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凛とした芸風の一竜座が危機に・・・信じられない(12月高槻千鳥劇場)

12月24日は一回限定のロング公演、約四時間。今月の客入りが良くない状況を一気に挽回するかと思いきや、ふたを開けてみると昨日昼の部より空席が多いではないか。(最前列にいたので不覚にもすぐには気づかなかった。)ファンのひとりとしては辛い現実だが、うけとめるしかない。先月のオーエス劇場もけっして客入りはよくなかったが、観客席には熱気が感じられた。今月はアクセスしやすい高槻千鳥劇場なのできっと客集まりがいいにちがいないはず。が、(別の記事でも書いたように)大入り連発どころかなかなか席が埋まらないありさまなのだ。客入りが悪いので舞台に活気がない。というより役者たちじしんがヤル気をなくしているように思える。去る6月浪速クラブで見せてくれたエネルギーが感じられない12月公演だ。劇団の思いがすべて空回りしているのではないか。

 

今日のロング公演は芝居が2本。前狂言「弁天小僧」は若手が主要人物を独占し主役弁天小僧、とくたろうが敵役(かたきやく)の親分を演じる。竜也座長はじめベテランは端役で敵役の親分にこきつかわれる子分たちだ。子分3人組は座長、風月光志、一竜力。弱冠16歳の若者とくたろうが大のオトナ三人を子分に従えるという逆転配役に期待していた。続いてベテラン座員による切狂言「弥太郎笠」だが、一竜座お得意の出し物のようで、某氏のブログにもあるとおり浪速クラブでも大好評だった。今回はどうか。座長演じる主人公「りゃんこの弥太郎」の飄々とした姿は粋だし見ていて楽しい。ちなみに、江戸時代の庶民にとって「りゃんこ・両個」とは二本差し、大小2本の刀を帯びた侍に対する蔑称である。しかしこの芝居ではそういう意味合いはなく、堅苦しい武士社会を嫌い、好き好んで風来坊のヤクザ者になったという主人公の自由気侭な生き方を暗示するのだろう。この芝居は元をたどれば子母沢寛・原作小説で50年あまり以前に市川雷蔵萬屋錦之介で映画化され第2次大戦後の時代劇ブームの一翼を担った。

 

この切狂言、座長はいいのだが、芝居全体としてまとまりがなかった。いつもなら一竜座の強みである悲劇性の中に喜劇的脱線が滑らかにとけ込むのにそうはならなかったのだ。

 

ひとつの打開策として考えられるのは芝居(および舞踊)の構成と演出を重視することだ。上演内容構成と演出というと某劇団の座長の顔が思い浮かぶが、それに倣えというのではない。一竜座の芸質に合った形、その強みを生かす形で公演を構成し演出してほしい。私見だが、構成・演出の中心は竜也座長と竜美獅童が担当するのがベストだ。特別狂言や土日、祝祭日の公演に際して芝居はベテランと中堅が主要な役を占める。ベテランとはあおい竜也、白龍、中堅とは竜美獅童、風月光志のことだ。若手男優、女優はこれらの芸道の先輩に謙虚に学ぶべきだと思う。暁龍磨は「花形」という重職にあるが、まだまだ若い。今後の成長が大いに期待されるので素直な気持ちで見習うことが必要ではないだろうか。自分の個性を殺せというのではない。性急に自分で己の個性だと早合点したものにこだわるのは危険だ。かえって自分の可能性を摘んでしまう恐れがある。芸の基本を習得してから徐々に個性を吹き込んで行くべきだろう。

 

今現在、一竜座はいわば危機的状況にあると思う。だが、これは旗揚げ2年足らずの劇団がいっそう成熟するための節目だと信じたい。だから安易な客寄せ策でごまかさないで真摯にこの苦境に向き合ってほしいのだ。

 

明日は千秋楽、来月、奈良県は榛原の「やまと座」公演に向けた劇団の決意が舞台にうかがえますように。(元日の座席は予約ずみなので、今から初めて見る一竜座の「三番叟」が楽しみだ。)