人と神の狭間で —— 鬼才のバレエダンサー、セルゲイ・ポルーニン

ドキュメンタリー 映画『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』(2016年)

原題はDancer、監督はアメリカ人Steven Cantor。

 

 芸術的伝統と教師に対する絶対的服従・規律が不文律のバレエ界にあって反逆児・問題児(bad boy)とよばれてきたポルーニン(1989年生まれ)の幼少期から現在までをとらえた映画。幼少期の動画はCantor監督が関係しないホーム・ビデオを使用。まだわずか27年の時間を生きてきた若者の姿をとらえた作品だが、痛々しくはあるが崇高な魂の遍歴を浮かび上がらせる傑作だ。

 一見人並みはずれて強烈な自我の持ち主とも思えるポルーニン。上達するために身を削り、いのちを削るような努力を傾けるポルーニン。だが映画が描き出すこの青年はバレエ界の極め付きの天才的ダンサーであると同時に繊細で心優しい。自分をバレエに専念できるようにと自己犠牲を惜しまない両親と父方、母方双方の祖母という身近な家族に対する愛情と思いやりに溢れる一人の人間でもある。

 (ロシア南西部で国境を接する)ウクライナ南部の小都市ヘルソンのどちらかといえば貧しい家庭で生まれ育つ。母はまだ幼い一人息子の運動能力の高さに気づき、やがて地元の体操教室へ。息子に対する母の野望的期待感は募り、ウクライナの首都キエフのバレエ学校に入学させる。

 キエフはヘルソンから450キロも離れている。高額の授業料と(母子)の滞在費を賄うため父は遠く離れたドイツやポーランドへ、また母方の祖母はギリシアまで出稼ぎに行かざるをえなかった。家族はバラバラになる。

 13歳になったポルーニンは母ガリーナの勧めがあって英国の世界的名門バレエ学校Royal Ballet Schoolに挑戦。念願叶って入学審査に合格する。

 しかし在学中に彼の心をはげしく苛む出来事が。愛する息子に会えない年月が長く続く父ウラジミールは苦しんだあげく離婚を決意。事後にそのことを知ったポルーニンは大好きな父と同じように大好きな母が離婚したことに大打撃を受ける。以前から学費の資金を得るために外国にまで出稼ぎに出ている父や祖母に強い負い目を感じていたポルーニンの心の傷はいっそう深まる。

 ところで彼の経歴は異例ずくめだ。キエフのバレエ学校でも注目を浴びる優等生だったし、世界屈指のRoyal Balletでは最年少の19歳でバレエ・ダンサー最高位のPrincipalの称号を与えられる。これはもちろん彼の才能と努力の賜物だろうが、そのために支払った身体的、精神的自己犠牲は想像に余るものにちがいない。

 なぜポルーニンは異端児、bad boyなのか。所属するバレエ団では教師に反抗するわけでもないし、生徒同士で悶着を起こすこともない。しかし身体中に刺青が。そもそも名門バレエ団の中にあって刺青を入れるのは極めて異例らしい。素肌を晒す機会が多いバレエダンサーの場合刺青はタブー中のタブーだ。そのうえ過酷な身体訓練が原因の筋肉や関節の痛みを抑えるために(ドラッグもどきの)鎮痛剤や興奮剤を多用するまでになったポルーニンである。

 見落としてならないのは映画が彼の異端児ぶりを強調して物見高い世間の耳目を集めようとはしていない点だ。この90分ほどの映画で強く印象に残るのは愛する家族に犠牲を強いている自分に対する呵責の念だ。この呵責の念が悪魔的な鬼気迫る演舞につながっているのではないか。群舞であれソロであれポルーニンの舞台姿は<宗教的求道者>を彷彿させる。感動すると同時にその痛々しさにショックを受けてしまう。

 両親の離婚は自分のせいだという後悔の念に苛まれ続ける。その一方でといよりむしろ罪深い己を罰する意味もあってバレエの修練にご没頭するポルーニンだった。それにもかかわらずprincipalを認定されて2年も経たないうちに退団を決行する。その唐突ぶりに周囲は驚く。が、彼にとっては自分が原因で家族はバラバラになり果ては両親の離婚に追いやるという罪の十字架を背負っている以上バレエダンサーとしての己に過酷な修練を貸さざるをえなかったように思える。<宗教的求道者>の道は必然なのだ。

 退団後ロシアに帰国。モスクワとノボシビルスク(ロシア南部)を拠点にバレエダンサーとして活躍している。

 幸運なことにモスクワでバレエの指導者イゴール・ゼレンスキー(Igor Zelensky、1969年生まれ)と出会う。バレエのテクニックのみならず精神面の指導者。同時に代理の父親でもあるかもしれない。ポルーニンは父親が息子の学費を稼ぐために外国へ出稼ぎに出ていて少年期から青年期にかけて何年も父親に会えない悲惨な状態を経験している。(その点では父親も同じ思いを味わった。)彼にとってゼレンスキーは「バレエの師匠」であるより先に「父親」であるに違いない。

 その一方で究極のバレエを極めたいポルーニンはZelenskyにおそらく自分と共通する求道者の姿を感じとったのだろう。

 ポルーニンは英語でツイッターを発信している。

 このツイッターで知ったのだが、彼は映画に出演している。日本でも12月はじめに公開されるご存知(アガサ・クリスティ原作)『オリエント急行殺人事件オリエント急行殺人事件」にあまり重要な役ではなさそうだが、アンドレニ伯爵 (Coutn Andrenyi) 役で出演。監督が英国の名優ケネス・ブラナーでキャストには監督をはじめジョニー・デップウィレム・デフォーなど有名どころがずらり。 https://www.cinematoday.jp/news/N0095239

予告編は https://www.youtube.com/watch?v=Mq4m3yAoW8E

 

 2ヶ月ほど前に見て以来2度目だが改めて見ていっそう感動を覚えた。

 現代バレエ界の男性ダンサーといえばポルーニンとバンジャマン・ミルピエBenjamin Millepied(1977年生まれ)を連想する。ミルピエも平坦な道を歩いてはいない。世界トップクラスのパリ・オペラ座バレエ団の総監督に抜擢されながらわずか1年余りでバレエ団をさらざるをえなかったミルピエ。彼は世界に冠たる名門とはいえ旧弊な伝統にがんじがらめになっているパリ・オペラ座バレエ団に人間的な新風を吹き込みたかった。だが頑固な「体制」がそれを許さなかった。現在ミルピエは第二の故郷たるアメリカはロサンジェルスで自分が理想とするダンスを追求している。 

 

 まだ未見ならぜひ『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』の予告編(4分)をご覧あれ。

  http://www.uplink.co.jp/dancer/

 (同じ内容)https://www.youtube.com/watch?v=YXsP-AAL-7M

 またポルーニンの魂の叫びを響かせる動画もある。映画の後半でも紹介されるが、世界的歌手Hozierのデビューシングル「Take Me to Church」(2013年)のために制作されたミュージック・ビデオ。

  https://www.youtube.com/watch?v=NbIioFdE7Ak

  Sergei Polunin, "Take Me to Church" by Hozier, Directed by David LaChapelle

これを見ると活躍する場面は異なるが、HozierとPoluninの二人とも並外れた才能だと実感させられる。また撮影と監督を担当したDavid LaChapelleも芸術的感性がすごい。偶然とはいえ、この監督の苗字そのもの(チャペル)が祈りの場(教会)なのがおもしろい。

 ちなみにアンドリュー・ホージア=バーン(Andrew Hozier-Byrne、1990年生まれ)アイルランド人。

 他に、Cantor監督との対話動画(字幕なし、25分)

  https://www.youtube.com/watch?v=NbIioFdE7Ak

 

余禄。ポルーニンのRoyal Ballet退団が引き起こした衝撃がオンライン新聞で読める。例えば、

What's really behind Sergei Polunin's Royal Ballet emergency exit ...

https://www.theguardian.com › Arts › Stage › Royal Ballet 2012/01/26

Royal Ballet 'in shock' as dancer Sergei Polunin quits - BBC News

www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-16714921

 

 彼はロシア語に似たウクライナ語が母国語。ポルーニン関連のサイトをあさっていてウクライナ語のサイトに出くわしても(自動翻訳)「Google翻訳」を利用すれば自分に都合のいい言語に翻訳できる。英語に転換すると信頼度はかなり高い。