THE TERROR(『極北の恐怖』2007年) by Daniel Simmons ー 人間存在の零年 ー

この小説(原書Bantam Press、2007年、嶋田洋一・翻訳『極北の恐怖』、早川書房、2007年)は<北極残酷物語>とよびたい気がする。下地になっているのは北極探検史上有名な大規模遭難事故である。ただし作中で語られる探検隊員や乗組員たちの言動や思考はすべて著者Simmonsの手になる虚構である。急いで本書の全体像を知りたい場合は次のサイトを参考にされたい。ただし記述内容は決定稿ではないそうだ。

http://self.gutenberg.org/articles/the_terror_(novel)

 

19世紀半ば海運国英国は「北西航路」の開拓に再挑戦する。北西航路とは16世紀大航海時代にはじまったものの、その後頓挫していた北極海域を通過することで大西洋と太平洋を結ぶ最短航路と期待されたものである。1845年5月、王立海軍主導で130名あまりで編成される探検隊を送り出したのだ。総指揮者は3度にわたる北極圏の海洋探検の経験を積んでいた英国海軍将校Sir John Franklin (1786-1847年)。船団は2隻の船、Erebus号とTerror号だ。どちらの船名も後の悲劇を予告するようになんともおどろおどろしい。Erebusとは黄泉の国の前に広がる暗黒界をさす。あえてそう名づけて悪魔払いをしたのだろうか。

 

後の数度にわたる捜索隊が発見した物証やイヌイットらの証言から判断すると一年後に両船とも現在カナダ領であるKing William Islandで氷に閉じ込められ、生存者は1848年4月両船を放棄して小型船に食料衣類などを積んで表情を移動する道を選んだ。やがて燃料が尽き、現地の動物や魚もほとんど捕獲できないまま缶詰などから滲み出した鉛毒やビタミンCを含む生野菜の欠如で生じた壊血病に加えて極度の飢餓で苦しんだ末全員死亡した。全員死亡というのは物証があるわけではない。ただ生還者が皆無ということから判断するしかない。

 

フランクリン探検隊の遭難については20世紀末の調査で興味深い事実が判明した。1980年代に氷の中に埋葬された乗組員の遺体が何体か発見されている。2隻の探検船が氷に閉じ込められた当初、病死者などの埋葬は丁寧におこなわれていたことがわかる。 (youtubeで閲覧できるが、いわゆるミイラよりもっと生前の姿(顔貌)がしのばれる状態が保たれている。)その一方で「アンデスの聖餐」ではないが、発見された遺骨の傷み具合から見ると飢餓が一部の生存者をcanivalismに駆り立てもしたらしい。ちなみにこの遭難事件に関してはwww.bbc.comが有益な情報を提供してくれているように思われる。

 

前置きが長くなってしまった。著者Dan SimmonsはSF作家として国際的に知られていて日本でも早川書房から多数の翻訳書が出版されている。SFには疎い私はこの作家のことを一昨年の4月にTERRORを読むまでまったく知らなかった。当時私はニュージーランドクライストチャーチに半年ほどの予定で滞在していたが、たまたま近所の図書館でこの本を手にとったことがきっかけだ。 当時も今も私の関心事のひとつがmonsterでTERRORには「白い魔物」が登場すると気づいて早速借り出した。

 

千頁近い(936頁)分厚さ。この67章からなる小説は3年あまりにわたって主要登場人物10人ほどの日記や(日記モドキの)内面描写を綴り合わせたものである。400頁くらいは地味な内容の日記が延々と続くのでついつい頓挫しそうになる。オンライン書評でとにかく長い、長過ぎ!というような趣旨のコメントが出てくるのも仕方がない。当時(一年半ほど前)の私は「白い魔物」の登場を心待ちにしていたのでイライラした。それで3分の1をはしょって読んでしまった。それでもこの虚実ないまぜになった壮大な物語を私なりに楽しんだつもりである。魔物の正体とは?作中には一応イヌイット神話に出てくる氷上の魔物に対する言及があるものの、はたしてそれが総指揮官フランクリンをはじめ多くの隊員、乗組員を食い殺した怪物なのかどうかは読者の想像に任されているようだ。帰国後原書を入手し目につきやすい部屋の片隅においていたが、二ヶ月ほど前ついに読み出した。自宅でじっくり読むことはほとんどなく毎日のように出かける際電車の中で細切れに読んでついに読了。感動した。まるで膨大な時間を費やして宇宙空間を旅したみたいな気分だ。著者SimmonsがSFの大家であるのもうのづける。

 

さてこの延々と続く書き手の異なる日記の連なり。その中でもさかれる章の数がもっとも多いのは(総指揮者フランクリンの直属の部下で)Terror号の Captain Crozier 船長クロウジア(あるいは クロウジャ)。彼は一隻の指揮者で「船長」ではあるが、王立海軍の階級では「海軍大佐」にあたるらしい。軍隊の指揮官にふさわしい規律の人である。反面、人間的感情を抑圧していて外見ではとっつきにくい印象の人間だ。一部の部下には反感をもたれたりもする。だからこそ人間がもつさまざまな性格のの一つを代表する存在であり、その人間臭さが魅力にもなりうる。

 

最後の八つの章ではクロウジアという名前だけが冠せられ日付がない。これ以後は日記を書こうにも筆記具がないし、第一体の自由がきかなくなっている。実をいうと彼は下級乗組員の一人で(総指揮官フランクリンの死後指揮権を引き継いだクロウジア に対する)反乱グループの親玉で人間に潜在する悪の権化のようなヒッキー(Hickey)に銃で撃たれ重傷を負い(後に結婚する)イヌイットの(クロウジアとは30歳以上の年齢差の)若い娘 (どういう理由からかわからないが舌が切りとられていて口がきけないことからLady Silenceとよばれているが、実の名前はSilna)になんとか命を助けられる。そういう危機的な状態なので最後の八章は彼の内面を作者が記述したものである。

 

この殺害未遂事件の後クロウジアと彼女とは行動を共にする。また二人の子どもにも恵まれる。イヌイットの集団に混じったり三人、そして四人の家族だけで行動したりするうちにクロウジアはイヌイットの神話的世界に入り込んでいく。名前もTaliriktug(発音不詳だが「頑健な腕」を意味するらしい)というイヌイット名に変わる。これはクロウジアが(アイルランド系)英国人の過去を捨てたことを意味するのだろう。このことをさらに印象づけるのは彼が妻と同様に口がきけなくなっていることだ。まさか自分で舌を切除したわけではあるまい。そうではなくて自らの意志で英語もイヌイットの言葉も口にすまいと決意したにちがいない。そうすることで彼は西洋文明ばかりか極寒の極北というイヌイットたちが生きる現実世界すら超越して妻子とともに人間の原初の次元、いわば神話的次元に生きることを自覚的に選択したのではないかと思う。

 

クロウジアは上司フランクリン隊長や部下たちが次々と(実態不明の)『白い魔物」の犠牲となる事態に巻き込まれる。その上、ヒッキーに代表される隊内の反乱分子たちの悪業に直面することにもなる。彼は指揮者として極度の困難に対応する重圧に耐え、自身も餓えと疾病に苦しみむ。そういう地獄のような北極圏の自然現実にさらされて心が潰えそうになる。

 

しかしそんなクロウジアの救いとなるのがそのすべてが謎といっていい(すでにふれた)イヌイットの少女lady Silence / Silnaだ。文明の利器に恵まれ甘やかされた19世紀西洋人クロウジアにとって彼女のイヌイットという出自がすでに異世界的であり神話的である。だが、イヌイットという出自が強みになるわけではない。作中に登場するイヌイットの人びとはクロウジアたち西洋人と同じ生身の人間である印象を与える。銃撃されれば死にもする(第38章)。他方、Silnaは不死身のような雰囲気を醸し出す。その年格好はどう考えても十代としか思えない子どもである。それにもかかわらず極寒の氷原でたった一人で海洋生物を材料にして暖をとり食料を確保するすべを心得ている。そればかりか、読者の目にはシルエットしかうかがえないが、「白い魔物」ではないかと疑われる異常に巨大な白クマらしき生き物と心を通わすこともできる。まことに神秘的な存在なのだ。その神秘性は最後の最後まで消えないままである。しかも夫(クロウジア)や二人の子どもたちも色濃く神秘性を帯びる結果となる。この女性は西洋の物質主義的現実に染まりきっていたクロウジアを神話的世界へ導くガイドいいかえると巫女の役目をはたす。

 

癒しという点ではもう一人の人物が思い浮かぶ。極悪非道なヒッキー(hickeyはアメリカ英語ではキス・マークをさすが、本作ではドラキュラによる咬み痕みたいなもので死の国の使者であるこの男をイメージさせるものとしてつけられたのかな?でもこれはこじつけだなと自分でも思う)とは対極の存在である船医Dr Goodsir(グッドシーアあるいはグッドサー、語源的には「陽気な見かけの人」をいうらしい。一説にはthe son of Gudhirとか anickname for an elderly and venerable gentlemanとも)だ。彼は船医として必要とされる応急治療の経験がない解剖学者という設定になっている。当初四人いた船医のうちで彼だけが初期治療を担当できる一般医(general practitioner、略してGP)の経験のもたないある種頼りないい「医者」である。しかしこの船医はクロウジアとちがい柔軟な倫理観の持ち主で誠心誠意危機的状況に対応する好人物だ。人間の「良心」の象徴というべきか。残酷あるいは殺伐とした状況描写が続く中でグッドシーアは読者にとって癒しとなっているのではないか。

 

この小説は史実とフィクションの混交が特徴的だ。歴史的出来事を都合よく利用しておもしろおかしい架空世界を描いたものではない。読者の心を日常的世界の束縛から解放して新たな次元で人間存在を問い直すきっかけを与えてくれるだけのエネルギーを秘めた作品だ。私は一読者として主人公クロウジアを通して人間の魂の遍歴をたどるような気持ちを味わったように思う。さすがSF小説の大家Simomonsっだけのことはある。壮大な規模で描かれるSF的時空間に似てイヌイットの現実世界の背後に隠れた神話的世界をかいまみせてくれているのだ。

 

ネットで英文書評をいくつか拝見したが、結末の付け方に不満な向きもあるようだ。話がありきたりのオチでくくられているといわんばかりだ。クロウジアが英国人としてのアイデンティティを捨てイヌイットの女性と結ばれる生き方はメロドラマに堕しているという思いなのだろうか。不満を感じる評者たちは主人公クロージアが探検隊のなかでただ一人生き延びたことについて自分自身をどう納得させるのか。その点を作者に掘り下げてもらいたかったということなのか。しかし、思うに安っぽい啓蒙書ならいざ知らず小説などの作者は神ではない。そういう探求はむしろ作者が読者に任せるべきものではないだろうか。

 

最後に蛇足をひとつ。作中では北極海域に到達した129名の探検隊員の内でただ一人生き残るクロウジアだが、その苗字の由来を考慮すると 死者(遭難者)たちの鎮魂を司るにふさわしいのではないだろうか。とはいえこれは私の単なる妄想であって作者がそう意図したかどうかは知らない。Crozierという姓の由来は一説によるとキリスト教の儀式で十字架(あるいは十字架をとりつけた司教の笏杖)を捧げもつ者をさすらしい。(This interesting surname is of early English and French origin, and is an occupational surname for the bearer of a cross or a bsihop's staff in ecclesiastical precession, or of the cross at a monastery.)また普通名詞としてもそういう笏杖を意味するとのこと。

 

しばらく時間を置いて再読してみたい。新たな発見があるような気がする。