「劇団 悠」快進撃

メンバーが入れ替わってもパワーが下がるどころか逆に向上している。うれしい!

去る3月末頃このブログで高橋茂紀と嵐山錦之助が一時的にせよ抜けるとせっかく盛り上がってきた集団のパワーが弱体化すると書いてしまった。これは杞憂にすぎなかった。前言撤回。座長を初め座員一人ひとりが力伸ばしている。

 

特筆すべきは長縄龍郎の活躍だ。日にち毎日の舞台で輝いている。この劇団には「高橋しげこ・ショー」に加えて「長縄りゅうこ・ショー」が人気出し物となっている。やがて展開するはずの「しげこ」対「「りゅうこ」の流血必死のバトルが楽しみだ。

 

それから和(かず)・さおりが先月ひと月大阪を離れている間にめざましい成長をとげた。スゴイ役者根性!開演前の観客席で贈物のバッグをいっぱい手に提げている彼女の姿を見ていて私までうれしくなる。もっと高価な贈物、着物までプレゼントされていた。頼もしいファンができてきているのだ。

 

さらにもう一人忘れてはならないのが駿河染二郎。エンターテイナーとして歌も芝居もプロの芸を見せる染二郎。『化け猫』が上演された5月8日はフィナーレで「大殺陣、羅生門」。座員全員の殺陣が決まっていたが、なかでも当日ゲスト出演のプロの殺陣師さんを相手にした染二郎の殺陣が光っていた。

 

常任座員ではないが、竹内春樹も注目に値する。今月は彼の存在感が大きいように思う。舞踊で見せる任侠姿の男っぷりが冴えている。お花もつく。女性客の心をとらえているにちがいない。

 

ちなみに高橋茂紀と嵐山錦之助は現在身を置くそれぞれの居場所で健闘している。このふたりが劇団 悠がもどってくれば、今度はまた新たな磁場が創成されていっそうのパワーアップが期待できる。

劇団「時遊」は精神的に即刻自立すべき — 人(Waka-maru)頼みは自滅をまねく

2016年4月、大阪十三「遊楽館」

「時遊」は3年前の大阪公演(梅南座、名生座)で見て以来久しぶりだ。劇団「絆」(錦 蓮座長)と合同公演だった。口上挨拶が楽しかったことが記憶に残る。ようやく近くに来たのだから行ってみる気になった。

 

4月9日(土)『三下剣法』(弱虫男が苦い経験を通して自立する悲劇)

弱虫の百姓男、松(座長烏丸遊也)が強い男になりたくてある梵天親分(都川 純)のもとでヤクザ修行をするが、挫折し帰郷。ところが気の強い母にもう一度やり直してこいと追い出されてしかたなく元の一家にもどる。しかし松の留守中、病気ですっかりにらみのきかなくなった梵天親分の一家は対立する鮫津(ゲスト? 甲斐浩志)の一家に今にも乗っとられる危機を迎えている。まず松の兄貴分(ゲスト 優木 誠)が謀殺される。その後梵天親分とそのひとり娘およね(雲母坂美遊 [きららざか・みゆ])もだまし討ちにかけられる。そこへ嫌々もどる松。弱虫根性はあいかわらずだが、おたおたしながら鮫津一家ともみあううちに偶然にも親分一家の仇討ちに成功。ようやく任侠心が芽生えてくる。

 

気の弱い主人公「松」役の座長は自分の外見を効果的に生かして好演。しかしこの座長より落ち目のヤクザを演じた都川 純演技力はすごい。演技のスタイルが古いのなんのというような批判をこえたレベルで名役者とよぶにふさわしい。

 

4月10日(日)『黒潮の兄妹』(性根の腐りきった女、人の子の母親でもあるこの女が原因で心根のやさしいその子どもたち(兄と妹)が命を失う暗黒悲劇)

貧しい漁村。寡婦のツネばあさん(十 川流 [つなし・せんりゅう])は寄る年波からか昔のように男漁りこそ しなくなったもののあいかわらず身持ちが悪い。日にち毎日飲んだくれている。ツネは娘オシン(雲母坂美遊)に男でも辛い灯台(江戸時代のよび名は「灯明台」トウミョウダイ)の番人の仕事をさせ、稼いだ金を酒代にと巻き上げるありさま。親様の名にあたいしない輩である。飲み代ほしさに土地の代貸(都川 純)が代官まで抱きこんで仕組んだ悪巧みに加担する。この悪巧みとは毎年上浜と下浜のふたつの集団からなる地元の漁師たちが漁業の優先権を賭けて夜間に競争をするらしい。安全航行の頼りになる灯台の存在意義は大きい。その際、代貸に都合の悪い、つまり儲け話にならない集団(上浜か下浜か失念)が先に浜に近づいた場合は灯台の火を消して難破(水死)させようというのだ。そうすれば二千両だかの大金が代貸の懐に入る算段。そこでツネばあさんが親の権威で灯台の番人をつとめる娘を説き伏せて明かりを消せばすべて策略どおりになり、礼金をツネにくれてやるというのだ。ツネは二つ返事で引き受ける。

 

やがて主人公シンタロウが登場。この男、実はオシンの兄でツネの息子である。シンタロウはツネの死んだ亭主の考えで捨て子を拾って嫌々育てたという事情があってもともとツネはシンタロウを嫌っている。父親の死後性根の悪い「母親」ツネを嫌ってシンタロウは出奔し渡世人になっている。ハハとムスコの関係は最悪。帰ってきたムスコは邪魔者でしかない。ツネは両の金儲けのことで頭がいっぱい。帰郷してもいづらくなったシンタロウは再度旅烏にもどろうと家を出る。ところがツネは自分で競争のなりゆきに応じて灯台の明かりを操作しようと娘オシンから灯台の番小屋の鍵を奪いとる。その後代貸の手先(優木 誠)が企みの邪魔者であるオシンに傷を負わせて番小屋に近づけなくする。血を流しながらもオシンは番小屋へ。シンタロウも異変に気づき、番小屋へ駆けつける。そこで妹(オシン)とツネに出くわす。隙をねらってツネはシンタロウを刀で刺す。深手を負いながらもシンタロウは血のつながらないうえに母性愛もない性悪女なら親様ではないと言い訳してツネを殺す。妹が息絶えたことを知って絶望したシンタロウが自害する。善人がふたりとも死んでしまうという救いのない悲劇だ。

 

都川 純はいつもながら名演技。今回は新しい発見が。私が知るかぎりいつも十 川流はセリフの少ない脇役だったが、この日は違った。性悪な人間をみごとに演じきっていた。芝居がうまい!都川 純に比較できるほどの芸達者なのだ。この果てしなく暗い悲劇を重厚な作品にする功績は都川 純と十 川流にある。座長はまだこのふたりにかなわない。

 

ちなみに雲母坂美遊も芝居上手だ。男女とも若手は大概セリフと顔の表情が連動しない。顔に芝居らしい表現が出てこないことがほとんどだ。だが雲母坂美遊は表情が豊かに変化する。

 

こういうぐあいに劇団「時遊」が芝居上手だと褒めたうえでひとついいたいことがある。座長が芸の面で都若丸に直結していないにもかかわらず、なぜことさらに「若丸一門」を口にするのか理解できない。「ミックス・ジュース」の猿マネなどもってほほかだ。

 

都若丸のおじである都川 純は(人づてに聞いたにすぎないが)若丸に時代劇演出のツボを伝授した御仁なので若丸を話題にするのは理解できる。しかし座長は若丸に恩を売ったわけではない。母の夫であったらしい都川 純を接点に若丸と関係づけられるに過ぎない。(個人的に思うのだが、TVのバラエティー・ショーの延長線上にあるにすぎない都若丸劇団をモデルにしてどういう意味があるのか。たいして数も多くない手持ちのパターンをリピートしているだけの都若丸劇団に将来はない。)

 

烏丸遊也は劇団「時遊」の座長としての矜持をもつべきだ。自分の芸の手本とできるベテラン役者ふたり(都川 純と十 川流)がそばにいるではないか。それに芸の習得に熱心な雲母坂美遊もいる。(すでに退団したらしい 川咲 碧がいれば劇団にとっていっそう好ましいと私は思うのだが。)人頼みの根性は腰が引けていることを世間にばらすようなものではないか。マイナスになるだけ。

 

それにしても、いや人頼みの根性だからか、大阪で集客できないことにもっと危機感を覚えるべきだ。認知度が低すぎ。

 

それからもうひとつの疑問。今月だけのゲストとはいえ優木 誠(元・見海堂劇団「笑泰夢」座長)に芝居でもっと重要な役を振るべきだ。

 

ちなみにむすこさんである「専務なおや」も6年ぶりか。2010年当時静岡県浜松市に住んでいたが、地元の劇場「浜松健康センター バーデン バーデン」で優木 誠親子の舞台を見たことがある。あのころは専務なおや君も就学前で今は小学6年生かな。京娘の舞踊が達者で感心した。

 

劇団「時遊」よ、誇りをもて!

 

<予定外題など>

4月14日 『新吾捕物帳』

4月15日 特別ゲスト「松山勘十郎」一座(「大衆プロレス」だとか。松山勘十郎のツイッターをご覧あれ:https://twitter.com/kanjyuro_osaka?lang=ja

4月16日 『新月桂川

 

 

 

 

間断なく流動する時空間の万華鏡 ー 劇団 新感線『乱鶯』

観劇:2016年3月26日、新橋演舞場

 

長年日本の現代演劇の最前線を走りつづける「新感線」だが、私の場合今回が初めての観劇体験だ。ただ、新感線を代表するいのうえ ひでのり(演出)と中島かずき(脚本)がかれらの異才を発揮した歌舞伎NEXT阿弖流為』(2015年10月、大阪公演)を見ているのでまったく未知の世界ではない。

 

現在の新感線はメンバー構成が特異である。上演ごとに劇団内部と外部が合同する。1980年に旗揚げ五2000年ごろまでは純粋に所属メンバーだけで公演活動していたようだ。しかし人気が高まるにつれ上演形態が変化し、劇団外部から異才を放つ俳優やタレントを招いて劇団員との混成部隊を編成するようになった。(私が見た唯一の新感線作品)阿弖流為(私が見た唯一の新感線系作品)は劇団人気作のひとつらしい。この作品は新感線独自の斬新なアイデアと(市川染五郎中村勘九郎七之助ら)歌舞伎界の精鋭が発揮した演技力の結合だった。

 

さて新感線の舞台に大いに興味があってチケットを購入した。それともうひとつ理由がある。稲森いずみの成長というか変身ぶりをみたいと思った。私はTVドラマ『ロングバケーション』(1996年)以外、稲森の活動は知らない。リアルタイムから8年遅れくらいでDVDで『ロンバケ』を見て「モモちゃん」役の稲森のズレ方、はずし方が気に入っていた。あれから20年、あのときの魅力がどう進化したのか興味津々。新感線を代表する個性派役者、古田新太とガチに組んで引けをとらない演技には魅せられた。(とはいうもののTV出演を数多くこなす古田が自分だけ浮いてしまわないテクニックを学んできたことも関係しているかもしれない。)また稲森は今回が新感線の舞台が初めてではない。2009年に『蛮幽鬼』で古田と共演しているそうだ。この作品は動画におさめられ「ゲキ X シネ」シリーズの一環として5月27日神戸三宮にある神戸国際松竹で上映予定なのでぜひ見たい。 

 

新橋演舞場のキャパは1,400あまり。週末だけに入りがいい。いや週末だからじゃなく絶大な人気を誇る新感線だから観客が詰めかけたというべきだろう。それに観客の顔ぶれもいわゆる歌舞伎と比べて格段に若い。ついでに大衆演劇と比べてみても新感線ファンの観客層は子どもどころか孫の世代である。

 

私の席は3階右翼、貧乏席?という人も。正直なところ同じ価格帯でも左翼にすべきだったと悔やんでいる。浅知恵を働かせて右翼席なら花道を出入りする役者がよく見えると期待してしまった。ところが『乱鶯』は登場人物たちが舞台上手で絡み合う場面が多かったのだ。そのためかれらの姿は見えないし、劇場の構造に問題があるのかセリフが聞きとりにくかった。おもしろそうなやりとりが足下の不可視かつ聴取しにくいの空間で進められるはめになり残念だった。

       

上演時間は休憩をのぞいても3時間あまり。舞台上で数多くの登場人物たちの口から膨大な量の言葉の群れが溢れ出す。口ばかりでなくかれらの身体からも無言のうちに言葉が果てしなく放散される。こういう言葉の洪水に飲み込まれて観客は息つく暇もないという状態だったという記憶が残る。

 

セリフのとちりなど私は気づかなかった。だれもトチらなかったのかもしれないが。ネット上の観劇記などによると開幕直後はセリフのいい間違いがあったとか。だが開幕からすでに3週間が過ぎ出演者もかなりなれてきたのか、みなさん滑らかなセリフ回しだった気がする。

 

私には登場人物のセリフも動きも実になめらかだったという印象が強い。アップテンポで進行するで登場人物同士の複雑な絡み合いが生み出す人間模様はまるで万華鏡の像を思わせる。千変万化する幻影。劇の進行に連れて次々に現れる幻想の絵模様。これから先の展開を心待ちにしてワクワクせずにおれない。

 

遅まきながら新感線のスタイルを知りたくて中島かずきの作品を出版物で読み出している。まだ一作だけだが、小説形式の『髑髏城の七人』を読んだ。一応小説とうたってあるが、ト書きの多い脚本というのが似つかわしい。登場人物の動きがまさに万華鏡の絵模様だ。個々の人物がそれぞれの人生を歩んでいるというような文芸物の伝統的人物造形とはまるで無縁の手法を中島は選んでいる。おそらくそれが中島らしいスタイルなのだろう。かといって人間像がないわけではなく、それぞれがある種の個性を発揮していて、しっかりキャラ立ちしている。読者に休憩なく一気に読ませる吸引力に満ちていると思う。

 

ちなみにこの「小説」は中島自身が執筆した『髑髏城の七人』(1990年初演、「いのうえ歌舞伎 巻之四」)シリーズの延長線上にあると中島はいう。1997年に再演したあと2004年には同作の「アカドクロ版」および「アオドクロ版」を上演。この2作では歌舞伎界の若手市川染五郎をはじめ積極的に劇壇外から出演者を招いている。主要登場人物が入れ替わるたびにその役者を最大限に生かせるように人物像も場面も書き換えてきたそうだ。中島の柔軟な創造力には感服するしかない。中島は劇団の魅力を生み出す原動力の重要な要素のひとつなのだろう。

 

話を元にもどそう。従来「いのうえ歌舞伎」はいのうえ ひでのりによる演出、中島かずきが脚本という体制である。いのうえ・中島は強力なタッグを組んで名作を続々と産んできたらしい。 ところが『乱鶯』は外部から評判の高い演出家兼劇作家で「ペンギン プル ペイル パイルズ」という劇団を主宰する倉持裕が脚本を担当している。そのせいか『乱鶯』の作風はいつもの新感線とは違って普通の時代劇っぽいという意見をネットで見かけた。倉持裕は未知の作家なのでまず『バット男』(2003年、舞城王太郎・原作)を読む予定。このように『乱鶯』の場合脚本家は外部からの招聘だが、新感線の性格として脚本を忠実に再現することは考えられない。準備段階でいのうえや中島ばかりでなく劇団員の意見が反映され元の脚本から大きく変化していると推測できる。そうだとすると「普通の時代劇っぽい」という意見が暗示する新感線らしくないという『乱鶯』は実は新感線が新たな進化の段階に入ったことを証明しているのかもしれない。

 

新感線の舞台になじみがない私は今回の観劇をきっかけに今後上映される「ゲキ X シネ」を通して「いのうえ歌舞伎」シリーズに親しみたいと思っている。関西では4月後半に『髑髏城の七人 ーアカドクロ版』と『薔薇とサムライ』が上映される。その後も次々と新感線の舞台が映画として公開される予定だ。さらに6月下旬には「シネマ歌舞伎」で『アテルイ阿弖流為)』が封切られる。おかげで私には楽しみがふえた。

 

なくもがなの余談ながら、『乱鶯』は善も悪も登場人物を個別に全面規定するわけではないのかもしれない。善と悪の奇妙な混在。裏切りがあるようでないようで、いややっぱりあるかもしれない。一見一番悪人ぽい黒部源四郎が中途半端な悪人、小悪党でしかないこともありうる。一方、主人公鶯の十三郎を改心させて盗人稼業から足を洗わた劇中でもっとも好人物あるいは善の権化と思える(元?)幕府目付小橋貞右衛門もその善人ぶりと息子思いぶりがかえって怪しく思えてこないでもない。この善人が火縄の捨吉率いる強盗一味を裏で操っているのではかいかと勘ぐってみたい気がする。幕府目付といえば政治の中枢で司法部門に所属する以上正義を実践してしかるべきではある。あの長谷川平蔵(江戸の治安維持の最高責任者たる火付け盗賊改、長谷川宣以(はせがわ のぶため)みたいな役どころである。しかしこの人物を疑ったら、その愛息、盗賊一味に惨殺されてしまう脳天気でなんとも愛らしい人物こと御先手組組頭小橋勝之助の立つ瀬がなくなる。やっぱり小橋貞右衛門はあくまで正義の人かな。いや、怪しいかな?完璧なグレー・ゾーンだ。

 

それともう一人鶯の十三郎も疑れば疑れる。盗賊火縄の捨吉をうまく操って恩ある小橋貞右衛門の息子勝之助に一味を現行犯で捕縛させようと画策することになってはいる。だが、火縄の捨吉がその罠を察知して押し入り決行日を早める。結果狙われた店の(見習い女中をのぞく)全員、それに勝之助も殺されるはめになる。十三郎は捨吉から聞き出した決行日を捕縛の指揮をとるはずの勝之助に告げる。これはストーリー上当然の行為だ。それでも十三郎が怪しく思えるのは状況認識ができず口の軽い勝之助に対して口外無用とわざとらしく際立たせたセリフ回しでいうのがどうも解せない。案の定勝之助は人前でその日取りをばらしてしまう。十三郎はこういう展開を計算に入れているのじゃないか。でもそんなことして何の得になるのか。ひょっとして実はさきに触れたように小橋貞右衛門にもうかがえる「グレー・ゾーン」を印象づけるのがこの作品の眼目かもしれないと思ったりする。かくして疑問ばかりわいてきて話が落ちない。なので長過ぎる余談もこれで終了。

 

大衆演劇界はいまだにmorally blindなのか!(2016年4月 明石)

兵庫県明石市にある「ほんまち三白(みはく)館」は創立ごわずか半年。だが地元商店街などが中心になって立ち上げたNPOが運営しているだけあって劇場内に気が充実している感じがする。

 

先月(3月)は下町かぶき組傘下の「岬一家」が公演していたが、なんどか通って楽しんだ。下町かぶき組というとほとんど東北地方でしか公演していないため関西ではなじみが薄い。そのためまだまだ全国区の大衆演劇劇団と認知されていない。最近「劇団 悠」が近畿圏で活躍しているおかげで認知度があがってきているように思う。劇団 悠につづけとばかり岬一家は関西に初乗りこみして今年1月姫路は山陽シネプラザの特設舞台でなのりをあげた。次いで2月は愛媛県奥道後温泉、3月が明石の「ほんまち三白館だった。4月は滋賀県大津市のJR瀬田駅に近い「琵琶湖座」で公演中。ようやく下町かぶき組の2劇団が近畿圏で活躍する足場を築こうとしている。劇団 悠を応援している私としては下町かぶき組が関西で存在をアピールしているのはうれしい。

 

私の意識の中では下町かぶき組とほんまち三白館の縁が強いのでこの劇場自体に声援を送りたいと思っていた。今月も明石に週1回は通うつもりでいた。あれッ?「思っている」じゃなくて「思っていた」とは?劇場に原因があるわけではなく今月2座合同公演中の劇団、かつき夢二「かつき浩二郎」と三河家桃太郎「三河家劇団」が問題なのだ。

 

とはいえ(裏の)事情は 私にはわからないのでとりあえず劇団が問題だというしかない。つい先日劇場の支配人氏のブログを読んで唖然とした。14日のメイン・ゲストが和・一信会会長だとのこと。この御仁、2年ほど前大衆演劇ファンの話題となったおぞましい暴行事件の中心人物だ。この老人は昨年の裁判の結果執行猶予という条件づきながらりっぱな「前科者」である。この場合前科者一般が問題なのではない。くだんの暴行老人(とその家族 ーー座員ではない)は事件発覚当時から現在にいたるまで公的な謝罪はいっさいおこなっていないという札付きの輩(輩ども=家族)なのだ。

 

この特別ゲストのことを知って一挙に明石通いの気が失せた。明石は観劇もさることながら劇場のすぐ北側にある「魚の棚商店街」で海産物を見たり買ったりするのも楽しみにしていただけにかえすがえす残念なことだ。

 

以前耳にした話によると(男気のある)座長三河家桃太郎はこの暴行事件のことが大衆演劇界で騒がれていたころ九州の座長大会で座員に対する暴行についてはっきり批判的な発言をしたそうだ。そればかりか「和・一信会」からも脱退したとも。にもかかわらず今回の特別ゲストの登場予定はどうしたことだろうか。ばんやむをえない事情があるということなのか。

 

三河家桃太郎座長といえば、かなり前に当時私が住んでいた静岡県浜松市で営業していた「浜松健康センター バーデン バーデン」に三河家劇団が来演したことがあった。私には座長の芸に感服した記憶がある。また当時17歳の京 華太郎が去年だったか梅南座にゲスト出演していて芝居も踊りもずいぶん上達していたので今度もぜひ見たいと思っていた矢先にケチがついてしまった。

 

大衆演劇という社会的にはオモテの芸能とは認知されていない世界だけにこの異常な暴行事件についてマスコミは最下等の三面記事扱いしかしなかった。昨年5月判決が出た際にもほとんどとりあげられもしなかった。ネット上のマスコミの記事はすでに消去されている。ただし少数のブロガーによる記事は今でも読める。(検索語:2014年8月南條隆(矢野正隆)容疑者)。

 

こういう偏見まみれのマスコミの報道姿勢は社会というか世間の意識と無意識の両方を素直に反映していることは否めない。

 

千五百年の昔から(放浪)芸人は社会の周辺に追いやられていた。能楽の大成者として著名な猿楽師、世阿弥でさえ時の権力に寵愛されながら、その一方で社会的には人間扱いされなかったという現実がある。歌舞伎役者の場合も同様だ。歌舞伎役者に対する蔑称「河原者」、「河原乞食」は史実を反映しているが、いまだに社会の無意識ではこういう差別感覚が消えずに残っている。こういう感覚は無意識下にあるので個々人がそれを否定しても意味がない。

 

特異な才能を発揮する芸能者古代、中世では庭作りの名人なども芸能者とよばれていたは社会がその異能ぶりをおそれるあまり賛嘆の対象であると同時に蔑視の対象でもあった、あるいは今もそうだろう。今も昔も大衆芸能、大衆演劇の世界に生きる人たちは(歴史民俗用語でいう)「化外(けがい・かがい)の者」や「制外者(せいがいしゃ)」として社会的に位置づけられる。「化の者」や「制者」は社会的に承認される領域の外側にいる存在だ。端的にいえば、かれらはthose being socially classified as subhuman, or even nonhumanである。人間社会はどういう形の存在であれ化外の者を必然的に生み出すとしかいいようがない。だからmorally blindであることは許容されるべきではない。極力morally sensitiveであるように努めるしかない。

  

ちなみに最近偶然出くわしたブログに驚かされた。関西エンタメ界で活動しているという自称モノ書き兼大衆演劇ファン(女性)なる輩がブログ上でいうには、自分には事件の真相を知るよすがもないので加害者や当該劇団について批判はできないそうだ。毎度のごとくオヤジ口調でそうのたもうた上で自分にとって大事なのは舞台の出来がよければそれですべてよしという趣旨のことを書いていた。やれやれ、それでよく一人前の大人として社会生活が送れるものだと呆れるしかない。社会的常識にのっとったmoral sensitivityなしに人間社会で生きるなどありえない。虫けら同然である。

 

 

なおと(20歳)、錦之助(21歳) & さおり(22歳) 合同誕生日公演

2016年3月23日、弁天座(奈良県大和高田市

今日は芝居も舞踊もなおと、嵐山錦之助 & 和 [ かず] さおりが中心。演目すべてが「さわやか!」の一語に尽きる。

 

芝居の外題は『吉良常』だが、尾崎士郎(1898ー1964年)原作の大河小説『人生劇場』からひとりの登場人物を選び出し大衆演劇風に味付けされた人気作品のひとつらしい。

 

主な配役:田島正吉(なおと)、吉良常(嵐山錦之助)、岬組組長(藤 千之丞)、その弟(松井悠座長)、さおり岬組組長夫人、龍神組組長=敵役(高橋茂紀)

 

田島正吉(なおと)と吉良常(嵐山錦之助)というふたりの男を結ぶ「男の友情」がテーマの芝居である。かつての東映ヤクザ映画なら男性観客の涙を絞る芝居だ。映画は基本的にリアリズムだし、劇場内の薄暗がりで観客は周囲のことを忘れ自分一人の感情に溺れることができる。となれば、主人公やその他お気に入りの登場人物に感情移入するのはたやすい。これが観客にとっては快感なのだ。

 

しかし今回のように生の舞台公演の場合、事情が少し変わってくる。銀幕に映る映画の登場人物は完璧に2次元の存在。かれらはある種無機質で観客一人ひとりがそれぞれの思い(願望、欲望)を重ねやすい。

 

それに対して生の舞台は今現在生きている役者が目の前にいる。場合によっては観客の思い(思い込み)がはねつけられることもなくはない。

 

とはいえ生の舞台でも、たとえば伝統的な大衆演劇の演出なら『吉良常』は泣かせる芝居の典型になるだろう。また演出の如何にかかわらず観客が外題を耳にした時点で泣かせる芝居を期待していればそのとおり泣かせる芝居になる。実際、終演後この芝居で泣かされたという趣旨のことを述懐している声が聞こえてきた。観客それぞれの楽しみ方があるのでそれはそれでいい。

 

でも少なくとも私は今回の『吉良常』は典型的な泣かせる芝居とは思えなかった。これは貶し言葉ではない。むしろニューウェーブ大衆演劇作品として買っているのだ。評価したいのは主役を演じた若い役者たち(なおと、錦之助、さおり)は伝統的に演じられてきた人物像とはかなり異質のキャラを創造していた点である。かれらの若い身体と感性がヤクザ者の男二人とヤクザの女房というともすれば感情過多になりがちな人物像になんともいえず新たな息吹を吹きこんだのではないか。もちろんこういう性格づけ、人物造形が唯一の正解だとはいわない。しかしかれら若者の想像力や感受性の産物である今回の人物像は一つの試みとして評価すべきだ。この試みがいわゆる大衆演劇になじみのない若い世代の観客の心に響く効果を生み出すと私は信じたい。

 

場内には大衆演劇の芝居小屋ではあまり見かけないタイプの若い女性客もいたので、こういう方々がリピーターとなってくれることを期待したい。劇団 悠は新しいタイプの観客を発掘する可能性を大いに秘めていると思う。

 

最後にもう一言。初めて聞かせてもらったさおりの歌唱。TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』のオープニング曲『残酷な天使のテーゼ』(1995年)を歌う。「少年よ、天使になれ」というリフレインがお洒落。やっぱり作詞家及川眠子のことばづかいがきいてるのかな。それよりなによりさおりさん、歌うまい!

芸人たちの幕末・再訪 ー もう一つの若き獅子像

別記事で紹介した「帝国日本一座」には数人の十歳前後のこどもが加わっていた。これら少年、少女たちの姿をうかがわせる資料は成人座員の比べてきわめて少ないようだ。これまで私が素人流に読みあさったかぎり数葉の写真と名前がところどころ出てくる程度である。だがひとり例外がいる。それは「梅吉」という横浜出航当時(数え年)12歳の少年だ。この子役は「帝国日本一座」の一翼をになった足芸の「濱碇定吉」一座の座長の実子と思われる。ネット上で関連サイトが簡単に見つかるのでご存知の方もおいでだろう。(2年前私は旅芸人の情報をネットでさがしていて梅吉のことを知った。)江戸にいた頃も欧米公演でも大人顔負けの芸を披露して大評判だった。父親が足や肩や頭で支える竿の先や梯子の上でみごとなバランスをとってみせたのである。

 

写真(たとえばkosyasin.web.fc2.com//jin3.html の垂直方向で中程に「濱碇定吉の息子・梅吉」とある)で見ると小柄でキュートな顔つきであり、この外見で芸が達者なら地球上のどこでも人気者になることまちがいなしという感じである。くだんの写真は滞米中に撮ったらしい。慣れない洋服を着ているはずだが、結構サマになっている。

 

欧米公演では梅吉に印象深い愛称がついた。「リトル・オーライ (Little All Right) 」。またたくまにこの子の第二の、いや(その知名度からして)第一の芸名になった。ニックネームの由来は最初のニューヨーク公演で竿あるいは梯子に乗っている最中バランスをくずして転落。すわ事故かと会場が騒ぐ中、やがてすっくと立ち上がった梅吉の口から出たのが「オーライ」だった。"All Right"は渡米後現地で聞き覚えた数少ない英語表現で、無意識のうちに口にしたのだろう。ファンたちが「オーライ」に「坊や」、「かわいい」、「チビ助」、とか「ちゃん」のようなニュアンスを表す"Little"を付けたようだ。このご祝儀による反応に味をしめたのか梅吉は技が決まるたびに"All Right"を口にするようになった。

 

つぎの英語サイト(showbizdavid.blogspot.jp/2013/04/paging-japanese-circus-artists-where-in.html)ではニューヨークで梅吉がとった評判についてふれられており、彼の梯子上の芸当がイラストで描かれている。

<上記サイトから引用>

Perhaps the troupe's biggest hit was a young very showmanly lad named Umekichi, who took on the name "Little All Right." He was such a sensation working the crowd that at the completion of Littel All Right's perilous ladder feat, the audience stormed the stage with half a dollar, five, ten, and twenty dollar gold pieces."

ご祝儀(お花)もたんまりもらったようだ。当時の10ドル、20ドルは結構大金だったと想像する。ちなみに世界規模で展開する通販・オークションサイトeBayで(リトル・オーライがもらったという)「20ドル金貨」は1枚が現在15万から20万円で販売されている。

 

ほぼ同時期に欧米巡業に出かけた鉄割福松一座に「リンキチ」という梅吉と似た年格好の子役がいた。この少年も人気者だった。梅吉が"Little All Right" という愛称で有名だと知るとさっそく座長がリンキチをこの愛称で紹介するようになる。パクリだなんだと騒ぎ立てることではない。それで観客が喜ぶなら"Little All Right"が何人いたっていいと座長だけでなく私も思う。 愛称がいわば伝説化しただけのこと。伝説は芸人にとって商売を景気づけるありがたい効果を生むのだ。

 

ついでながら「鉄割」という苗字は三原 文氏によると「てつわり」と読むとのこと。幕末から明治にかけて横浜で発行されていた英字紙The Japan Gazetteのある記事でTetsuwariと表記されているそうだ(『日本人登場ー西洋劇場で演じられた江戸の見世物』、松柏社、2008年、40頁)。

 

さて幕末といえば、勤王か佐幕かという思想信条はどうであれ日本の大変革期に命を賭けた若者たち、若き獅子たちのことが話題になる。だが、同時期にほとんど無防備でおのれの芸だけを頼りに西洋世界に身を投じた芸人たちにも注目したい。海外遠征したのは大人ばかりでなく、十歳になるかならないくらいの少年、少女たちもいたのである。かれらの未知の環境に対する適応力たるや驚嘆にあたいする。かれらは正史では語られないもうひとつの「若き獅子像」のモデルと思えてならない。

 

ちなみに、「濱碇定吉」のことでネット検索注に偶然知ったのだが、村上もとこ原作のマンガ『JINー仁』第10巻で主人公、現代の医師、南方 仁が幕末にタイムスリップし、負傷した軽業師、濱碇定吉の手術を担当する場面があるとか。若者たちにも幕末の軽業師の存在が知られているとは驚きだ。