篠山春日能(2017年4月8日)

演目:

能 『桜川』 大槻 文藏 (74歳、2016年7月に人間国宝認定)          
狂言『魚説経(うおぜっきょう)』 茂山 逸平          
能 『邯鄲(かんたん)』 浅見 真州

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 毎年4月恒例の能・狂言上演を初めて観劇。今年で44回目だが、能・狂言に本気で関心をもってまだ1年足らずのわたしなのでつい最近までまったく知らなかった。

 同じ兵庫県でも「篠山は遠い」という漠然とした感じをもっていたが、自宅から1時間半ほどの楽々日帰り圏内だった。思い込みはこわい。

 会場は数日前からの天気予報では直前まで雨だった。が、幸運なことに当日になると曇りどころか青空さえ顔をのぞかせた。能舞台のそばにある数本の桜が満開に近づいていて能公演のムードを盛りあげていた。

 午後1時開演、終演は午後4時半。午後4時ごろから雲行きが怪しくなり小雨がぱらつくも野天の観客は傘なしでもなんとか耐えられてよかった。

 春日神社能舞台は幕末の頃篠山藩主で幕府の重職を勤めた青山忠良公により寄進されたものだそうだ。

 今回の公演はシテ方観世流能楽師、大槻文藏さんと浅見真州のお二人とワキ方福王流、福王茂十郎さんと(ご子息)福王和幸さんの芸を楽しめた。また狂言は昨年6月以来舞台姿を何度も見ている茂山一門の若手のお一人茂山逸平さんのいつもどおりよく響く声を聞けてよかった。

 ちなみに逸平さんの御父君、茂山七五三(「七五三」は「七五三縄 [しめなわ] -- 注連縄・標縄とも表記 -- に由来していて「しめ」と読む)は能『邯鄲』で劇中ただひとりの狂言方として間狂言(あい きょうげん)を演じる。間狂言は物語の進行を助ける重要な役どころで、まさに狂言回しだ。

 能楽師が演じるシテ方ワキ方の生真面目さ、深刻さとは逆に滑稽味をただよわせる狂言師。無為の人生を過ごしていた青年が一念発起求道の旅に出る。旅の途次(中国の)邯鄲という町で一夜を過ごした宿屋を営むのが非常に下世話な女主人(七五三)。女主人はこの客に人生の指針をしめしてくれるという魔法の枕、「邯鄲の枕」を貸し与える。夢の中で男は波瀾万丈の50年を生きるが、現実的にはわずかな時間の夢が覚めればすべては雲散霧消している。この経験を通して男はあくせくした生き方のむなしさを悟ることになる。

 このような宗教的達観を得るという物語は多少とも滑稽な間狂言が組み込まれることでかえってコトの重大さが観客に伝わる。また観客も緊張しっぱなしでは物語の趣旨を素直に受け入れにくい。芸歴を重ねてある種枯淡の風味を感じさせる七五三さんの演技が生真面目な能作品という大枠を崩さずにふくらみのある芸能に仕上げるのに役立っていたように思う。

 最近、能・狂言に親しむようになったが、いわゆる役者ではない囃子方地謡が魅力的だと思えてきた。今回の公演ではとりわけ囃子方、能管(笛)担当の藤田六郎兵衛さん、小鼓の大倉源次郎さん、大鼓の山本哲也さんが印象に残る。

 以前、能・狂言に親しんでいなかった頃は思いもしなかったことだが、実に「色っぽい」芸能だと気づいた。わたしの場合、この色っぽさは世俗的な意味合いと芸術的、美的、形而上的な意味合いとが分ちがたく結びついている。今後も色っぽい舞台に接していきたい。