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なおと(20歳)、錦之助(21歳) & さおり(22歳) 合同誕生日公演

2016年3月23日、弁天座(奈良県大和高田市

今日は芝居も舞踊もなおと、嵐山錦之助 & 和 [ かず] さおりが中心。演目すべてが「さわやか!」の一語に尽きる。

 

芝居の外題は『吉良常』だが、尾崎士郎(1898ー1964年)原作の大河小説『人生劇場』からひとりの登場人物を選び出し大衆演劇風に味付けされた人気作品のひとつらしい。

 

主な配役:田島正吉(なおと)、吉良常(嵐山錦之助)、岬組組長(藤 千之丞)、その弟(松井悠座長)、さおり岬組組長夫人、龍神組組長=敵役(高橋茂紀)

 

田島正吉(なおと)と吉良常(嵐山錦之助)というふたりの男を結ぶ「男の友情」がテーマの芝居である。かつての東映ヤクザ映画なら男性観客の涙を絞る芝居だ。映画は基本的にリアリズムだし、劇場内の薄暗がりで観客は周囲のことを忘れ自分一人の感情に溺れることができる。となれば、主人公やその他お気に入りの登場人物に感情移入するのはたやすい。これが観客にとっては快感なのだ。

 

しかし今回のように生の舞台公演の場合、事情が少し変わってくる。銀幕に映る映画の登場人物は完璧に2次元の存在。かれらはある種無機質で観客一人ひとりがそれぞれの思い(願望、欲望)を重ねやすい。

 

それに対して生の舞台は今現在生きている役者が目の前にいる。場合によっては観客の思い(思い込み)がはねつけられることもなくはない。

 

とはいえ生の舞台でも、たとえば伝統的な大衆演劇の演出なら『吉良常』は泣かせる芝居の典型になるだろう。また演出の如何にかかわらず観客が外題を耳にした時点で泣かせる芝居を期待していればそのとおり泣かせる芝居になる。実際、終演後この芝居で泣かされたという趣旨のことを述懐している声が聞こえてきた。観客それぞれの楽しみ方があるのでそれはそれでいい。

 

でも少なくとも私は今回の『吉良常』は典型的な泣かせる芝居とは思えなかった。これは貶し言葉ではない。むしろニューウェーブ大衆演劇作品として買っているのだ。評価したいのは主役を演じた若い役者たち(なおと、錦之助、さおり)は伝統的に演じられてきた人物像とはかなり異質のキャラを創造していた点である。かれらの若い身体と感性がヤクザ者の男二人とヤクザの女房というともすれば感情過多になりがちな人物像になんともいえず新たな息吹を吹きこんだのではないか。もちろんこういう性格づけ、人物造形が唯一の正解だとはいわない。しかしかれら若者の想像力や感受性の産物である今回の人物像は一つの試みとして評価すべきだ。この試みがいわゆる大衆演劇になじみのない若い世代の観客の心に響く効果を生み出すと私は信じたい。

 

場内には大衆演劇の芝居小屋ではあまり見かけないタイプの若い女性客もいたので、こういう方々がリピーターとなってくれることを期待したい。劇団 悠は新しいタイプの観客を発掘する可能性を大いに秘めていると思う。

 

最後にもう一言。初めて聞かせてもらったさおりの歌唱。TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のオープニング曲『残酷な天使のテーゼ』(1995年)を歌う。「少年よ、天使になれ」というリフレインがお洒落。やっぱり作詞家及川眠子のことばづかいがきいてるのかな。それよりなによりさおりさん、歌うまい!