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ポール・クローデル作『繻子の靴』ー8時間耐えたのちの感動とさらなる展開への期待

2016年12月10日ー11日、京都芸術劇場 春秋座(京都市左京区北白川、京都造形芸術大学内)

  『繻子の靴』(四日間にわたる物語を描く四幕物)はざっくりいうと道ならぬ恋に燃えた男女(既婚女性ドニャ・プルエーズと未婚の騎士ドン・ロドリッグ)の物語だ。だが並の不倫話ではない。二人の愛は天上の高みをめざす。敬虔なカトリック教徒である二人は肉欲を排し魂の絆を希求する。表題の「繻子の靴」は女が生母マリアに対してプラトニック・ラブに徹することを誓う際に捧げるものでいわば決意表明に相当する。

 物語の舞台の地理的スケールも大きく、(15世紀から2世紀にわたり続いた)大航海時代の新旧両大陸とアフリカ、それに日本までふくまれる。時は16世紀末。100年ほど昔にはイベリア半島800年近く支配していたイスラム勢力に対してスペインのキリスト教徒勢力が勝利をおさめていた。航海術に長けたヨーロッパ列強の中でもとりわけ世界制覇の野望に燃えていたスペインはその失地回復と同時期にコロンブスにより(結果的には)発見された(ヨーロッパ人にとっての)新大陸アメリカで植民地政策を強引に押し進める。

 スペインのナショナリズムカトリックの信仰心が複雑に絡み合い植民地開拓が展開するという変動の時代を背景に二人の男女が必死に肉欲の炎を鎮めながら神の摂理にかなう愛を志向する。

 このようにテーマ的に深刻であり観客もそれなりの覚悟がいる『繻子の靴』だ。しかし本公演はあえて全編一挙上演という荒技。なにしろ丸々上演すれば8時間をこえる大作ゆえ上演されても通常「第4日目」をのぞいて大幅に短縮されることが多かった。今回はそれを8時間かけて舞台化された。原作の翻訳および演出を担当した渡邊守章教授をはじめキャスト・スタッフの方々も大変だったことだろう。しかも2日間で全編合計2回上演だ。午前11時開演。途中30分の休憩が3回。午後830分終演。

 ちなみに演出を担当した渡邊自身の新訳(2005年、岩波未文庫、2巻合計千ページ)を事前に読んでからと考えたもののろくに読みもせずに観劇したわたし。言い訳がましいが、現代劇の、いわゆる対話劇ではなく、いわば主人公二人の信仰告白もどきにしかわたしには思えない。だから事前に読んだところで本公演に対する理解が深まりそうにない。

 話を元にもどして、椅子にすわってただ見ていただけの私もしんどかった。第2日目の終了後になって退出しようかと迷ったくらいだ。しかし終演まで残っていてよかったと思う。<彼岸の愛>に燃える男女の物語は二人の魂の救済がほのめかされたように思えたからだ。

 劇の結末(第4日目の末尾)でかつてスペイン国王の名代として広大な植民地アメリカを支配したドン・ロドリッグはかれ自身が忠誠を尽くした国王の罠にはまり奴隷の身分に落とされる。かれは俗世の天国と地獄をともに経験したことになる。皮肉なことに絶大な権力をふるった時には実現しないままだったドニャ・プルエーズとの魂の結びつきが権力をすべて剥奪された今ようやく達成される。ただし実質的な保証があるわけではない。そのうえ愛の絆を結ぶべき相手ドニャ・プルエーズはそばにいない。実はすでにこの世の人ではないのだ。この世間的に許されない恋に走った二人の彼岸的絆はかすかに暗示されるにすぎない。

 スペインのどこかの浜辺に連れてこられ、ある尼に奴隷として売られたドン・ロドリッグの耳に沖合の艦船から響いてくる大砲の音がかれには救済の証しとなる。というのも生き別れになった(ドニャ・プルエーズが現世で結婚した男との間に生まれたのだが、精神的というか超現世的な意味で)かれら二人の男女のまな娘がカトリックの教えに導かれるスペインの勝利に貢献する海軍軍人と結ばれるのだ。この娘が父ドン・ロドリッグに宛てた手紙がようやく届く。その文面からくだんの砲音が異国人ながらスペインに味方してイスラム勢力と戦う武人の妻となったことを知らせるものだとドン・ロドリッグは納得する(注1)。砲音といっても実は教会音楽っぽいトランペットの聖なる響きだが。これは作者クローデルがこの作品を宗教劇として位置づけているからだろう。

 わたしは本作品に関するきちんとした知識も理解もないままに感動しているにすぎないことは承知している。それでもとりあえず感動と思わせていただきたい。

 もうひとつ、日は浅いながら茂山狂言に見せられているわたしが劇を最後まで見てよかったと思ったのは第4日目第1場で(第1日目および第2日目で純然たる脇役として登場していた)狂言師茂山七五三(しげやま・しめ)、その長男宗彦(もとひこ)と次男逸平に新たに若手三人。さらに、ひょうきんな少年を結構巧みに演じた造形芸大在学生が加わり、短いながら 狂言師らしい笑いの世界が展開する。(宗彦と逸平が扮した)高慢な科学者2名を小舟に乗せた漁師たちが海上をさまよう。大まじめな科学者の要請に従い漁師らは海底に沈むなにかを引き上げようとしている。船上の話題はおそらく1571年ギリシア西部の海上でオスマン帝国海軍対ローマ教皇やスペインなどの連合海軍との間に勃発したレパントの海戦ことだろう。漁師たちはいたって能天気だ。科学者が執着する真理追究なんかどうでもいいのだ。信仰をないがしろにしがちな科学に対する作者クローデルの批判が反映しているのだろうか。さすが狂言師。笑いの達人ぶりがおみごと。見ているわたしも途中で帰らなくてよかったと思うことしきり。

 出演陣は渡邊教授が率いる公演だけあって豪華だ。主役は仕事上渡邊教授と縁の深い元タカラジェンヌ剣幸とこれも教授と関わりのある「演劇集団 円」所属の石井英明。共演者も演劇集団 円や早稲田小劇場など1970年代以降の日本演劇界で活躍してきた役者連が多数。それにくわえて、スクリーン上の映像のみの出演だが、たえず古典芸能の伝統を創造的に超越しつづける野村萬斎2008年に上演された朗読オラトリオ『繻子の靴』でドン・ロドリッグ役)が出演。また茂山一門の狂言師や能管(横笛)奏者。さらに渡邊教授の教えを受けた京都造形芸術大学在学生と卒業生たち。みなさん、芸達者だ。このように本公演は魅力あるものだった。たとえ上演時間の長さのために観客にとってもかなり心身の負担を強いられた感は否めないとしてもだ。

 ところで日本語による『繻子の靴』上演の今後の展開についても私見を述べてみたい。作品に対する理解のないわたしがいうのもはばかられるが、出演者全員日本人でセリフも日本語ならクローデルの原作を大胆に翻案してもいいのではないか。大勢の観客にはフランス演劇やクローデル劇に親しんでいない人も含まれる。それでも今回の公演に関心があって劇場を訪れたわけである。こういう観客にも配慮してほしかった。

 こういう注文をつけるとそれは言いがかりだと反論がおこるかもしれない。しかし<創造的逸脱>を得意とする渡邊教授ならこういう大胆不敵かつ繊細な心を反映するような翻案が可能ではないか。なにしろ『渡邊守章評論集 越境する伝統』(ダイヤモンド社2009年)は名著の誉れ高い。いうまでもなく科学文献ならいざ知らず文学系の著作の翻訳はそっくりそのままのコピーや転写ではありえない。たしかに異質の文化大系間に生じる転換は原本の部分的喪失を伴う危険性がある。と同時に原本に秘められていた未知の可能性を生み出すこともありうるのではないだろうか。

 翻訳は二つの言語がかかわる以上、異種の個別的表現媒体(medium)間での転換が生じる。そもそも舞台芸術はすぐれてtransmediaの特質が色濃くあらわれるものだ。舞台上で生身の身体、分析的知性と美的感性が協同して作り出した舞台装置、音楽、映像など多様な文化的、芸術的要素が溶け合う。

 とはいえtransmediaというコンセプトにこだわりすぎるのも問題だ。(インターネットの技術の向上と普及を背景に1990年代以降注目を浴びるようになった)サブカルチャーを中心とするtransmedia storytellingまで『繻子の靴』の翻案にもちこむとクローデルという重要な存在が消えてしまいそうな気がする。

 そこで今回の公演で渡邊教授がひらいた新境地の学術的、芸術的意義を多としたうえで、教授のお弟子さんたちが幅広い観客層に向けて『繻子の靴』を斬新に翻案し上演していただけることを期待している。たとえば、まず2時間前後の上演時間を設定しておいて古典芸の魚、とりわけ能あるいは狂言に改作する。いうまでもなく能と狂言は国際演劇の開拓に長年献身してきた渡邊教授自身の路線とも重なる。

 深刻なテーマをもつ『繻子の靴』を能として上演すれば、能の悲劇性をあいまってますます観客にとって苦痛を強いることが懸念されるかもしれない。だが、能の悲劇性はある種の救いとカタルシスをもたらすことを考えれば、これも考慮にあたいするだろう。

 もう一つの翻案の可能性は狂言だ。にわか狂言ファンのわたしとしては、できれば原作のカトリシズムの摂理によりそうテーマを換骨奪胎してほしいと思う。魂のレベルで高貴なドニャ・プルエーズとドン・ロドリッグの彼岸的愛がもたらす苦悩を地面に這いつくばるように生きる庶民のずぶとい感性で笑いのめしてほしい。こういったからといって庶民が粗野で無神経だといいたいのではない。庶民の笑いには他者の苦痛、苦悩に共感するこころが秘められているにちがいないと思うからだ。

 (比較的)若手狂言師といえば、ちょっとおすましな東の気風を代表する野村萬斎。それに対してざっくばらんな西の気風を代表する茂山千五郎(去る9月までの旧名「正邦」、茂、宗彦、逸平、童子たち。かれら東西の若手狂言師の多くは渡邊教授が主導する舞台公演にすでに参加している(注2)・(注3)。かれら笑いの手練たちの活躍をぜひ見たいものだ。

 

注:

(1)   この武人(Don Juan d’Autriche、英訳John of Austria)google.booksで見つけた Barbara KortePopular History Now and Then: International Perspectives2012年、220)によると新約『ヨハネ福音書』第1章6節にある「神から遣わされたヨハネという人」と関連づけることができ、救世主としてのイメージをおびているとか。だが、わたしにはこじつけくさい感じがする。

(2)   野村萬斎201610早稲田大学で「狂言シェイクスピアの出会い」と題された講演している。演劇に対する萬斎の熱い思いが伝わってくる。

http://gujinnohitorigoto.cocolog-nifty.com/wakadanna/2016/10/post-e94b.html

(3)   茂山童子は20143渡邊守章による構成・演出で「能ジャンクション『葵上』」および(ポール・クローデル作『繻子の靴』より)「マルティメディア・パフォーマンス『二重の影』」に参加し健闘した。

     http://www.k-pac.org/performance/20140329d.html