笑いのきっかけのない狂言は辛い

2018/02/03(土)14時開演【公演名】春秋座 能と狂言 京都造形芸術大学内京都芸術劇場 春秋座 ・プレトーク: 片山九郎右衛門、松岡心平、渡邉守章. ・狂言「清水座頭」野村万作野村萬斎. ・能「三輪〜白式神神楽〜」 観世銕之丞(シテ) 森常好(ワキ)、深田博治(間)  藤田六郎兵衛(笛)、大倉源次郎(小鼓) 亀井広忠(大鼓)、前川光範(太鼓)

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最初の演目?「プレトーク」では片山九郎右衛門さんのお話をもっと聞かせてほしかった。こんなに弁舌さわやかなのだから半時間近い独演会形式が望ましかったのでは?

 

次に狂言「清水座頭」。私は初見だったが、いくら狂言がゲラゲラ笑うものばかりではないとはいえ、もう少し笑い、上品な笑いを誘う演出があってよかったのではなかかと思う。特に結末で願かけに清水寺をおとづれた男女が「結ばれる」場面では観客が素直にほほえみ、祝福の思いがこもる軽い安堵の息をもらす工夫がほしいところだ。

 

万作、萬斎の親子共演だったが、盲人、いや視覚障害者の身ごなしを表現する芸は萬斎さんは父親にまだまだかなわない。万作さんの杖をついて歩行する姿は表面的リアリズムを超越して芸能の表現の域に達している。それに対して萬斎さんはどう見ても晴眼者(目あき)の歩き方でしかない。今後の精進を期待しよう。

 

余談ながら、Professor 渡邉 Moriartyの発言に引っかかるところあり。世間では若い時分からイケメンとして広く認知されている)萬斎さんは(狂言の女の被り物 である)ビナン鬘がよくお似合いだとおっしゃった点。

 

う〜ん、そうかな?女性を演じる狂言方で一番愛嬌があって色気も漂わせるのは京都の名門狂言一家の茂山茂さんをおいて他にはないと思う。でもこれは私とProfessor Moriartyの個人的見解の違いでしかないかな?

 

ネットの能楽用語事典によると、

「びなん」:狂言の女役に多く用いるかぶり物。絹麻などを用いた長さ約5メートルの白布で、演者の頭部に巻きつけ、顔の両側に布を垂らして端を帯に挟む。狂言の女役の多くは素顔で演じるが、ビナンを用いることで、男性演者が女性を演じる不自然さがなくなり、また、狂言の女たちが持つ明るさや力強さが表現される。美男鬘、美男帽子ともいう。http://db2.the-noh.com/jdic/2012/11/post_342.html

 

さて今回の件6千円も払って期待していた能「三輪〜白式神神楽〜」なのに急用で狂言の後退席しなくてはならなかった。残念。

 

舞手もさることながら六郎兵衛ら囃子方の楽の音にふれたかったのにこれまた非常に残念だった。

 

ちなみにこの作品中に影を落としている「美輪」伝説は天の岩戸伝説や苧環伝説などが絡んでいて広大な神話的宇宙へと想像を誘うらしい。

 

中でも苧環(おだまき、つむいだ麻糸を巻いて中空の玉にしたもの)をめぐる伝説や説話は北海道から沖縄まで日本各地に伝わるそうだし、古代ギリシャアリアドネの糸も連想される。

 

夜毎忍んでくる<男>に当の娘がその正体を知ろうとして相手の着物に糸を通した針を刺しておく。(アイアドネの場合、糸が窮地を脱する手がかりになるのと違って)日本の苧環伝説は異性の訪問者の正体を知る手がかりとなる。さらに今回の三輪伝説に基づく能作品では三輪明神が<女体>とされているという複雑な構造になっている。作品に対するアプローチの手がかりがいくつもあって無責任に想像の翼を広げる分には面白いといえば面白い。

 

帰宅後youtubeで『三輪』能を見つけとりあえず満足できた。喜多流福岡喜秀会が平成8年9月大濠公園能楽堂(福岡市)で公演したものだ。シテが女性で藤木治子さん、ワキは坂笛 融さんだった。https://www.youtube.com/watch?v=9L8Eweq0KKo