弱者・強者をめぐる伝統的二元論を問う

TTRプロジェクト京都公演『蝉丸』替之型

2019年12月21日 金剛能楽堂

大槻文藏(蝉丸)、片山九郎右衛門(逆髪)、福王茂十郎、福王知登、中村宜成、小笠原匡、竹市学、成田達志、山本哲也

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 出演されたシテ方ワキ方狂言方囃子方はどなたも達者な面々ばかりでおおいに楽しめた。

 能『蝉丸』と聞けば人は『百人一首』(初出は『後撰和歌集』)で知られた次の歌を思い出すだろう。

   これやこの行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも逢坂の関

 作者は能楽の場合と同様に蝉丸。前者が和歌の名手蝉丸をヒントにした想像上の人物であるのに対して後者は平安時代初期の実在の歌人らしい。ただし生没年や生涯は史実として確認できず伝説上の人物に近い。

 能『蝉丸』をめぐっては以前から国文学と民俗学の交差点で種々の議論を呼び起こしてきた。民俗学者たちは蝉丸ともう一人の主要人物(主役)である蝉丸の姉(と設定されている)逆髪とが逢坂の関で出会う「サカ」(坂、境、堺、境界)に注目する。境界論といえば、とりわけ赤坂憲雄の論考が有名だ。ことさら言うまでもないが、30年前に出版された『境界の発生』(1989年)はいまだに刺激的だ。「逢坂の関」という坂、境。さらに関も境界に他ならない。

 実在の蝉丸の手になる和歌も京の都へ向かう人と都を離れて遠国へ去る人とが出会い、すれ違う場所としての逢坂の関に強くこだわる。逢坂という坂の呼び名も元々の(何度か変更された?)のかどうか、当て字の変化も今となってはわからない。ここで出会う人々は進む方角が<真逆>である事は確かだ。

 そもそも坂・サカは対立する価値観が出くわす場所である。『世界大百科事典』(平凡社)によると「坂といわれる場所が地域区分上の境界をなしたり,交通路の峠をなしたりしている事例が少なくないことは,語源に関する諸説の中ではとくに重要とみられる」とある。そういう古代からの日本人の思考は記紀神話に描かれる「黄泉比良坂」が現世と冥界を区切る境界と見なされていることにもよく表れている。<サカ>は紛れもなく逆さま、転倒、逆転の場なのだ。

 蝉丸伝説と結びついた逢坂の関は「坂神(さかがみ・さかのかみ)」信仰が古代から育まれていた地域の一つらしい。坂神信仰・伝説が「逆髪」に転化したと言われる。能『蝉丸』では蝉丸の姉が生まれつき逆立っている毛髪を理由に「逆髪」と呼ばれる。また一説には蝉丸自身の髪が逆立っているとも(小学館大辞泉』「逆髪祭」の項目)。とにかくサカは(境界としての)坂であれ(正常に対する異常の意味の)逆であれ、価値の対立・逆転・転倒を表す点では共通する。

 物語の背景や文脈ばかりでなく登場人物の設定もこの<サカ>の意味合いを強く感じさせる。蝉丸は醍醐天皇の第四皇子だとも言われるし、姉である逆髪も当然皇族の血を引くことになる。それにもかかわらず宮廷では二人ともに身体の異常を問題視される。蝉丸は盲目、逆髪も身体の常軌から逸脱していると見なされる。この姉弟の身体は尊い血筋と(仏教伝来以前であれ仏教思想の影響下であれ)ケガレなど当時の支配的倫理観がせめぎ合う<場>だということになる。

 ところで身体的に「自然」、「正常」ではないと見なされた二人の皇族姉弟に対して最近日本的リベラリズムに馴染んだ人たちから弱者の人権を擁護する視点が表明されている。(日本的リベラリズムと言ったが、従来日本と比べると客観性に優れると思えた欧米諸国のジャーナリズムが自分たちが犯した非西欧世界に対する暴力的植民地主義を忘れたふりをする現状からすればこういう綺麗事大好き傾向は世界的というべきか。)彼らによると世阿弥が蝉丸や逆髪に差別され、虐待される存在の悲しみを仮託したと解釈する。

 しかしこの解釈はえッ!ホントに?とツッコミたくなる。いくら世阿弥が権力者が入れ替わるたびに寵愛と酷遇の変化に翻弄されたとしても現代と同じ感覚で弱者の権利主張をしたとは思えない。足利義満をはじめ時の(絶対的)権力者の庇護なくしては能(や狂言)は芸術的進化をとげなかったはずだ。観阿弥世阿弥や他の主だった能役者は権力者との間に絶えず緊張を強いられる関係を維持し、その関係が強いる重圧に耐えたからこそ単なるエンターテインメントや宗教行事のお供え物の域を抜け出し、当時の階級差を越えて人々の感動を呼ぶ芸術的高みに達することができたのではないか。現代社会が理想とする(差別なき)社会や人間関係が能の芸術的進化に必須だとは言い切れない。人間社会がある限り敵対関係や対立抗争は不可避に違いない。残念ながら、愛情あふれるはずの家族関係でさえも悲惨な状況を生み出すことは昔も今も変わらないのが人間の現実である。

 70年余り前壊滅的な敗戦を経験した日本。この時期の日本はいわゆる封建主義的価値観に支配されていた能が明治維新の場合よりも一層激しい変革を迫られた。だがその変化が能に対して有意義な刺激を与えたかというと必ずしもそうとは言えない。現に若き観世寿夫(1925-1978)が当時の能楽界の現状に対して抱いた不満はいまだにすべて解消されたわけではないと思える。

 いつの時代にも形を変えて社会的差別、抑圧、弾圧は発生する。そういう社会的不合理をなくすと明言したコミュニズム国家がいかに悲惨な状態にあるか思いおこせばいい。このことが皮肉にも強者(権力者)と弱者は入れ替え可能だと証明したようなものだ。