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人間国宝・梅若玄祥は芸と演出力がともに冴える

能『安達原(あだちがはら)』白頭、急進之出

2017年3月20日、山本能楽堂(大阪)

シテ 梅若玄祥

ワキ 福王和幸

 

 『安達原』は物語の背景に都(京)の公家に仕えた乳母の悲しい伝説がある。乳母は自分が育てている姫の病を治したい思いに駆られるあまりそれと知らずに自分自身の娘を殺害する。犯行後事態を悟った乳母は気が触(狂)れて山奥に隠れ住むようになる。世間の噂によると人間の血が恋しさにこの狂女は山に迷い込んだ人間を次々とくらうとか。そういう次第で山姥、鬼女とよばれるようになる。鬼女の死後祟りのないようにと地元民により墓がたてられ「黒塚」とよばれる。

 なくもがなの粗筋を少しだけ。(現在の福島県安達太良山(あだたらやま)付近をさすらしい)安達ヶ原でのこと。そこに修行のため諸国を行脚する山伏の一行三人が通りかかる。日が暮れて宿を探す一行は山道で親切そうな老婆に出会い、老婆の家で一夜を過ごすことになる。夜の冷気に震える山伏たちのために老婆が薪を刈りに外出するが、一行の中でも一番年若い見習い山伏が老婆の正体を知りたいという好奇心を抑えきれず老婆の寝室をのぞく。するとそこにはおびただしい数の人間の骨が散らばる。やがて老婆がもどるが、寝室をのぞかれたことを察知した老婆は激怒し、その姿は見るも恐ろしい鬼婆に変身している。山伏を食らおうとする鬼女とそれに法力で対抗する山伏たちの壮絶な対決が始まる。長い戦いの果てに鬼女は法力で調伏され退散する。

 見どころは親切そうな老婆が見せる実に緩やかな動きが印象的な前半部と自分が人食い鬼だという人に知られてはならない秘密を露見させた山伏たちに対する怒りに燃えた鬼女の激しい動きとの鮮やかなコントラストである。「急進之出」と小書(こがき=一段小さい文字で示される添え書き)にあるが、これは後半部で鬼女の正体を表わす老婆が突如として激しい体の動きを見せることによる。この演出法を選んだ玄祥氏の演技はメリハリがきいていて楽しめた。

 だが静と動の対比が生むビジュアル面でのおもしろさばかりにとらわれるべきではない。後半部で鬼女がつける鬘が白い点にも注目。このことは小書に「白頭(しろがしら)」と明示されている。白頭は能のきまりとして「老体」を表わす(注1)。白頭をまとう鬼女。前半部で見た老婆の老いが強調される後半部である。自分の子を殺め、さらに人食いに耽るという地獄落ちの大罪を犯した過去をもつ女性。この女性が長年苦しんできた呵責の念は老年期にいたりますます強まる。そういう老女の姿の哀れさが観客の心を打つはずだ。人間に災いをもたらす存在とはいえ、哀れを誘う鬼女の姿。

 山伏が奥深い山中での厳しい修業の末に修得した法力(験力 [ゲンリキ])のおかげで鬼女は長年苦しんだ煩悩から解放されたのかどうか。心の平安をえた鬼女は彼岸の世界へと旅立つはずだと期待したい。

 ちなみに特殊演出法のもう一つの選択肢として(前半部の「静」と後半部の「動」を対比的に浮き上がらせる「急進之出」以外に「長絲之伝」がある。「長絲之伝」の場合、前半部で老婆(実は人食い鬼婆)が見せる糸繰りの場面を時間をかけて丁寧に描く。この糸繰りという仕草について上演後の質疑応答のセッションで玄祥氏がわが子の命を奪い、人食いに耽るという罪深いおのれの半生にじっと向き合い耐えている姿を彷彿させるという趣旨のことをおっしゃっておられた。今回ははずされたが、この「長絲之伝」に籠められた思いが「急進之出」版にも静かに息づいているにちがいない。

 この作品の前場(マエバ)と後場(ノチバ)のはざまで演じられる間狂言(あいきょうげん)に登場したのが人間国宝狂言師野村萬(1930年生まれ)の孫にあたる若手狂言師野村太一郎(1990年生まれ)。山伏の心得がまだまだ乏しい見習い山伏として出演。三人連れ山伏の先達の言いつけも何のその、好奇心溢れる若さに任せて老婆が人食い鬼だと露見させる役回りを軽やかな身振りで演じていた。若干26歳の野村太一郎は山奥にひっそりと暮らす親切な老婆の静かな一面を描く前半部とおなじ人間が残虐、無慈悲な鬼女でもあることを暴露する後半部の境界に位置して両者の大いなる落差を照らし出す重要な役目を担う。まさに人間世界と魔物の棲む世界を行き来するトリックスターを彷彿させた。この若手狂言師を抜擢した玄祥氏の眼力がすごい。

 私事ながら野村太一郎氏については観劇後自宅で偶然見つけたyoutube動画に映された彼の5年ほど前の姿を見ることになる。2012年10月16日に放映されたバラエティ番組『もてもてナンティナイン』の特集『究極の御曹司軍団SP』にとり上げられたひとりが太一郎氏。人間国宝である祖父の前で稽古をするものの、その芸の拙さに何度もしかめ面を見せる祖父の姿を無慈悲なカメラがとらえている。当時はまだ子どもっぽさが抜けない太一郎氏だったが、今回の舞台では腰の据わった演技を見せていたとわたしは思う。

 今回の公演全体として印象深かったのは梅若玄祥氏の卓越した芸はいうに及ばず、出演者全員(役者、囃子方地謡)の統制のとれたアンサンブル効果というかそれぞれの秀でた芸の相乗効果である。私見だが、共演者、能楽界の中堅として注目される役者のひとりワキ方名門福王流の出、福王和幸(1973年生まれ)の山伏がとりわけ輝いていた。 

 

(注1) 石井倫子・著『能・狂言の基礎知識』、角川選書、2009年(google booksのサイトで読める)によると赤頭は神、龍神、天狗など超人的存在、黒頭が怨霊、童子、そして白頭が老体、神霊を表象する。