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ジャ・ジャンクー 監督最新作『山河ノスタルジア』(原題『山河故人』)は歴史的時間を超越している

ただし題名が「悠久不変の自然こそわが旧友(故人=旧友)」だという意味らしい『山河故人』なのだからというのではない。悠久の歴史を誇る中国という俗説にのっかって歴史の超越うんぬんというのとは違う意味だ。私にはこの映画を通して歴史が展開する現実世界とは異次元の世界をかいま見た気がする。適当な言い回しが思い当たらなくて自分でいらだってしまうが、physicalとは真逆のある種spiritualななにかを感じてしまう。ジャンクー監督は人と人とのかかわり合いについて一種の実験的な視点を提示しているのではないだろうか。

日本語や英語の映画評を見てもどれも中国が対面している急激な変化にもかかわらず雄大な山河が不変であるように人間の情愛も変わらず、夫婦ではなく母と子の愛情は永遠不滅だという。これだと耳タコの平板すぎる人間観になってしまう。

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(上のポスターはhttp://ent.qq.com/a/20151029/000831.htm から無断借用)

 

さて前半の舞台は監督自身の故郷でもある中国北部山西省汾陽市に設定されている。地方の小都市 の典型というところか。主人公は二十歳を少し過ぎたばかりのひとりの女(学校教師タオ)とふたりの男(炭坑夫リャンズと資本主義の魅力とりつかれ起業家をめざすジンシェン)だ。幼なじみかどうかわからないが仲良し3人組。

20世紀最後の1999年を皮切りに2014年、次いで2025年の3期に分けてこの3人組の四半世紀にわたる人生が描かれる。国際ビジネスで米ドルをどっさり手に入れようと上昇志向満々の自信家ジンシェンは何事にも控えめなリャンズを出し抜いてタオと結婚してしまう。失意のリャンズは故郷を捨てて遠い町の鉱山に仕事を求める。タオはリャンズのことを気にかけながらもジンシェンとの結婚生活に喜びを見いだしやがて男児を出産。成金根性を恥じない父親は息子をダラー(Dollar)と名づける始末。しかしダラーが十歳になるかならないうちに夫婦は破局を迎え、相当な慰謝料を得たものの妻・母のタオはダラーの親権をとれずにひとり去る。父と子はビジネスの拡大をもくろんで上海に転居しそこで父と子そして新しい妻・母の3人家族ができる。息子は将来国際的に活躍できるようにと当地で英語教育を実施するインターナショナル・スクールに入学させられる。年月は瞬く間にすぎ、タオをたっての頼みを聞き入れたジンシェンは14歳になったダラーを生母タオの元に一時的に赴かせる。だが、ダラーにとって現在の母がほんとうの母であり、生母タオは見知らぬおばさんでしかない。生母にそっけない態度のダラー。そればかりか生母を「おかあさん」でなく「マミー(Mommy)」とよぶ実の息子にショックを受けるタオ。

それからさらに11年が経過。舞台はオーストラリの某市。ビジネス・チャンスに恵まれつづけるジンシェンが息子と二人暮らす。再婚した妻の姿はない。しかし父と子に会話がなりたたない。父は英語が話せず、息子はとうに中国語を忘れている。タブレットを手にグーグル翻訳でようやく話が通じるという皮肉な状況が出来上がっているのだ。

父に反発する息子ダラーは英語学校の中年女性教師ミヤにひょんなきっかけから恋愛感情をいだくようになる。この女性教師がどことなくタオに似ている。まさにミヤはタオの面影を彷彿させる。それにまた彼女が父の管理から逃れたい気持ちを理解してくれることもダラーの彼女に対する淡い恋心の芽生えに関係しているようにも思える。

一方タオは離婚後20年あまりたつ現在もひとり住まいのままだ。しかし結末近くでダラーが遠い外国で母に似た女性と時をすごしているダラーの思いを実母タオが察知したかのように思わせる場面が映し出される。かつてのつかの間の息子との逢瀬でタオが心づくしの水餃子を食べさせた。あれから11年。ふたたび母は息子の来訪を待ちわびるように水餃子をつくる。水餃子が大写しになる。母の顔はどことなく息子との再会に心を弾ませているように見える。永遠の絆でつながれている母子の関係をそれとなく暗示的にカメラが映し出す。現実的な感覚でいえば、この第二の再会は実現不可能だ。だが、時空を超えた次元ではおこりうることなのだ。

もうひとつこの映画で気になるのはタオをはじめ主人公たちが十年、二十年を年月の経過に応じた自然な老化を感じさせないことである。某サイトによるとメークは映画界で国際的に『活躍するメークアップ・アーティスト橋本申二のおかげでわざとらしくない「自然な」老けをみせたらしい。だが私には人物の老化がほとんど目立たないのは監督の意図だと思える。山河という大自然と同様、人間の「魂」のレベルでは何十年たとうが深い絆はほどけないことを監督は訴えているにちがいない。

ただし息子ダラーは少年期と青年期は別々の俳優が演じている。これは彼がほとんど一緒にくらした記憶のない生母タオとの絆を浮かび上がらせるためだ。彼の魂のレベルでの成長が父に反逆し生母との縁にいつとはなしに気づき明確な自覚なしに思慕の情を募らせるようすを視覚化する工夫がされていると思える。

 

山河は不変であり、永遠にわが旧友に思えるのと同じく魂どうしが結び合わされた人間と人間の絆は不変である。ただしここでいう「人間」は人間一般ではない。選ばれた気高い魂の持主にかぎられる。いかにジャンクー監督の故国が中華人民共和国とはいえ、悪しきポピュリズムpopulismをここには適用できない。たしかに万民の幸福をうたうポピュリスムは耳に心地よい。人間、あるがままが最高!なら宗教も芸術も無用だ。歴史が証明してきたようにポピュリズムの金看板をかかげたイデオロギーは早晩滅びる。個々人の魂は個々人が磨くしかない。魂同士の絆。怪しいカルトの妄言とは違う意味でこの魂の絆はspiritualな次元でしか実現しないのだろう。

 

ちなみにジャ・ジャンクー (Jia Zhangke) 監督作品『山河故人』は英語題名が Mountains May Depart)だが、あちこちのサイトでもそのように指摘されている。

この題名の典拠は旧約聖書にあるイザヤ書第54章第10節に由来する。

「『たとい山々が移り、丘が動いても、わたしの変わらぬ愛はあなたから映らず、わたしの平和の契約はうごかない』とあなたをあわれむ主は仰せられる。」

この箇所は英語圏でもっとも信頼される英訳聖書、『欽定聖書King James Bible』の場合こうだ。

Isaiah 54:10

For the mountains shall depart, and the hills be removed; but my kindness shall not depart from thee, neither shall the covenant of my peace be removed, saith the LORD that hath mercy on thee.

 

次のジャンクー監督作品はDVDがレンタル可能:

『長江哀歌』2004年

『無用』2007年

四川のうた』2008年

 

余談:

前述のとおり成人したダラーと記憶にほとんど残らぬ実母タオをつなぐのは英語教師ミヤだが、その役を演じたのは台湾出身で台湾ならびに中国の映画界で活躍しているSylvia Chang。62歳の彼女はジャーナリスト桜井よしこ氏(70歳)に似ている。驚いた。