劇団「時遊」は精神的に即刻自立すべき — 人(Waka-maru)頼みは自滅をまねく

2016年4月、大阪十三「遊楽館」

「時遊」は3年前の大阪公演(梅南座、名生座)で見て以来久しぶりだ。劇団「絆」(錦 蓮座長)と合同公演だった。口上挨拶が楽しかったことが記憶に残る。ようやく近くに来たのだから行ってみる気になった。

 

4月9日(土)『三下剣法』(弱虫男が苦い経験を通して自立する悲劇)

弱虫の百姓男、松(座長烏丸遊也)が強い男になりたくてある梵天親分(都川 純)のもとでヤクザ修行をするが、挫折し帰郷。ところが気の強い母にもう一度やり直してこいと追い出されてしかたなく元の一家にもどる。しかし松の留守中、病気ですっかりにらみのきかなくなった梵天親分の一家は対立する鮫津(ゲスト? 甲斐浩志)の一家に今にも乗っとられる危機を迎えている。まず松の兄貴分(ゲスト 優木 誠)が謀殺される。その後梵天親分とそのひとり娘およね(雲母坂美遊 [きららざか・みゆ])もだまし討ちにかけられる。そこへ嫌々もどる松。弱虫根性はあいかわらずだが、おたおたしながら鮫津一家ともみあううちに偶然にも親分一家の仇討ちに成功。ようやく任侠心が芽生えてくる。

 

気の弱い主人公「松」役の座長は自分の外見を効果的に生かして好演。しかしこの座長より落ち目のヤクザを演じた都川 純演技力はすごい。演技のスタイルが古いのなんのというような批判をこえたレベルで名役者とよぶにふさわしい。

 

4月10日(日)『黒潮の兄妹』(性根の腐りきった女、人の子の母親でもあるこの女が原因で心根のやさしいその子どもたち(兄と妹)が命を失う暗黒悲劇)

貧しい漁村。寡婦のツネばあさん(十 川流 [つなし・せんりゅう])は寄る年波からか昔のように男漁りこそ しなくなったもののあいかわらず身持ちが悪い。日にち毎日飲んだくれている。ツネは娘オシン(雲母坂美遊)に男でも辛い灯台(江戸時代のよび名は「灯明台」トウミョウダイ)の番人の仕事をさせ、稼いだ金を酒代にと巻き上げるありさま。親様の名にあたいしない輩である。飲み代ほしさに土地の代貸(都川 純)が代官まで抱きこんで仕組んだ悪巧みに加担する。この悪巧みとは毎年上浜と下浜のふたつの集団からなる地元の漁師たちが漁業の優先権を賭けて夜間に競争をするらしい。安全航行の頼りになる灯台の存在意義は大きい。その際、代貸に都合の悪い、つまり儲け話にならない集団(上浜か下浜か失念)が先に浜に近づいた場合は灯台の火を消して難破(水死)させようというのだ。そうすれば二千両だかの大金が代貸の懐に入る算段。そこでツネばあさんが親の権威で灯台の番人をつとめる娘を説き伏せて明かりを消せばすべて策略どおりになり、礼金をツネにくれてやるというのだ。ツネは二つ返事で引き受ける。

 

やがて主人公シンタロウが登場。この男、実はオシンの兄でツネの息子である。シンタロウはツネの死んだ亭主の考えで捨て子を拾って嫌々育てたという事情があってもともとツネはシンタロウを嫌っている。父親の死後性根の悪い「母親」ツネを嫌ってシンタロウは出奔し渡世人になっている。ハハとムスコの関係は最悪。帰ってきたムスコは邪魔者でしかない。ツネは両の金儲けのことで頭がいっぱい。帰郷してもいづらくなったシンタロウは再度旅烏にもどろうと家を出る。ところがツネは自分で競争のなりゆきに応じて灯台の明かりを操作しようと娘オシンから灯台の番小屋の鍵を奪いとる。その後代貸の手先(優木 誠)が企みの邪魔者であるオシンに傷を負わせて番小屋に近づけなくする。血を流しながらもオシンは番小屋へ。シンタロウも異変に気づき、番小屋へ駆けつける。そこで妹(オシン)とツネに出くわす。隙をねらってツネはシンタロウを刀で刺す。深手を負いながらもシンタロウは血のつながらないうえに母性愛もない性悪女なら親様ではないと言い訳してツネを殺す。妹が息絶えたことを知って絶望したシンタロウが自害する。善人がふたりとも死んでしまうという救いのない悲劇だ。

 

都川 純はいつもながら名演技。今回は新しい発見が。私が知るかぎりいつも十 川流はセリフの少ない脇役だったが、この日は違った。性悪な人間をみごとに演じきっていた。芝居がうまい!都川 純に比較できるほどの芸達者なのだ。この果てしなく暗い悲劇を重厚な作品にする功績は都川 純と十 川流にある。座長はまだこのふたりにかなわない。

 

ちなみに雲母坂美遊も芝居上手だ。男女とも若手は大概セリフと顔の表情が連動しない。顔に芝居らしい表現が出てこないことがほとんどだ。だが雲母坂美遊は表情が豊かに変化する。

 

こういうぐあいに劇団「時遊」が芝居上手だと褒めたうえでひとついいたいことがある。座長が芸の面で都若丸に直結していないにもかかわらず、なぜことさらに「若丸一門」を口にするのか理解できない。「ミックス・ジュース」の猿マネなどもってほほかだ。

 

都若丸のおじである都川 純は(人づてに聞いたにすぎないが)若丸に時代劇演出のツボを伝授した御仁なので若丸を話題にするのは理解できる。しかし座長は若丸に恩を売ったわけではない。母の夫であったらしい都川 純を接点に若丸と関係づけられるに過ぎない。(個人的に思うのだが、TVのバラエティー・ショーの延長線上にあるにすぎない都若丸劇団をモデルにしてどういう意味があるのか。たいして数も多くない手持ちのパターンをリピートしているだけの都若丸劇団に将来はない。)

 

烏丸遊也は劇団「時遊」の座長としての矜持をもつべきだ。自分の芸の手本とできるベテラン役者ふたり(都川 純と十 川流)がそばにいるではないか。それに芸の習得に熱心な雲母坂美遊もいる。(すでに退団したらしい 川咲 碧がいれば劇団にとっていっそう好ましいと私は思うのだが。)人頼みの根性は腰が引けていることを世間にばらすようなものではないか。マイナスになるだけ。

 

それにしても、いや人頼みの根性だからか、大阪で集客できないことにもっと危機感を覚えるべきだ。認知度が低すぎ。

 

それからもうひとつの疑問。今月だけのゲストとはいえ優木 誠(元・見海堂劇団「笑泰夢」座長)に芝居でもっと重要な役を振るべきだ。

 

ちなみにむすこさんである「専務なおや」も6年ぶりか。2010年当時静岡県浜松市に住んでいたが、地元の劇場「浜松健康センター バーデン バーデン」で優木 誠親子の舞台を見たことがある。あのころは専務なおや君も就学前で今は小学6年生かな。京娘の舞踊が達者で感心した。

 

劇団「時遊」よ、誇りをもて!

 

<予定外題など>

4月14日 『新吾捕物帳』

4月15日 特別ゲスト「松山勘十郎」一座(「大衆プロレス」だとか。松山勘十郎のツイッターをご覧あれ:https://twitter.com/kanjyuro_osaka?lang=ja

4月16日 『新月桂川