ロシア(サンクトペテルブルク)バレエはキレがいい

10月下旬サンクト・ペテルブルグ(旧レニングラード)に8泊、マリインスキー劇場とミハイロフスキー劇場でバレエ6本とオペラ1本を観劇。

 

マリインスキー (去る10月の演目は劇場の英語版HPに詳しいhttps://www.mariinsky-theatre.com/playbill/search/10-2017/

バフチサライの泉』(バレエ)

『ジゼル』(バレエ)

真夏の夜の夢』(バレエ)

11月以降来年2018年3月2日までの上演予定演目およびチケット購入は https://www.mariinsky-theatre.com/playbill/search/11-2017/

 

ミハイロフスキー (10月公演は英語版HP https://www.mikhailovsky.ru/en/afisha/performances/2017/10/

フィガロの結婚』(オペラ)

ラ・シルフィード』(バレエ)

『海賊』(バレエ)

来年4月までの上演予定演目・チケット購入はhttps://www.mikhailovsky.ru/en/afisha/performances/

 

私はバレエ初心者ファンなので今回の出演者については予備知識なし。それでもダンサー全員が優れた技能の持ち主だということは納得した。プロポーションのいい身体と高度にリズミカルな動き。見ていて気持ちが高揚する。西洋生まれのバレエはいわゆる西欧人的形姿が最適なのか。多分そうだろう。スポーツ、たとえば柔道とは事情が違うような気がする。たとえ前近代から続く流れの中にあるとはいえ柔道は日本の近代に生まれた武術というより国際的なスポーツの部類なのだ。

 

さて話を元にもどして今回鑑賞したバレエとオペラについて。一つ強く印象に残ったのは『バフチサライの泉』と『フィガロの結婚』が大いに<オリエンタリズム>に彩られていたことだ。

 

いうまでもなくオリエンタリズムは人類の歴史と文化を主導してきたと自負する西洋列強がこの自文化中心主義ethnocentrismの発想から創造あるいは想像した東洋(=非西洋)に関する認識であり理解の仕方である。ここで幻想される東洋という異世界は(和風に言えば)エミシ(蝦夷)のような存在にほかならない。必ずしも敵対者でないかもしれないが、親密な関係になるのは是非とも避けるべき<他者>なのだ。だが、この存在は西欧人の目に怪しく異様でありながら、あるいはそれゆえに妖しい魅力を放つものだと映る。

 

オリエンタリズムOrientalism」という用語・概念は今から40年近く前1970年代末に出版された同名の著書以来世界に広まった。著者はパレスチナ生まれでアメリカで活躍した文学研究者エドワード・サイードEdward Said (生没年1935-2003)。多文化主義が一層の高まりを見せ西欧列強に夜植民地主義に対する批判 (postcolonialism) が熱を帯びはじめた当時の世界にはこの概念が登場する必然性があったに違いない。サイードの念頭にあったのは主として自身の生まれ故郷であるイスラム文化圏としての中東地域である。アジアことに日本や中国など東アジアは議論の中心ではないが、非西欧世界という意味で「オリエント」の概念に緩やかに組み込まれているに違いない。

 

そもそも人類の歴史が始まって以来世界には無数の自文化優位主義がある。だが、西欧16世紀以降急速に発達した航海術などのおかげで広い視野で<世界>を意識するようになる。西洋が獲得した世界に対する意識は東洋に対する差別意識、蔑視を生み出す。こういう選民思想が現在も解決のめどが立たない中東などを舞台とする紛争の原因の一端なのだろう。

 

おっと、再度話を引きもどさなくては。『バフチサライの泉』で西洋に敵対するのはアジアからロシアを中心とするヨーロッパまでユーラシア大陸の北半分に渡る広大な地域に分散したタタール人Tartarsの世界だ。タタールという存在だが、かつて日本には中国から「韃靼」という表記が輸入された。学問的にはモンゴル系、(広大なユーラシア中央部に点在する)テュルク系、(旧満州から南シベリアにかけて住む)ツングース系および(永久凍土に覆われたロシア北部のツンドラ気候地域に住むトナカイ遊牧民)サモエード系などの民族をさすそうだが、歴史を振り返ると時代時代で定義づけは大きく変動してきたらしい。

 

そういう曖昧模糊とした「オリエンタリズム」だが、その不明瞭さがかえって「西洋」が「東洋」に対して抱く不安と期待がないまぜになった感覚を生み出すには格好の条件だったように思える。ある意味で実に便利な思考や認識の<道具>なのだ。 『バフチサライの泉』の時代背景は16世紀だろうか。「バフチサライ」という語に含まれる「サライ」は英語でsarai あるいはseraiと表記されるが、ペルシャ語に由来してもともと「宮殿」を意味したそうだ。ただしAramco World: Arab and Islamic cultures and connections というサイトによると「(壮大な?)庭に囲まれた宮殿the palace in the garden」(http://archive.aramcoworld.com/issue/201202/the.palace.and.the.poet.htm)。

 

(現在のクリミア自治共和国にある)バフチサライは劇中でウクライナ南部、黒海に臨むクリミア半島を支配するクリミア・ハン国の首都。ちなみに「ハン」は漢字表記では「汗」である。ジンギスハン(ジンギスカン)に代表されるタタール文化圏の種々の統治者の称号だ。

 

劇中の国王はギレイ・ハンKhan Ghirey。彼に命じられた一団が西方にあるポーランド人の一王国に侵入し王女マリーMarieを誘拐しギレイ・ハンのハーレムに連れ去る。ギレイ・ハンの第一夫人ザレマZaremaが寵愛を失うのを恐れてマリーを殺害するが、怒ったギレイ・ハンが彼女を処刑する。しかしギレイ・ハンは己の欲望が原因で愛する二人の女を失ったことで絶えまない苦悩に苛まれることになる。

 

この作品に関しては日本語による解説http://d.hatena.ne.jp/yt076543/20151016が一読の価値あり。

 

劇の大半はタタール人のハーレムが舞台になるので西洋人にとっての異民族の風俗が前面に出る。とりわけ第一夫人ザレマのコステュームなどはタタール文化に関する知識が乏しい私にはペルシャの姫君に見えてしまう。おそらく原作者プーシキン(英語風表記Alexandr Pushkin、生没年1799-1837)もサイードのいうオリエンタリズムにとらわれていたのだろうか。

 

しかし、私としてはオリエンタリズムの視点から文芸作品にケチをつけるのには違和感を覚えざるをえない。というのもこのバレエ作品はオリエンタリズムが肯定的にかつまた効果的に働いていると考えるからだ。プーシキンのようなコーカソイド、白人系(アンチ(赤色)共産主義ソビエトの考えをもった「白系」とは異なる)ロシア人の意識の中にはタタール文化は怪しくも美しい、エロチックでさえあるものだったに違いない。

 

おもしろいことにタタール人であるギレイ・ハンも異民族、異文化に引きつけられている。彼にとって西洋文化の中で輝く王女マリーは怪しくも美しい異族の女性だ。非西欧世界に見られる<裏返しのオリエンタリズムオクシデンタリズムOccidentalism?)>と呼ぶべきかな。

 

注記:ここからしばらくは冗漫な文章が続くかもしれないので読まずにすっ飛ばすこともアリ

 

ちなみにオリエンタリズムを理論づけたサイードに対しては<裏返しのオリエンタリズム>として批判する向きもある。サイードは西欧世界がそれ以外の世界についてその複層的な性格を無視して単一的な面貌を描き出した。そのサイードの頭の中には非西欧世界を植民地主義的支配を実践し、そういうイデオロギーで蔑視するのが西欧だという一面的決めつけがあるという批判だ。サイードの没後間もなく公表された中国系カナダ人研究者の論文にはサイード批判の視点が紹介されている。http://postcolonial.org/index.php/pct/article/view/309/106

 

しかしArab Leftist(このハンドルネームが暗示するのは左利きアラブ人ではなく左翼思想を信奉するアラブ人というか、左翼主義者はゲイ・レズビアンに理解がある[つまりqueer leftism]ので「ホモセクシュアリティーを許容するアラブ人」というニュアンスかな?)と名のるブロガーによるとサイードが西欧を根っからのオリエンタリズムの権化とみなしたというのは誤解らしい。このブロガーのサイード擁護論は過剰に長いが読み応えあり。 http://arableftist.blogspot.jp/2013/04/joseph-massad-occidentalists-other_21.html

 

イードが批判するのは16世紀以降のスペインやポルトガル、ついでイギリスとオランダが展開した植民地主義だという。古代、中世の西欧に(サイードのいう)オリエンタリズムは成立していなかったというのだ。それをサイード信者たちはサイードがあたかも西欧世界には根源的にオリエンタリズムが蔓延していると勝手に言いふらしているとこのブロガーは考えているようだ。

 

確かに考えてみれば、西欧世界にオリエンタリズムが芽生えたのは中世が終わり近代に入ってからだというのは正論のように思える。それ以前に(まだ西欧にその存在を認知されていなかった「アメリカ新大陸」とその実態が曖昧模糊としていた「暗黒大陸アフリカ」を除く)世界の主要部、つまり(ヨーロッパ西部を除く)ユーラシア大陸の大部分を支配下に置いたのはモンゴル帝国(14〜15世紀)と(20世紀初めまでかろうじて命脈を保った)オスマン帝国(16〜17世紀)である。時代的にズレがあるとはいえモンゴルとオスマン・トルコはいわば強者であり、対するヨーロッパは脅威におののく弱者であった。

 

その当時<強者>であったモンゴルもオスマン・トルコも非西欧、いわゆるオリエントではないか。この状態ではいわゆるオリエンタリズムが成立するはずがない。

 

道草を食ってしまったが、近代と呼ばれる時代に西欧に蔓延したオリエンタリズムにも光と陰の両面があるのではないか。この光と陰の微妙な混ざり合いがあるせいでバレエ『バフチサライの泉』は今なお人気のある作品の一つなのではないか。

 

イードオリエンタリズムについて先年亡くなったアメリカ人作家・映画批評家ドナルド・リチー(Donald Richie、1924年—2013年)が<オリエンタリズム>擁護論を書いている。”Rescuing Orientalism from the School of Said”, The Japan Time (2001年12月30日付)。ネットに掲載されてもいる。 https://www.japantimes.co.jp/culture/2001/12/30/books/rescuing-orientalism-from-the-school-of-said/#.WgZkzBO0MQ8 リチーは終戦直後来日し、コロンビア大学での勉学期間を除いて60年あまり日本に定住。日本映画をこよなく愛したことは広く知られている。

 

このエッセイでリチーは卓越した日本文化論『表徴の帝国L'Empire des signes 』(1970年、日本語訳あり)でも知られるロラン・バルトに強い共感を覚えている。(サイードよりむしろその信奉者に不信感を抱く)リチーはオリエンタリズム同様上から目線につながりがちな言葉「エキゾチシズム」をあえて持ち出してオリエンタリズムの全面的廃棄の無謀さを訴えたいようだ。自己・自文化に回収、順化、適応化できない他者・異文化に極力偏見を排して向き合うことの意義を聞き手・読者に理解したいらしい。哲学者でもあるバルトの詩的感性の鋭さを上記日本論に読みとり他者に真摯に対面しようとするバルトの姿勢をエキゾチシズムという用語を頼りに理解しようとするリチー。エキゾチシズムは物見遊山的感覚と見下されがちだが、素直な驚きと好奇心という人間本来の感覚に根づいているのであながち捨てたものではない。それどころか物事の本質を突いていることもあるのだ。

 

注記:ここらあたりまでこの記事を無視することもアリ

 

オリエンタリズムに関しては渡辺京二・著『逝きし世の面影』(葦書房1998年/平凡社ライブラリー 2005年)で鋭くかつ的確な指摘をしている。この書は幕末から明治初期にかけて日本に滞在した西洋人がとらえた日本の姿を論じたものだ。とかく西洋人が未知の国日本を観察したところで偏見だらけだと思いがちだ。が、事実は違うと渡辺は主張する。

 

以下『逝きし世の面影』からの引用ー

「異邦から来た観察者はオリエンタリズムのメガネをかけていたかもしれない。それゆえに、その眼に映った日本の事物は奇妙に歪められていたかもしれない。だが、彼らはありもしないものを見たわけではないのだ。日本の古い文明はオリエンタリズムの眼鏡を通して見ることができるようなある根拠を有していたのだし、奇妙に歪められることを通してさえ、その実質を開示したのである。

(略)問題は、賛嘆するにせよ嫌悪するにせよ、彼らがこれまで見たことのない異様な、あえていえば奇妙な異文化を発見したということにある。発見ではなく錯覚だということはたやすい。だが、錯覚ですら何かについての錯覚である。(略)幻影はそれを生む何らかの根拠があってこそ幻影たりうる。」(52頁)

有益なサイト:1203夜『逝きし世の面影』渡辺京二|松岡正剛の千夜千冊 https://1000ya.isis.ne.jp/1203.html

 

一方『フィガロの結婚』は某伯爵の家来フィガロがこれから結構しようとする小間使いスザンナにちょっかいを出そうとする伯爵の企みをこと荒立てずに防ぐ。機転がきく庶民がいささか横暴な貴族をやり込めるお話。演出担当のヴァチェスラフ・スタラデュブツッェフ Vyacheslav Starodubtsevは斬新さを打ち出そうと中国趣味をふんだんに盛り込んだという。劇場HPにある一連の画像を是非ご覧あれ。 https://www.mikhailovsky.ru/en/afisha/performances/detail/1009586/

 

なるほどコスチュームは清朝あたりの中国を思わせる。が、女性陣の一部の髪型はオペラ『蝶々夫人』に影響されたかして日本髪風だ。それに伯爵がもつ劔は紛れもなく日本刀。オリエント、いや東アジア文化の<ごたまぜ (misch masch)>だが、見ていて楽しい。見慣れたものに新規さを見出そうとする意欲の発露と受けとめたい。これも先ほどの(読み飛ばし可能箇所での)リチーが注目するエキゾチシズムの効用といえなくもない。音楽と歌唱という聴覚だけでなく舞台上のウイットのきいた動く絵を楽しめて視覚も満足させられた。

 

伝統も切り口を変えればいくらでも新しい発見があるはずだ。

 

マリインスキー。バレエ(旧キーロフ・バレエ)とミハイロフスキー・バレエ(旧レニングラード国立バレエ)は日本から遠路はるばる出かけて観劇するに値すると独り合点している。

 10月下旬は秋の終わりだとかで最高気温摂氏5度。一週間いる間に気温が徐々に下がってほとんで零度くらいにしか上昇せず。それでも楽しかった。

おまけ:ホテルなど

Family Hotel Pyjamaは清潔な居心地のいいホテルだ。評価もたかい。それに安い。シングルだと朝食付き1泊4千円弱。二人部屋だと3千円を下回るらしい。

http://family-hotel-pyjama.hotelsinsaintpetersburg.net/en/

地下鉄主要駅のすぐそばで交通の便がいい。ホテルのそばには巨大なショッピング・モールGaleriaがあり、ここにはユニクロH&MZaraも出店。またО'Кей(オーケー)という名のスーパーもあって食料品が買える。

ただしこのホテルで注意すべきことが一点ある。民間アパートの中にあってそのアパートに入るには鍵が必要。(ホテルの看板もない。旧共産主義国のことだから無許可営業ではなさそうだ。出ないとネットに堂々とHPを掲げられない。)チェックイン後は鍵をもらうので問題ない。でもその鍵を観光中に紛失したらどうするか。スマホでホテルと連絡とるしかない。

私は日もとっぷり暮れた午後9時ごろホテルに着いたが、ホテルに頼んでおいた送迎タクシー(白タクに違いない)のドライバーがホテルのフロントまで案内してくれたので助かった。バスなどを乗り継いでいたらホテルのそばまで来てもホテルの場所を見つけるのに困ったはずっだ。この場合もスマホがあれば問題なし。(今回私はスマホなしで滞在。)タクシーの料金は空港からホテルまで片道1,200ルーブル(約2,400円)。

白タクのドライバーはみな好人物ばかりだった。マリインスキーもミハイロフスキーもどちらも片道運賃400ルーブル(約800円)。

 ミハイロフスキーは地下鉄主要駅から近い(徒歩10分)ので男の場合終演が午後10時過ぎても往復地下鉄利用できる。一方マリインスキーは最寄駅から徒歩20分。親切な人がそう教えてくれた。ただし地下鉄からバスに乗り継ぐ方法もある。駅員さんにおおよそのバス停の位置を教えてもらったものの、そのバス停で数人の人に尋ねたがどのバスに乗るのかわからず仕舞い。夜更けは寂しい運河沿いに歩くのでー危険そうー帰りはホテル経由でタクシーを予約した。流しのタクシーを拾うのは難しい。また劇場前で帰りのタクシーを拾えるが、運賃を高くふっかけられる危険性あり。ホテルで予約するのが無難である。