ロイヤル・オペラ・ハウス2019年1月公演『スペードの女王』映画版、見応えあったけど、世間の評判悪い?

プーシキンの原作(といっても私の場合日本語訳)も読んだことないし、チャイコフスキーがオペラ化 —— La Dame de Pique(日本語タイトルに同じ)——したのも見たことない。今回シネマ録画でこの作品に初めて接した。でも感動した。私だけかな?

 

今回と同様の解釈でノルウェーの演出家ステファン・エアハイム (Stefan Herheim、1970年生まれ) が2016年に国立アムステルダム・オペラ劇場で上演している。この演出家は1999年『魔笛』以来20年近い演出経験を積んでいる。私の場合エアハイムのオペラ演出は今回初めてなので解釈や演出の特徴、傾向など知らない。

 

ここしばらくMETを中心に主に映画版でオペラを楽しんでいるが、エアハイムが手がけた本作品は作品構成の面で強く印象に残る。すでに死語になったような感があるポストモダンポストモダニズムという批評用語がまだ生きていると思えたからだ。私の錯覚?

 

しかしネット上の(英語版)劇評を読むとどれもこれも5点満点の2点、良くて3点にすぎない。しかもかろうじて点を稼いだのが一部の歌手、作曲家チャイコフスキーとエレツキー公の二役を演じ、心地よいバリトンを響かせたウラジミール・ストヤノフ (Vladimir Stoyanov) や高齢(74歳)ながらも往年の輝きをしのばせたリーザの祖母で伯爵夫人役のフェリシティー・パーマー (Felicity palmer) の健闘だ。

 

採点が辛い主たる原因は演出意図を過剰に露出させたせいだろう。こういう説明過剰の罪過を指摘したオペラ批評家Peter Reedは正しい。

http://www.classicalsource.com/db_control/db_concert_review.php?id=16080

 

演出意図を観客にわからせようと字幕を出したり、チャイコフスキーの同性愛志向、コレラ菌に汚染された水の飲用による自殺(実証されていずあくまで噂)をわざとらしく視覚化するのは素人の仕業だとReedは言わんばかり。とりわけこの批評家の機嫌を損ねたのが(エアハイムが3年前のアムステルダムでの演出プランを元にしているとはいえ今回コヴェント・ガーデン公演の観客の多くは初見だろうと配慮?して)配布されたプログラム。エアハイムは文章で演出意図を縷々語ったのがいけないようだ。(東宝さんの内容スカスカのチラシよりこのゴテゴテしたプログラムの方がずっとましだろうという気もするが。)上演内容で観客に訴えんかい!(a production should explain itself.)

 

このくだりを読んで論文指導の教師用マニュアルを思い出した。脚注、尾注でくどくど説明や言い訳をするな。本文で説得せんかい!ごもっとも。

 

でも私はエアハイムを擁護したい。演出意図をあざとく露出する。これって昔懐かしい(20世紀前半に)ロシア・フォルマリズムで提唱され随分人気も博した「仕掛けの露呈」ではないか。今は亡き山口昌男が自分流にこなしてすぐれた文化現象の分析をしてくれたことを思い出す。だけど、その手法を21世紀の演劇人エアハイムは拙い手法で模写したわけではない。舞台上で演劇性溢れる視覚化を通してチャイコフスキーのオペラ『スペードを<メタ化>(原作のオペラについて語るオペラを創造)するのに利用したのだ。原作オペラはもちろんチャイコフスキーが自分の同性愛志向なんかふれはしない。1890年ロシアはサンクト・ペテルブルクのマリインスキー劇場で初演されたのだからそれから100年余り経過している。エアハイムとしてはいくぶん現代風味を付け加えながら基本は原作に忠実な再現などするわけにはいかないだろう。<メタ化>は不可避である。どんな思想、イズムが背景にあるにせよ<予定調和>は不変ではない。いつか崩壊する。はそういう次第で今回の上演は高く評価したい。

 

<上質文化>拡散に貢献する東宝さんだが、(あいかわらず)ロイヤル・オペラ・ハウス作品紹介のチラシが無内容。Storyの項にしるされているのは極度に切り詰めて想像力を刺激しそうもないそっけないアラスジ。ないほうがマシ。ノルウェーの演出家ステファン・エアハイム (Stefan Herheim、1970年生まれ) が試みた途轍もなく大胆な構成・演出は完全無視ではないか。とはいえ東宝さんばかりを責めるのは酷だろう。短文でまとめるのは難しい、いや不可能か。

 

正直なところ予備知識なしでエアハイム版はまず人物関係でつまずいてしまうだろう。私は事後に知ったのだが、英語版作品評のうち次のものが大いに役立つ。

seenandheard-international.com/

Tchaikovsky Plays the Hand Herheim Gives Him in the Royal Opera's The Queen of Spades. 24/01/2019. United Kingdom Tchaikovsky, The Queen of Spades: Soloists, Chorus and Orchestra of the Royal Opera House / Sir Antonio Pappano ...

 

登場人物の中でもポーリナ (Paulina) がどういう人物なのかわからずじまいだった。同じ女優 (Anna Goryachova) が異性としてズボンを履いた少年(青年?)ミロフゾール (Milovzor) 役でも登場する。上記劇評を読んでポーリナが劇中の主要人物 —— チャイコフスキーになぞらえた作曲家、同じ俳優が演じるエレツキー公 (Prince Yeletsky) 、その友人、軍人でギャンブル狂のゲルマン (Gherman) 、そしてこの二人の男に否応なく関わってしまう貴族の女性リーザ (Liza) —— の一人リーザだと知った。事前に準備しなかった私が悪いのだが。

 

ちなみに昨年2018年2月ボリショイ劇場が上演している。おそらくチャイコフスキーのオペラ版を比較的忠実に再現したと思えるが、詳細はこちらでご覧になれる(英語版)。登場人物は生身の人間というより各登場人物自身の想像力が視覚化されたものを表すとか。この想像世界は一定不変の固定されたものではない。比喩的にも物理的にも<揺らぎ>がキーワードらしい。その趣旨を生かすために各登場人物の登場の仕方も工夫されている。照明装置の助けを借りて(舞台袖の)暗闇から徐々に姿をあらわすのだとか。結構面白そうだ。

16 February 2018 - Репертуар Большого театр

https://www.bolshoi.ru/performances/en/2997/roles/

 

英語版劇評はリンク先が次のサイトにまとめられている。

http://www.bravoopera.com/spettacoli/queen-spades-2019-royal-opera-house-2/