多様な形態をもつ物語(俊徳丸伝説)の宇宙、その一端を辰巳萬次郎の舞台にかいま見た

平成29年南都春日・興福寺古儀 薪能

(第二日 2017年5月20日)

11時~ 春日大社若宮社  

御社上がりの儀     

能『花月』金春穂高

17時半~ 興福寺 南大門跡・般若之芝     

南大門の儀     

能『杜若』シテ・観世喜之、ワキ・小林努     

狂言『附子』茂山千三郎、丸山やすし、網谷正美     

能『弱法師』シテ・辰巳満次郎、ワキ・原 大(はら まさる)

5月19、20日二日間の演目詳細は次のサイトなどで。 http://www.arc.ritsumei.ac.jp/lib/noh/eventinfo/cat482/

 

 今回観劇したのは興福寺での薪能公演のみ。興福寺薪能は初体験だったが、総じて見応えがあった。とりわけ最後の能『弱法師』がひときわ印象に残る。シテ方宝生流能楽師辰巳萬次郎(1959年生まれ)は年齢的にまだまだ体力が充実しているためだと思うが、周囲から弱法師とよばれるように見るからにはかなげな盲目の乞食を演じて見事だった。役者の生身の身体と舞台で演じる人物の身体とは別物だ。病んだ身体で病者は演じることはできない。

 体力旺盛と弱々しい劇中人物とは一見矛盾しそうだが、実はそうともかぎらない。むしろ演技は心身の強靭さが求められる場合が多い。身体を自在に操ることが役者にとって必須のことのように思える。(とはいえ演技の名人の場合、老いが皮相な意図から生じる心身のこわばりをなくす効果が期待できそうな気もするのだが。)

 裕福な家の父と子。父は悪意ある人にそそのかされて子を追い出す。子は盲いとなって諸国を流浪するが、長い年月ののち父と子は再会し和解する。物語は古い言い伝え、河内の国高安(現在の大阪府八尾市を含む地域)を舞台にした「俊徳丸伝説」に拠ることはご承知のとおり。元の伝説では子(俊徳丸)が継母の呪いを受けて失明し物乞いとしてさまようが、能の『弱法師』は父が子を放逐する。物語という面では世界各地の神話、伝説、民話などに多く見られる「貴種流離譚」の典型だ。英雄や貴公子などのように高貴な血筋に生まれ将来偉大な功績をあげる人物は(多くの場合若年時に)艱難辛苦に耐えるという経験を求められるという。たしかに悪人でない限り人が試練に耐える姿は同情をよぶ。こういう展開は民間に流布する昔話などではおなじみだ。

 他方、能(謡曲)では少しちがうようだ。私見に過ぎないが、観客は苦労に苦労を重ねる登場人物に対して憐憫の情を覚えるのではなく、耐え忍ぶ姿を精神というか魂の錬磨だと直感的に感じとるのではないだろうか。『弱法師』の主人公は能で多く見られるような死後も地獄の苦しみを味わう死者が旅の僧の手助けによって魂の救済をえるのとは事情がことなるような気がする。主人公が体現する魂の錬磨が観客の心を、魂を浄化する。観客はいわばカタルシスへと誘われるのだと思える。別離ののちに訪れる再会と和解は物語の締めくくりであってその本編ではない。別離と彷徨こそが本編なのではないか。この点で『弱法師』はいわゆる貴種流離譚に分類される作品群の中で「典型」ではなくむしろ特異だと思える。

 遥か昔、親と子の葛藤が集合的無意識として社会的に共有される。その集合的無意識がいわば目に見える形をとって噂として世間に広まっていった。こうしてできあがった荒削りな物語のひとつが俊徳丸伝説ではないだろうか。

 親子間の葛藤がいつの頃か、おそらく室町時代はじめ(14世紀なかば)総称的に俊徳丸伝説とよばれるようになったらしい。この伝説を世阿弥の長男、観世元雅(15世紀前半の猿楽師)が能形式に仕上げたといわれる。

 一方、語り物芸能に携わる人たちによって説経節『しんとく丸(信徳丸)』にまとめられ世間の評判をよぶ。その変形ともいえる説経節『愛護若』も人気を博した。

 さらにこれが芸術的に洗練されて17世紀以降人形浄瑠璃や歌舞伎では『摂州合邦辻』とよばれる。

 おもしろいことに「俊徳丸伝説」は古典芸能の世界に閉じ込められはしなかった。詩人・劇作家・劇団(「演劇実験室・天井桟敷」)主催者として1960年代なかばから若者世代に絶大な人気を誇った寺山修司が自ら伝説化した自身の母子関係を投影する形でこの伝説を20世紀後半によみがえらせたのだ。このいわゆるアングラ劇の表題は『身毒丸』(1978年初演)だが、その漢字表記が劇中に描かれる母子関係の性的なニュアンスをほのめかす。(ちなみに寺山より先に折口信夫がこの伝説を近代小説可した『身毒丸』(1918年)を書いている。)

 寺山版「俊徳丸伝説」に刺激された鬼才の演出家、故・蜷川幸雄が1995年から2011年にかけてアメリカ公演1回をふくめ6回の上演を達成した。さらに2015年寺山劇団の精神をを継承する「演劇実験室◎万有引力」(J・A・シーザー主宰)が寺山版に大幅な改定を施したうえで上演。

 現在上演される『弱法師』は時代の変化に応じて変化、発展する「俊徳丸伝説」という大きな物語宇宙の中に位置づけられる。今回の能楽師辰巳萬次郎版「俊徳丸伝説」は辰巳萬次郎による凛とした人物造型という点で注目に値するものとして記憶されてしかるべきだろう。

 余計なことかもしれないが、ネット上には<満次郎★ガールズ>と称する熱心なファンが存在することを知って驚いた。

 いやいや先日、5月22日奈良県桜井市郊外、多武峰(とうのみね)にある談山(たんざん)神社で実際に目にしたのである。ただしこちらは<(小鼓方)大倉源次郎♦女子応援団>。熱気がムンムンしていた!「多武峰 談山能」の詳細は hayashi-soichiro.jp/schedule/434.html 。

 女子に負けじと男子も応援隊結成しなくては。<(大鼓方)山本哲也♠ボーイズ>、<(笛方)藤田六郎兵衛(ふじた ろくろびょうえ)♣ボーイズ>を立ち上げたい。