劇団暁『研辰の討たれ』に見る若座長の気概

2018年12月10日(昼)浅草木馬館 

 久しぶりに「劇団暁」観劇。若座長三咲暁人の意欲が感じられる歌舞伎演目の上演。しかも見て楽しい『研辰の討たれ』に出くわす幸運な日だった。この作品は比較的最近(劇場空間で言葉を弾けとばせる才能にあふれた演劇人)野田秀樹とコラボした故・一八世中村勘三郎の舞台で見た。それから純粋な歌舞伎作品として片岡愛之助の舞台も見た。いずれも評判をよんだ舞台だった。

 一方大衆演劇版『研辰の討たれ』はかなり事情が異なる。潤沢な資金を投じて大掛かりな歌舞伎座公演とは違い舞台空間も出演者も制約がかかる。そういう制約にも関わらず、いやむしろ制約を逆手にとって劇団暁は主人公守山辰次こと「研辰」の笑いと悲哀がないまぜになった後半生を凝縮して舞台化していたと思う。例えば道場稽古の場面は研辰を含めわずか六人でそれらしい雰囲気を醸し出していた。特筆に値するのは全編を通して主演の暁人若座長が熱演で観客の心をしっかりとらえていた。(彼が尊敬するという)勘三郎を意識的に真似ていたが、結果として単なるコピペに終わらず演者三咲暁人の個性を打ち出していたように思う。グッジョブ!

 ちなみに当日いただいた劇団暁初代座長三咲てつやが発行する日刊『劇団暁かわら版』によると12月6日には歌舞伎『会談乳房榎』を三咲暁人主演で舞台にかけたとのこと。これも仇討ち譚だが、伝統的な歌舞伎芝居で父の仇を赤子だった兄弟が成長してみごとに討つ物語。いわゆる新歌舞伎の演目に数えられる『研辰の討たれ』のように敵討ちに対する近代的批判の視点はない。それでも21世紀を生きる若者たる三咲暁人がどう演じたのか気になる。いつか見れる機会を待つしかない。

 武家の価値観や倫理観が優勢であった江戸時代に上演された歌舞伎作品と異なり、『研辰の討たれ』は初演が1925年というそう遠くない昔。この近代歌舞伎作品は江戸時代末に起きた現実の仇討ち事件やそれを元にした文芸作品がネタになっている。そのひとつが1823年研ぎ師羽床(はゆか)辰蔵が郷里讃岐舞いもどり、そこで敵討ちにあう事件の実録物(戯曲ではなく読み物)『綾南復讐記』(綾南=アヤナミは現在の香川県綾歌郡綾川町羽床あたり。讃岐うどんでも有名らしい)。もう一つはそれを歌舞伎に翻案した『敵討高砂松。さらに明治になると『敵討研屋辰蔵』(1895年)と題した小説も出版される。これら先行作品を題材にしてベテラン歌舞伎狂言作者木村錦花(1877-1960年)が同時代の観客の心をつかむ工夫を凝らして読み物に整え、次に平田兼三(1894-1976年)が歌舞伎台本に仕上げたそうだ。この辺りの詳しい事情は出口逸平氏が「『敵討研屋辰蔵』考」(2014年、大阪芸術大学紀要『藝術36』)および「歌舞伎『研辰の討たれ』の成立」 (2016年、大阪芸術大学紀要『藝術38』)で論じている。両論文ともネット上に公開されている。またこれらの論考は『研辰の系譜―道化と悪党のあいだ』(2017年、作品社) という1冊の本に進化している。

 物語自体は徳川体制下の封建社会に設定されているが、切り口は仇討ちを批判するという点で明確に近代的なものだ。木村錦花と平田兼三による合作と言ってよい『研辰の討たれ』は徳川幕府崩壊から60年近く過ぎたとはいえ、いわゆる封建的観念がまだまだ払拭されていない昭和元年に舞台にかけられた。それでも鎖国の呪縛から解き放たれた日本は(大正デモクラシーとやらの影響もあったのだろうか)人間の生き方を比較的マルチな視点から考える余裕が出てきたようだ。そういう時代背景があるせいで仇役の研辰は悲哀感の混じるドタバタ喜劇の主人公にならざるをえない。そればかりか父を殺された兄弟が仇討ちの本懐を遂げても心の奥底では虚しさを感じるばかりという結末になるのだ。近代人としての意識が高い木村錦花や平田兼三にとってカタキ討ちが正義でもなく倫理にかなうものではなかった。

 そういう意味で(昭和元年=1925年版)『研辰の討たれ』は伝統的歌舞伎劇というより<近代劇>とよぶのがふさわしい。事件の当事者の周囲に偶然居合わせていたにすぎないにも関わらず「かたき」と「討手」双方の心理を操り、自分達に都合のいい方向へと駆り立てる無責任極まりない<大衆>、<群衆>の存在にスポットが当てられる。こんなことは江戸時代に上演された作品ではありえない。

 しかしこれは今から90年も昔の時代感覚である。21世紀における大衆、群衆の定義は変化していても不思議ではない。だからといって本当に変化したといえるだろうか。勘三郎の求めに応じて、あるいは共同して木村・平田版『研辰の討たれ』に大胆に手を入れた上で演出した野田秀樹による『野田版 研辰の討たれ』だ。この現代版の主役が誰かといえば、研辰であるよりむしろ物見高く自分の言動に責任感などまるでない<大衆・群衆>なのではないか。そういう大衆・群衆の実態を野田は舞台の端から端へ絶えず流れ歩く無名の集団、いわば<浮浪する精神>として視覚化し観客に強いインパクトを与えた。野田(と勘三郎)の洞察力は鋭い。だからこそ今でも語り草になるのだろう。

 さらにいえば野田(と勘三郎)は<現代>だけを問題にしているにではなくおそらく研辰の討たれが現実の事件として怒った江戸時代もまた無責任な大衆・群衆がひしめき合っていたと考えている気がする。これは何も責任ある行動をしろと諭せばすむことではない。大衆・群衆というものはいつの時代もそういうものだ。それが良くも悪くも人間のサガ(性)、生まれつきの性質なのだ。そういう人間が大半の社会にも違う種類の人間もいる。様々な性格の人間が寄り集まっているからこそ時に人を感動させるドラマが現実社会で展開するのではないか。野田(と勘三郎)はそんな風に考えているような気がする。

 話を劇団暁にもどそう。夏樹・春樹兄弟座長の庇護と指導のもと今後劇団の要となっていく暁人若座長には野田や勘三郎の演劇センスも見習いながらその先を行く心構えをもつように期待したい。大衆演劇の伝統的名作を斬新な視点で読み直し、新しい命を吹き込んでほしいものだ。

 

 ちなみに劇団暁の本拠地「船生(読み:ふにゅう)かぶき村」(栃木県)がテレ朝『何コレ珍百景』(2018年10月26日放映)で取り上げられた。どなたかがYoutubeに全編アップロード済み(そのうち「船生かぶき村」の紹介は31分から10分間ほどの箇所)。