早春の丹波篠山で能・狂言を楽しむ

第45回 篠山能

平成30(2018)年4月14日(土曜)

13時開演

重要文化財 春日神能舞台 (兵庫県篠山市)

前売り一般 5,000円(当日5,500円)

演目・出演:

能 「半蔀(はしとみ)」 梅若 万三郎

狂言「寝音曲(ねおんぎょく)」 茂山 あきら

能 「鉄輪(かなわ)」 大槻 文藏 

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昨年に続いて二度目の篠山能観劇。前回は終演近くになって雨が降り出したが、今回は最初の演目が終わりかけた頃から小雨がぱらつき始めた。本格的な雨ではなかったが、山沿いの町篠山特有の(よそ者には若干ながら)肌寒さと相まって絶好の観劇日和にはならなかったのが残念。でも公演内容は見応えがあった。

 

「半蔀(はしとみ)」はいうまでもなく『源氏物語』の「夕顔の巻」に材をとっている。アサガオとは別系統のウリ科ユウガオ(夕顔)は一晩花開いて翌朝にはしぼんでしまうことから儚さを連想させてきた。『源氏物語』の同名登場人物もそういうイメージで描かる。ある種の気まぐれから源氏に思いを寄せられた夕顔の君は束の間の逢瀬のあと物の怪にとり憑かれて生き絶えてしまう。この怨霊の正体は一説には源氏に激しい恋心を抱く六条御息所といわれたりもするが、物語中では明かされない。

 

源氏の一瞬の寵愛に幸せを感じた夕顔も突然の死で冥界へ追いやられる。死後無念な思いに苦しむ夕顔は現世を訪れ、旅の僧による弔いのおかげでようやく心の平安を得る。

 

能楽では高齢男性が気品溢れる若女の能面をまとって舞うことはよくある。今回の1941年生まれの三世梅若万三郎さんはたしかににそつなくこなされたことには異論はない。 とはいえ儚さの象徴のような夕顔の存在を浮き彫りにできた華道家については少々疑問が残る。

 

古代建築用語「半蔀」について 言わずもがなかもしれない付け足し的語注。 板の両面に格子を組んだ戸。長押 (なげし) から吊上げる。上下2枚に分れ,上半分だけ上げるものを半蔀 (はじとみ) という。寝殿造,住宅風仏堂,神社の拝殿などに用いる。(https://kotobank.jpより)

 

能楽謡曲)では濁音を排して「はしとみ」と読むようだ。

 

次に観客が感じる「半蔀」の重さを癒すような笑いの溢れる狂言「寝音曲」はいつもながら太郎冠者の頓知、機知に溢れる様を楽しませてくれる。太郎冠者日頃から感じている主人に対する不満、対抗心を下地にしてなんとも心憎いユーモア精神満載のワル知恵を発揮するも少々度が過ぎて大失敗。

 

主人が太郎冠者に向かって人づてに聞いたところではお前は歌上手だそうだからぜひ今ここでいい声を聞かせろと迫る。太郎冠者にしてみると主人に歌が上手いことがバレるとしょっちゅう客席などで歌う羽目になると面倒だとワル知恵を働かす。女性(芸妓あるいは妻?)の膝枕でないと歌えないと屁理屈をつけて断るものの主人は自分の膝を貸そうと言い出す。仕方なく膝枕をしている姿勢の時はまともに歌い、起き上がるとわざとしゃがれ声や奇声を発してみせる。寝たり起きたりの姿勢を繰り返すうち間違えて逆転。寝ているときにこそ美声を聞かせてしまう。

 

先月の神戸能楽堂では同じ演目で茂山忠三郎さんの名人芸を楽しんだが、今回もベテラン狂言師茂山あきらさんの見事な芸を見せてもらった。

 

しかし寝たままの姿勢で歌唱できる狂言師の方々には感心するしかない。そのためには単に才能だけでなく地道な修練がなくてはならないに違いない。名人芸を見せていただいて観客としては感謝の一語に尽きる。

 

また主人役のベテラン狂言師網谷正美さんの味わい深い演技もありがたい。

 

最後の演目「鉄輪」は名人大槻文蔵さんの登場。1942年生まれで能楽師として大ベテランだが、今回文蔵さんの動きは夫に裏切られた女性の姿を浮き彫りにしていたと思う。物語の背景で彼女の元夫は別の女性に乗り換えたことになっていてこその二人に対するはげしい恨みが静かな動きの中で視覚的に描かれていた。上半身の衣装の色が若干くすんでいながら鮮やかな橙色であること、そして元夫が新しく娶った後妻をひと束の髪で表象し、それをズタズタに切るかのように手刀を当てる様。このような視覚的表現で彼女の思いが鋭く観客の心を打ったのではないか。

 

文蔵さんで思い出すのは昨年5月に奈良県桜井市にある多武峰(とうのみね)の談山神社で催された『談山能』で演能中に転倒されたことだ。神社の祭壇前を能舞台に見立てているが、橋掛りに見えなくもない短く低い欄干があり、能面をまとって視野が狭められた状態で登場した文蔵さんはその欄干の位置を見損なって大きく転倒された。観客咳が一瞬凍りつくが、すっくと立ち上がりそのまま何事もなかったかのように舞い続けられた。この椿事に肝をつぶした一方で能楽師の日頃の鍛錬のすごさに感じ入った次第である。

 

来年が楽しみだが、うららかな春日和であることを期待する。しかし芸能を守る由緒ある神社での祭り事の一種である演能なのでポカポカした日差しばかりより多少とも冷気と悪天候も混じる方が観客の心を引き締める効果があって好ましいのかもしれない。