読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

一竜座 「風月光志まつり」H28年9月ーGood job!

歴史好きだという風月光志が構成・演出・主演した『岡田以蔵物語ー izo-K』( K はKoji 光志?とすれば光志版・岡田以蔵物語)は荒削りながらも見応えがあった。

 

「人斬り以蔵」こと岡田以蔵(1838-1865)は幕末という動乱の時代に30年たらずという短い生涯を生きた土佐藩の下級武士(郷士)。田中新兵衛河上彦斎(かわかみ げんさい)、中村半次郎とともに「幕末四大人斬り」として有名だ。風月光志は迷いながらもおのれの魂のあり方を模索するひとりの青年の苦悩を描こうとした。以蔵は剣の修行と尊王攘夷思想に全身全霊で没頭した剛直な人物だが、その一方で幼なじみの娘を恋い慕う純真な面の兼ね備えていた。今回の舞台では後半末を誓ったお光を殺されて苦痛を味わわされる。この時点でかなり絶望の渕に近づいた以蔵。尊王攘夷思想を報じた以蔵の残酷な運命は幕府ならびに土佐藩山内容堂の怒りを買った以蔵を死に追いやる。この以蔵処刑の場面で(おそらく)風月光志が思い描く岡田以蔵のイメージが浮き上がったと思う。牢屋のそばでは桜が舞い散る季節に設定されていて以蔵は死に臨んで最後の望みとして斬首され血にまみれたおのが体を桜の花びらでおおってほしい旨申し出る。観客を楽しませることを狙いとする物語のひとつのまとめ方としてこれはうなづける。

 

ちなみに史実では以蔵が処刑されたのは慶応元年閏5月11日(グレゴリオ暦1865年7月3日)なので桜の季節ではない。だが文芸作品などでは改変は許される。

 

ひとつ不満なのは土佐勤王党弾圧の流れで捕縛された以蔵が取り調べ時の拷問にやすやすと降参し同志の名前などを自白したというほとんど定説とは逆にむしろ英雄視した理由をご本人の口上挨拶時に開陳してほしかった。

 

しかし芝居小屋は歴史学会の会場ではないので特異な解釈をとった事情を述べる必要はないかもしれない。また風月光志の岡田以蔵人物像は次の点からも明らかといえるかもしれない。つまり剣と思想(尊王攘夷論)の師匠である土佐勤王党の中心人物武市瑞山(たけち ずいざん、1829-1865)との関係についてもよくいわれるように以蔵が生涯武市の操り人形ではないこと。以蔵にはみずから判断して袂を分かった趣旨のセリフがあることからも以蔵の自立した生き方を今回の上演では強調されているのだと理解すべきか。

 

言わずもがなの意見をもうひとつ。以蔵の思い人「お光」はとくたろうが演じたが、かれの女形では娘の色気が感じられない。十代後半のとくたろうはよくも悪くも男っぽさが出てきている。立役には好都合である一方女形ではこの面をカモフラージュし抑制しないとまずい。白龍という理想的なモデルが身近にいるのだから教えを乞うべきだ。また多少年長だが他劇団にも女形の模範となる役者がいる。たとえば三咲暁人(18歳、劇団 暁、若座長)、荒城蘭太郎(21歳、劇団荒城、花形)、里見こうた(20歳、劇団 美山)。生の舞台が見られないならDVDを通して学ぶべきところは学ぶという手がある。

 

さて以蔵は歴史に残る大変革の時代状況を的確に認識していたわけではないので同郷で一時親交もあった坂本龍馬ほど注目は浴びない。

 

だが50年あまり前から映画や以蔵本人あるいは龍馬との関連でTVドラマで描かれるようになり司馬遼太郎などの小説でも主人公として取り上げられる。2000年代にはいると舞台やコミックスにも登場。2008年には劇団新感線の「いのうえ歌舞伎」の一環(「IZO」)として上演されたとか。

 

ここで話がとぶが、先にふれたとおり岡田以蔵と同じく幕末四四大人斬りのひとりだった河上彦斎は漫画家和月伸宏・作『ろろうに剣心』に登場する「緋村剣心」のモデルだそうだ。るろうに剣心』といえば昨年6月浪速クラブでの公演だったと思うが、竜美獅童がこのコミックスを元に舞台化している。残念ながら私は見ず仕舞い。これも再度改訂版を上演してほしい。あるいは風月光志と竜美獅童のおふたりがアイデアをもちよって共同構成(脚本)・演出を実現させるのもいいな。

 

最後の最後にもうひとこと。風月光志の持ち芸のひとつであるひとみ婆ちゃん」が見れなかったのはかえすがえすも残念。