2015年大阪平成中村座 ー 桜席はおもしろい体験ができる

平成中村座公演は今回がはじめてだが、見応えがあった。実は遅まきながら最近になって中村勘九郎七之助兄弟がみせる芸のすごさに気づいたのだ。シネマ歌舞伎三人吉三』(6月)、ついで阿弖流為』(10月松竹座)がきっかけになった。その流れで大阪城公演昼の部(「女暫」、「狐狸狐狸ばなし」など)と夜の部(「俊寛」、新作歌舞伎「盲目物語」)を観劇。中村兄弟のすばらしさはもちろんのこと、共演のベテラン役者たち、中村扇雀中村橋之助片岡亀蔵、中村彌十郎も存在感を大いに発揮している。さらに、坂東新吾、中村国生らの健闘ぶりも特記にあたいする。

 

私見だが、大掛かりな特設舞台は居心地がいい。そのうえ劇場スタッフの親切な応対も好評のようだ。

 

2回目の観劇は11月6日夜の部で座席は上手の「桜」2列目の一番奥。見にくい場所だと思ったが、桜席はどこでも条件は同じのように思える。たしかに通常の観劇のアングルは全否定されたも同然だが、幕が閉まった後も舞台のようすを眺めるという特典がある。映画配信されるメトロポリタン・オペラでは幕あいの舞台装置転換が映し出されるが、そのミニチュア版を見ているような気がした。大道具係の方々は悠々とお仕事をされていたり、仲間内で雑談をかわしたりで桜席観客の視線を気にしないふうではあった。一方、閉幕後退場される役者さんたちは拍手を送るわれわれ観客にお辞儀を返されたりで通常の公演以上に疲れないかと気になったりした。といいながらも私としては今回はこんな珍しい光景という特典つきの観劇だった。たとえば、扇雀さんが小走りに楽屋へと去っていく後ろ姿は上方和事の芸風がにじみでていて若干ユーモラスであった。これだけでも得した気がする。

 

桜席の体験談ならびにその由来の解説はネットで散見されることを後日知った。江戸時代の観客は幕より後方の舞台両脇にもっとも安価な席をとれたと以前なにかの文献で読んだ記憶がある。今から15年前故十八代目勘三郎が(当時すでに60歳近かった演出家で長年斬新な演劇センスで知られた)串田和美らとともに創設した平成中村座は当初から江戸の歌舞伎を復元しようというのが眼目だったから桜席の設置は当然だ。串田は平成中村座創立以前から勘三郎らと歌舞伎制作に関わってきたが、野田秀樹の場合と同様歌舞伎界にとって串田のような外部の異才とのコラボは大きな成果を生んでいる。

 

話を桜席の由来にもどそう。恥ずかしながらネット検索ではじめて正式な呼称を知ったのだが、江戸時代後半には大入り時のみだが桜席に相当する「羅漢台」や「吉野」(別名「通天」)が設けられていたのだ。当時の劇場内を描いた浮世絵、たとえば歌川豊春筆「市村座場内図」や歌川豊国筆「中村座内外の図」には幕の背後で舞台奥と両脇に観客がいるではないか。役者の横顔や背中ばかり見る観客もいたとはおもしろい。

(参考になるリンク先:ja.ukiyo-e.orgおよび

www.syokubunka.or.jp

これら不思議な座席についてはイラストレーター兼エッセイスト辻和子さんのサイトに明快なイラストがあってわかりやすいー

www.kabuki-bito.jp

 

今年の大阪平成中村座公演は歌舞伎界若手と中堅どころの活きのいい演技を見たばかりでなく江戸の歌舞伎の雰囲気もちょっぴり味わえて大感激だ。こういう公演形態を発案した故十八代目勘三郎や串田氏らに大いなる感謝を捧げたい。