2016年1月 初春文楽『国性爺合戦』(国立文楽劇場 大阪)

国性爺合戦』は数年前の観劇時にストーリーの複雑さについてゆけず楽しめなかったという苦い思い出がある。今回はその反省と眠り込みを防ぐためにイヤホン・ガイドを利用した。その甲斐あってか、特に後半2時間におよぶ長丁場も緊張感をなくさず堪能できた。

 

正直なところ前回の苦い記憶がやや悪夢のように私にとりついていたので開演前はかなり気が重かった。全体で実質3時間半。ところが今回は感動すら覚えた。日中混血の主人公 和藤内 ー 作者近松は「人(人)でも人でもない」とシャレたそうだ ー とその父 鄭 芝龍(ていしりゅう、亡命先の日本では「老一官」と称する)という二人のヒーローぶりに魅了されたわけではない。私見にしかすぎないが、ヒーロー伝説の陰になった和藤内の異母妹 錦祥女が体現する高邁な倫理観にもとづく生きざまと死にざまにこそ心を打たれたのだ。

 

作品の時代背景としてうかがえるのは17世紀はじめには後の清朝をおこす女真族が明にとって脅威となる。300年近くつづいた明が崩壊し清がとってかわろる1644年までそう遠くはない動乱の時代。歴史書ではないので作中では明を脅かすのは定義が曖昧な「韃靼」人の国ということになっている。近松の時代は女真族(清)を韃靼人と見ていたそうだ。

 

錦祥女の実践した倫理観にもどろう。夫甘輝は明の軍人だが侵略者「韃靼」にくみしている。甘輝は城主として守備についている。そういう波乱含みの時期に明朝の興を期して日本からやってきた和藤内とその父鄭 芝龍(ならびに母)である。錦祥女は夫甘輝に和藤内と手を結ぶことをすすめるが、韃靼に忠誠を誓っている甘輝は妻の心情を慮りながらも拒絶する。

 

錦祥女は事前に和藤内に約束していた。自分が夫を説得してみた結果、夫が和藤内を味方として受け入れるなら、城内を流れる小川に白粉を流し不首尾なら紅を流すと。説得の結果を今や遅しと待ちわびていた和藤内の目に飛び込んできたのは紅色だった。実はこれは紅ではなく錦祥女の血なのだ。異母兄の願いに応じられなかったことを恥じて錦祥女は自害したのである。錦祥女の義理の娘にあたる和藤内の母も義理の娘の後を追って自害する。明の再興という大義のためにおのれの命を犠牲にした妻の心に打たれた甘輝は和藤内と手を結ぶ。このように大いなる義を導きだしたこの二人の女性の残酷ではあるが清冽な理想主義に魅了された。

 

こんなめでたいことをいうと錦祥女の自決が女性の犠牲のうえに成り立つ封建的社会によって強いられたにすぎないと反論が出そうなことは承知している。しかし近松が自分が生きた時代によってさまざまな制約をこうむっていることを単純には批判できない。そもそも人間の歴史は過去は悪、現在は正義というような価値基準でとらえられないものではないか。単なる後知恵というよりむしろ悪しき近代主義にからめとられることは避けるべきだろう。物事の判断はすべからく普遍性にもとづくべしと単純にいえるものだろうか。「普遍性」っていったいどういうことと問いたくなる。おっと、こんな「しーるず」モドキのことば遊びはやめとこう。

 

ちなみに近松の思想の根本に日本を賞賛する自国中心主義を見てそれを批判的に指摘している人がいることに気づいた。韓国は高麗大学日本研究センター所長 崔 官氏がそれだ。氏の(ウェッブで公開されている)論文に「鄭成功から和藤内へ — 近松の『国性爺合戦』を中心に」がある。某大学の紀要に掲載された日本語論文である。それによると「日本中心の華夷意識に立脚し近松は、中国の鄭成功を借りて来て日本の和藤内を作り出したのだ。和藤内の中国での勇猛と活躍をすべて日本の神力の功徳として表現しており、神国の守護神である天照大御神の威力を誇張して提示している。(中略)結局、中国人の父と日本人の母の間に生まれた鄭成功は、日本では近松によって日本優越意識を象徴する和藤内という人物に変形されるようになったのだ」(論文 111ー112頁)。現代風社会科学的視点からはそう見えるのだろう。もっともこれもひとつの見識であることを否定するつもりはない。

 

鄭成功(ていせいこう、1624ー62年)は台湾で人気があるようだが、Mainland Chinaではどうやら歴史から抹殺されているように思える。恥ずかしながら鄭成功和藤内の実在のモデルだということをわたしは知らなかった。近松はどういう経路で鄭成功のことを知ったのだろうか。その伝記(白麓蔵書『鄭成功伝』)が漢文のままで大坂で再出版されたのが1774年。これは近松(1653ー1725年)の没後だから排除。定説によると近松鄭成功の存在を知ったのは17世紀末の浄瑠璃作者 錦文流による『国仙野手柄日記』(1711年)や儒学者鵜飼石斎(1615ー1664年)の著作『明清闘記』(1611年)などだそうだ。

 

ついでながら鄭成功伝』は『和刻本明清資料集 第2集』として及古書院が1974年に復刻出版した書籍におさめられている。また『長沢規矩也著作集』第10巻(及古書院、1987年)にも収録されている。

 

話をもとにもどして近松の女性像は、たとえば『心中天網島』のおさんは自分の夫 治兵衛を奪いとった遊女 小春に対して社会的犠牲者にされがちな同じ女性としての立場にたって、いわば同情し共感する。その悲劇的だが研ぎすまされ、澄んだ精神が見る者を感動へと誘うのではないか。今回国性爺合戦』を見て錦祥女という人物が明(中国)と日本の国境を精神的に越えてある種の普遍性を帯びた人物ではなく、典型的な近松的女性像にほかならないと思えるようになった。そういう古い時代の人物が今も人の心をとらえる魅力があるのだ。

 

演者(人形遣い、太夫と三味線)のみなさんは熱演だった。なにしろ国性爺合戦』は日本と中国にまたがる物語の背景が壮大なので、私の場合ついつい眠気に襲われてしまう。にもかかわらず今回はそれがなかった。