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一竜座 三番叟(2016年1月 やまと座)

近鉄大阪線榛原駅のすぐそば「やまと座」を初体験。能、歌舞伎、大衆演劇。その形式はどうであれ三番叟はいつ見てもいい。なぜか今回は鈴振りが強く印象に残った。(身体、袖などの衣服ばかりでなく)種々のモノを「振る」行為そのものは(古代以来現在にいたるも明確な意識がなくても)儀式的「魂振り」に通じる。新年を迎えて劇場に漂う気と観客の気、さらに役者自らの気をあらたに奮い立たせる願いをこめて手を振り、足を振り、舞台の板を荒々しく踏みしめ、鈴を振る。わたしも歳の始めの祝い事に多少なりとも与りたい思いで遠路遥々やってきただけに感動を味わわせていただいた。それにまた鈴の音色が心地よい。声や音も魂振りにほかならない。

 

一竜座のみなさんいつもとちがって大まじめ。普段の一竜座は一竜力(リキ)をのぞけば大阪出身者がいないのに大阪人好みのギャグを連発するのだが、三番叟を舞っているあいだはかなりシリアスだった。そのギャップがまたおかしみを誘う。

 

芝居は劇団お得意の「千両纏」。人気芸者と愛くるしい半玉をめぐって男たちが争う。身分の優位をひけらかす有力旗本の兄弟に対するは粋でいなせが身上の纏持ちの兄弟分ふたり。大衆演劇では(それに歌舞伎でも)当然身にそぐわない権威、権力を振り回す側が負ける。火消しの振る纏は男伊達の象徴なのだ。おっとここでまた魂振り。火の粉を払いのけるばかりに火消しの魂を高揚させる纏。「千両纏」という外題はあらたま(新玉、荒玉)の歳を迎える元旦興行を意識してのことだったのかな。ちなみに、「あらたま」の玉は魂にも転じるだろう。

 

これはこじつけになるだろうが、別のタマフリも考えられる。火消し「め組」の年老いた親分はいつもどおり竜美獅童だ。寄る年波で中風を煩うが、震える右手を座長を演じる組の火消しに「伝染」させて遊ぶ。よその劇団でもこの笑いネタは見たが、この劇団が一番おかしい。舞台をこえて観客席にまで感染範囲を広げる。今日は最前列の若い女性客が進んで感染の被害者になっていた。場内を湧かせるなかなか憎いアイデアではないか。これ一種の魂振り?身体(の一部)を揺り動かすことで観客席に観劇の喜びをふるいおこす?。余談でした。

 

二組のカップルのうち主たる組み合わせは人気芸者ツタ吉(竜美空新、たつみ そあら)と恋仲の纏持ちマサ吉(劇団花形、暁龍、あかつき りゅうま)。マサ吉暁龍の持ち役のようだ。私の勝手な思いだが、特別な重みのある元日公演は大ベテラン役者白龍にマサ吉役を振り、その兄貴分を座長あおい竜也に演じてほしかった。このふたりなら迫力あるイナセぶりが彷彿するにちがいない。白龍が演じていた傲慢でわがままな旗本(きょうだいの兄)を風月光志(かざつき こうじ)を配役するのはいかが。光志ならおかしさ満載のキャラを立ち上げてくれるだろう。

 

ちなみに余計なおせっかいかもしれないが、劇中で日本語が混乱していた。詳しい文脈は忘れたが、「役不足」と「力不足」という慣用句がとり違えられていた。本来「力不足」というべきところが役不足」になってしまった。この間違いがなんどか繰り返されたので耳ざわりだった。(与えられた「役」と自分「能力」を比較して役が自分の力に劣る、ふさわしくない場合は「役不足」。逆に役が自分の力に勝っていて責任を果たせない場合は「「力不足」。)この誤用は現代日本のあちこちで繰り返されているので劇団を責められない。

 

さて、今日聞こえてきた新規の耳袋ネタ。口上挨拶の際座長の口から芸達者ぶりで際立つ竜美獅童のキャリアの一端がかいまみえた。私には未知の役者、水原涼の弟さんだそうだ。さそくネット検索してみたところ、この兄弟は2008年から2012年にかけて「劇団虎龍」と「劇団琥珀」の二人座長だったらしい。いや、後者の劇団琥珀水原涼が抜けて竜美獅童ひとりが座長だったのかもしれない。また2013年9月、愛知県は蒲郡にある(あじさいの里)形原(かたはら)温泉で竜美獅童兄弟のご母堂とともに「歌舞く座」を立ち上げ、役者ではなく経営陣におさまっていたようである。しかし今はもう「歌舞く座」はなくなり、現在同じ住所地(蒲郡市平町一ノ沢2−5 新葵荘内)で「あじさい劇場」が運営されている。某サイトにはこの「あじさい劇場」も2013年9月に杮落しとある。この二つどういう関係?形原温泉は「あじさいの里」といわれるし・・・。わからん。