『新世紀、パリ・オペラ座』 ー 視点がユニークなドキュメンタリー映画

原題L’Opera、2017年公開、Jean-Stéphane Bron監督作品

 

芸術家のみに焦点を当てる平面的、一元的芸術至上主義を排して芸術の創造をいわば(昆虫のもつ)複眼を思わせる視点でとらえていて斬新であり説得力もある。

 

ドキュメンタリー映画において芸術家に焦点を当てることが即平面的、一元的になるとは言えないことは承知している。最近の例ではウクライナ出身のバレエダンサーを描く『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』(2016年、Steven Cantor監督)はポルーニンが成長する姿を幼少期から追って迫力のある作品に仕上がっている(2017年10月日本公開)。

 

通例この種の映画では被写体に不利益を被らせる恐れのある映像は撮らないし削除するだろう。リアルな「舞台裏」が印象に残る。私にとって一番衝撃だったのはオペラ座バレエ団のプルミエ(premier常時主役を張るダンサー)が舞台で華やかに踊ったあと舞台袖に引っ込んでから激しい息づかいをして苦しむ姿だ。芸能界、芸術界のスターが絶対人に見られたくない姿ではないか。(本人も承知の上だろうが)そんな姿がスクリーンに大きく映し出される。

 

このドキュメンタリーは本番中のバレエダンサーやオペラ歌手よりもむしろ舞台裏、「裏方」をとらえた場面の方が多い。一口に裏方といってオペラ座を総指揮する管理、運営部門のトップStéphane Lissner総裁(1953年生まれ)だけではない。もちろん彼は財政の維持、在籍団員の監督、新規採用の団員の選考、公演初日間際の出演者の交替、(フランスでは強大な社会的勢力を誇る)労組との交渉などありとあらゆる問題を処理しなくてはならない。さらに(最近世界の大都市で発生するようになった)イスラム過激派によるテロ事件もオペラ総裁と無関係ではない。2015年11月パリ近郊および中心部で起きた事件では130名が命を奪われた。そのうち90名はロック・コンサートの会場であったBataclan劇場(パリ市内)で亡くなっている。オペラ座もけっして安全ではない。

 

しかしこの映画がユニークなのは総裁のような最上級(および中級)の裏方の面々だけだなく、下働き、いや最底辺の裏方にもしっかり目を向けている点だ。オペラ歌手の付き人、衣装の選択係、果ては劇場内清掃担当の人たちも映し出される。エスカレーターの手すりを延々と拭き続ける人もいる。

 

こういう『新世紀、パリ・オペラ座』の視点の斬新さは芸術創造について面白いだけでなく重要な事柄を気づかせてくれるように思える。つまり精神性の極みをめざす芸術だが、そのことを可能にするのは生身の人間が様々な関係を結んでいる現実世界があってこそなのだと。

 

華麗な舞踏で観客を魅了するバレエダンサーや神がかった美しい音声を響かせるオペラ歌手も舞台の裏では生身の肉体という桎梏から逃れられないのだ。病気、怪我、事故などなど。

 

アメリカ人(?)映画批評家Boyd van Hoeij がこの映画のレビューの文中でいう言葉は説得力がある。「『新世紀、パリ・オペラ座』から汲みとるべきメッセージとはなんの苦もなく成就したかのようなふりをする芸術はホンモノと言えないのではないか、と。 (出典:https://www.hollywoodreporter.com/review/paris-opera-review-992276 このサイトでは1分50秒の予告編も視聴できる。)

 

ちなみに映画冒頭に登場し、その後も何度かカメラがとらえるロシア出身の若きバリトン歌手Mikhail Timoshenkoは2016年に期待の新人としてオペラ座でデビュー。歌手としての才能もさることながら性格がじつに良さそうだ。初々しさが全身に溢れている。2年契約だそうだが、プロの歌手として過酷な競争に放り込まれている。現在どうしているのか気になってネット検索したらオペラ座で着々と業績を積んでいるようで安心した。オペラ座の紹介記事はこちら:https://www.operadeparis.fr/en/artists/mikhail-timoshenko