梅若玄祥に魅せられて

9/30(土)13:00(開場 12:00) 京都 秋の梅若能     場所:京都観世会館   仕舞 通小町:河本望   地頭…会田昇   能『竹生島 女体』:梅若玄祥、井上貴美子、角当直隆、福王知登、喜多雅人、是川正彦、茂山千五郎、杉市和、曽和鼓堂、河村大、前川光長             地謡…角当行雄、山崎正道、田茂井廣道、内藤幸雄、河本望、小田切亮麿、川口晃平、山崎友正             後見…赤瀬雅則、小田切康陽   狂言『萩大名』:茂山千作、茂山茂、松木薫   能『阿漕』:井上和幸、廣谷和夫、島田洋海、森田保美、吉坂一郎、石井保彦、井上敬介         地謡…角当行雄、会田昇、山本博通、井上貴美子、角当直隆、川口晃平、小田切康陽、河本望 後見…赤瀬雅則、山崎正道

以上、梅若会インフォメーションより転載: http://blog.goo.ne.jp/umewakakai_info/e/4c9fa17dc73ce455729172a94dff59bc

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今回初めて知ったのだが、特殊演出であることを示す小書が「女体」なのでこの版は(通常?)龍神がシテ、弁財天がツレとするのに対してシテとツレの役割を逆転させる。この点については村上湛氏の批評「2014/1/5能 <竹生島 女体>の異形性」について詳しい。→ http://www.murakamitatau.com/blog/2014/01/201415.html

通常版の解説としてオススメなのがこちら。→ http://www.tessen.org/dictionary/explain/chikubushima

 

観世流シテ方 梅若玄祥氏の舞姿が見たくて宝塚(兵庫県)から京都へちょっと遠出。 五十六世梅若六郎から二世玄祥を襲名したのが2009年。9年後になる来年2018年3月には四世梅若實襲名が予定されている。

 

今回の公演に限らないが、幕開きで囃子方が奏でる音色は心をウキウキさせてくれる。ことに最初に音を出す能管(森田流笛方 杉 市和、森田流笛方 森田保美)が好きだ。あの出だしの鋭い笛の音はシビれる。それから、金春流太鼓方 前川光長のバチの振るい方が形式美を印象づけた。

 

主役を勤める玄祥氏は前半「老翁(前シテ)」として、後半は性が転換した「弁財天(後[読み:あと]シテ)」として登場する。老翁が弁財天としての本性を表すのだが、当日いただいたプログラムによると「狩衣姿に剣を持ち早舞か楽を舞う」とのこと。

 

(ネット上の『能楽用語事典』を見ると)早舞(はやまい)とは「男性貴族の霊や龍女の舞」の形式で「ノリ良く上品」であることを求められる。一方、楽(がく)は「唐土にゆかりのある役柄や[中国大陸や朝鮮半島から伝来した]舞楽[ぶがく]に関係する能で舞」い、「足拍子を数多く踏む」のを特徴とする。(注:[]内は筆者による追記。)

 

後半、弁財天と(通常版では後シテだが女体版ではツレと位置づけられる)龍神がそれぞれみごとな剣さばきを見せる。龍神を演じる是川正彦氏の振るう剣は勢いがある。が、玄祥氏は剣の動きが鋭くない。年中、全国各地の能舞台に出没する強行軍で疲労が溜まっているのかもしれない。それでも玄祥氏の舞は見応えがある。

 

常識的にいえば劇中の二つの神格、すなわちフェミニンfeminineな弁財天とマスキュリンmasculineな龍神は互いにあい反する、対立的な存在同士のように見える。しかし仏教、それも民間信仰としての仏教は両者の性格がホトケの二つの属性を表すと理解する。すなわち弁財天は慈悲深さを、他方龍神は厳しい形相の龍神の時に怒りをあらわにして人間にホトケの教えに従うことを要求する厳格さの象徴なのだ。こういう<男性>と<女性>をめぐる柔軟な解釈は日本特有かと思えそうだ。

 

しかしユダヤキリスト教を例外として世界に普遍的な気がする。懐かしいユングの<アニマanima>・<アニムスanimus>説を思い出してしまう。20世紀にはユング心理学は思想界全体に影響力を及ぼした。哲学と呼んでいいほどだった。

 

男女いずれも潜在意識に異性的なものをもつというのは確かに面白い。この発想がキリスト教文化圏から生まれたことも意味深い。私見に過ぎないが、こういう発想がユング心理学の領域をはるかに超えて20世紀末にキリスト教の影響下にある文化圏で Queer theoryを誕生させたのではなかろうか。Heterosexualityは人間性のデフォルトと断定できるのかどうか。となれば社会学的な男女識別はおそらく西洋近代が捏造した幻想と言えなくもない。

 

洋の東西を問わず古代、中世、前近代に渡る長い期間人間の潜在意識ではフェミニンな属性とマスキュリンな属性は厳格な意味で二項対立ではなかったのではないか。そんな妄想へ踏み出したくならせる『竹生島—女体』であった。

 

二曲目の能は『阿漕』。観世流シテ方 井上和幸。中世の殺生戒と人間の業を戒める仏教説話が民間伝説となり、中世の能楽、さらには江戸時代(初期)になると、古浄瑠璃『あこぎの平次』をはじめとして浄瑠璃や歌舞伎などの題材としてとり上げられる。元ネタから大きくそれて8世紀の武人坂上田村麻呂が関係してくるそうだ。

 

題名だが、浄瑠璃文楽)は『勢州阿漕浦』、歌舞伎は『生州阿漕浦』。いうまでもなく勢州は旧国名伊勢国」をさす。 現在の三重県津市にある阿漕浦。

 

古い伝説によるとこの漁場では伊勢神宮に供える魚しかとってはならないという一般の漁師には禁漁の海域であった。平次という地元の漁師が欲にかまけて幾度もその禁を犯してしまう。高値で売りさばく魂胆だ。その挙句仲間の漁師の怒りを買い簀巻きにされて海に沈められる。

 

平次の罪の深さは一度死んでも許されず、地獄に落ちても密漁を繰り返しては罰として殺害されることがいつまでも続く。その苦しみから逃れたいと平次は偶然当地に立ち寄った旅の僧に必死に救いを求める。それで平次の魂が救済されたかどうかは観客一人ひとりの思いにかかっているのだろうか。

 

この伝説はことわざ「阿漕ヶ浦に引く網」として後世に引き継がれる。隠し事も度重なれば世間の知ることとなるという戒め。

 

また和歌にも読まれることとなる。

逢ふことを阿漕の島に曳く鯛のたびかさならば、人も知りなん(平安時代の私選和歌集である類題和歌集『古今和歌六帖』)

伊勢の海、阿漕が浦に引く網もたびかさなれば人もこそ知れ(『源平盛衰記』)

 

上記の二例では「阿漕」が「度重なること」を意味していた。のちには「執拗さ」を表すことに変化していく。現在では「強欲」や「無慈悲」な意味合いで使われている。恥ずかしながら私は阿漕の由来をまったく知らなかった。

 

ネット検索をしていて驚いたのだが、地元、津では<あこぎな奴>は褒め言葉になるらしい。実は親孝行息子の話として伝わっているのだ。 http://toppy.net/gourmet/070508.html

貧しい漁師である平次は病気の母のために薬代わりになる「やがら」と呼ばれる魚を釣っていたのだが、ある日浜に名前の入った笠を置き忘れ、そのために捕まってしまう。その後どう処罰されたかは不詳。

 

二曲の能に挟まれた狂言は『萩大名』。茂山千作氏は豊かな舞台経験と(おそらくは)そのユニークな個性があいまって太郎冠者(茂山茂)に「愚鈍」だと影口を叩かれるプチ権力者の姿を無様でありながらも可愛い人物として描いていた。

 

それにしてもいつもながら千作をはじめ茂山一門(千五郎、茂、松本薫、島田洋海)の美声はおみごと。聞き惚れてしまう。

 

最後に一言余計なこと。人間国宝梅若玄祥氏の舞台。系列のお弟子さんたちがたくさんいるに違いない。他の出演者についても同様だろう。そのため観客の大半は単なる素人の演劇好きというより子弟系列の方々が多いような気がした。これは私の誤解かもしれないことは承知している。でも(いつもと違い)何か閉鎖的な雰囲気を感じてしまった。除け者にされた私のヒガミかな?入場料が高いこともネックになっているかもしれないが、単なる演劇好きも気楽に観劇したいものだ。