2018年11月文楽公演(大阪)は女性演者が登場かと勘違いした慌て者の私

第1部 午前11時開演

蘆屋道満大内鑑 (あしやどうまんおおうちかがみ)   

 葛の葉子別れの段   

 信田森二人奴の段

桂川連理柵 (かつらがわれんりのしがらみ)   

 六角堂の段   

 帯屋の段   

 道行朧の桂川

第2部 午後4時開演 

鶊山姫捨松 (ひばりやまひめすてのまつ)   

 中将姫雪責の段   

近松門左衛門=作

女殺油地獄    

 徳庵堤の段   

 河内屋内の段   

 豊島屋(てしまや)油店の段

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今回は夜の部一回、昼の部は『桂川連理柵』をもう一で見たくて2回観劇。

今年5月、大夫(義太夫節語り)の大長老他竹本住大夫さんが93歳で逝去。3年前まで現役だった人だ。文楽界を震撼させた大事件だったが、これが長年の伝統に注目すべき変化をもたらした。ようやく世代交代の時節到来だ。おかげで若手の存在感が高まっているのはうれしい。今回はベテラン、中堅だけでなくまだ世間に広く名が通っていない若手の人形遣い、大夫、三味線が実に生き生きと演じている。

 

大夫に目を向けると、今年1月(2018年)豊竹咲穂大夫改め六代目竹本織大夫襲名したが、この方はやや一面的なパワフルさという印象が強かった咲穂大夫時代と違って若々しさの中に貫禄というか、渋みを感じさせるようになってきたと感じる。

 

11月公演の大夫陣の中でとりわけ輝いている(と私には思える)のが豊竹呂勢太夫さん。長いこと大勢の超ベテランの間に挟まって目立たないままだった。健康上の問題を抱えておいでだったのかな。そんな詮索はさておき、『桂川連理柵』の「帯屋の段」ならびに『女殺油地獄』の「豊島屋油店の段」ではその熱演ぶりで存在が際立っていた。

 

分別盛の四十男が親子ほども歳の離れた隣家の娘と男女の関係になるという話の展開だが、これはありそうでなさそうな微妙な筋書きだ。世間に対して義理立てできない窮地に陥った二人は結局心中という道を選ぶ。江戸時代当時、心中事件はいくつかあり、それが人形浄瑠璃や歌舞伎の格好の題材となる。どう考えても大多数の庶民にとって自分たちが事件の当事者になりそうもなかったに違いない。それでも、いやそうだからこそ心中沙汰の主人公になってみたいと夢想するのが人間ではないだろうか。一度たりとも世間の注目を浴びることなく一生を終える庶民のささやかな夢、変身願望だ。

 

一方、これまたありそうで、なさそうな話を描く『女殺油地獄』。既婚女性と根っからの遊び人の若者との間に潜在的に芽生える愛欲が殺人事件を招いてしまう。いつの世も人間社会の出来事といえば意識下のレベルなら小説のネタに溢れているだろう。近松のように文才溢れる人の手にかかれば、ありえない事態も現実化するように見えてしまうから不思議だ。

 

「帯屋の段」にしろ「豊島屋油店の段」にしろ呂勢太夫さんは物語の語り手として一定の冷静さを保ちながら悲劇の主人公に対する観客の思い入れに添い、さらにはそれを一層焚きつけるように語り口に感情をこめる。呂勢太夫さんは冷静さと熱狂ぶりのバランスのとり方が絶妙だったと思う。

 

私にとって今月の文楽公演は心から楽しめる出来栄えであった。

 

おっと、ここで終わるとタイトルの意味がわからんままになる。実は私、今月の舞台には出演していない<女>義太夫と三味線のことでとんでもない勘違いをしてしまった。

 

二度目の昼の部(「信田森二人奴の段」)のこと、オペラグラスで大勢の大夫と三味線弾きの居並ぶ上手脇(通常二人居並ぶなら床=ゆかだが、この場合もゆかと呼んでいいのかな?)を見ると大夫と三味線弾きの集団に女性としか思えない人が一人づついるではないか。今回は世代交代ばかりでなく女人禁制を通してきた文楽が変貌したのか。と思いきやあとで文楽劇場に問い合わせると全員男性だとのこと。私の誤解でした。

 

女性の大夫と三味線弾きはそれぞれ竹本越孝さんや鶴澤寛也さんをはじめ数名おいでのようだが、まだまだ「女義太夫」という表現が生きていて男性とは別くくりのようだ。フェミニストの敵みたいな私だからいうのかもしれないが、もうしばらくは男性陣が文楽を独占していてほしい。