2019年1月新春 能と狂言 —— 蘇りの時節
<大槻能楽堂 自主公演能 新春公演>
大槻能楽堂(大阪市)、1月3日 |
殊更いうまでもないが、「翁」は能楽の中でも特異な位置づけだ。他の能楽作品と別格に扱われてその主旨は祝言・言祝ぎである。「物語」をほとんど排してもっぱら「儀式」として執り行われる。だから新しい命の芽生えと古い命の再生への期待が膨らむ年明けの公演演目としてふさわしい。
「翁」は能楽師と狂言師がそれぞれ老人の面をつける。その面は白と黒に色分けされ、能楽師が白に対して狂言師が黒である。翁と尉(じょう)はともに男性の老人をさす。
「白」と「黒」という色彩が並ぶとコクビャクなど対立概念を連想しがちだが、意外なことに相補的な関係にある。オンラインで公開されている徳川美術館の解説がわかりやすい。以下イタリックスの箇所は引用文。
白式尉と黒式尉は、天下太平・国土安穏・五穀豊穣・子孫繁栄を祈る祝言能「翁」で用いられる能面です。能楽の発生以前から神の面として神聖な祝い事に使われてきました。白式尉は、しわの刻まれた白い顔にボウボウ眉と呼ばれる白い飾眉と長く白い顎髭を生やし、天下の平和を祈り長寿を称える円満福徳の相を表します。対して、黒式尉は、黒く彩色された顔に額と頬に朱を入れています。日に焼け、土になじんだ健康的な好々爺を思わせる面です。
ちなみに「尉」はどういう成り立ちなのだろうか。その語源は某ブロガー氏によると、「尸シは人が椅子などに腰かけている形で、これに二がついた『尸+二』は、人が座って下に二枚の布を押さえる形で、いわゆる寝押しで布を伸ばすかたちと思われる。『火+又(て)』は、火(おき火や炭火)をいれた容器を手にもつ形。尉は、火のし [火熨斗](昔のアイロン)を手にもちで布に当ててシワをのばす意」なのだそうだ。さらに、このように混乱や混沌を正すという意味から転じて天下国家を安定させる働きもあるとのこと。
<出典>https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/7f5490f26c2b18413f06957931143761
それから特殊な位置付けの「翁」がどういう構成をもつのかも知りたいところ。能楽師柴田稔さんによると(https://aobanokai.exblog.jp/29176177/)、
登場人物:翁(シテ方)、千歳(シテ方)、三番叟・三番三(狂言方)、
面箱持ち
場面構成:
前半 千歳の舞、翁の舞
後半 三番叟・三番三の舞
*千歳の舞:舞が展開する場を浄める露払いとしての役目をもつ
*翁の舞:白式尉の面をつけることで神として顕現し、天下泰平、国土安穏を祈る
*三番叟・三番三の舞:五穀成就を祈願
揉(もみ)の段:躍動的に舞うことによって国家安寧の基本にある豊穣を祈念
鈴の段:黒式尉の面をつけ鈴を打ち振りながら五穀豊穣を祈り躍動的に舞
うことによって国家安寧の基本にある豊穣を願う
翁も三番叟・三番三もそれぞれの立場から同じく国家、国土の繁栄と平穏無事を
祈願する。
今回の演目のうち『翁』と『高砂』がともに直裁に生と再生 (birth & rebirth)をことほぐ。一方狂言『靱猿』も一見祝祭性が表面化していないが、命をめぐる問答をとおして同様の趣を打ち出すように思う。大名は当初権力を笠に着て威張り散らす。この驕れる権力者は偶然見かけた生き物(猿引が連れている猿)の生き皮をはいで己の靱(矢筒)を飾り立てようとする。だが、猿引の必死の訴えに傲慢な大名もやがて改心する。ここには命を慈しむことの意義深さが浮き彫りになる。
若手・新人芸能者の登場と活躍
タイトルにあげた「蘇りの時節」を如実に表すのが若手、それも10歳前後の初々しい能楽師、狂言師や囃子方だ。並み居るベテランに伍して堂々たる技芸を披露してくれた。
「翁」で千歳を演じた片山峻佑(片山伸吾さんの長男)だが、まだ中学1年生ながら堂々たる発声に驚いた。恵まれた才能を引き出し伸ばす片山伸吾さんたちの指導のし甲斐があるというものだ。
この時の小鼓方の一人大倉伶士郎さんは小学6年生。父大倉源次郎さんと吉阪一郎さんというその道の超ベテランとの連奏をみごとにやってのけた。この少年の腕前は3年前の4月、篠山春日能での舞台を拝見して強く印象に残っている。腕前はさらに向上していて今回もまことに心地よい鼓の響きを聞かせていただいた。
狂言「靭猿」では2011年4月生まれの茂山蓮さんが見世物の猿。猿引役の祖父五世茂山千作さんに連れられて登場。人間の台詞はないものの、物怖じせず猿のモノマネを演じていた。父茂山茂さんは息子さんの舞台が気になるのだろう、特別後見役で猿引の綱を持つ千作さんのそばに控えていた。
今回の新春能と狂言公演はこの3人の若手が登場することで命の蘇りと新たな命の誕生を強く印象づけてくれたと思う。新玉の年を迎えたばかりの時節にふさわしい公演といえる。