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狂言はどの流派も楽しい

善竹十番<狂言・行く年来る年>

 

201725日 神戸市灘区民ホール

《鶏聟》小林維毅・善竹忠重・大槻尚平・前川吉也
《惣八》前川吉也・牟田素之・阿草一徳
《節分》善竹忠亮・岡村和彦

 

狂言を熱心に見始めてまだ1年にならないものだから「善竹」家(大蔵流狂言善竹家)はほとんど名前だけしか知らなかった。さいわい自宅から行きやすい会場で公演があるというのでさっそく観劇に。

普段主に京都を本拠地にする茂山千五郎一門の舞台を楽しんでいる。善竹はなじみがないのでワクワクしていた。会場は能楽堂ではなく多目的公演用の舞台だが、能・狂言の舞台を特徴づけるかり、影向(ようごう)の松、四隅の柱、ワキ、目付、シテはしつらえてあった。ただし柱は高さ1メートルほどであくまで象徴的なものにとどまる。

いうまでもなく四隅の柱は出演者の(立)位置を定め、(おもて)(能面)をつけているため視界が不自由な役者に位置情報を与える役目がある。一方橋かりは現世と異界(霊界)を橋渡しする空間。(舞台正面奥の)影向の松もまたふたつの世界の接点となる。天界から人間世界を訪れる神霊が一時的に宿る場所である依代(よりしろ)代)を表象するので重要だ。

三曲が始まる前狂言師智史さんが15分ほどかけてソフトな口調で狂言の世界へ誘う。温厚そうなお人柄を反映しているせいか観客の緊張をほぐす楽しいおしゃべりであった。

いよいよ狂言が始まる。1曲目はわたし的にはおなじみの『鶏婿』。集団の和を乱すまいと心配りする心根を描く人間描写だ。鋭い風刺というより比較的暖かい人間観察といべきか。が、見方によっては融和の精神をやや過度に尊ぶ日本社会に対する冷静な観察あるいは批判ともいえる。

次に『惣八(宗八)』。さるお金持ちが住み込みの料理人と(住み込みで毎日読経をしてもらうための)僧侶をおのおの一名募集する。応募してきたのが殺生を嫌って出家した元料理人と我慢ばかり強いられて窮屈な出家生活を捨てて料理人になった男。新しい主人に仕事を命じられたもののどちらも仕事に不慣れでたがいに相手の不器用さをなじるばかりだ。ここにアベコベの滑稽さが浮き上がる。やがて主人に素性がばれて叱られる。仏教がすでに定着した室町時代の日本だが、当時の人々は堅苦しい(日本的)仏教の教えに人間の本性との矛盾を感じとっていたのだろう。

こういう矛盾は現代では周知の事実だろうが、それと意識せずに本音と建前を使い分ける日本社会では『惣八』の風刺はいまだ有効だ。

最後に『節分』が演じられる。季節にちなんだ曲なので楽しい。伝説の理想郷、蓬莱の島から何かいいものはないかと日本にやってきた鬼が人間の女に恋をする。女は夫の留守をひとりで守っているのだが、それをいいことに鬼は女にしつこく言い寄る。女は機転を働かせて鬼の宝物をまんまとわが物とし、挙げ句のはてに豆で鬼を追い出してしまう。室町時代の男の眼には女の方が頼りがいがあると思っていたのだろうか。(わたしには)男であれ女であれ頓馬なひとはどちらにもいるものだと思うが。

ちなみに節分といえば、つい先日23日京都は北野天満宮で催された節分行事で茂山社中による追儺(ついな)(鬼やらい、いわゆる「豆(魔滅(まめ)まき」)狂言を見たばかりだ。神社などで行われる正式な追儺儀式を見たのは久しぶりだが、劇場で見るのとはちがって印象深い。

今回の出演者は狂言の家に生まれた方もそうでない方も狂言師だけあってみなさん発声がお見事。マイクなしで声を響かせる技量は修練の賜物なのだろう。

ところで善竹家善竹彌五郎18831965年)に始まるそうだ。彌五郎は狂言界(大蔵・和泉両流)に8人居る人間国宝のうちで最初に国宝認定された人らしい。彌五郎は幼少時に母が茂山忠三郎豊(18481928年)に再嫁したので狂言師として育てられることになる。

継父の家は近江井伊藩に召し抱えられていた茂山千五郎正虎(18101886年)が確立した茂山千五郎家の分家筋に当たる。

今回観劇した善竹狂言はわたしの印象に過ぎないが、ざっくばらんさが魅力だ。理屈をこね回す言葉遊びに徹するというよりむしろおかしいこと、おもしろいことには素直に笑う気楽さがいい。その意味で茂山千五郎家の伝統である「お豆腐主義」に通じるところがありそうだ。

お豆腐主義とは古典芸能のプロ集団という肩肘張った姿勢を避け、性別、年齢、社会的地位とか立場などに関係なく誰にでも愛される狂言をめざす。求めがあれば小、中、高の学校訪問も積極的に引き受ける。これが狂言の普及に役立っている。その柔軟さ、気さくさが庶民の日常的食料である豆腐に似る。豆腐は軟らかいが、少々の振動では崩れない耐久性もあることからお豆腐主義、お豆腐狂言という名称ができたそうだ。

10世千五郎(正重、18641950年)が最初にお豆腐主義を唱えて以来千五郎家の家訓として受け継がれている。

わたしは善竹狂言が神戸、大阪、さらに京都を中心に上演されていることすら知らずにいた。わたしにとってほとんど地元といえる神戸で善竹狂言に出会えたことをきっかけにより一層能・狂言に親しんでいこうと思う。