない。このくだりを見た観客は本蔵の死に様を通して普遍的な人間としての正しいあり方、義の意義を感じとるのではないだろうか。だからと言って死を賛美しているのではない。この場合たまたま死が関与しているが、人は現実原則を超越した理念としての正しさ、義を追求するのが本来の姿だと思える。

 

その点では現代人にとって由良之助ら忠臣蔵伝説の面々も変わるとことはないはずだ。封建的イデオロギーの忠義にもはや感動することはできない。人間性の理念的相貌に憧れるからこそ忠臣蔵伝説が今なお人々の心を捉えるような気がする。加古川本蔵は単に歌舞伎的モドリの見本ではない。本蔵と由良之助が象徴する価値観は互いに似ている、相似の関係にある。原作でも忠義をキーワードにして二人は互いに相手の姿を映し出すことで忠義という武士道の徳を浮かび出すことになっている。

 

だが、現代にあっては忠義ではなくはるかに高い次元の人間の普遍的な徳、つまり正しい道の探求、さらには至高の善の追求にとってかわらざるをえないだろう。

 

奇しくも同じ文楽劇場では去る11月6日毎月恒例の「伝統芸能公演記録鑑賞会」で歌舞伎版『仮名手本忠臣蔵』「山科の段」(国立劇場、1974年12月)を見た。加古川本蔵は八代目坂東三津五郎、大星由良之助を十四代守田勘弥が演じた。この歌舞伎版では本蔵は己の過ちを悔いて自ら進んで大星力弥の槍に突かれて絶命する。塩冶判官の怒りを理解しながらも事態を穏便に解決すべきだという善意の心から塩谷判官を制止したためにお家断絶にまで行き着いてしまったこと。そればかりか相思相愛の力弥と実子小浪の仲を引き裂くことになった。こう言う己の過ちに対する罪滅ぼしが本蔵の本心だという設定だった。本蔵が仕える桃井若狭之助が師直のせいで追い込まれた難局については触れられない。これはこれで忠義心の鑑たる由良助を浮き彫りにする一つの演出法には違いない。ただし、これでは『仮名手本忠臣蔵』も時代劇の範疇に止まらざるを得ない。

 

その点今回の文楽版は誇り高いツワモノたる加古川本蔵の男気ではなく一個の人間としてあくまで筋を通す決意ぶりに感動した。

名優が演じる歌舞伎は<現代劇>だとつくづく思う

新作シネマ歌舞伎女殺油地獄』(幸四郎猿之助主演)

映画版監督:井上昌典

 

歌舞伎界の「若手」リーダーたる松本幸四郎市川猿之助はこれまで10年近い地道かつ冒険心溢れる奮闘が現代歌舞伎の活性化に大きく貢献していることがこの映画版(昨年7月初演)でよくわかると思う。もはや使い古された評語だがポストモダンという表現が幸四郎(河内屋与兵衛)と猿之助(手嶋屋七左衛門女房お吉)のコンビで実現した『女殺油地獄』がピッタリではないか。江戸時代の歌舞伎が現代劇であったと同様21世紀を生きる観客にとってこの新版『女殺油地獄』は、へーえッ、昔はそんなエグい刃傷沙汰もあったのか、時代劇って面白いね、とは言えない迫真性が印象に残る。人間皆平等と平和に染まっているような現代社会にも一皮向けばいつの世も変わらない奥深い闇が潜んでいることをこの作品は思い出させずにおかない。それでも人は生きていく。誰に強制されるわけでもない。生きたいのだ。いわば限りない絶望と限りない希望の奇妙な共存。

 

9年前には同じ芝居が片岡仁左衛門(与兵衛)と片岡孝太朗(お吉)のコンビで上演され、後にシネマ歌舞伎として上映された。与兵衛を演じた仁左衛門は上質のモダニストという意味で幸四郎のポストモダニストとは好対照だと思う。舞台を見た記憶はおぼろげだが、仁左衛門は事故の中に蠢く愛矛盾する欲望の葛藤を虚構の世界で説得力ある演技で描き出していたように思う。

 

今回の新作シネマ歌舞伎は純粋な歌舞伎作品ではなく松竹の映画監督井上昌典の構成・演出が重要だ。歌舞伎の観客席では味わえないアングルからのカメラワークやクロースアップなど映画独自の手法が大いに効果をあげている。そのインパクトは今から50年昔の篠田正浩監督による歌舞伎の映画化作品『心中天網島』(1969年)と比較しても勝るとも劣らないと言えるだろう。このような歌舞伎と映画の葛藤というか融合というかかなり困難な出会いを実現したのは井上監督ばかりでなく映像編集に参加した松本幸四郎の熱意とパイオニア精神に富む芸術的感性にも注目したい。

 

伝統は墨守するものではなく革新、変革を伴うのだということが納得できる作品である。創成と成熟の時代であった400年以前お歌舞伎は時代劇ではなかった。当時の観客にとって<現代劇>そのものだった。現代の観客がとかく忘れがちな当たり前なことを幸四郎猿之助の共演が思い起こさせてくれた。

プロとアマが交流する能楽教育体制

同志社女子大学能楽部自演会

立命館大学京都女子大学能楽部が共演)

2019年11月3日、梨木神社(京都御所東隣)能舞台

大学能楽部の発表会は初めての鑑賞だった。

 

これまで何度か観世会館や金剛能楽堂でプロの能楽師による舞や囃子の指導を受けるアマチュアの成果発表会は見せていただいている。(観劇が無料であることばかりでなく、時々経験する少量ながら豪華なお弁当のふるまいには驚かされる。)いつも感心するのはお弟子さんたちに対する師匠連の心遣いだ。朝の9時ごろから夕方6時ごろまでの長丁場だが、師匠が弟子の出演時に篤いサポートをする。もっと驚かされるというか、能楽ファンにとってありがたいのは観客の興味を盛り立てる意味だろうか、師匠連がまいい、楽を奏でる。入場料、少なくとも5千円くらい払わなくていいんだろうかとちょっぴり不安になるくらいだ。

確かにお弟子さんたちの存在、アマチュアに対する指導は公的な援助があるわけではない能楽師にとって技の教授は重要な収入源だろうが、それにしても手厚い指導であり援助であると思わされる。

 

この自演会でも仕舞、囃子、地謡にベテラン能楽師が登場。とりわけ後半で番外仕舞として味方玄(みかた・しずか)さんが善知鳥(うとう)を演じた。トリは番外舞囃子でプロの囃子方と共演した片山九郎右衛門さんだった。お二人とも見事な舞ぶりだった。

 

ところで梨木神社能舞台は(橋掛りこそないものの)古典芸能の場所として似つかわしい雰囲気を備えていた。かなりの年代物と見受けられる(影向の松を描いた)鏡板も見る者の心を落ち着かせる。

 

話題が全く別方向になるが、演者の一人味方玄の弟さんである味方團(みかた・まどか)さんが推奨する京都の和菓屋「大黒屋鎌餅本舗」の「鎌餅」と「でっち羊羹」を食べてみた。どちらも上品というか、控えめな甘さと心地よい食感で病みつきになりそうだ。

 

この和菓子のことはネットで公開されているインタビュー記事で知った。https://news.line.me/issue/oa-serai/2093c1700139

大黒屋鎌餅本舗の珠海記事はこちら。

https://blog.goo.ne.jp/mimoron/e/d308580b43606bce39d3185e047220bb

お店は御所の北側(今出川上ル4丁目)だが、河原町四条の高島屋京都店でも買える。地下1階和菓子売場の一角が京都の和菓子が各種並べられており、その中に鎌餅とでっち羊羹が混じる。

 

 

京都能楽界の活況は観世寿夫も認めるのではないか

第61回京都観世能

2019年10月27日

「安宅」、「卒塔婆小町」、狂言「墨塗」、「融」

 

この日は(梅若実主演の「卒塔婆小町」が原因で)常にもまして盛況だった。そのせいで二階自由席(6千円)がすでに満席。仕方なく4千円を足して(残り福かもしれない)一階ワキ正面最前列ながら目付柱の真ん前に座る。柱が邪魔だった。それでも舞台間近なので迫力あり。

 

演目最初の「安宅」は私の数少ない観劇体験の中では弁慶一行と関守・冨樫の駆け引きが最高に緊迫感溢れる舞台だった。舞台から離れた二階席でなくてよかったとしみじみ思った次第。弁慶は老練能楽師河村和晁。弁慶の心身両面の剛力、大いさを表出しようと体力の限界まで奮闘していたのが印象に残る。その弁慶とがっぷり組んで心理的格闘を展開するのが冨樫。冨樫を演じる福王茂十郎が存在感を示していた。子方の義経役味方彗(みかた・さとる)も好演。それから忘れてならないのは弁慶と共に源氏の御曹司義経を守護する山伏や能力(のうりき)姿の面々。みなさん30代から50代で体力、気力ともに豪胆であった。京都観世一門の実力が発揮された公演だ。

 

繰り返しになるが、作中の圧巻は弁慶と冨樫の心理戦だ。物語の背景は時の権力の中枢にいる頼朝が権力掌握にこだわるあまり疑心暗鬼になって弟義経捕縛しようと全国に下知を下す。その包囲網にかかる窮地に陥る義経一行。山伏の一行が実は義経を護衛する武者の集団だと幕府の意を受けた冨樫は感づいたのだ。ここで正体がバレてはならじと豪胆ながら細かい神経の働く弁慶。とっさの機転を利かせて寺社改修のために寄進を募る旅であることを証明する。これまでの募金の記録を記したという勧進帳をデッチ上げる策を講じる。

 

封建主義の社会からはるかにへだたった現代の観客にとってこの心理戦は人間一般に通じるものだと考えたくなる。だが、そういう一般化は疑問だ。やはりこの場合「安宅」伝説が生まれた時代背景が重要ではないか。当事者はあくまでツワモノ(兵)、もののふ(武士)なのだ。ただし現実に存在したかどうかは不確かな、ありうるかもしれない理念としての武者であることにこだわるべきではないか。想像力を羽ばたかせて空想を楽しむ性の人間は時代を超越して英雄譚を好む。その結実が弁慶と冨樫の心理的バトルなのだと思える。

 

ところが能楽界内部にも人類の精神的進化を素直に信じていて特権者と非特権者の区別はありえないと考える人がいるらしい。人間皆平等と強引に割りきる近代的合理主義、人間中心主義が果たして普遍性、永続性を帯びているかどうか断定するのはまだ早いのではないか。何しろ2019年の今もmodern slaveryはりっぱに存続しているのだから。その点ウソつかない NKは CNより正直だと言えそうだ。

 

ところで故観世寿夫は明治以降、ことに戦後30年ほどの能楽界の現状に満足できず能楽の将来を案じた。確かに信頼できる少数の役者仲間と外部からは心強い協力者たる渡辺守章がいたが、大勢が参集する日本の能楽界にあってほとんど孤軍奮闘といえる状況だったように思える。

 

世阿弥は「九位」で個々の能役者の上達段階を下級から中級、上級までそれぞれ3ランクに分ける。とりわけ有能な役者は中級から初めて上級を制し、その後余裕をもって下級(下三位)に降りてくるという。いわゆる「却来 returning to the starting point」だ。また人によっては中級から始めて上級を到達点とする。一方素質も努力も中途半端だと中級を完遂できずに下級へ転落したままになる。

 

同時代の能楽界を見渡した観世寿夫は上級どころか中級もこなすことがならず素人に毛が生えた程度でしかない役者が大部分だと断言する。その主たる原因は能が江戸時代に将軍家や諸大名によって特殊な空間に囲い込まれてしまったためらしい。その結果多種多様な観客層から切り離され、まるで蛸壺のような同業者集団。時に厳しく、時に暖かい舞台に対する批評の視線にさらされなくなったのは能役者にとって不幸だったということだろう。(「演戯者から見た世阿弥の習動論」、『日本の名著』第10巻「世阿弥」所収、96頁)。

 

私の場合観世寿夫のことをは文字を通してしか知らず、その生の舞台に一度も接することがなかった。彼の不満は幾分か理解できるような気がするが、現在の京都能学界を見る限りそれは杞憂にすぎなかったのではないか。関西、ことに京都の能楽界を応援する身としてはそう思いたい。

令和元年度「秋の杉会囃子大会」 出演されたお弟子さんたち レベルが高い

2019年10月14日観世会

久々の投稿です。

過去3年ほどに渡って謡曲、仕舞、小鼓などプロの方が指導するお弟子さんたちの発表会は何度か見せてもらった。今回のような笛方(能管)の発表会は人づてに聞いて始めて知った。

 

どの出演者も達者な腕前を披露されたのには驚いた。素人考えだが、笛って間違った吹き方をすると音が出ないと思っていた。実際そのとおりだという気がする。一定期間以上修練しないと様にならないに違いない。

 

驚いたのは外見では高齢と見える女性が力強い響きを奏でていたことだ。それからもう一つアラフォーぐらいのお二人の男性が準プロ並みだったこと。その方々の持ち前の才能と研鑽があってこその成果だと思う。

 

それから一つ感動したことがある。(お弟子さんの発表会はいつもそうなのだが、)中堅、ベテランが大勢出て伴奏というか脇役を務めることだ。今回も日本のトップレベルの演者たちが大勢出演してお弟子さんたちを応援された。伝統芸を守り育てる気持ちが弟子に対する愛情と綺麗に結びついているのだろう。

 

今回の主催者のお一人杉市和(すぎ・いちかず)さん(共催者信太朗さんの御父君)といえば私が受けた個人的印象では絶えず柔和な表情である。だが、この会では出演するお弟子さんの真後ろに座ってサポートされているときの顔つきが怖いぐらい厳しかった。この厳しさは深い愛情の現れだと理解できる。師弟関係って奥が深いものだと改めて思う。(余談ながら、私も教師業をしていたが、杉市和さんと比べてなんと未熟であったかと内心忸怩たる思いにかられる。)

 

今回の杉会は私にとって初めてのことであり、日頃から杉市和さんと信太朗さん親子の音色には惚れ込んでいたので朝一番(午前9時45分)から聴かせていただいた。「一管」とよばれる能管の奏者単独の演奏で最初に左鴻泰弘(さこう・やすひろ)さんが登場。静かな音色をいつもながらの見事な演奏だった。聴衆の心を開かんとするような穏やかな音色は開幕一番にふさわしい。演奏の表題に「下之高音(しもののたかね)」とあるがネットで調べても「中ノ高音」があるばかり。森田都紀さんの論文「能管における唱歌と音楽実態の結びつきに関する一考察」をのぞき見したが、素人の私には「中ノ高音」の意味さえ判明せず。横着するのはダメですね。今度観世会館に行った折どなたか能楽師の肩に尋ねてみルしかない。おっとこれも横着な答え探しかな。

 

次に登場したのが杉信太朗さん。(世間が認めているように)若手ながら腕前は注目に値する。しかも「早笛」と題されていて動的であり、静けさを印象づける左鴻さんとは対照的だった。このプログラミングは温いくらいうまい。(多分杉信太朗さんのアイデアだろう。)この後中堅、ベテラン能楽師囃子方の支援を受けてお弟子さんの演奏が続くのだが、芸達者なお二人の演奏で場内の雰囲気がしっかり盛り上がったと思う。

 

ただ、今回の公演で大いに残念だったことは名人能楽師として評判の高い片山九郎右衛門さんと味方玄(みかた・しずか)さんの共演になる「大典」を眠りこけたせいで見損ねたことだ。年号が改元を祝う意味で「大典」と名づけられているので私はもう二度と見られないだろう。とはいえ私には事情があった。つまらない事情ではあるが、過去3ヶ月近く呻吟してきたお仕事がようやく片付いて気が抜けていたのかもしれない。

 

今回の公演についてはこれでおしまい。あと少しだけ主催者のお一人杉信太朗さんについて語りたい。彼の笛方として腕前には前々から惚れ込んでいる。荒っぽいのではなく芸術的繊細さを帯びる力強い響きはいつ聴いても惚れ惚れする。その上人柄というか性格も好きだ。薄っぺらな權威主義を斜に見るのがいい。業界では一部の方々が東京芸大卒の肩書きを誇っていて、中には芸大の前に「国立」を添える人までいる。「国立」であることを強調する心情については以前身近ところで聞かされた笑い話があって、そういう輩もいるんだなと思っていた。たまたま耳にした信太朗さんご自身がやむをえない事情で東京芸大に進学したことにまつわる話が面白い。差し障りがありそうなので詳しくは書けないが、彼がいかに安っぽい権威主義に呆れているかがうかがえる話だった。

私はこのツッパリぶりが好きだ。ひょっとしたら彼は代々笛方の家に生まれていながら十代の頃は反発していたかもしれないと想像したりする。でも反発が苦い経験を通じていつしか愛着に変化したのかもしれない。ネットで公開されている杉市和さんのインタビュー記事によると市和さんの御父君は能楽とは無縁の教職についていたとか。また市和さん自身も十代の頃数学教師になろうかと思っていて実際大学で数学を専攻している。家の職業、とりわけ伝統芸の家柄は世代代わりで複雑な軋轢が生じるものかもしれないと思ったりする。

 

無駄話もここでケリをつけよう。

劇団花吹雪 小春かおり・讃

芝居『残菊物語』、2019年7月24日、浪速クラブ

 

おそらく今回の上演意図は身分違いの恋物語を通して男の芸の成長と成功を陰で支える健気な女の姿を浮き彫りにすることだと思われる。日本的感性では幕が女の死で閉じられることで物語は女を描く哀歌というか挽歌だと信じられている。この設定に従うと原作小説(村松梢風、1938年)や翻案物(劇作家巌谷慎一による新派劇・1937年、映画監督溝口健二・1939年など)と同様男が主役で女は脇役という位置づけになる。観客、とりわけ女性観客たちの涙目から判断してその意図は達成された。題名どおり(盛りの季節をすぎた時期外れの残り花)「残菊」女を描く悲劇という定説は根強い。

 

しかし個人的な印象にしか過ぎないかもしれないが、菊之助役の座長桜京之介を相手に小春かおりが演じた「お徳」こそが主役だと思えてならない。小春かおりの役者魂が無意識のうちに女としての<意地>、いや<一人の人間としての意地>を発揮して凛としたお徳の生きざまを描き出したと信じたい。断片的に知れるお徳の恵まれない過去はけっして彼女をいじけさせなかった。それどころか不幸せな境遇が一見哀れっぽい女を人間としての誇りを失わない芯の強い存在に鍛え上げたと言えるだろう。そういう人物像を小春かおりが舞台に創造したと思う。

 

小春かおりは役者の子として生まれたらしいが、興行主や座長の家柄ではなさそうだ。縁あって両親共々劇団花吹雪に入団したと聞いたことがある。絶えず脚光を浴びる花形的な存在ではなく一介の座員という地味な立ち位置にとどまってきたようだ。それでも普段芝居では脇役として渋く光っていたし、舞踊も芸達者だ。

 

私個人の印象ではあるが、とにかく小春かおりの「お徳」は斬新だという気がする。斬新だという根拠は今回の「お徳」が原作や翻案物の趣旨を逸脱している点にある。この場合逸脱というよりというより一切言挙げせずに黙って耐える女という定説化した人物像がもたらす束縛から自由になったというべきか。その結果従来表面化しなかった芯の強い女としてのお徳の姿が浮き上がる。

 

<意地>といい<芯の強さ>といいお徳には不似合いな評価かもしれない。実際、世間では原作と翻案とを問わず『残菊物語』といえば、自分のことはたえず控えめにして男に尽くす健気な女を描く作品だと見る傾向がある。だが私には小春かおりがそれとは異質のお徳、自分の信念を静かに主張する女を打ち出したと思えてならない。小春かおり本人がそのことを自覚していたかどうかはわからない。しかしこの女優のこれまでの生きざまがいわば自己主張したと思える。

 

ちなみに、お徳が男にとって都合のいい「尽くす女」だとする常識にすでに四十年前に反旗を翻した人がいる。映画評論家佐藤忠男である。佐藤が注目したのは溝口による1939年映画版(主演・花柳章太郎 / 森赫子、脚本担当・依田義賢)でお徳が不甲斐ない菊之助を親の家に追い返してやったと啖呵を切る場面である。養父である五代目菊五郎によって菊之助との仲を裂かれたお徳が以前二人で暮らした裏長屋を再訪する。すると顔見知りの娘になぜ二人で連れ立って来ないのかと問われて慎ましやかなお徳の口から意外に激しい言葉が出てきたのだ(佐藤忠男溝口健二の世界』1982年筑摩書房145-148頁)。

 

こういう場面は原作小説にはないが、社会の矛盾や抑圧に敏感な溝口がお徳にそう言わせたのだろう。佐藤によると「溝口が、愛ではなく意地を描くのだということに、どの程度、意識的であったかはよくわからない。ただ、「残菊物語」は舞台化され、他のスタッフ、キャストによる再映画化もされているが、私の知るかぎり、いずれも愛の哀話の域を出ない。ただ、溝口の「残菊物語」だけが意地の激しさに輝いているのである」(147-148頁)。

 

だが、この場面だけで溝口がお徳の人物像に新たな発見をしたとは言いにくいような気がする。というのも映画化されたお徳の全体像は現代から見るとやはり明治時代の旧弊な女性像と思えるからだ。

 

溝口の映画と今回の劇団花吹雪の芝居を比較してみると全編を通して女の意地(人間の意地というべきか)を打ち出したのは溝口が配役した 森赫子ではなく「小春かおり」ではないだろうか。劇団の一座員たる彼女に大役を振った座長桜春之丞と桜京之介の懐の大きさに感心するばかりだ。

 

今回の舞台構成にひとつ注文をつけるとすると、臨終の床にいるお徳の背景に若き名優に成長した菊之助の口上挨拶を置くのはお手軽すぎないか。これではお徳の強い意志に支えられた献身があってこそ菊之助の成功が成立つことが曖昧になってしまう。やはり(お徳の死後やがて菊之助も夭逝する場面で幕を閉じる原作小説とは違って)溝口の独自のアイデアで結末におかれた「船乗り込み」とお徳の臨終とを二重写しにすべきだ。この作品の男の成功は何よりもまず女の成功なのだから。

 

溝口監督『残菊物語』(1939年)はネットで全編視聴できる。

笑いの喚起力で京都茂山狂言は東京勢(マンサイ様)に負けません!

西宮能楽堂主催公演「笑いの原点」

2019年05月11日(土) 西宮能楽堂(阪神電車鳴尾駅南)

演目:

■「解説・狂言ワークショップ」 島田洋海

狂言「昆布売」 演者:茂山あきら、松本薫  

後見:増田浩紀

狂言「察化」 演者:茂山千三郎、丸石やすし、島田洋海  

後見:増田浩紀

=======

茂山狂言のお弟子さんたちが活躍する舞台を見たいという願いがようやくかなった。 毎年数回京都府立文化芸術会館で若手お弟子さんの独自公演があるのだけど公演時間とかアクセスのことがあってまだ一度も感激せず仕舞い。

 

島田洋海さんは狂言技も優れているし、トークもおもしろい。話の展開が滑らかだ。また聞きたい。京都府立文化芸術会館に行くしかないな。

 

今日の公演は2本とも茂山あきらさんと茂山千三郎さんというベテランが出ていて舞台を盛り上げたが、今回印象づけられたのは(多分)先代(四世)千作さん(1919-2013年)のお弟子さんだったと思われる松本薫さん、丸石やすしさんそして島田洋海さんの の芸の達成度が狂言師代々の家の面々に引けを取らないと気づいた。これは何も本家をないがしろにしているわけではない。そう感じさせるほど狂言師としての存在感が強かったのである。

 

とりわけ丸石やすしさんのの詐欺師(室町時代の呼称は<察化>とか<すっぱ>)ぶりは人のよさとずる賢さが絶妙に混じり合っていて見るものを楽しませる。

 

ちなみに2017年5月に姫路城薪能では五世千作さん演じる察化を見たが、細かい演技がお得意な千作さんのずる賢さ、人の悪さを表現する芸にも感心させられた。丸石さんも千作さんもそれぞれの持ち味を生かした人物造形がお見事だ。

 

最後に是非とも言いたいのは増田浩紀さんは後見として出演されたので声と動きのある舞台姿を見れずにいて大変残念だった。次の機会に期待しよう。