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狂言(茂山一門)がこんなに生き生きしているとは知らなかった

先月見た「花形狂言2016『おそれいります、シェイクスピアさん』」のおかげで狂言が能の添え物という偏見を払拭できた。

 

そこで先日8月6、7日の二日にわたって大槻能楽堂(大阪)で久しぶりに同じメンバーにベテランが加わった狂言公演『納涼 茂山狂言祭』を観劇。先月の「花形狂言」が若手による伝統形式からの建設的逸脱の試みだったのに対して今回は狂言の伝統を重視するものだ。ただし狂言は伝統的に同時代性、つまり今、現在の「ナウい」ユーモアのセンスが命なので能のようにいささかかしこまって見るものではない。

 

ちなみに「花形狂言」は8月の公演でも大活躍された茂山千五郎(71歳)が40年前まだ若手だったころ実弟茂山七五三(しげやま・しめ)と従弟茂山あきらを誘って結成。現在は長男正邦たちの世代が引き継いでいる。第一世代はつつましく、おとなしく「花形狂言会」となのりながら<現代的笑い>を追求していたようだ。他方現在の第二世代(茂山宗彦、逸平、正邦、茂、童子)は20年前にスタートしたが、そのユニット名が実に大胆だ。当時デビュー10年で人気がますます高まっていた「ジャニーズ少年隊」の向こうを張ってか「花形狂言少年隊」なのだ。当時まだ中学生で参加していなかったらしい童子(33歳)以外のメンバーは二十歳になるかならないかのころ。その若さなら(おそらく)幼少時からTVを通してなじんできた異業種の人気アイドル・グループにライバル意識を燃やしたのもうなづける。

 

話をもとにもどそう。『納涼 茂山狂言祭』の演目だが、『樋(ひ)の酒』、『磁石』、『死神』(8月6日)、『船渡婿(ふな わたし むこ)』、『口真似』、『新・夷毘沙門』の六曲。若手5人を中心に茂山千五郎、七五三、あきら、千三郎、丸石やすしらベテランならびに中堅が脇を固める。

 

『樋(ひ)の酒』は狂言でおなじみの太郎冠者と次郎冠者(従者)が知恵競べで主人を小気味よく打ち負かす。庶民が大部分であったと思われる(室町時代の)観客の共感を誘ったにちがいない。

 

『磁石』は(法律的にも道徳的にも違法なふるまいをする当時「すっぱ」とよばれた悪人に窮地に追い込まれた善人が相手を知恵でねじ伏せる痛快な話。自分は「磁石の精」だと称して悪人が振り上げた刀剣を磁石さながらに吸引し飲み込んでしまうというと悪人がそれを信じて退散。8世紀末に完成した『続日本紀(しょく にほんぎ)』(巻第六)によると8世紀初めには近江で磁鉄鉱が発見され天皇に献上されている。当時すでに磁石の物理作用に気づいていたようだ。

 

さて初日最後の演目『死神』は初代三遊亭圓朝が19世紀のグリム童話あるいはイタリア・オペラを翻案したといわれている同名の落語を狂言にとりこんだ作品だ。生活に窮した凡人が気まぐれで情けをかけてくれた死神を巧みにに利用して幸運をつかむ。死神は凡人に偽医者になるようにすすめ、自分が病床のどの位置にすわるかで回復するかどうかがわかるようにしてやるという。病人の枕元なら命は助からないし、また足下なら助かるというわけだ。偽医者はこのトリックを利用して大もうけ。あるとき死神が枕元に座る。そこで偽医者は知恵を振り絞って死神を足下へ移動させようとする。偽医者を演じたのは大ベテラン千五郎。対する死神は千五郎のいとこ、あきら。どっかと枕元に居座る死神の腰をあげさせようと偽医者は観客になじみ深い歌を繰り出してみせる。阪神タイガース・ファンである千五郎、『六甲おろし』で初め、最後は『蛍の光』でまんまと死神を病人の足下へ追いやる。ただし結末は偽医者自身の寿命を示す蠟燭がついには消えてしまうという多少苦みのあるものではあるが。いずれにしても知恵あるいは悪知恵を次々に編み出す庶民のしたたかな生き様が活写される。

 

二日目も三曲そろっていつの時代の庶民にも共通する厳しい現実を生き抜くための柔軟な思考力がおもしろおかしく描かれる。

 

狂言、それに能もそのルーツは素朴な娯楽を提供する演芸にある。7世紀頃(現在の)中国や朝鮮半島から芸人たちが日本に渡ってきた。これら渡来芸人たちの芸能は部分的には遥かに遠い古代ギリシアやローマなどで誕生し、シルクロードなどを通じて伝来した芸能の影響を受けてもいただろう。そういう外来の芸能を受けて日本の(放浪)芸人たちはそれを自分流にアレンジをして日本的娯楽芸を形作り始める。

 

こういう雑芸、エンタメ芸能はやがて猿楽あるいは申楽と総称されるようになる。15世紀初めにはこれらの雑多な芸能の一部が世阿弥らの才能と努力で芸術へと昇華して新たに「猿楽(申楽 )」とよばれる。それより400年ほど昔、11世紀に藤原明衡(ふじわたのあきひら)が著した物語『新猿楽記』は序文で軽業(アクロバットやモノマネなど種々さまざまな芸(猿楽)が当時のあらゆる階級の人々を楽しませていたようすを述べる。とはいえ猿楽の描写は全体の10分の1以下にすぎない。残りはというと某日猿楽見物に出かける右衛門尉(うえもんのじょう)という下級警察官僚の家族一人ひとりに関する人物評なのだ。ただし主の右衛門尉は除く。お上のお手当でまかなえるのかどうか心配になるほどの総勢39人という大家族。3人の妻、16人の娘と上から10番目までの娘たちの夫、最後に9人の息子たちという具合。この中には10人の義理の息子が含まれるが、どれだけあてになる収入があるのか怪しそうだ。かれらの生き様こそ路上で演じる猿楽芸人たちにけっして引けを取らないみごとな芸当の持ち主にみえてくるのがおもしろい。きっと作者藤原明衡は序文で猿楽の概要を述べ、本文で縷々語る家族の人物像を猿楽芸人たちの実像になぞらえているのではないかとさえ思えてくる。

 

右衛門尉の妻3人をのけて半分以上が職業をもつ。猿楽の開催に伴って商売できそうなものも混じるのが興味を引く。博奕打ち、相撲取り、(非公認の)陰陽師、能筆(実は代書屋?)などなど。9番目の息子(九郎の小童)は雅楽寮に勤める人(ほんとに正規の職員かな?)の養子だとか。舞が上手らしい。それから、それから、末の娘(十六の君)がなんと遊女屋の女主。祝祭日でなくとも商売できる。奇妙なのはその直前に置かれた末から2番目の娘(十五の君)の話で女ヤモメで現在は貞操堅固な尼僧だそうだ。これはわたしの勝手な連想だが、(歌舞伎の創始者ではないかといわれる)出雲出身の女優お国は女優と遊女を兼業した歩き巫女でもあったのでこの十五の君も同様に思えて仕方がない。

 

話が狂言からかなりそれてしまったが、芸能というものが深い所で人間の欲望や願望と結びついていることは間違いない。狂言はどちらかといえば人間の内面の明るい部分を照らし出してはいる。だが明るい部分は暗い部分と表裏一体の関係にあるものだ。狂言の笑いを通して人間の内面を覗き込むという時間も人間性の両面をとらえる貴重な体験のためにあるのではないかと思えてくる。そんな妄想を巡らすきっかけになった「納涼茂山祭」であった。楽しかった。来る10月は茂山正邦が父千五郎のあとを継ぐ「十四世茂山千五郎襲名披露公演」が楽しみだ。