森川劇団は<宝の持ち腐れ>に気づいて!

<一代新之助>は芝居も舞踊も絶品芸人だ。

2017年11月23日、浪速クラブ(大阪、新世界)

 

女型舞踊

鳥取砂丘」と「都忘れ」というしみじみとした曲で絶品の踊りを見せてくれた新之助

立役の踊りで見た「無法松」や「俵星玄蕃」もたまらなくいいけれど、今日の女型舞踊も素晴らしいの一語に尽きる。

 

それにしても新之助は選曲のセンスが抜群だ。

鳥取砂丘」歌詞:http://kashinavi.com/song_view.html?10827

動画:https://www.youtube.com/watch?v=jCjHGYiIO1Y

「都忘れ」歌詞&動画:https://www.uta-net.com/movie/37003/

 

薄鼠色の地に金糸をふんだんに使った衣装は渋い。が、一見地味でありながら、観る者の心に強くかつ上品な色気を感じさせる。

 

<一代新之助>は常に枠の中納まっている。過剰な動きもないし、過剰な思い入れもない。通常、枠にはまった<美>は優等生的な美ではあっても人の心にぐさりと突き刺さるようなインパクトはないものだ。ところが一代新之助は過剰であることを拒絶しながら舞台上に強烈に美的な空間を創造するのだ。こういう新之助がたまらなくいい。ずっと応援したい。

美術品は展示されるコンテクスト(環境)が異なると別物に見える?

兵庫県立美術館『大エルミタージュ美術館展 オールドマスター 西洋絵画の巨匠たち』

2017年10月3日[火]~2018年1月14日[日]

 

ひと月前サンクト・ペテルブルグに出かけたおり本家では見られなかった展示絵画を近場で見ようと兵庫県立美術館へ。

 

阪急王子公園からJR西灘、阪神岩屋をさらに南へ下る。久しぶりに見たJR西灘とその南の地域がオシャレに変身していて驚いた。摩耶埠頭を臨む海辺近くにある美術館はこの現代風に身繕いした一帯の司令塔みたいに一段と優雅だ。途中にはもう一つ2009年に開館したBBプラザ美術館がある。広々とした芸術・美術エリアだ。

 

2004年に現・兵庫県立美術館が開館するまで王子動物園近くにあった県立近代美術館(現・兵庫県立美術館王子分館 原田の森ギャラリー)を発展させたのが2004年に開設された兵庫県立美術館だ。さすが安藤忠雄の設計し美術館だけに建物自体が美術品という感じがする。

 

ヨーロッパ絵画の巨匠たちEuropean Old Master artistsの作品から16−18世紀に絞った35点が展示されている。モダンな赤地の壁に並んだ作品はたしかに21世紀の今もなお時代を超越したオーラを放つのものだと印象づける。

 

ちなみにエルミタージュ美術館では(すべて見たわけではないが)300万点以上の美術品を所蔵しているそうだ。

 

今回はとりわけOld Master artistsの作品に関心があったわけではない。本家で見れなかった作品ってどんなのかなという単なる好奇心から。

 

展覧会のために学芸員の方々は精魂傾けておいでだろうことは察する。でも、なんか物足りない。

 

本家は冬の宮殿、冬宮である。実に豪壮な建物だ。あの見る者を圧倒する壮大な建物という容れ物があるから金に糸目をつけずヨーロッパ中から収集した逸品が生きてくるに違いない。ロマノフ朝全盛期の女帝はエカチェリーナ2世(1729 ~ 1796年)エルミタージュ美術館創設を構想し実践に移すだけの力を持つ女性。偉丈夫の女性版か。この容れ物と収蔵物は彼女の権力と富の絶大さばかりでなく知性と美意識の高さを象徴している。この容れ物たる冬宮から引き離され、しかも量的にもそのごく一部に縮小されるといかに巨匠の作品群とはいえ迫力が衰えるような気がするのは私だけだろうか。

参考画像:http://www.saint-petersburg.com/palaces/winter-palace/

http://www.arthistory.ru/hermitage.htm

 

世界最大級の美術館を立ち上げたエカチェリーナ2世は傑物だと改めて思う。

ロシア(サンクトペテルブルク)バレエはキレがいい

10月下旬サンクト・ペテルブルグ(旧レニングラード)に8泊、マリインスキー劇場とミハイロフスキー劇場でバレエ6本とオペラ1本を観劇。

 

マリインスキー (去る10月の演目は劇場の英語版HPに詳しいhttps://www.mariinsky-theatre.com/playbill/search/10-2017/

バフチサライの泉』(バレエ)

『ジゼル』(バレエ)

真夏の夜の夢』(バレエ)

11月以降来年2018年3月2日までの上演予定演目およびチケット購入は https://www.mariinsky-theatre.com/playbill/search/11-2017/

 

ミハイロフスキー (10月公演は英語版HP https://www.mikhailovsky.ru/en/afisha/performances/2017/10/

フィガロの結婚』(オペラ)

ラ・シルフィード』(バレエ)

『海賊』(バレエ)

来年4月までの上演予定演目・チケット購入はhttps://www.mikhailovsky.ru/en/afisha/performances/

 

私はバレエ初心者ファンなので今回の出演者については予備知識なし。それでもダンサー全員が優れた技能の持ち主だということは納得した。プロポーションのいい身体と高度にリズミカルな動き。見ていて気持ちが高揚する。西洋生まれのバレエはいわゆる西欧人的形姿が最適なのか。多分そうだろう。スポーツ、たとえば柔道とは事情が違うような気がする。たとえ前近代から続く流れの中にあるとはいえ柔道は日本の近代に生まれた武術というより国際的なスポーツの部類なのだ。

 

さて話を元にもどして今回鑑賞したバレエとオペラについて。一つ強く印象に残ったのは『バフチサライの泉』と『フィガロの結婚』が大いに<オリエンタリズム>に彩られていたことだ。

 

いうまでもなくオリエンタリズムは人類の歴史と文化を主導してきたと自負する西洋列強がこの自文化中心主義ethnocentrismの発想から創造あるいは想像した東洋(=非西洋)に関する認識であり理解の仕方である。ここで幻想される東洋という異世界は(和風に言えば)エミシ(蝦夷)のような存在にほかならない。必ずしも敵対者でないかもしれないが、親密な関係になるのは是非とも避けるべき<他者>なのだ。だが、この存在は西欧人の目に怪しく異様でありながら、あるいはそれゆえに妖しい魅力を放つものだと映る。

 

オリエンタリズムOrientalism」という用語・概念は今から40年近く前1970年代末に出版された同名の著書以来世界に広まった。著者はパレスチナ生まれでアメリカで活躍した文学研究者エドワード・サイードEdward Said (生没年1935-2003)。多文化主義が一層の高まりを見せ西欧列強に夜植民地主義に対する批判 (postcolonialism) が熱を帯びはじめた当時の世界にはこの概念が登場する必然性があったに違いない。サイードの念頭にあったのは主として自身の生まれ故郷であるイスラム文化圏としての中東地域である。アジアことに日本や中国など東アジアは議論の中心ではないが、非西欧世界という意味で「オリエント」の概念に緩やかに組み込まれているに違いない。

 

そもそも人類の歴史が始まって以来世界には無数の自文化優位主義がある。だが、西欧16世紀以降急速に発達した航海術などのおかげで広い視野で<世界>を意識するようになる。西洋が獲得した世界に対する意識は東洋に対する差別意識、蔑視を生み出す。こういう選民思想が現在も解決のめどが立たない中東などを舞台とする紛争の原因の一端なのだろう。

 

おっと、再度話を引きもどさなくては。『バフチサライの泉』で西洋に敵対するのはアジアからロシアを中心とするヨーロッパまでユーラシア大陸の北半分に渡る広大な地域に分散したタタール人Tartarsの世界だ。タタールという存在だが、かつて日本には中国から「韃靼」という表記が輸入された。学問的にはモンゴル系、(広大なユーラシア中央部に点在する)テュルク系、(旧満州から南シベリアにかけて住む)ツングース系および(永久凍土に覆われたロシア北部のツンドラ気候地域に住むトナカイ遊牧民)サモエード系などの民族をさすそうだが、歴史を振り返ると時代時代で定義づけは大きく変動してきたらしい。

 

そういう曖昧模糊とした「オリエンタリズム」だが、その不明瞭さがかえって「西洋」が「東洋」に対して抱く不安と期待がないまぜになった感覚を生み出すには格好の条件だったように思える。ある意味で実に便利な思考や認識の<道具>なのだ。 『バフチサライの泉』の時代背景は16世紀だろうか。「バフチサライ」という語に含まれる「サライ」は英語でsarai あるいはseraiと表記されるが、ペルシャ語に由来してもともと「宮殿」を意味したそうだ。ただしAramco World: Arab and Islamic cultures and connections というサイトによると「(壮大な?)庭に囲まれた宮殿the palace in the garden」(http://archive.aramcoworld.com/issue/201202/the.palace.and.the.poet.htm)。

 

(現在のクリミア自治共和国にある)バフチサライは劇中でウクライナ南部、黒海に臨むクリミア半島を支配するクリミア・ハン国の首都。ちなみに「ハン」は漢字表記では「汗」である。ジンギスハン(ジンギスカン)に代表されるタタール文化圏の種々の統治者の称号だ。

 

劇中の国王はギレイ・ハンKhan Ghirey。彼に命じられた一団が西方にあるポーランド人の一王国に侵入し王女マリーMarieを誘拐しギレイ・ハンのハーレムに連れ去る。ギレイ・ハンの第一夫人ザレマZaremaが寵愛を失うのを恐れてマリーを殺害するが、怒ったギレイ・ハンが彼女を処刑する。しかしギレイ・ハンは己の欲望が原因で愛する二人の女を失ったことで絶えまない苦悩に苛まれることになる。

 

この作品に関しては日本語による解説http://d.hatena.ne.jp/yt076543/20151016が一読の価値あり。

 

劇の大半はタタール人のハーレムが舞台になるので西洋人にとっての異民族の風俗が前面に出る。とりわけ第一夫人ザレマのコステュームなどはタタール文化に関する知識が乏しい私にはペルシャの姫君に見えてしまう。おそらく原作者プーシキン(英語風表記Alexandr Pushkin、生没年1799-1837)もサイードのいうオリエンタリズムにとらわれていたのだろうか。

 

しかし、私としてはオリエンタリズムの視点から文芸作品にケチをつけるのには違和感を覚えざるをえない。というのもこのバレエ作品はオリエンタリズムが肯定的にかつまた効果的に働いていると考えるからだ。プーシキンのようなコーカソイド、白人系(アンチ(赤色)共産主義ソビエトの考えをもった「白系」とは異なる)ロシア人の意識の中にはタタール文化は怪しくも美しい、エロチックでさえあるものだったに違いない。

 

おもしろいことにタタール人であるギレイ・ハンも異民族、異文化に引きつけられている。彼にとって西洋文化の中で輝く王女マリーは怪しくも美しい異族の女性だ。非西欧世界に見られる<裏返しのオリエンタリズムオクシデンタリズムOccidentalism?)>と呼ぶべきかな。

 

注記:ここからしばらくは冗漫な文章が続くかもしれないので読まずにすっ飛ばすこともアリ

 

ちなみにオリエンタリズムを理論づけたサイードに対しては<裏返しのオリエンタリズム>として批判する向きもある。サイードは西欧世界がそれ以外の世界についてその複層的な性格を無視して単一的な面貌を描き出した。そのサイードの頭の中には非西欧世界を植民地主義的支配を実践し、そういうイデオロギーで蔑視するのが西欧だという一面的決めつけがあるという批判だ。サイードの没後間もなく公表された中国系カナダ人研究者の論文にはサイード批判の視点が紹介されている。http://postcolonial.org/index.php/pct/article/view/309/106

 

しかしArab Leftist(このハンドルネームが暗示するのは左利きアラブ人ではなく左翼思想を信奉するアラブ人というか、左翼主義者はゲイ・レズビアンに理解がある[つまりqueer leftism]ので「ホモセクシュアリティーを許容するアラブ人」というニュアンスかな?)と名のるブロガーによるとサイードが西欧を根っからのオリエンタリズムの権化とみなしたというのは誤解らしい。このブロガーのサイード擁護論は過剰に長いが読み応えあり。 http://arableftist.blogspot.jp/2013/04/joseph-massad-occidentalists-other_21.html

 

イードが批判するのは16世紀以降のスペインやポルトガル、ついでイギリスとオランダが展開した植民地主義だという。古代、中世の西欧に(サイードのいう)オリエンタリズムは成立していなかったというのだ。それをサイード信者たちはサイードがあたかも西欧世界には根源的にオリエンタリズムが蔓延していると勝手に言いふらしているとこのブロガーは考えているようだ。

 

確かに考えてみれば、西欧世界にオリエンタリズムが芽生えたのは中世が終わり近代に入ってからだというのは正論のように思える。それ以前に(まだ西欧にその存在を認知されていなかった「アメリカ新大陸」とその実態が曖昧模糊としていた「暗黒大陸アフリカ」を除く)世界の主要部、つまり(ヨーロッパ西部を除く)ユーラシア大陸の大部分を支配下に置いたのはモンゴル帝国(14〜15世紀)と(20世紀初めまでかろうじて命脈を保った)オスマン帝国(16〜17世紀)である。時代的にズレがあるとはいえモンゴルとオスマン・トルコはいわば強者であり、対するヨーロッパは脅威におののく弱者であった。

 

その当時<強者>であったモンゴルもオスマン・トルコも非西欧、いわゆるオリエントではないか。この状態ではいわゆるオリエンタリズムが成立するはずがない。

 

道草を食ってしまったが、近代と呼ばれる時代に西欧に蔓延したオリエンタリズムにも光と陰の両面があるのではないか。この光と陰の微妙な混ざり合いがあるせいでバレエ『バフチサライの泉』は今なお人気のある作品の一つなのではないか。

 

イードオリエンタリズムについて先年亡くなったアメリカ人作家・映画批評家ドナルド・リチー(Donald Richie、1924年—2013年)が<オリエンタリズム>擁護論を書いている。”Rescuing Orientalism from the School of Said”, The Japan Time (2001年12月30日付)。ネットに掲載されてもいる。 https://www.japantimes.co.jp/culture/2001/12/30/books/rescuing-orientalism-from-the-school-of-said/#.WgZkzBO0MQ8 リチーは終戦直後来日し、コロンビア大学での勉学期間を除いて60年あまり日本に定住。日本映画をこよなく愛したことは広く知られている。

 

このエッセイでリチーは卓越した日本文化論『表徴の帝国L'Empire des signes 』(1970年、日本語訳あり)でも知られるロラン・バルトに強い共感を覚えている。(サイードよりむしろその信奉者に不信感を抱く)リチーはオリエンタリズム同様上から目線につながりがちな言葉「エキゾチシズム」をあえて持ち出してオリエンタリズムの全面的廃棄の無謀さを訴えたいようだ。自己・自文化に回収、順化、適応化できない他者・異文化に極力偏見を排して向き合うことの意義を聞き手・読者に理解したいらしい。哲学者でもあるバルトの詩的感性の鋭さを上記日本論に読みとり他者に真摯に対面しようとするバルトの姿勢をエキゾチシズムという用語を頼りに理解しようとするリチー。エキゾチシズムは物見遊山的感覚と見下されがちだが、素直な驚きと好奇心という人間本来の感覚に根づいているのであながち捨てたものではない。それどころか物事の本質を突いていることもあるのだ。

 

注記:ここらあたりまでこの記事を無視することもアリ

 

オリエンタリズムに関しては渡辺京二・著『逝きし世の面影』(葦書房1998年/平凡社ライブラリー 2005年)で鋭くかつ的確な指摘をしている。この書は幕末から明治初期にかけて日本に滞在した西洋人がとらえた日本の姿を論じたものだ。とかく西洋人が未知の国日本を観察したところで偏見だらけだと思いがちだ。が、事実は違うと渡辺は主張する。

 

以下『逝きし世の面影』からの引用ー

「異邦から来た観察者はオリエンタリズムのメガネをかけていたかもしれない。それゆえに、その眼に映った日本の事物は奇妙に歪められていたかもしれない。だが、彼らはありもしないものを見たわけではないのだ。日本の古い文明はオリエンタリズムの眼鏡を通して見ることができるようなある根拠を有していたのだし、奇妙に歪められることを通してさえ、その実質を開示したのである。

(略)問題は、賛嘆するにせよ嫌悪するにせよ、彼らがこれまで見たことのない異様な、あえていえば奇妙な異文化を発見したということにある。発見ではなく錯覚だということはたやすい。だが、錯覚ですら何かについての錯覚である。(略)幻影はそれを生む何らかの根拠があってこそ幻影たりうる。」(52頁)

有益なサイト:1203夜『逝きし世の面影』渡辺京二|松岡正剛の千夜千冊 https://1000ya.isis.ne.jp/1203.html

 

一方『フィガロの結婚』は某伯爵の家来フィガロがこれから結構しようとする小間使いスザンナにちょっかいを出そうとする伯爵の企みをこと荒立てずに防ぐ。機転がきく庶民がいささか横暴な貴族をやり込めるお話。演出担当のヴァチェスラフ・スタラデュブツッェフ Vyacheslav Starodubtsevは斬新さを打ち出そうと中国趣味をふんだんに盛り込んだという。劇場HPにある一連の画像を是非ご覧あれ。 https://www.mikhailovsky.ru/en/afisha/performances/detail/1009586/

 

なるほどコスチュームは清朝あたりの中国を思わせる。が、女性陣の一部の髪型はオペラ『蝶々夫人』に影響されたかして日本髪風だ。それに伯爵がもつ劔は紛れもなく日本刀。オリエント、いや東アジア文化の<ごたまぜ (misch masch)>だが、見ていて楽しい。見慣れたものに新規さを見出そうとする意欲の発露と受けとめたい。これも先ほどの(読み飛ばし可能箇所での)リチーが注目するエキゾチシズムの効用といえなくもない。音楽と歌唱という聴覚だけでなく舞台上のウイットのきいた動く絵を楽しめて視覚も満足させられた。

 

伝統も切り口を変えればいくらでも新しい発見があるはずだ。

 

マリインスキー。バレエ(旧キーロフ・バレエ)とミハイロフスキー・バレエ(旧レニングラード国立バレエ)は日本から遠路はるばる出かけて観劇するに値すると独り合点している。

 10月下旬は秋の終わりだとかで最高気温摂氏5度。一週間いる間に気温が徐々に下がってほとんで零度くらいにしか上昇せず。それでも楽しかった。

おまけ:ホテルなど

Family Hotel Pyjamaは清潔な居心地のいいホテルだ。評価もたかい。それに安い。シングルだと朝食付き1泊4千円弱。二人部屋だと3千円を下回るらしい。

http://family-hotel-pyjama.hotelsinsaintpetersburg.net/en/

地下鉄主要駅のすぐそばで交通の便がいい。ホテルのそばには巨大なショッピング・モールGaleriaがあり、ここにはユニクロH&MZaraも出店。またО'Кей(オーケー)という名のスーパーもあって食料品が買える。

ただしこのホテルで注意すべきことが一点ある。民間アパートの中にあってそのアパートに入るには鍵が必要。(ホテルの看板もない。旧共産主義国のことだから無許可営業ではなさそうだ。出ないとネットに堂々とHPを掲げられない。)チェックイン後は鍵をもらうので問題ない。でもその鍵を観光中に紛失したらどうするか。スマホでホテルと連絡とるしかない。

私は日もとっぷり暮れた午後9時ごろホテルに着いたが、ホテルに頼んでおいた送迎タクシー(白タクに違いない)のドライバーがホテルのフロントまで案内してくれたので助かった。バスなどを乗り継いでいたらホテルのそばまで来てもホテルの場所を見つけるのに困ったはずっだ。この場合もスマホがあれば問題なし。(今回私はスマホなしで滞在。)タクシーの料金は空港からホテルまで片道1,200ルーブル(約2,400円)。

白タクのドライバーはみな好人物ばかりだった。マリインスキーもミハイロフスキーもどちらも片道運賃400ルーブル(約800円)。

 ミハイロフスキーは地下鉄主要駅から近い(徒歩10分)ので男の場合終演が午後10時過ぎても往復地下鉄利用できる。一方マリインスキーは最寄駅から徒歩20分。親切な人がそう教えてくれた。ただし地下鉄からバスに乗り継ぐ方法もある。駅員さんにおおよそのバス停の位置を教えてもらったものの、そのバス停で数人の人に尋ねたがどのバスに乗るのかわからず仕舞い。夜更けは寂しい運河沿いに歩くのでー危険そうー帰りはホテル経由でタクシーを予約した。流しのタクシーを拾うのは難しい。また劇場前で帰りのタクシーを拾えるが、運賃を高くふっかけられる危険性あり。ホテルで予約するのが無難である。

 

セルゲイ・ポルーニン ー 後日談と現在

 前回、英国ロイヤル・バレエ団を突如辞したポルーニンがモスクワやノボシビルスクを拠点に活動と書いた。このロシアでの活動期間は長くは続かず、結局ロンドンへ戻ったらしい。独自に企画した公演を実践する一方でロイヤル・バレエ団とも共演してもいるそうだ。

 ポルーニンは異性には無関心と思い込んでいた私には驚きだったが、ここ数年に渡って女性バレエ・ダンサーNatalia Osipovaとペアで仕事を続けている。英国のマスコミの報道では親密な男女関係もほのめかされているほどだ。Natalia Osipovaは彼より2、3歳年長、ロシア出身でボリショイ・バレエ団でも活躍し現在は英国ロイヤル・バレエ団のプリンシパル・ダンサーの一人である。

 ポルーニンは伝統的なバレエを超える新しいダンス形式を模索しているようで、その試みは"Project Polunin"と名づけられている。今年3月14日ー18日、ロンドン (Sadler's Wells Theatre)で第1次公演。未来志向の構成と演出を標榜し、出演者はダンサーもミュージシャンもいわゆるバレエ公演では見られないハイブリッドな人選だった。主役はポルーニンとオシモバだ。

 演目構成は①(蝋で貼り合わせた羽をまとって天空を飛翔するも太陽に近づきすぎて蝋が溶け墜死するギリシア神話Icarus, the night before the Flight、②(新作ダンス)Tea or Coffee、③(自己愛の化身のような美少年ナルキッソスと彼に恋する森の妖精エーコーをめぐるギリシア神話 Narcissus and Echo だった。

 ネット掲載の批評を4本ほどみたが、どれも期待はずれ、新味なしと大いに不評だ。

https://www.theguardian.com/stage/2017/mar/19/project-polunin-review-ballet-rebel-gets-lost-in-ego-sergei-sadlers-wells

https://www.thestage.co.uk/reviews/2017/sergei-polunin-project-polunin-review-sadlers-wells-london/

http://thecuspmagazine.com/reviews/project-polunin-review/

https://www.culturewhisper.com/r/dance/project_polunin_sergei_polunin_sadlers_wells/8181

 自分が学んできた伝統的バレエに不満を抱くポルーニンが目指すのはバレエかコンテンポラリー・ダンスか?(注:「テンポラリー・ダンス」はほとんど定義不能だが、バレエをはじめヨーロッパの伝統的舞踊に対する不満・批判から1980年代前半にフランスあたりで誕生したダンスをさすらしい。)

 ポルーニン自身がこういう不評を意識しているかどうかわからない。彼の強引な面もある性格から推測すると完全無視かもしれない。来たる12月5日ー9日"Project Polunin"第2弾が予定されている。公演会場はロンドン・コロシアム劇場。

 出演者や演目はいまだ未定とのこと。どうなるんだろう。

 

 『テレグラフ紙』に掲載されたポルーニンの発言集からは彼が今も愛する家族に強いた犠牲がトラウマになっているとわかる。彼のような天才は生身の人間と超人(=神と悪魔)というかけ離れた相反する2極の間をさ迷うしかないのだろうか。

 

 

 

 

人と神の狭間で —— 鬼才のバレエダンサー、セルゲイ・ポルーニン

ドキュメンタリー 映画『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』(2016年)

原題はDancer、監督はアメリカ人Steven Cantor。

 

 芸術的伝統と教師に対する絶対的服従・規律が不文律のバレエ界にあって反逆児・問題児(bad boy)とよばれてきたポルーニン(1989年生まれ)の幼少期から現在までをとらえた映画。幼少期の動画はCantor監督が関係しないホーム・ビデオを使用。まだわずか27年の時間を生きてきた若者の姿をとらえた作品だが、痛々しくはあるが崇高な魂の遍歴を浮かび上がらせる傑作だ。

 一見人並みはずれて強烈な自我の持ち主とも思えるポルーニン。上達するために身を削り、いのちを削るような努力を傾けるポルーニン。だが映画が描き出すこの青年はバレエ界の極め付きの天才的ダンサーであると同時に繊細で心優しい。自分をバレエに専念できるようにと自己犠牲を惜しまない両親と父方、母方双方の祖母という身近な家族に対する愛情と思いやりに溢れる一人の人間でもある。

 (ロシア南西部で国境を接する)ウクライナ南部の小都市ヘルソンのどちらかといえば貧しい家庭で生まれ育つ。母はまだ幼い一人息子の運動能力の高さに気づき、やがて地元の体操教室へ。息子に対する母の野望的期待感は募り、ウクライナの首都キエフのバレエ学校に入学させる。

 キエフはヘルソンから450キロも離れている。高額の授業料と(母子)の滞在費を賄うため父は遠く離れたドイツやポーランドへ、また母方の祖母はギリシアまで出稼ぎに行かざるをえなかった。家族はバラバラになる。

 13歳になったポルーニンは母ガリーナの勧めがあって英国の世界的名門バレエ学校Royal Ballet Schoolに挑戦。念願叶って入学審査に合格する。

 しかし在学中に彼の心をはげしく苛む出来事が。愛する息子に会えない年月が長く続く父ウラジミールは苦しんだあげく離婚を決意。事後にそのことを知ったポルーニンは大好きな父と同じように大好きな母が離婚したことに大打撃を受ける。以前から学費の資金を得るために外国にまで出稼ぎに出ている父や祖母に強い負い目を感じていたポルーニンの心の傷はいっそう深まる。

 ところで彼の経歴は異例ずくめだ。キエフのバレエ学校でも注目を浴びる優等生だったし、世界屈指のRoyal Balletでは最年少の19歳でバレエ・ダンサー最高位のPrincipalの称号を与えられる。これはもちろん彼の才能と努力の賜物だろうが、そのために支払った身体的、精神的自己犠牲は想像に余るものにちがいない。

 なぜポルーニンは異端児、bad boyなのか。所属するバレエ団では教師に反抗するわけでもないし、生徒同士で悶着を起こすこともない。しかし身体中に刺青が。そもそも名門バレエ団の中にあって刺青を入れるのは極めて異例らしい。素肌を晒す機会が多いバレエダンサーの場合刺青はタブー中のタブーだ。そのうえ過酷な身体訓練が原因の筋肉や関節の痛みを抑えるために(ドラッグもどきの)鎮痛剤や興奮剤を多用するまでになったポルーニンである。

 見落としてならないのは映画が彼の異端児ぶりを強調して物見高い世間の耳目を集めようとはしていない点だ。この90分ほどの映画で強く印象に残るのは愛する家族に犠牲を強いている自分に対する呵責の念だ。この呵責の念が悪魔的な鬼気迫る演舞につながっているのではないか。群舞であれソロであれポルーニンの舞台姿は<宗教的求道者>を彷彿させる。感動すると同時にその痛々しさにショックを受けてしまう。

 両親の離婚は自分のせいだという後悔の念に苛まれ続ける。その一方でといよりむしろ罪深い己を罰する意味もあってバレエの修練にご没頭するポルーニンだった。それにもかかわらずprincipalを認定されて2年も経たないうちに退団を決行する。その唐突ぶりに周囲は驚く。が、彼にとっては自分が原因で家族はバラバラになり果ては両親の離婚に追いやるという罪の十字架を背負っている以上バレエダンサーとしての己に過酷な修練を貸さざるをえなかったように思える。<宗教的求道者>の道は必然なのだ。

 退団後ロシアに帰国。モスクワとノボシビルスク(ロシア南部)を拠点にバレエダンサーとして活躍している。

 幸運なことにモスクワでバレエの指導者イゴール・ゼレンスキー(Igor Zelensky、1969年生まれ)と出会う。バレエのテクニックのみならず精神面の指導者。同時に代理の父親でもあるかもしれない。ポルーニンは父親が息子の学費を稼ぐために外国へ出稼ぎに出ていて少年期から青年期にかけて何年も父親に会えない悲惨な状態を経験している。(その点では父親も同じ思いを味わった。)彼にとってゼレンスキーは「バレエの師匠」であるより先に「父親」であるに違いない。

 その一方で究極のバレエを極めたいポルーニンはZelenskyにおそらく自分と共通する求道者の姿を感じとったのだろう。

 ポルーニンは英語でツイッターを発信している。

 このツイッターで知ったのだが、彼は映画に出演している。日本でも12月はじめに公開されるご存知(アガサ・クリスティ原作)『オリエント急行殺人事件オリエント急行殺人事件」にあまり重要な役ではなさそうだが、アンドレニ伯爵 (Coutn Andrenyi) 役で出演。監督が英国の名優ケネス・ブラナーでキャストには監督をはじめジョニー・デップウィレム・デフォーなど有名どころがずらり。 https://www.cinematoday.jp/news/N0095239

予告編は https://www.youtube.com/watch?v=Mq4m3yAoW8E

 

 2ヶ月ほど前に見て以来2度目だが改めて見ていっそう感動を覚えた。

 現代バレエ界の男性ダンサーといえばポルーニンとバンジャマン・ミルピエBenjamin Millepied(1977年生まれ)を連想する。ミルピエも平坦な道を歩いてはいない。世界トップクラスのパリ・オペラ座バレエ団の総監督に抜擢されながらわずか1年余りでバレエ団をさらざるをえなかったミルピエ。彼は世界に冠たる名門とはいえ旧弊な伝統にがんじがらめになっているパリ・オペラ座バレエ団に人間的な新風を吹き込みたかった。だが頑固な「体制」がそれを許さなかった。現在ミルピエは第二の故郷たるアメリカはロサンジェルスで自分が理想とするダンスを追求している。 

 

 まだ未見ならぜひ『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』の予告編(4分)をご覧あれ。

  http://www.uplink.co.jp/dancer/

 (同じ内容)https://www.youtube.com/watch?v=YXsP-AAL-7M

 またポルーニンの魂の叫びを響かせる動画もある。映画の後半でも紹介されるが、世界的歌手Hozierのデビューシングル「Take Me to Church」(2013年)のために制作されたミュージック・ビデオ。

  https://www.youtube.com/watch?v=NbIioFdE7Ak

  Sergei Polunin, "Take Me to Church" by Hozier, Directed by David LaChapelle

これを見ると活躍する場面は異なるが、HozierとPoluninの二人とも並外れた才能だと実感させられる。また撮影と監督を担当したDavid LaChapelleも芸術的感性がすごい。偶然とはいえ、この監督の苗字そのもの(チャペル)が祈りの場(教会)なのがおもしろい。

 ちなみにアンドリュー・ホージア=バーン(Andrew Hozier-Byrne、1990年生まれ)アイルランド人。

 他に、Cantor監督との対話動画(字幕なし、25分)

  https://www.youtube.com/watch?v=NbIioFdE7Ak

 

余禄。ポルーニンのRoyal Ballet退団が引き起こした衝撃がオンライン新聞で読める。例えば、

What's really behind Sergei Polunin's Royal Ballet emergency exit ...

https://www.theguardian.com › Arts › Stage › Royal Ballet 2012/01/26

Royal Ballet 'in shock' as dancer Sergei Polunin quits - BBC News

www.bbc.co.uk/news/entertainment-arts-16714921

 

 彼はロシア語に似たウクライナ語が母国語。ポルーニン関連のサイトをあさっていてウクライナ語のサイトに出くわしても(自動翻訳)「Google翻訳」を利用すれば自分に都合のいい言語に翻訳できる。英語に転換すると信頼度はかなり高い。

 

 

片山九郎右衛門は芸も人柄もすばらしい

観世流能楽師シテ方山九郎右衛門さんの

能はゆかしい おもしろい」

2017年10月4日、高槻現代劇場大阪府高槻市)午後2時—4時

 

前半は楽屋ウラ話っぽい、気楽に聞ける談話。それでいながら能という芸術の真髄にふれていて傾聴にあたいした。

 

まだ二十代の九郎右衛門氏が古くから伝わる「伝統」に今・現在の風を当てていささか硬化した伝統をリフレッシュしようとしたそうだ。その意図は新しい観客層を開拓すべく新規な発想に基づく「企画」ものを次々と打ち出した。だが、先代(九世)片山幽雪(1930-2015)は大いに不満。そこで十世は若き日(1954年)の父が(現代劇の)劇作家木下順二・作『夕鶴』を能形式に翻案した新作能で主役「つう」を演じたことを指摘したとのこと。痛いところを突かれた父君曰く、「あれは(構成・演出担当した演劇界の鬼才)武智鉄二(1912-1986)に乗せられた(ハメラレタ?)だけ」と弁明することしきり。

 

この時のお話には出なかったが、ネットで調べてみると片山幽雪氏の新作能への取り組みはまだ他にもあった。上演年が不詳だが、武智鉄二と(能楽界の大名人)観世寿夫(1925-1978)が構成・振り付けを担当した新作能高村光太郎原作)『智恵子抄』でも活躍している。血筋は争えないというべきか。

 

ちなみに新作能智恵子抄』は現在で劇中の印象的な箇所を抜粋した「舞囃子」もしばしば上演されるそうだ。

https://style.nikkei.com/article/DGXDZO76769520Y4A900C1BE0P01?channel=DF130120166057&style=1

 

それに続いて来月11月8日おなじく高槻現代劇場で上演される「高槻名月能 『殺生石(せっしょうせき) 白頭』のクライマックスの一節を題材に聴衆を相手に謡の指導が始まった。

今日は本公演の岩場前哨戦だったのだ。

 

殺生石』は全身が金色の毛でおおわれ、尾を九つもつ(女)狐(妖狐の化身である玉藻前たまものまえ)が天竺(インド)、唐土(中国)、日本を舞台に波乱万丈の活躍(暗躍?)を展開する話。ついには日本の那須野で討ちとられ、その激烈な執念が石に変じたと言い伝えられる。その石を「殺生石」というのだそうだ。

 

文楽でもこの伝説は舞台化されている。最近では2015年と2017年に『玉藻前曦袂(たまものまえあさひのたもと)』として上演。

 

話を元に戻そう。

先ほどのクライマックスの一節とは、

那須野原に立つ石乃 

那須野原に立つ石乃 

苔に朽ちにしあとまでも

執心を残しきて

また立ち帰る草の原」

 

謡も歌唱の一種だが、自他共に認める音痴の私は(例え誰も聞いていなくても)人前で大声を出すのが嫌だという変な性分。恥ずかしくて先生たる九郎右衛門氏の指導に従わなかった。でも考えてみると九郎右衛門氏がおっしゃるように観客も声帯と腹筋を使うつもりで観劇することで舞台と客席が橋で繋がるのだろう。能舞台には劇場構造として<橋掛り>があり、此岸と彼岸を橋渡ししている。それと同じことなのだと気づいた。

 

コーヒー・ブレークを挟んで後半はまず前半の謡の指導で紹介された「那須野」の箇所をお一人で『仕舞』という形式で謡い、舞われた。うまい!名人芸だ。

 

それに続いては観客から有志を募って能衣装の着付け体験の時間だ。男性がお一人出現。九郎右衛門氏はこの男性ばかりでなく聴衆全員に対して丁寧な着付け指導をなさった。しかも実に楽しそうに指導される。このことから能を広く世間に知らしめたい。こんなに楽しい芸能ですよと訴える心がわれわれ観客にひしひしと伝わる名解説だった。

この有志の方も、ひょっとして現代劇の役者さんじゃないかと思わせるほどのshowmanshipを感じさせる男性だった。

 

今日は意義深い二時間だった。

 

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今日の催しは代理で来たとはいえ、かねがね尊敬する(十世)片山九郎右衛門氏のお話と舞(仕舞)を楽しみにしていたし、実際楽しませてもらった。それゆえ九郎右衛門氏に(また主催者にも)ケチをつける気は毛頭ないのだが、コーヒー・ブレークにおぞましいものを見てしまった。

一見人目につきにくいようでいて参加者は見てしまう場所に崩壊の只中にあるあの<クズ政党(ヤマオの繰り返されるscandalゆえガソリン臭い党か)>の中にあって誇らしくも<偉大なるクズ政治屋>こと」ツジモト某」が画像とともにわざとらしいメッセージを掲示していたのだ。これは違法なセンキョ運動ではないか。こいつはジョウ夫とつるんで革命ごっこを生きがいとする輩。劇場のそばにまでいかにも善人ぶった顔をでかでかと載せたポスターがあるではないか。やれやれ。とっととウセロ!

梅若玄祥に魅せられて

9/30(土)13:00(開場 12:00) 京都 秋の梅若能     場所:京都観世会館   仕舞 通小町:河本望   地頭…会田昇   能『竹生島 女体』:梅若玄祥、井上貴美子、角当直隆、福王知登、喜多雅人、是川正彦、茂山千五郎、杉市和、曽和鼓堂、河村大、前川光長             地謡…角当行雄、山崎正道、田茂井廣道、内藤幸雄、河本望、小田切亮麿、川口晃平、山崎友正             後見…赤瀬雅則、小田切康陽   狂言『萩大名』:茂山千作、茂山茂、松木薫   能『阿漕』:井上和幸、廣谷和夫、島田洋海、森田保美、吉坂一郎、石井保彦、井上敬介         地謡…角当行雄、会田昇、山本博通、井上貴美子、角当直隆、川口晃平、小田切康陽、河本望 後見…赤瀬雅則、山崎正道

以上、梅若会インフォメーションより転載: http://blog.goo.ne.jp/umewakakai_info/e/4c9fa17dc73ce455729172a94dff59bc

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今回初めて知ったのだが、特殊演出であることを示す小書が「女体」なのでこの版は(通常?)龍神がシテ、弁財天がツレとするのに対してシテとツレの役割を逆転させる。この点については村上湛氏の批評「2014/1/5能 <竹生島 女体>の異形性」について詳しい。→ http://www.murakamitatau.com/blog/2014/01/201415.html

通常版の解説としてオススメなのがこちら。→ http://www.tessen.org/dictionary/explain/chikubushima

 

観世流シテ方 梅若玄祥氏の舞姿が見たくて宝塚(兵庫県)から京都へちょっと遠出。 五十六世梅若六郎から二世玄祥を襲名したのが2009年。9年後になる来年2018年3月には四世梅若實襲名が予定されている。

 

今回の公演に限らないが、幕開きで囃子方が奏でる音色は心をウキウキさせてくれる。ことに最初に音を出す能管(森田流笛方 杉 市和、森田流笛方 森田保美)が好きだ。あの出だしの鋭い笛の音はシビれる。それから、金春流太鼓方 前川光長のバチの振るい方が形式美を印象づけた。

 

主役を勤める玄祥氏は前半「老翁(前シテ)」として、後半は性が転換した「弁財天(後[読み:あと]シテ)」として登場する。老翁が弁財天としての本性を表すのだが、当日いただいたプログラムによると「狩衣姿に剣を持ち早舞か楽を舞う」とのこと。

 

(ネット上の『能楽用語事典』を見ると)早舞(はやまい)とは「男性貴族の霊や龍女の舞」の形式で「ノリ良く上品」であることを求められる。一方、楽(がく)は「唐土にゆかりのある役柄や[中国大陸や朝鮮半島から伝来した]舞楽[ぶがく]に関係する能で舞」い、「足拍子を数多く踏む」のを特徴とする。(注:[]内は筆者による追記。)

 

後半、弁財天と(通常版では後シテだが女体版ではツレと位置づけられる)龍神がそれぞれみごとな剣さばきを見せる。龍神を演じる是川正彦氏の振るう剣は勢いがある。が、玄祥氏は剣の動きが鋭くない。年中、全国各地の能舞台に出没する強行軍で疲労が溜まっているのかもしれない。それでも玄祥氏の舞は見応えがある。

 

常識的にいえば劇中の二つの神格、すなわちフェミニンfeminineな弁財天とマスキュリンmasculineな龍神は互いにあい反する、対立的な存在同士のように見える。しかし仏教、それも民間信仰としての仏教は両者の性格がホトケの二つの属性を表すと理解する。すなわち弁財天は慈悲深さを、他方龍神は厳しい形相の龍神の時に怒りをあらわにして人間にホトケの教えに従うことを要求する厳格さの象徴なのだ。こういう<男性>と<女性>をめぐる柔軟な解釈は日本特有かと思えそうだ。

 

しかしユダヤキリスト教を例外として世界に普遍的な気がする。懐かしいユングの<アニマanima>・<アニムスanimus>説を思い出してしまう。20世紀にはユング心理学は思想界全体に影響力を及ぼした。哲学と呼んでいいほどだった。

 

男女いずれも潜在意識に異性的なものをもつというのは確かに面白い。この発想がキリスト教文化圏から生まれたことも意味深い。私見に過ぎないが、こういう発想がユング心理学の領域をはるかに超えて20世紀末にキリスト教の影響下にある文化圏で Queer theoryを誕生させたのではなかろうか。Heterosexualityは人間性のデフォルトと断定できるのかどうか。となれば社会学的な男女識別はおそらく西洋近代が捏造した幻想と言えなくもない。

 

洋の東西を問わず古代、中世、前近代に渡る長い期間人間の潜在意識ではフェミニンな属性とマスキュリンな属性は厳格な意味で二項対立ではなかったのではないか。そんな妄想へ踏み出したくならせる『竹生島—女体』であった。

 

二曲目の能は『阿漕』。観世流シテ方 井上和幸。中世の殺生戒と人間の業を戒める仏教説話が民間伝説となり、中世の能楽、さらには江戸時代(初期)になると、古浄瑠璃『あこぎの平次』をはじめとして浄瑠璃や歌舞伎などの題材としてとり上げられる。元ネタから大きくそれて8世紀の武人坂上田村麻呂が関係してくるそうだ。

 

題名だが、浄瑠璃文楽)は『勢州阿漕浦』、歌舞伎は『生州阿漕浦』。いうまでもなく勢州は旧国名伊勢国」をさす。 現在の三重県津市にある阿漕浦。

 

古い伝説によるとこの漁場では伊勢神宮に供える魚しかとってはならないという一般の漁師には禁漁の海域であった。平次という地元の漁師が欲にかまけて幾度もその禁を犯してしまう。高値で売りさばく魂胆だ。その挙句仲間の漁師の怒りを買い簀巻きにされて海に沈められる。

 

平次の罪の深さは一度死んでも許されず、地獄に落ちても密漁を繰り返しては罰として殺害されることがいつまでも続く。その苦しみから逃れたいと平次は偶然当地に立ち寄った旅の僧に必死に救いを求める。それで平次の魂が救済されたかどうかは観客一人ひとりの思いにかかっているのだろうか。

 

この伝説はことわざ「阿漕ヶ浦に引く網」として後世に引き継がれる。隠し事も度重なれば世間の知ることとなるという戒め。

 

また和歌にも読まれることとなる。

逢ふことを阿漕の島に曳く鯛のたびかさならば、人も知りなん(平安時代の私選和歌集である類題和歌集『古今和歌六帖』)

伊勢の海、阿漕が浦に引く網もたびかさなれば人もこそ知れ(『源平盛衰記』)

 

上記の二例では「阿漕」が「度重なること」を意味していた。のちには「執拗さ」を表すことに変化していく。現在では「強欲」や「無慈悲」な意味合いで使われている。恥ずかしながら私は阿漕の由来をまったく知らなかった。

 

ネット検索をしていて驚いたのだが、地元、津では<あこぎな奴>は褒め言葉になるらしい。実は親孝行息子の話として伝わっているのだ。 http://toppy.net/gourmet/070508.html

貧しい漁師である平次は病気の母のために薬代わりになる「やがら」と呼ばれる魚を釣っていたのだが、ある日浜に名前の入った笠を置き忘れ、そのために捕まってしまう。その後どう処罰されたかは不詳。

 

二曲の能に挟まれた狂言は『萩大名』。茂山千作氏は豊かな舞台経験と(おそらくは)そのユニークな個性があいまって太郎冠者(茂山茂)に「愚鈍」だと影口を叩かれるプチ権力者の姿を無様でありながらも可愛い人物として描いていた。

 

それにしてもいつもながら千作をはじめ茂山一門(千五郎、茂、松本薫、島田洋海)の美声はおみごと。聞き惚れてしまう。

 

最後に一言余計なこと。人間国宝梅若玄祥氏の舞台。系列のお弟子さんたちがたくさんいるに違いない。他の出演者についても同様だろう。そのため観客の大半は単なる素人の演劇好きというより子弟系列の方々が多いような気がした。これは私の誤解かもしれないことは承知している。でも(いつもと違い)何か閉鎖的な雰囲気を感じてしまった。除け者にされた私のヒガミかな?入場料が高いこともネックになっているかもしれないが、単なる演劇好きも気楽に観劇したいものだ。