長谷川伸の名作『瞼の母』、恋川劇団による泣かせる芝居

「桐龍座(きりゅうざ)恋川劇団」 鈴川真子誕生日公演

2018年1月22日、新開地劇場

純座長(番場の忠太郎)と鈴川真子(生母だが、現在は料亭「水熊」の女将おはま)さんの親子共演

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座長の母に対するオマージュの思いが込められた演出。母と子の見えない絆。見えないゆえに実感できない不安にかられざるをえない。

 

やむをえない事情があって愛する息子を後に残して後ろ髪を引かれる思いで婚家を去った母おはま。分かれて30年の歳月、母は世間の苦労を散々舐める人生を送る。文無しで巷さ迷った時期もあった彼女は夜鷹にまで身を落としたこともあったらしい。それでも母の子に対する思いは変わらない。ただし彼女にとって辛いことは風の噂で忠太郎が九つの歳に死んだと知ったこと。それ以後死んだ子の歳を数えて生きてきた。

 

おはまは息子忠太郎の姿を夢に見続ける。夢の中の忠太郎は理想化されざるをえない。なのに忠太郎が生きていたばかりかヤクザ姿で現れる。人の心の闇を見ざるをえない経験をしたおはまは偽忠太郎が財産目当てで名乗って出たと勘ぐってしまう。傷心の思いで追い返される忠太郎。

 

その後娘(忠太郎の異父妹)のとりなしもあって忠太郎の後を追うが忠太郎は姿を隠す。母が家を出てから彼の心に育まれた<瞼の母>に対する熱い想いをさらに熱くしながら忠太郎は流浪の生活に戻る。悲劇を浮き彫りにする演出で素直に泣ける芝居に出来上がっていた。

 

一方今回の演出とは別の演出もありそうな気がする。忠太郎だけでなく母の思い、心中にも焦点を当てると母にも<瞼の息子>があったのかもしれない。思い通りにならない現実に置かれていると人は愛情や思慕の対象を幻想化するものではないだろうか。その結果事実よりもそういう<幻想>の方がより大きな価値をもつ。母の複雑な心中。

 

「おはま」役を女優さんが担当すると母としての素直な、いや、素直すぎる母性愛が否応なくにじみ出てしまいそうだ。

 

こういう母性愛の強調はすでに多くの舞台やスクリーンで見られていてももう一つインパクトがない。そこで「おはま」を男優が演じると原作に秘められている未知の可能性が出るのではないか。恋川劇団の場合、初代 恋川純(太夫元)のおはまを見てみたい。今回は(今回だけに限らず毎回そうらしいが)おはまの夜鷹時代のほう輩おとらを演じる初代 恋川純だが、いつか女形でこの二役を演じ分けてほしい。鬘、衣装それに化粧を変えれば初代 恋川純は見事にやってのけるだろう。    

 

舞台での男優による<おはま>像は2年前「劇団 悠」(大衆演劇)で見た藤 千之丞の演技が印象に残る。また歌舞伎では去年(2017年)12月、市川中車(忠太郎)を相手におはまを演じた坂東玉三郎の名演技が記憶に新しい。

 

男優が持つある種の強さ(こわさ)が女形でも表出され、長谷川伸が創造したおはまのキャラを複層的に浮き上がるように思う。忠太郎にとって<瞼の母>こそが母であるのと似て、おはまにとって20年以上に渡って世間の冷たい風に晒されながら心に育んできた「忠太郎」、いわば<瞼の子>こそがホンモノの「忠太郎」なのではないか。二人はそれぞれに<ずれ、すれ違い>に苛まれていて、それが二人のそれぞれの悲劇なのだという気がする。

 

ちなみに、玉三郎・中車による歌舞伎版では老いた夜鷹を名脇役で歌舞伎の名題(なだい)役者たる(三代目)中村歌女之丞(なかむら かめのじょう、1955年生まれ、成駒屋)が演じたが、女形歌女之丞も賞賛に値する役者ぶりだった。

 

おまけ。玉三郎と中車の朗読劇(2014年10月が動画で201510月にアップされている。

https://www.youtube.com/watch?v=8Glm6QgC-YI

お二人とも実にいい顔をなさっている。

この公演は2014年10月の演劇人祭のものだとか。

http://www.kabuki-bito.jp/news/2014/09/post_1198.html