病と老と死を超克する文学的ストイシズム

外部投稿 2022.01.26  https://re-ageing.jp/22798/

。。。。さて話をブルック=ローズにもどそう。彼女は実験的作風の小説家として有名だったらしいが、この本を読むまでその存在すら知らなかった。彼女に興味を覚えた私はネット検索してみて死後6年ほど立った時点で書かれた追悼風エッセイに出くわす。それが、私が今回のエッセイを書くきっかけになったジャン=ミシェル・ラバテJean-Michel Rabaté (米国ペンシルバニア大学英文学・比較文学教授、1949年生まれ)の “Farewell to Christine Brooke-Rose” である(Textual Practice 32-1, 2018)。この文章はwww.tandfonline.comに全文掲載されている。

気分はパリ オペラ座でバレエ鑑賞 

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【寄稿E】(5)気分はパリ オペラ座でバレエ鑑賞 遠藤幸英 | 老成学研究所

2022.01.1

パリ・オペラ座バレエシネマ『シンデレラ』(2018年12月公演)

バレエ版『シンデレラ』はC. ペローの童話『サンドリヨン(シンデレラ、灰被り姫)』を基本にした物語である。

だが、今回上映された『シンデレラ』は、1986年以来当時のオペラ座バレエ芸術監督だったルドルフ・ヌレエフによる大胆な構成および振付が定着していて、幸薄い娘がハリウッド映画界でセレブの地位を獲得するという設定になっている。

4年前(今や毀誉褒貶相半ばする)ロシア出身のバレエ・ダンサー、セルゲイ・ポルニンの伝記的ドキュメンタリーをyoutubeで見て以来 にわかバレエ・ファンになったものの、鑑賞経験の少ない私はこの新解釈を知らなかった。

ネット上の「ヌレエフ顕彰サイト」にはヌレエフ自身の発言を引用しながら一種冒険的な解釈が生まれた背景が述べられている。

 

*2022年2月7日現在も全編2時間がyoutubeで公開されている。

https://www.youtube.com/watch?v=H7OAOPRl84I

狂言『武悪』に見る人間関係の倫理

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【寄稿E】(4) 狂言『武悪』に見る人間関係の倫理 遠藤幸英 | 老成学研究所re-ageing.jp

2021年12月2日

「武」も「悪」も共に勇猛果敢さを表していた。

ことに<悪>は武士の存在が注目を集めるようになる平安末から鎌倉時代において善悪の対比でいう悪ではなく、死をも恐れない剛勇ぶりを意味したのだ。

だから 例えば 武士藤原景清平景清)は武人としての雄々しさを称賛して <悪七兵衛> という異名をとるほどであった。

中世にあっては <悪党>は 現代の意味とは大いに異なり、倫理的判断とは無関係に中央権力に反抗する強固な武装集団をさした。

外部投稿2本目

【寄稿D】⑵ 親子の絆とは

 2021.06.24

以下書出し部のみ

血縁や婚姻関係を度外視した家庭・家族というあり方は目新しいことでないことは重々承知しているつもりだ。例えば代理、擬似の関係がそうだ。このテーマは大小の集団の知恵を示すものであったり、社会福祉の一環であったりしてきた。

近頃はそういう擬似性を拡大解釈したコンセプトが市民権を得てきたのだろうか。ネット検索すれば、レンタル家族(4時間2万円?)とかレンタル恋人(3時間1万5千円?)など、レンタル・ビジネス化したことがうかがえる。家族が孕む擬似性をヒントに住宅会社が遊びゴコロ?をまじえて役者が素人とコラボする?実験的企画を提示したりする。

「注文住宅を手がける株式会社リガード(本社:東京都国分寺市代表取締役:内藤 智明)は、このたび家族との暮らしを疑似体験できる、世界初のモデルファミリー付きモデルハウスに関して、2019年11月17日(日)“家族の日”に行った体験会の模様を収めたドキュメントムービーを本日12月9日よりWEB上(URL:https://tokyo-chumon.com/model-house)で公開いたします。」

向田邦子ドラマに見る「生きることの責任」

 

長いこと記事書いていませんでしたが、よそのサイトに向田邦子作のTVドラマについて書かせてもらいました。

アクセスサイト:

https://re-ageing.jp/10835/

書き出し:

最近偶然刺激的な動画を見つけた。20年余り前1978年に放映された連続TVドラマ『家族熱』(KAZOKU-NETSU 1~14)だ。脚本は向田邦子(1929〜1981年)。

「白やぎさん」ならぬ「黒やぎさん」からお手紙(てがみ)ついた:ハゲタカ出版社のこと

つい最近のこと某オンライン誌に載った私のペーパー(… the dance of the heavenly maiden)を見て著者に関心を持ったとかで投稿依頼メールが来た。私無名ですけど、何か?と思った私。編集委員会にも参加してほしいとまでのたもう。ここまで言われると私としては当然「コイケ土地路」にならってアラート発令するしかない。誌名はAmerican Journal of Design and Artとある。査読ありとうたいながらその実無審査で高額掲載料をふんだくるインチキ誌かと思いググったところ(学術出版を装った)いわゆるpredatory publisherでは引っかからなかったが、実態はどうなんだろう。当該誌のHPで公開されている最近号の目次によると執筆者は非英語圏の方々が大多数だ。この点は俗にいうハゲタカ出版社の特徴に当てはまる。もう一点掲載費が高い。一本につき850米ドル1万円近いじゃないか。

 

ここで我が身を振り返る。毎年投稿する(学術)雑誌は学会参加費および(査読で排除される可能性がある)投稿権を合わせて600米ドル。加えて、人の目につきやすい方がいいと考えてopen accessを選ぶので200米ドル加算。800米ドルになって上記の場合と変わらんな。open accessというオプションも学会運営・出版社にとってはいい儲けじゃないか。でも毎回査読のコメントはかなり手厳しいし、自分が査読者となるのもいい経験だと思っている。

 

さて、ことば遊びめいた成句publish or perishが定着している現状では正規の学会誌と研究者の需給バランスがとれない以上(世界のあちこちではな、なぜか)主として米国?でハゲタカさんが跋扈するのも仕方がないのか。日本人研究者も人ごとではない。とにもかくにも業績を積めというのが至上命題だという弱みにつけ込まれやすいようだ。とりわけ国際競争が激化する一方の医学系で犠牲が出ているとか。エヴィデンスのない論文などすぐばれるじゃないかと素人は思ってしまう。しかしかつてのW大で教育を受けたOB0KATAが起こしたスタップ事件を思い出すと再現不可能な理論と実験結果を恥じらいもなく公表する手合いは後を絶たない。

 

そういう事情を憂いて日本の大学も研究者に対して警告を発している。 図書館に関する情報ポータル(https://current.ndl.go.jp/node/42063)には「ハゲタカジャーナル・ハゲタカ出版に対する『警戒リスト』『安全リスト』の質的内容分析(文献紹介)」(Posted 2020年9月24日)が掲載されている。

 

それにしても人はだまされやすいものなのか。1995年の人為的に起こされたソーカル事件は社会的に評価の高い文系批評誌がフェイク論文と見抜けなかったという現実を暴露してしまった。さらにそれから五年あまりでStap不正論文が世界的権威を誇るNature誌をまんまとだましおおせてしまったのだ。真贋の判断が得意そうな学者も必ずしもそうではないということか。

 

ちなみに、現在注目を浴びている「日本学術会議」問題は経験豊富な学術関係者が能天気に「学問」が無原則、無条件で「自由」であると信じている現実をさらけ出してしまった。キーワードをきちんと定義してから議論に進むのは常識なんだが、白毛のシニアが駄々っ子みたく喚く姿はみっともないったらありゃしない。