ヨーロッパ生まれのオペラがブロードウェイ・ミュージカルとコラボ

 

メトロポリタン歌劇場公演映画版

『陽気な未亡人 (The Merry Widow – Die Lustige Witwe) 』

2015年2月24日

MET ライブビューイングは最新公演を映画という形式でわずか1ヶ月半くらいの遅れで広く世界に提供してくれる。2014——2015年シーズン第6作目(2015年2月21—27日)はFranz Lehár作The Merry Widow。いつものようなオペラではなくオペレッタ(軽歌劇)であった。上演時間が前5作に比べ短めで3時間弱。また内容的には精神的に成熟した男女愛に焦点をあてながらもコミカルな恋の駆け引きを背景にしているため気楽に楽しめる条件がそろっている。だからといっていわゆるオペラの重厚さに欠けるかというとそうではない。筆者には上質のエンターテインメントに仕上がっていると思える。本作は「新演出」を売りにしているが、前代未聞とまでいかなくともたしかに斬新である。ブロードウェイ・ミュージカル界から注目の演出家・振付師Susan Stroman(1954年うまれ)を招き、さらにベテランのミュージカル女優Kelli O’Haraを準主役にすえたのだ。

話は他愛もないものだ。19世紀パリの社交界を舞台に金持ち未亡人(Hanna Glawari)の相続した遺産を狙ってうごめく政治的策略と平和ボケしたような外交官夫人たちの不倫。登場するのはバルカン半島の架空の公国Pontevedroの在パリ大使館に集う上流階級の男女たちである。この(Montenegroという国家名から連想したような)公国は現在深刻な財政的危機に瀕している。大使Zeta男爵は部下のDanilo Danilovitsch伯爵に当の未亡人と政略結婚させ、大使の指示にしたがってDaniloが家長としての特権を行使して妻の相続遺産を国家に寄付させようと企む。しかしことは単純に進まない。華やかな社交界の裏にひしめく金銭欲や色欲が喜劇的な混乱を招く。そういう喜劇的混乱を背景に当の未亡人とDaniloが実はかつて若い頃に恋人同士であり、一悶着あって別れたという過去が観客にわかってくる。結局、大使の企みとは無縁のところで未亡人HannaとDaniloが真実の愛で結ばれるというハッピーエンドで幕がおりる。

本作から筆者がえた第一印象はアメリカ人の目に映る古き良きパリの社交界をディズニー映画のスタイルで再現したという感じである。指揮者のAndrew Davisはイギリス人であるが、主要なキャスト・スタッフはすべてアメリカ人である。世界中のどんな文化も巨大な坩堝にいれて撹拌すれば「アメリカ」以外の何ものでもなくなるマジック。この流儀でどの登場人物もアメリカナイズされて実にあっさりと描かれている。原作の時代設定を意識したコスチュームも時代考証より視覚的美を優先しデザインといいカラーといい色鮮やかだがゴテゴテしていない。また舞台装置も厳密な時代考証をもとに再現したというよりむしろ典型的なミュージカルの舞台を思わせる。豪壮な大使館の巨大な窓に映る外の景色がすっきりした色合いのペイントで描かれている。ことに舞台奥に広がる夜景の場面、その青みがかった夜空はディズニー・アニメーション『ピーター・パン』でピーターたちが夜空を飛び回るシーンを連想させる。ディズニーというと従来そのイデオロギーがたびたび批判の対象にされてきたが、良くも悪くもアメリカ文化を反映していることは否定できない。その意味で国際的に受け入れられやすい要素をもつ「新演出」ではないだろうか。実際、筆者が神戸国際松竹で見た日は9割の入りであった。

とはいえ見る人によっては不満をいだくかもしれない。Stromanによるアメリカ的感性が炸裂する新演出が19世紀末、いわゆるベル・エポックのパリの爛熟した社交界の雰囲気を伝えていないという不満。いくらコスチュームだけそれらしくてもだめだと。

たしかに純粋主義志向の人にはStromanの脳天気ぶりというか無邪気さが我慢できないのは理解できる。しかしアメリカ社会はヨーロッパだけでなく世界のさまざまな民俗文化を吸収しながら必ずしもヨーロッパ偏重といいきれない文化の複合体を形成してきた。今現在もこの形成過程は継続しているといえる。筆者が思うにアメリカ的文化の合成は個々の輸入文化を骨抜きにしたのではない。むしろオリジナルの文化圏では意識されなかった要素を引き出し、そういう要素群を一個の複合体に仕上げたのではないか。だからこそ非アメリカ人たちは一方で反発しながら他方で魅力を感じてしまうといえないだろうか。アメリカ文化の根底にはhybrid、雑種、異種混合あるいは特異な複合体とでもいうべき特性があるからだろう。

Stromanもその例にもれず天真爛漫にアメリカ的感性を信じているのだ。彼女はアメリカ東部のデラウェア大学で演劇を専攻し1976 年に卒業。その後以前から関心のあったモダンダンスに熱中してやがて世界の演劇文化のメッカのひとつたるニューヨークに出て苦労しながらも1980年代後半にプロの振付師ならびに演出家として認められるようになる。活躍の舞台は主にミュージカルの分野である。また1989年にはニューヨーク・シティ・オペラ(2013年に財政悪化で消滅)のDon Giovanniで振付を担当。演出はアメリカ演劇界の重鎮Harold Prince(1928年うまれ)でStromanの仕事ぶりを買って彼女を招いたのである。1990年代から現在にいたるまでグロードウェイの中心で活躍している。

本作でStromanが起用されたのはアメリカ文化の特性であるhybridが秘めるパワーの発揮を期待されたのだと思う。通常hybridにはまがいもののイメージがつきまとう。だがホンモノ対ニセモノという二元論でhybridを一概に否定すべきではない。合成といってもhybridは単なるまぜものではない。それ独自の価値をもつことが可能だ。Stromanの功績はhybridの創造を通して100年ほど昔に創作された作品を新鮮な角度からとらえ直した点にある。下手に原作に忠実な再現を意図したところでカビ臭い古典ものができてしまう危険性もあることを忘れるべきではない。その意味で彼女の新演出は上質のエンターテインメントを生み出している。