2018年春、パリ・オペラ座バスティーユに再度新風を吹き込むミルピエ

去る3月下旬(2018年)生まれて初めてパリ・オペラ座を訪れた。バレエとオペラに関してはまだ初心者のファンだが、第一の目的はバンジャマン・ミルピエ(Benjamin Millpied1977年生まれ)が振付を担当した舞台を観るためだ。迂闊にも知らなかったが、日本でも人気のあるマチュー・ガニオオペラ座エトワール)をはじめオペラ座のトップ・スターたちが交代で今回の2本立て公演『ダフニスとクロエ』(ラヴェル作曲、古代ギリシア恋物語に基づく)および『ボレロ』(ラヴェル作曲)の主役にキャスティングされた(2月24日〜3月24日)。

 

配役詳細: https://www.operadeparis.fr/saison-17-18/ballet/benjamin-millepied-maurice-bejart/distribution#head

 

残念ながら私には両演目の従来の振り付けとの差異を論じることはできない。しかし素人目にも舞台の清新さは感じられた。とりわけ男女共衣装は薄い生地ながらも身体を拘束するような伝統的衣装を廃して白を基本カラーに身体をふわりと覆うようなものだったことが印象深い。

<参考動画> 何年版かは不明だが、今回見たのと似ているーhttps://www.youtube.com/watch?v=0_N60WyJcLM

 

素人の勝手な連想にすぎないが、モダン・ダンス生みの親と言われるイサドラ・ダンカン(Isadora Duncan、1877-1927年)を思い出した。

参考サイト:http://www.duncandancers.com/about.html

 

後半では光の三原色、赤、青、緑を少しくすませた色合いの衣装で男女が踊る。

<参考動画>

2018年版?—https://www.youtube.com/watch?v=7KNpshI0T1g

 

こういう衣装のシンプルさがシンプルなストライプを基調にした(現在80歳になる)ダニエル・ビューレンによる舞台美術と相まって情熱に溢れながら清々しい出来栄えになっていた。

<参考動画>

2014年版—http://www.ina.fr/video/5258740_001_030

 

ちなみにフランス語の批評(google翻訳で英語に転換するとかなり読めると思う)は概ね肯定的。だが、英語で書かれた批評を一つ見つけたが、これは辛口だ。世間に広まった名声に見合うだけの仕事ができていないという。

https://www.fjordreview.com/marie-agnes-gillot-paris-opera-ballet/

筆者はJade Larineとあるが、ペンネームだろうか。同名の人がパリ大3大学の比較文学専攻のポスドク(博士号取得後で求職中の研究者の卵)として見つかったが、同一人物かどうか不明。

 

話を元に戻そう。質素、簡素、清新な色調は(突飛なことを言うようだが)チベットの僧侶の衣装や民族衣装を思い起こさせる。

 

このような根拠の薄い連想を元に発言するので誰にも信用されそうにないが、『ダフニスとクロエ』のフィナーレではミルピエ自身がダンサーの一員として参加していて驚いた。やはり彼の踊りはひときわ精彩を放っていたと思う。とりわけミルピエの姿はチベット僧ではないが、どこかの国の<修行僧>に見えた。一部の隙もないほど自己を厳しく律する姿勢が印象に残る。

 

このようにミルピエはダンスの極地を追求する宗教的求道者を思わせる。その点で旧ソ連ウクライナ出身のバレエ・ダンサー、セルゲイ・ポルーニン(Sergei Polunin、1989年生まれ)に似ている。ポルーニンの存在はドキュメンタリ映画『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』(2016年)で日本にも紹介された。

<参考動画>

https://www.youtube.com/watch?v=FLcSAJq_HSg N. Osipova, S. Polunin - Giselle(6) 24.07.15. Moscow

https://www.youtube.com/watch?v=9eEhkaNRecw 

 

ところでヨーロッパとは必ずしも同質ではないアメリカで伝統的バレエの訓練を積んだミルピエだが、彼の資質が大きく影響してモダン・ダンスへと方向転換したようだ。もちろん伝統的バレエに対する関心と敬意は失ってはいない。このことは彼が2014年アメリカから故国に呼びもどされて伝統志向の強固なパリ・オペラ座のバレエ団芸術監督を引き受けたことからもわかる。また一年余りでその座を退きながらも今回オペラ座バレエ団を振付けた事実にも表れている。

 

ミルピエはフランス、ボルドーの生まれでバレエ・ダンサーだった母の影響で幼少期からバレエを始めている。十代半ばでNew York City Balletに関係があるThe School of American Balletの夏期講習で渡米。フランス流バレエからスタートして彼だが、アメリカン・スタイルに強く引かれたらしい。その後すぐにフランスの奨学金を得てこのバレエ学校に正式留学。まだ10代後半のミルピエだった。1995年、二十歳になる少し前New York City Balletに入団を許可される。それからわずか7年ほどでバレエ団ダンサーの最高位「プリンシパル」(フランスの「エトワール」に相当)を授けられる。

 

それから約10年間バレエ。ダンサーとして活躍する一方で振付けにも情熱を燃やす。彼の活動領域はフランスやスイスのバレエ界、さらにはメトロポリタン・オペラの振付けにも及んだ。おそらく伝統に固執せず新しい地平を切り拓くのを信条とするアメリカのバレエ界からの刺激があって彼本来の創造性が活性化されたにちがいない。

 

成長し進化する彼の創造性は比較的自由で許容性の高いアメリカのバレエ界でさえも息苦しく感じたのだろうか。2011年長年親しんだバレエ団からの退団意思を表明。

 

同年、信頼の置ける仲間たちとL.A. Dance Projectを設立する。モダン・ダンスの未知の領域の開拓に邁進。

 

その輝かしい才能と活躍振りに注目した伝統重視のパリ・オペラ座がミルピエをバレエ団芸術監督という重責を負うポジションに招く。

 

ミルピエも挑戦心を掻き立てられたのだろう、期待に応えるように真摯に努力したもののバレエ団最高幹部諸氏はバレエ団全体を説得できていなかったらしい。結局ミルピエは1年余りで当人にとって無念にも芸術監督退任となった。だがバレエ団全体の意思が彼を支持しなかったのならその立場にとどまる意味がないし開拓精神溢れるミルピエにとっても不幸でしかなかっただろう。

 

現在ミルピエはアメリカにもどりL.A. Dance Projectを続行しており、国外での舞台でもダンサー兼振付師として活躍中だ。