芸人たちの幕末・再訪 ー もう一つの若き獅子像

別記事で紹介した「帝国日本一座」には数人の十歳前後のこどもが加わっていた。これら少年、少女たちの姿をうかがわせる資料は成人座員の比べてきわめて少ないようだ。これまで私が素人流に読みあさったかぎり数葉の写真と名前がところどころ出てくる程度である。だがひとり例外がいる。それは「梅吉」という横浜出航当時(数え年)12歳の少年だ。この子役は「帝国日本一座」の一翼をになった足芸の「濱碇定吉」一座の座長の実子と思われる。ネット上で関連サイトが簡単に見つかるのでご存知の方もおいでだろう。(2年前私は旅芸人の情報をネットでさがしていて梅吉のことを知った。)江戸にいた頃も欧米公演でも大人顔負けの芸を披露して大評判だった。父親が足や肩や頭で支える竿の先や梯子の上でみごとなバランスをとってみせたのである。

 

写真(たとえばkosyasin.web.fc2.com//jin3.html の垂直方向で中程に「濱碇定吉の息子・梅吉」とある)で見ると小柄でキュートな顔つきであり、この外見で芸が達者なら地球上のどこでも人気者になることまちがいなしという感じである。くだんの写真は滞米中に撮ったらしい。慣れない洋服を着ているはずだが、結構サマになっている。

 

欧米公演では梅吉に印象深い愛称がついた。「リトル・オーライ (Little All Right) 」。またたくまにこの子の第二の、いや(その知名度からして)第一の芸名になった。ニックネームの由来は最初のニューヨーク公演で竿あるいは梯子に乗っている最中バランスをくずして転落。すわ事故かと会場が騒ぐ中、やがてすっくと立ち上がった梅吉の口から出たのが「オーライ」だった。"All Right"は渡米後現地で聞き覚えた数少ない英語表現で、無意識のうちに口にしたのだろう。ファンたちが「オーライ」に「坊や」、「かわいい」、「チビ助」、とか「ちゃん」のようなニュアンスを表す"Little"を付けたようだ。このご祝儀による反応に味をしめたのか梅吉は技が決まるたびに"All Right"を口にするようになった。

 

つぎの英語サイト(showbizdavid.blogspot.jp/2013/04/paging-japanese-circus-artists-where-in.html)ではニューヨークで梅吉がとった評判についてふれられており、彼の梯子上の芸当がイラストで描かれている。

<上記サイトから引用>

Perhaps the troupe's biggest hit was a young very showmanly lad named Umekichi, who took on the name "Little All Right." He was such a sensation working the crowd that at the completion of Littel All Right's perilous ladder feat, the audience stormed the stage with half a dollar, five, ten, and twenty dollar gold pieces."

ご祝儀(お花)もたんまりもらったようだ。当時の10ドル、20ドルは結構大金だったと想像する。ちなみに世界規模で展開する通販・オークションサイトeBayで(リトル・オーライがもらったという)「20ドル金貨」は1枚が現在15万から20万円で販売されている。

 

ほぼ同時期に欧米巡業に出かけた鉄割福松一座に「リンキチ」という梅吉と似た年格好の子役がいた。この少年も人気者だった。梅吉が"Little All Right" という愛称で有名だと知るとさっそく座長がリンキチをこの愛称で紹介するようになる。パクリだなんだと騒ぎ立てることではない。それで観客が喜ぶなら"Little All Right"が何人いたっていいと座長だけでなく私も思う。 愛称がいわば伝説化しただけのこと。伝説は芸人にとって商売を景気づけるありがたい効果を生むのだ。

 

ついでながら「鉄割」という苗字は三原 文氏によると「てつわり」と読むとのこと。幕末から明治にかけて横浜で発行されていた英字紙The Japan Gazetteのある記事でTetsuwariと表記されているそうだ(『日本人登場ー西洋劇場で演じられた江戸の見世物』、松柏社、2008年、40頁)。

 

さて幕末といえば、勤王か佐幕かという思想信条はどうであれ日本の大変革期に命を賭けた若者たち、若き獅子たちのことが話題になる。だが、同時期にほとんど無防備でおのれの芸だけを頼りに西洋世界に身を投じた芸人たちにも注目したい。海外遠征したのは大人ばかりでなく、十歳になるかならないくらいの少年、少女たちもいたのである。かれらの未知の環境に対する適応力たるや驚嘆にあたいする。かれらは正史では語られないもうひとつの「若き獅子像」のモデルと思えてならない。

 

ちなみに、「濱碇定吉」のことでネット検索注に偶然知ったのだが、村上もとこ原作のマンガ『JINー仁』第10巻で主人公、現代の医師、南方 仁が幕末にタイムスリップし、負傷した軽業師、濱碇定吉の手術を担当する場面があるとか。若者たちにも幕末の軽業師の存在が知られているとは驚きだ。