加古川本蔵と大星由良之助は肝胆相照らす仲だ

大阪国立文楽劇場

2019年11月公演 夜の部

通し狂言仮名手本忠臣蔵』(八段目より十一段目まで)

前 竹本千歳太夫、豊澤富助

後 豊竹藤太夫、鶴澤藤蔵

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このうち「山科閑居の段」が強く印象に残る。この段で注目したいのは高師直に侮辱された塩冶判官が師直に怒りの刃を向けるが、それを制止、いや妨害したのが加古川本蔵だ。大星由良之助らが敵対する師直の家来ではないものの、行きがかり上いわば敵役の加古川本蔵が内に秘めた本心を吐露するのがこの段である。歌舞伎特有の人物造形である「モドリ」の一例として悪人と思えたのが実は善人だったという(元の本性にもどる)仕掛け。

 

作品自体は18世紀半ば、江戸時代の価値観を背景にしていて武家社会の忠義が賞賛すべき徳目とみなされている。

 

私は長いこと忘れていたのだが、原作では本蔵自身が大星由良助たちと同じ苦境を経験し心情的にも共通すると明示されている。本蔵が仕える桃井若狭之助は直情的な性格ゆえに師直から侮辱されるが、本蔵は君主の立場を保全するために賄賂を使って事態を現実的に処理した経験をもつ。原文はつぎのとおりだ。

 

「当春鶴丘造営のみぎり、主人桃井若狭之助、高師直に恥ぢしめられ、もってのほか憤り(略)明日御殿にて、出つくはせ、一刀に討ち止むると、(略)止めても止らぬ若気の短慮、小身ゆゑに師直に、賄賂うすきを根に持つて、恥しめたると知つたゆゑ、主人に知らせず、不相応の金銀、衣服、台の物、師直に持参して、心に染まぬへつらいも、主人を大事と存ずるから」(『新編日本古典文学全集』 77 「浄瑠璃集」、小学館、2002年,125-6頁)。

 

むやみやたらに理想を振り回さない、いわば有能な官僚なのだ。そういう本蔵が由良助の苦境を理解していて当然だし、自分と同じ苦い経験をさせまいと主人同様直情的な塩冶判官の刃傷沙汰を制止したのだ。君主に使える武士として彼は彼なりに最善を尽くしたと言える。

 

しかし由良助らは忠義に殉ずべき武士道にもとると理解して、いや誤解してしまう。その誤解もこの段で本蔵が自らの命と引き換えに(正義というと意味がぼやけるので)「正しい道」という意味での「義」を貫いて見せる。それを由良之助もようやく理解するという設定だ。

 

ここで思うのだが、江戸時代ならいざ知らず21世紀の現代にあって「忠義」はもはや正しい道とは言えない。「義」ではない。このくだりを見た観客は本蔵の死に様を通して普遍的な人間としての正しいあり方、義の意義を感じとるのではないだろうか。だからと言って死を賛美しているのではない。この場合たまたま死が関与しているが、人は現実原則を超越した理念としての正しさ、義を追求するのが本来の姿だと思える。

 

その点では現代人にとって由良之助ら忠臣蔵伝説の面々も変わるとことはないはずだ。封建的イデオロギーの忠義にもはや感動することはできない。人間性の理念的相貌に憧れるからこそ忠臣蔵伝説が今なお人々の心を捉えるような気がする。加古川本蔵は単に歌舞伎的モドリの見本ではない。本蔵と由良之助が象徴する価値観は互いに似ている、相似の関係にある。原作でも忠義をキーワードにして二人は互いに相手の姿を映し出すことで忠義という武士道の徳を浮かび出すことになっている。

 

だが、現代にあっては忠義ではなくはるかに高い次元の人間の普遍的な徳、つまり正しい道の探求、さらには至高の善の追求にとってかわらざるをえないだろう。

 

奇しくも同じ文楽劇場では去る11月6日毎月恒例の「伝統芸能公演記録鑑賞会」で歌舞伎版『仮名手本忠臣蔵』「山科の段」(国立劇場、1974年12月)を見た。加古川本蔵は八代目坂東三津五郎、大星由良之助を十四代守田勘弥が演じた。この歌舞伎版では本蔵は己の過ちを悔いて自ら進んで大星力弥の槍に突かれて絶命する。塩冶判官の怒りを理解しながらも事態を穏便に解決すべきだという善意の心から塩谷判官を制止したためにお家断絶にまで行き着いてしまったこと。そればかりか相思相愛の力弥と実子小浪の仲を引き裂くことになった。こう言う己の過ちに対する罪滅ぼしが本蔵の本心だという設定だった。本蔵が仕える桃井若狭之助が師直のせいで追い込まれた難局については触れられない。これはこれで忠義心の鑑たる由良助を浮き彫りにする一つの演出法には違いない。ただし、これでは『仮名手本忠臣蔵』も時代劇の範疇に止まらざるを得ない。

 

その点今回の文楽版は誇り高いツワモノたる加古川本蔵の男気ではなく一個の人間としてあくまで筋を通す決意ぶりに感動した。