芸能・舞台芸術の世界とプロフェッショナリズム

世界のバレエ界で屈指のベレリーナ、ウリャーナ・ロパートキナ(1973年うまれ)の半生を描く実録映画『ロパートキナ 孤高の白鳥』(2014年)が1月から東京で、3月になってからは大阪で上映中だ。神戸は3月12日から。ネットで見る限りでは全国各地ではなさそうだ。バレエは濃いファンがいるはず。しかし万人受けしそうにないのでどこで上映しても採算がとれるわけではないのかな。なにかもったいない気がする。このドキュメンタリーを見てバレエに開眼する人がたくさん出てくると思うのだが。

 

ちなみに私はバレエに関しては初心者だ。今年1月渋谷のBunkamuraで上演されたロシア北西部のサンクト・ペテルブルグに本拠を置く「マリインスキー・バレエ団 Mariinsky Ballet」の来日公演『海賊』を見てその豊かな演劇性に感動したばかりのひよっこ。

 

この映画はタイトルからうかがえるように劇団「プリンシパル (principals、主役を演じる資格のあるーソロで踊れる幹部団員)」 の一人であるウリャーナ・ロパートキナ(英語表記:Ouliana [あるいはUlyana] Lopatkina)の半生を追っている。(彼女を紹介した英語サイトは検索語 Ulyana Lopatkina - Russiapedia Opera and balletで見つかる。また現在劇団プリンシパルは14名いる:  www.mariinsky.ru/en/company/ballet/soloists/)。   


ロパートキナは1973年10月クリミヤ半島東端の工業都市ケルチで地道な生活を送る共働き家庭に生れた。まだ小学生のころ伝説的バレリーナたちの写真を見たことがきっかけでほとんど突然バレエに対する興味が生まれる。10歳でサンクト・ペテルブルグにあるロシア有数のバレエ学校 Vaganova Ballet Academyに入学。毎年70倍前後の競争率らしい。故郷ケルチを離れること1,700 kmもある。入学当初はバレエの才能ありとは認められず屈辱感に耐えなくてはならなかった。おまけにひどいホームシックにも苦しむ。だが9年間の修業期間が終わるころには教師たちも彼女をトップクラスの学生と認めるようになる。

 

三十歳を目前にしてロパートキナはバレエダンサーにつきものの足のけがが悪化し長期休養が必要となる。そしてもう一つの大仕事、つまり自ら選んだ妊娠・出産も世界的レベルのバレリーナの地位を保持するという固い決意のもとに克服する。これだけの大仕事を完遂した彼女だが、カメラがとらえたロパートキナは実に偉ぶらない人だ。たとえば久しぶりに訪問したらしい母校での彼女の態度や表情は彼女の純真さ、謙虚さをよく物語る。感動した。

 

ロパートキナの意思の固さ、不屈の精神そして自信はすべて謙虚さという基盤に根ざす。彼女のプロ意識(プロフェッショナリズム)は尊大さではなく謙虚さとしてあらわれている点が強みだし、人の心をうつ魅力でもある。

 

ロパートキナが学んだ Vaganovaにおける(素人目には猛烈、過酷な)授業風景、生徒たちの日常生活はフランス人監督 Bertrand Norman の手になる実録映画 Bellerina(2006年)でうかがうことができる。この映画ではマリインスキーやボリショイのバレエ団に所属して世界的に活躍するロパートキナをふくむ5人のバレリーナの成長過程が描かれる。フランス語とロシア語中心の音声に日本語字幕がついたDVDが発売されているというのでネット通販などあちこちさがしたが、どこも在庫なしという現状である。だが、英語字幕版なら今のところyoutubeで長さ77分の映画の全編を視聴可能だ。「bertrand norman ballerina 2006」で検索すると見つかる。

 

ところで大衆演劇の役者、とりわけ若手は自分のプロフェッショナリズムをきちんと養おうとしているだろうか。プロの役者になろうという固い決意が感じられる人はあまり多くなさそうだ。経験を積んでも名人、上手になるのは本の一握りだから現状を変える必要はないかもしれない。だが、若い役者たちは未熟な段階であるとはいえ、大成する可能性は否定できない。生得の才能は別にしてだれでも努力次第でいい成果はえられるはずなのだ。にもかかわらず若さはなんでも許される特権だと勘違いして未熟さに居直る向きがあるように思う。

 

過去1年近く今後ますますの成長を期待し応援している劇団にあおい竜也座長率いる「一竜座」がある。劇団若手男優といえば座長の息子さんである暁龍磨と希有な名人踊り手である白龍さんの息子とくたろう。この若手二人は身近にあおい竜也と白龍という理想的な師匠がいるにもかかわらず自分たちの若さに執着するばかりで成長がとまっているように思う。若さ溢れる身体と精神にのみ可能な斬新な振り付けの踊りの魅力は否定しない。しかし本格的な踊りの基礎を習得せずにいくら若さをアピールしても今という瞬間だけしか価値が持続しないだろう。単に洋風ダンスを上手っぽく踊ってみせても大衆演劇界以外の素人でも同等に、いやもっと上手なダンサーがいるはずだ。プロとして生きていくつもりなら正統派の踊りを謙虚に学んだうえで自分たち独自の踊りのスタイルを将来を見据えながら築いてほしいものだ。それが真のプロフェッショナリズムとして将来生きてくるのではないだろうか。