令和元年度「秋の杉会囃子大会」 出演されたお弟子さんたち レベルが高い

2019年10月14日観世会

久々の投稿です。

過去3年ほどに渡って謡曲、仕舞、小鼓などプロの方が指導するお弟子さんたちの発表会は何度か見せてもらった。今回のような笛方(能管)の発表会は人づてに聞いて始めて知った。

 

どの出演者も達者な腕前を披露されたのには驚いた。素人考えだが、笛って間違った吹き方をすると音が出ないと思っていた。実際そのとおりだという気がする。一定期間以上修練しないと様にならないに違いない。

 

驚いたのは外見では高齢と見える女性が力強い響きを奏でていたことだ。それからもう一つアラフォーぐらいのお二人の男性が準プロ並みだったこと。その方々の持ち前の才能と研鑽があってこその成果だと思う。

 

それから一つ感動したことがある。(お弟子さんの発表会はいつもそうなのだが、)中堅、ベテランが大勢出て伴奏というか脇役を務めることだ。今回も日本のトップレベルの演者たちが大勢出演してお弟子さんたちを応援された。伝統芸を守り育てる気持ちが弟子に対する愛情と綺麗に結びついているのだろう。

 

今回の主催者のお一人杉市和(すぎ・いちかず)さん(共催者信太朗さんの御父君)といえば私が受けた個人的印象では絶えず柔和な表情である。だが、この会では出演するお弟子さんの真後ろに座ってサポートされているときの顔つきが怖いぐらい厳しかった。この厳しさは深い愛情の現れだと理解できる。師弟関係って奥が深いものだと改めて思う。(余談ながら、私も教師業をしていたが、杉市和さんと比べてなんと未熟であったかと内心忸怩たる思いにかられる。)

 

今回の杉会は私にとって初めてのことであり、日頃から杉市和さんと信太朗さん親子の音色には惚れ込んでいたので朝一番(午前9時45分)から聴かせていただいた。「一管」とよばれる能管の奏者単独の演奏で最初に左鴻泰弘(さこう・やすひろ)さんが登場。静かな音色をいつもながらの見事な演奏だった。聴衆の心を開かんとするような穏やかな音色は開幕一番にふさわしい。演奏の表題に「下之高音(しもののたかね)」とあるがネットで調べても「中ノ高音」があるばかり。森田都紀さんの論文「能管における唱歌と音楽実態の結びつきに関する一考察」をのぞき見したが、素人の私には「中ノ高音」の意味さえ判明せず。横着するのはダメですね。今度観世会館に行った折どなたか能楽師の肩に尋ねてみルしかない。おっとこれも横着な答え探しかな。

 

次に登場したのが杉信太朗さん。(世間が認めているように)若手ながら腕前は注目に値する。しかも「早笛」と題されていて動的であり、静けさを印象づける左鴻さんとは対照的だった。このプログラミングは温いくらいうまい。(多分杉信太朗さんのアイデアだろう。)この後中堅、ベテラン能楽師囃子方の支援を受けてお弟子さんの演奏が続くのだが、芸達者なお二人の演奏で場内の雰囲気がしっかり盛り上がったと思う。

 

ただ、今回の公演で大いに残念だったことは名人能楽師として評判の高い片山九郎右衛門さんと味方玄(みかた・しずか)さんの共演になる「大典」を眠りこけたせいで見損ねたことだ。年号が改元を祝う意味で「大典」と名づけられているので私はもう二度と見られないだろう。とはいえ私には事情があった。つまらない事情ではあるが、過去3ヶ月近く呻吟してきたお仕事がようやく片付いて気が抜けていたのかもしれない。

 

今回の公演についてはこれでおしまい。あと少しだけ主催者のお一人杉信太朗さんについて語りたい。彼の笛方として腕前には前々から惚れ込んでいる。荒っぽいのではなく芸術的繊細さを帯びる力強い響きはいつ聴いても惚れ惚れする。その上人柄というか性格も好きだ。薄っぺらな權威主義を斜に見るのがいい。業界では一部の方々が東京芸大卒の肩書きを誇っていて、中には芸大の前に「国立」を添える人までいる。「国立」であることを強調する心情については以前身近ところで聞かされた笑い話があって、そういう輩もいるんだなと思っていた。たまたま耳にした信太朗さんご自身がやむをえない事情で東京芸大に進学したことにまつわる話が面白い。差し障りがありそうなので詳しくは書けないが、彼がいかに安っぽい権威主義に呆れているかがうかがえる話だった。

私はこのツッパリぶりが好きだ。ひょっとしたら彼は代々笛方の家に生まれていながら十代の頃は反発していたかもしれないと想像したりする。でも反発が苦い経験を通じていつしか愛着に変化したのかもしれない。ネットで公開されている杉市和さんのインタビュー記事によると市和さんの御父君は能楽とは無縁の教職についていたとか。また市和さん自身も十代の頃数学教師になろうかと思っていて実際大学で数学を専攻している。家の職業、とりわけ伝統芸の家柄は世代代わりで複雑な軋轢が生じるものかもしれないと思ったりする。

 

無駄話もここでケリをつけよう。