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大衆演劇界のダークホース「劇団 悠」2016年1月大阪、業界先頭集団に躍り出た!

大衆演劇界を過去2年ほど前から現在まで見渡すと自滅の兆候を示す劇団がちらほら現れている。暴力事件で刑事処分を受けた幹部座員のいる劇団もあった。また最近は自分の不甲斐なさから近しい家族の愚行をたしなめもしない座長がいて、なんの責任もない座員たちが不利をこうむるなど。うんざりすることがふえてきた。

 

そんな中で「劇団 悠」の生きざまはすがすがしい。舞台に接するたびに心が洗われる思いがする。

 

そのいい例が今日1月30日熱気あふれる大阪は十三、木川劇場で「劇団 悠」の千秋楽。みごとな出来映えだ。座長松井 悠の長年にわたる地道な努力が実ってこんにちの劇団 悠がある。ちなみに今日の座長口上挨拶によると17歳で高校を中退し自分の意志で大衆演劇の世界に飛び込んで13年だそうだ。昨年座長襲名六周年を迎えた。この劇団をはじめ現在合計5つの劇団があるらしい「下町かぶき組」の傘下にある「劇団 悠」。いわゆる伝統的大衆演劇の劇団とは異質の演劇組織だ。前にも書いたが、「伝統」は存在意義がある。そのことは否定しない。しかし役者は時代の変化、観客の嗜好の変化に敏感であるべきだろう。しかしとかく「伝統」は足かせになる。伝統を守れば無難にすごせると考えるのは危険だ。下町かぶき組、とりわけ劇団 悠にはその危険性に対するセンサーが備わっていると信じたい。

 

さて、今日は劇団にとって失敗が許されない重要な千秋楽。その顔見せミニ・ショーで劇団一経験が浅いらしい和(かず)さおりに個人舞踊をおどらせた座長の判断は正しかった。この経験はさおり本人の自信につながるだろうし、さおり自身座長の期待に応えたと思う。今月ひと月での彼女の成長ぶりは今日の個人舞踊で証明された。背景に流れた曲は「 男酒女酒」だったが、現代劇にもかかわっているらしいさおりが演歌っぽい曲を照れずにやりおおせたのはりっぱだった。彼女の大衆演劇の役者としての成長の一里塚だ。先輩の「吉田クン(吉田将基)」も最近顕著に存在感がましてきている。さおり、吉田クンのあとに続け。(追記: 吉田クンは「劇団 漂流船」に所属とご本のブログにある。客演してるんだ。)

 

千秋楽、芝居は『弁天小僧菊之助』。歌舞伎では『白浪五人男』のうち弁天小僧の場面だけの場合『弁天娘女男白浪(べんてんむすめ めお の しらなみ)』とよばれる。いつもならここは座長松井 悠の両性具有的人物()のみごとな演じ分けを楽しむところだ。だが、今日は千秋楽なので精一杯はじけるのが当然だろう。おぼこ娘三人(高野花子、和 さおり、そしてなぜか「男」の嵐山錦之助)を女郎屋に叩き売ろうとするワルの親分こと薮蛇の甚五郎(高橋茂紀)がせっかくの悠座長の水際立った演技をくってしまうほどのお笑い達人芸を見せる。しかし千秋楽は普段とひと味もふた味もちがってあたりまえだろう。せっかくの歌舞伎ネタだが、本来の芝居の均整が崩れてしまうのも許そうではないか。これでしばらく木川劇場とはお別れなのだから。祝いだ、祝いだ!祝祭万歳!でいいではないか。

 

最後に劇団に対する私の勝手な要望。来たる3月弁天座での公演あるいは5月に木川劇場にもどってきたときにぜひ見せていただきたい。それはなにかというと座員一人ひとりの持ち技を披露する機会を与えてほしい。一日あるいは昼か夜の部どちらか座員個人の「責任公演」あるいは「出ずっぱりショー」はどうだろう。「責任公演」の場合、劇団一同が責任者1名の思うがまま指図されて舞踊や芝居を上演する。一方「出ずっぱりショー」は、以前このブログに書いたが、たとえば「なおとの若女形(わかおやま)七変化」とか「嵐山錦之助の殺陣存分に披露」とか。それからまた「劇団内ユニット」といえる「吉田組」による「あッと驚くインパクとあり過ぎでショー」。私の考える「吉田組」構成メンバーとは代表「吉田(小)」こと吉田将基、代表を補佐する「総長・山南敬助」でなくて、「吉田(大)」こと藤 千之丞、最後に控えるのが副総長・かず(和)さおり。

 

私は八尾グランドは都合でパスして弁天座で再会を願っている。