大衆演劇 ゲスト公演 その意義を問う

 「劇団花吹雪」はその名称どおり公演内容が華やかでウィットに富んでいるのだと最近ようやく気づいた。関西公演があればぜひ観劇を重ねて応援したい思いでいっぱいである。

 今月(2016年11月)はわたしにとって足場のいい京橋羅い舞座だ。8日の昼公演を見た。芝居は『千里の虎』、京之介座長がタイトル・ロールtitle roleで主演。物語は一家の親分のお嬢さんをめぐる兄弟分どうしのあつれき。京之介演じる兄貴分の虎は弟分(伍代つかさ)にお嬢さんを譲る。この兄貴分はあくまで親分に忠義を尽くしお嬢さんに対してはプラトニック・ラブで踏みとどまる。実にかっこいい兄貴分を演じる座長の演技は充実している。

 本質的にシリアスな芝居だが、随所にこの劇団ならではの笑いをはさみこんでも芝居全体のバランスをくずさない。さすが劇団花吹雪だけあっておみごと。

 でも若い役者が多いこの劇団の将来を考えるともうひと工夫するべきではないか。いまや全国区になったといえる「大阪のお笑い」センスをもつ強みを生かす手だてをひねり出してほしいところだ。

 たとえば、結末部だが、なにわ節風演歌の響くなかミエをきる虎。憧れのお嬢さんを断念した苦い思いを噛み締める虎の心情はよく伝わる。これはこれで上手な締めくくりだ。

 だが正直言っていささか伝統に依拠しすぎという感がいなめない。この結末を虎の秘めたる思いを表出しながらも喜劇的演出できないものか。春之丞と京之介がそれぞれに強みとするお笑いセンスならひと工夫もふた工夫もできると信じたい。

 

 ここから愚痴、不満を少しばかり。ゲスト公演は必要かなと疑っている。大物をよぶ必要があるのか。観客、少なくとも私は「劇団花吹雪」特有の舞台が楽しみなのでせっかくの大物ゲスト出演もただ単に不協和音を生みだすことにしかならない。

 ただし11日は(すでに劇団を解散した)伍代孝雄だが、これは劇団との古くからのかかわり合いを考えれば納得しよう。また先々月(9月)神戸新開地劇場で見た『龍馬と近藤と沖田と時々ゴルフ』で無骨ながらユーモラスな近藤勇を怪演した伍代孝雄を思い出すと花吹雪公演に「時々・伍代」というのは観客にとってうれしい。

 それから不満をもう一点。伍代つかさは所属劇団が解体して舞台に立つ機会が制限されている事情は理解できる。しかし師匠である伍代孝雄の威光を借りて長期ゲスト出演する根性はいただけない。師匠に対する尊敬の念は失わずにいっそのこと他劇団へ入団することも考えるべきだ。あるいはフリーランスで全国を股にかけることもいい。師匠頼みの心根がいつまでも続くようでは役者として成長しないだろうと危ぶまれる。