夙川瓦照苑で <異界>体験

照の会シリーズ「舞囃子の会」  夙川能舞台 瓦照苑  平成30年2月17日(土)午後2時、2千円 ・舞囃子「養老」上田顕崇 ・舞囃子采女」上田拓司 ・舞囃子「歌占」笠田祐樹 ・舞囃子「葛城」上田宜照  囃子方を含む全出演者の詳細はhttp://www.kanshou.com/kouen_1.htm

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阪急神戸線夙川駅に近い<瓦照苑>というこじんまりした能楽堂は今年の1月2日「松囃子」と題された舞初めを見たのが最初。演者を初め会場の雰囲気までもがとても爽やかだったことが記憶に残る。また客席から窓越しに夙川沿いの松林が見えるので能楽鑑賞の気分を盛り上げてくれる。今日で2度目の訪問。

 

舞囃子が四番。若手、中堅、ベテランが共演し演者がそれぞれの技量を最大限発揮しようとする気概の感じられる舞台だった。また舞手と囃子方がそれぞれライバル意識を燃やすと同時にコラボ(協働)しようという意欲が明らかなのが印象的だった。

 

舞を演じた若手能楽師は全員が舞も発声もインパクトがある。瓦照苑代表の観世流能楽師上田拓司のお二人のご子息こと宜照(よしてる)さんと顕崇(あきたか)さん、それから笠田祐樹さん。上田家と笠田家は先代、先々代から交流があるらしい。  

関連参考サイト:  http://www016.upp.so-net.ne.jp/ueda-nohgakudo/profile.html  http://www.yg.kobe-wu.ac.jp/geinou/07-exhibition1/img2007/2007cmokuroku.pdf  http://yukikasada.com/uedanougakudourekishi.html  http://kasada-shouginkai.org/profile.html

 

さて今回の演目が「舞囃子」と題されているが、これは能楽作品の<舞>の部分を抜き出し、舞手は地謡の声と囃子方の楽の音に合わせて面を着けずに直面で演じる形式だ。

 

まず『養老』を上田兄弟の弟、顕崇さんが舞う。時代背景は5世紀後半と思われる雄略天皇の治世。滝あるいは泉に湧く聖なる水が若返りの奇跡をもたらすという「養老伝説(養老の滝伝説)」を元に仏教伝来以前の日本のカミ信仰が讃えられる。森羅万象に宿ると信じられたカミという超越的存在に対する古代日本人の素朴な期待と信頼と畏怖がないまぜになった信仰心がうかがえる。世阿弥(1363—1443年)の時代にもカミに対する古代の集団的記憶が残っていたのか。

 

またこれは二義的なテーマだが、親孝行が<不老不死>の泉の発見につながる説話を通して孝行の功徳を説く点で仏教的響も感じられる。

 

なお今回は「水波之伝(すいはのでん)」という小書き(特殊演出であることを示すも)が付いているそうで、ネット掲載の解説 (http://www.hibikinokai.com/2005-2013/guide/yourou.html)によると、 「『水波之伝』の小書が付くと、間狂言が省略されて前場が終わるとすぐに後場となり、通常の演出にはない天女が登場する。後シテの舞う「神舞」も緩急の変化が大きい舞になり、後シテの面や装束も通常の演出とは異なったものとなる。山神の持つ性格が強調された演出であり、華やかな天女の舞と勇壮な山神の舞など見所が多い能となっている。」 これは通常の能形式で演じた場合のことなので舞囃子形式では下線部のみが該当しているらしい。

 

ストーリー的には若返りの泉を偶然見つけた若い木こりが人生の終わりに近づいた老いた親にその水を飲ませて体力、気力、生気を取りもどさせるという意味では<死と再生>のテーマを浮き上がらせる。 養老の水を飲んで新たに生命を授かることでその当人のみならず取り巻く世界もまた鮮やかに蘇るといえないだろうか。

 

舞が終わると次の『采女』の支度が整うまで兄宜照さんによる10分ばかりのトーク。話がいつの間にか今年の正月早々味わった失恋体験に及ぶ。失恋は若い当事者にとって人生の一大事だろうが、身近にある自然界の姿、青い空や緑鮮やかな常緑樹と比べれば些細な出来事でしかないと思い至ったとか。人生の階梯における脱皮、成長のきっかけ。この人もまた一つの衝撃を通して死と再生の儀式を一人静かにすませたのだろう。『養老』で不老不死というカミの業(わざ)を目の当たりにして世界、ことに自然界の新鮮な鮮やかさに人間が気づかされる貴重な体験と重なるところがあるとご本人は納得された由。そう私は理解した。気の利いたエピソードだと思った。こういう話ができる若さと純真さ。そんな次第で、雄弁ではなくともユーモアのセンスもうかがえる宜照さんの誠実な話ぶりに好感を覚えた。

 

ついで兄弟のご父君であり師匠でもある拓司さんが『采女』を舞う。キマってる!さすがベテランだけあって(若手ながらいくら舞上手とはいえ)息子さんたちの舞とは格が違う。

 

ちなみに(私が勝手に熱烈応援している)大鼓の名手こと山本哲也さんも登場してワクワクさせられる。

 

大陸(中国語)版「采女」のイメージに刺激を受けたと思われる「采女伝説」はその祖型が日本にも古くからあったらしい。それが後に能に取り入れられたが、どうやら『大和物語』(史実に基づくわけではない各種の説話を集めたもので、10世紀半ばに成立)に収められた伝説を踏まえているとか。采女は大陸伝来の女官の一種で天皇の食事に際して配膳を担当するのが本来の職務だが、妾としての役割を担わされることが珍しくなかった。謡曲采女』は帝の寵愛を失った娘(女官)が悲観して猿沢池で入水する悲劇だ。亡霊となって現世を彷徨う彼女は遍歴する僧侶によって祈り鎮められる。采女は救済されたことを感謝して帝の治世を言祝ぐ詩歌を口ずさみ、舞を披露する。

 

ここで注意すべきことは采女が帝の寵愛を失ったことを恨むのではなく、それとは逆に帝の御代に幸あれかしと心底願う点だ。かつてのような(人間を超越した存在が発揮する)神威に対する畏怖や敬服の念が変質している。現世の絶対者である帝、天皇とその治世(御代)を祝福し讃える役目を負っているように思える。人間を圧倒する威力を発揮する自然を崇拝し神格化した遥か昔の日本の心性が日本という国家を統治する政治制度の発達に影響されて変容した証拠かもしれない。

 

この後15分ほどの休憩。

 

『歌占(うたうら)』では少年時代から大学時代にかけてスポーツマンとしてならした笠田祐樹さんが舞を披露。お正月の舞初めでも印象に残ったとおり今回の舞台も実にパワフルだった。見ていて清々しい。

 

このように力みなぎる若手能楽師の舞だが、ネット上の解説などによると、後半ではなんともおどろおどろしい地獄の情景が展開する。

 

例えばhttp://www.tessen.org/dictionary/explain/utaura)では「決して優美さに絡めとられることのない、むき出しの信仰と呪術の世界。そのナマの中世的感覚の世界」が舞台に展開するという。

 

この作品の眼目はカミの超自然的、超人的威力に畏怖する人間を描くことではなく、人間の人間であるがゆえの苦悩を浮き彫りにすることにあったのではないかと思える。作者は人間とは、人間性とは何かという問いに自ら答えようと試みたような気もする。同時代の観客にもそういう関心が芽生えていたのだろう。

 

『歌占』はこんな話だと私は受け取った。つまり、前半でかつて伊勢の神官であった男が旅の途上での突然死を経て三日後に蘇るが、妻子の元から姿を消す。男は占い師として異郷で暮らしている。後に残された妻子。やがて幼子はある男に連れられて旅に出る。その途上ある占い師に遭遇する。その占い師こそこの幼子の父親だったのだ。真相が判明して占い師は数日間の臨死体験を口にする。(幼子の親探しを手伝っていた)男は地獄の様子を舞で語ってほしいと乞う。その求めに応じて占い師は舞で地獄体験を表現する。この体験の凄まじさは一時的ながら彼をトランス状態に追いやってしまう。やがて忘我の境地から覚め、幼子を連れて帰郷する。

 

伊勢の神官・占い師の臨死体験はテーマ的には典型的な<死と再生>だ。神ならぬ生身の人間が地獄の責め苦を体験する。そういう特異な蘇りの体験が息子を伴い伊勢に帰郷した後復帰するはずの神官職で彼の権威を高めるだろう。いやそれより大事なのは彼が一人の人間として成長する点だ。異界との遭遇が彼を人間として鍛え上げる。臨死体験を通していわば人格の陶冶を実践するということに作者である観世元雅(世阿弥の長男)は関心をもち、同時代の観客もまた興味を覚えたのではないかと思える。

 

しかしこの作品は正直なところ解説なしでは訳がわからない。私自身この作品に馴染みがない。その上事前に謡曲を読んでいなかったのでそのおどろおどろしさが理解できずじまいで残念だった。おまけに今回は舞囃子であるため詞章はかなり省略されている。それだけに全体像がつかみにくいという事情はある。  参考サイト:http://www.tessen.org/dictionary/explain/utaura/utaura2012

 

最後に『葛城』。舞手は上田兄弟、兄の宜照さんが舞う。大峰山奈良県)と並び称される修験道のメッカ葛城山(大阪、奈良、和歌山にまたがる山脈)で厳冬のさなか修行中の出羽国羽黒山から来た山伏が地元の女の庵に宿を借りることになる。粗末ながらももてなしを行う女は問わず語りに自分の正体を明かす。実はこの女、葛城明神の化身だという。過ちを犯したため法力で体をツタカズラでがんじがらめにされていると訴える。実は(7世紀に実在したが、極度に伝説化して超自然的な法力をもつと信じられた)呪術師役小角のよって葛城山と金峯山(奈良、吉野)を結ぶ修行者用の橋をかけるよう命じられる。が、自身の顔の醜さを恥じて夜間しか作業をしなかったため架け橋が完成しなかったという事情がある。

 

ストーリーなどこの作品の詳細は、 http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_058.html

 

劇中のカミ(葛城明神)はカミの性別を人間と同列に論じられないにしても女神としてのイメージが強い。『古事記』によると葛城山に宿る神は天皇雄略天皇)を畏れさせるほどの神威があるので女神よりも男神(「一言主(ひとことぬし」とよばれる)としての性格が強そうである。

 

このような私の推測は学術的根拠のないきわめて私的なものだが、この葛城明神の性別について(2016年に亡くなった)歴史学者脇田晴子氏が性別解釈や性別規制の歴史的変遷という観点から適切かつ興味深い議論を展開している。題して「男神から女神へ 能楽『葛城』の背景」がそれでネットで公開されている。 金剛流廣田鑑賞会のサイトで読める: http://hirota-kansyokai.la.coocan.jp/kenkyu/images/05_kenkyu_katuragi02.pdf

 

ここでまた私の妄想にもどるが、『葛城』に登場する<カミ>が超現実的な存在というよりむしろ人間臭く感じられて仕方がない。元ネタになった『古事記』では葛城を守護するカミ一言主に対して雄略天皇は自軍の武装を解除してへりくだる(『古事記』下巻−3雄略天皇記)。ところが『日本書紀』(巻第十四、雄略天皇記)になると共に狩猟を楽しんでいて対等の関係として描かれる。それどころか天皇は自称「朕」(「朕是幼武尊也」)であるのに対し一言主は「僕(やつがれ)」(「僕是一事主神也」)という具合に下手に出る。この落差は『古事記』が天皇の歴史的権威づけを対内的に公言するのに対して『日本書記』が対外的な権威づけであるという根本的趣旨の違いが反映しているのだろう。

 

両書は8世紀に完成しているが、『葛城』など能楽作品は14世紀あるいはそれ以降に書かれている。たとえ異界のカミを登場させるとはいえ、そのカミにも人間的性格を多少とも帯させているような気がする。

 

たとえば、容貌の醜いことを恥じるところなどある種の人間臭さを感じさせる。もっともこれを人間臭いと見るのは誤解かもしれない。だがカミと人間とを完全な対局とはしないところがミソではないか。能が中世庶民の心をも虜にした理由の一つではないだろうか。

 

今回見せていただいた舞囃子四番。どれもが、神聖なカミの威力を寿ぐ『養老』でさえも人間界とカミあるいは亡霊、霊魂が住む異界とはどこかで通じ合っている。けっして無縁の関係ではない。そんなことを感じる。神格、神性と限りある命をもつ人間とは通い合うのだ。そう期待し、信じる人間の思いが能作品に投影されているような気がする。

 

余談だが、何年か前から謡や小鼓も修行しているという落語家桂南光さん。能にご縁が深いようだ。ぜひ下記のサイトを訪問してほしい。

 

「南光の「偏愛」上方芸能」

(1) <激しすぎる楽器!? 大鼓の巻> https://mainichi.jp/articles/20171124/mog/00m/200/011000c

(2) <大鼓奏者の山本哲也さんとのトーク拡大版> https://mainichi.jp/articles/20171124/mog/00m/200/012000c

 

ついでに南光さんの関連記事(今度は山本能楽堂代表山本章弘さんとのトーク)も合わせて。

https://mainichi.jp/articles/20170825/mog/00m/200/019000c https://mainichi.jp/articles/20170825/mog/00m/200/023000c

 

小鼓方大倉源次郎さんにもインタビュー。

<ぽんっ 神秘の音色、小鼓の巻 神様が宿る大事な「お道具」> https://mainichi.jp/articles/20160625/ddn/014/200/059000c