2017年5月姫路城薪能 狂言『察化』、その題名の由来にこだわって

 「察化」ということばは初めて耳にしたせいか、気になって仕方がない。今回の上演はおそらく主に大蔵流が使う台本に従ったのだろうと思う。『日本古典文学大系42 狂言集 上』(小山弘志 校注、岩波書店、1960年、331-341頁)に収録されているのと同じもののようだ。太郎冠者が「伯父御」として連れてきた人物を一目見てニセモノと見抜いた主が家来にその事実を明かす。「あれは 都に隠れもない、みごいの察化というて、大のすっぱ[詐欺師]じゃ」と。校注者によると「みごい」ならびに「さっか」という語の意味は未詳だが、天理図書館が所蔵する『狂言六義』(17世紀中頃)など和泉流に伝わる台本集や『狂言記』(17世紀中頃出版の台本集)にはほぼ同文でつぎのようにあるとのこと。「みごいというのは、人のものを見て、乞うても取るような者じゃによって、見ごいという。さっくわというは、盗人の異名じゃ」(天理本)。なるほど。

 さて、察化に関連して気になっていたのは30年前の松田修氏の発言だ。朝倉喬司が聞き手となったインタビュー記事「狂言にみるサンカの原像」は『マージナル』2号、現代書館、1988年で初出。のちに『松田修 著作集』第8巻(右文書院、2003年)ならびに「KAWADE道の手帳」シリーズ『サンカ 幻の漂白民を探して』(河出書房新社、2005年、162-173頁)に採録されている。朝倉喬司(1943—2010年)は犯罪を含む社会の裏面に鋭い視線を投じたジャーナリストとして活躍した。他方、松田修(1927-2004年)は近世国文学を中心に文化的、政治的、性的異端をテーマに斬新な批評を展開した。両者ともに体制破壊者、制外者に強い関心を示し、新鮮で兆発的な批評の視座を切り開いた。てなことは私的すぎるのでここで中止。

 で、話を察化にもどそう。くだんのインタビュー記事ではさっか(察化)と山地回遊集団といわれる「サンカ」とのかかわりがほんの少し話題になっただけでスルーされてしまった。ただひとつサンカという表現のルーツを中世の制外者集団であった坂者(京都の清水坂や大和と山城を結ぶ交通路であった奈良坂に群れ住んだ貧窮流浪民集団に代表される存在)にたどっているのが興味深い。とにかく話が進展しなかったのも「サンカ」とよばれる集団が学問的にはいまだに未詳なので当然かもしれない。おっと、また薮深い横道に入りそうだ。ここではサンカよりもあくまでサッカ。

 松田氏いわく、「古く固有名詞的に使われている漢字はあてにならぬあて字で、地名や人名でもわれわれはいつもだまされているわけですね。このサッカにしても、大蔵流は察化ですが、和泉流の本では殺すという字に喧嘩の嘩。殺嘩なんです」(『サンカ 幻の漂白民を探して』163頁)。

 「殺嘩」という漢字表記は中世の(金目のものをもっていると目をつけた相手には喧あるいは嘩(かまびす)しくわめいて威嚇し、ときには暴力をふるってでも見乞(見請・みごい)する、すなわち実質的には強奪するペテン師にはぴったりな気がする。わたしの直感はあたっていた。「さっか」ってあまりひびきがよくない感じがしたのだから。

 和泉流では「察化」のかわりに「殺嘩」という題名を使っていたという指摘を手がかりにネット検索すると、

<引用:昭和38(1963)年 zeami.ci.sugiyama-u.ac.jp/~izuka/erito1/kyo/s38.pdf 四月から和泉流野村万蔵氏が渡米され. る由、 日本文化の海外宣伝に貢就 .... 身請咲嘩け逢った頸もない頼うだ人の. 叔父を迎えに出された太郎冠者、 ま. んまと欺されて叔父に化けた身請の. 殺嘩と云うス ッパ を連れて帰る。 身. の盗人は人の目をしのうで ... 

 ここには名古屋狂言共同社発行の月刊『狂言』1963年1月号から2年分の紙面が掲載されている。『狂言』昭和38年4月号に「身請殺嘩についての考察」と題して佐藤秀雄氏が寄稿されている。多分戦後になってからだろうが、殺嘩では物騒な表記であることを慮ってもう一方の表記である咲嘩に統一されるようになったのだろう。「和泉流では『身請殺嘩』又は『身請咲嘩』という此狂言大蔵流では『察化』と云う。身請は身乞ともかき(中略)。大蔵流では身乞の察化とあり別に説明はないが、」に続けて佐藤氏がひとつ気になることを指摘している。「大蔵虎光著の狂言不審議には身乞とはなく似鯉とあり、似鯉についての文献を書き記して(後略)」。

 そこで『狂言不審議』なる書物をネットで探すが、見当たらない。しばらくしてこれは『狂言不審紙(きょうげん ふしんがみ)』らしいと気づく。

 

<引用:「狂言不審紙」 狂言の注釈書。大蔵流八右衛門派7世大蔵虎光著。春夏秋冬の4冊から成る。文政6 (1823) 年の序,同 10年の跋がある。狂言 167番の難解な語句について解説し,作者,演奏の時間などを書きとめたもの。「春」の巻に,狂言の句伝,狂言によく使われる詞や装束,道具などを説明し,狂言1番ずつを注解して 24番,「夏」に 47番,「秋」に 59番,「冬」に 37番を掲げる。 https://kotobank.jp/word/狂言不審紙-52591>

 さいわいなことにこの本は一冊丸々国会図書館のデジタルコレクションで無料公開されている。

<引用:国立国会図書館デジタルコレクション – 狂言不審紙(きょうげん ふしんがみ) dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1125595 書誌情報. 詳細レコード表示にする. 永続的識別子: info:ndljp/pid/1125595; タイトル: 狂言不審紙; 著者:大蔵虎光 著[他]; 出版者: 改造社; 出版年月日: 昭和18; シリーズ名: 改造文庫 ; 第2部 第514篇; 請求記号: 773.9-O57ウ; 書誌ID(NDL-OPACへのリンク) …>

 『察化』に関する記述は165-166頁(デジタル・コレクションで閲覧する場合は84-85コマ目を選ぶ)。

「平野何某伝来之書に、にこひのさつくわと云は、鯉の内に似鯉と言て鯉と見えぬよりて鯉有、是を似鯉と言なり。」(パソコン打ち込みの都合で旧漢字を現代表記に改めた。)

このあと鯉似関する講釈がひとしきり続き、

「按(ここ)に、此狂言のにこひのさつくわと言は、紛敷者故ににこひと言し事にや。さつくわとも言も其時の式に応し、いろいろの者に成て人をたらす成べし。(下線は筆者)。)

  「鯉似」説は身請あるいは身乞というあて字の講釈に比べてかなり強引だ。しかし恥ずかしい話だが、わたしは「みごい」と聞いたとき「真鯉」、「緋鯉」を連想した覚えがあるので無茶な話だとはいいにくい。『狂言不審紙』では長々と専門家もどきの鯉論議を聞かせて根拠づけようとしているところがかわいらしいし、耳を傾けてあげようという気にさせられもする。

 結局「みごい」も「にごい」もどんな漢字を宛てようと自由なのだと思える。的外れでない方向に想像力がかき立てられるなら、それでよしとしたい。

 この『狂言』という月刊紙は途絶えたようだが、狂言共同社は今も名古屋を本拠にして狂言の普及に尽力しているようだ。

<引用:狂言共同社 - 和泉流 山脇派 - www.kyogen.co.jp/ 名古屋を本拠地としながら全国の能舞台で活動する和泉流山脇派の狂言共同社のホームページです。公演案内や演者紹介をはじめ、和泉流狂言の歴史や出張公演の案内等をご紹介しています。>

 ちなみに佐藤秀雄(1912-1984年)氏は名古屋の裕福な文具問屋の次男として生まれ、お店(おおだな)経営者の子弟のしつけと教養の修得を目的に(兄は謡曲)弟は狂言を習わされたそうだ。その結果ご本人はプロの狂言師となり、子や孫の代も同じ道を進んでおいでのようだ。http://www.kyogen.co.jp/member/past/3rd/000047.html

 最後になったが、この佐藤氏の文章にたどり着けたのは椙山女学園大学 飯塚恵理人(えりと)教授(中世国文学、とりわけ能楽)のおかげだ。飯塚氏は古典芸能に関する潤沢な情報を収集し、HPなどにアップしておまけにオープン・アクセスにしておいでだ。自ら古典芸能を愛で、さらにその楽しさを社会全体で共有できるように活動する飯塚氏には感謝に堪えない。

 ご本人が勤務先のサイトで紹介されている。

http://www.ci.sugiyama-u.ac.jp/staffs/166_staff_c.html

 ご本人が作成した公式HP(能、狂言を中心に古典芸能関係の音源が豊富にアーカイブされていて閲覧・聴取自由。 http://zeami.ci.sugiyama-u.ac.jp/~izuka/erito1/