ロイヤル・オペラ・ハウス2019年1月公演『スペードの女王』映画版、見応えあったけど、世間の評判悪い?

プーシキンの原作(といっても私の場合日本語訳)も読んだことないし、チャイコフスキーがオペラ化 —— La Dame de Pique(日本語タイトルに同じ)——したのも見たことない。今回シネマ録画でこの作品に初めて接した。でも感動した。私だけかな?

 

今回と同様の解釈でノルウェーの演出家ステファン・エアハイム (Stefan Herheim、1970年生まれ) が2016年に国立アムステルダム・オペラ劇場で上演している。この演出家は1999年『魔笛』以来20年近い演出経験を積んでいる。私の場合エアハイムのオペラ演出は今回初めてなので解釈や演出の特徴、傾向など知らない。

 

ここしばらくMETを中心に主に映画版でオペラを楽しんでいるが、エアハイムが手がけた本作品は作品構成の面で強く印象に残る。すでに死語になったような感があるポストモダンポストモダニズムという批評用語がまだ生きていると思えたからだ。私の錯覚?

 

しかしネット上の(英語版)劇評を読むとどれもこれも5点満点の2点、良くて3点にすぎない。しかもかろうじて点を稼いだのが一部の歌手、作曲家チャイコフスキーとエレツキー公の二役を演じ、心地よいバリトンを響かせたウラジミール・ストヤノフ (Vladimir Stoyanov) や高齢(74歳)ながらも往年の輝きをしのばせたリーザの祖母で伯爵夫人役のフェリシティー・パーマー (Felicity palmer) の健闘だ。

 

採点が辛い主たる原因は演出意図を過剰に露出させたせいだろう。こういう説明過剰の罪過を指摘したオペラ批評家Peter Reedは正しい。

http://www.classicalsource.com/db_control/db_concert_review.php?id=16080

 

演出意図を観客にわからせようと字幕を出したり、チャイコフスキーの同性愛志向、コレラ菌に汚染された水の飲用による自殺(実証されていずあくまで噂)をわざとらしく視覚化するのは素人の仕業だとReedは言わんばかり。とりわけこの批評家の機嫌を損ねたのが(エアハイムが3年前のアムステルダムでの演出プランを元にしているとはいえ今回コヴェント・ガーデン公演の観客の多くは初見だろうと配慮?して)配布されたプログラム。エアハイムは文章で演出意図を縷々語ったのがいけないようだ。(東宝さんの内容スカスカのチラシよりこのゴテゴテしたプログラムの方がずっとましだろうという気もするが。)上演内容で観客に訴えんかい!(a production should explain itself.)

 

このくだりを読んで論文指導の教師用マニュアルを思い出した。脚注、尾注でくどくど説明や言い訳をするな。本文で説得せんかい!ごもっとも。

 

でも私はエアハイムを擁護したい。演出意図をあざとく露出する。これって昔懐かしい(20世紀前半に)ロシア・フォルマリズムで提唱され随分人気も博した「仕掛けの露呈」ではないか。今は亡き山口昌男が自分流にこなしてすぐれた文化現象の分析をしてくれたことを思い出す。だけど、その手法を21世紀の演劇人エアハイムは拙い手法で模写したわけではない。舞台上で演劇性溢れる視覚化を通してチャイコフスキーのオペラ『スペードを<メタ化>(原作のオペラについて語るオペラを創造)するのに利用したのだ。原作オペラはもちろんチャイコフスキーが自分の同性愛志向なんかふれはしない。1890年ロシアはサンクト・ペテルブルクのマリインスキー劇場で初演されたのだからそれから100年余り経過している。エアハイムとしてはいくぶん現代風味を付け加えながら基本は原作に忠実な再現などするわけにはいかないだろう。<メタ化>は不可避である。どんな思想、イズムが背景にあるにせよ<予定調和>は不変ではない。いつか崩壊する。はそういう次第で今回の上演は高く評価したい。

 

<上質文化>拡散に貢献する東宝さんだが、(あいかわらず)ロイヤル・オペラ・ハウス作品紹介のチラシが無内容。Storyの項にしるされているのは極度に切り詰めて想像力を刺激しそうもないそっけないアラスジ。ないほうがマシ。ノルウェーの演出家ステファン・エアハイム (Stefan Herheim、1970年生まれ) が試みた途轍もなく大胆な構成・演出は完全無視ではないか。とはいえ東宝さんばかりを責めるのは酷だろう。短文でまとめるのは難しい、いや不可能か。

 

正直なところ予備知識なしでエアハイム版はまず人物関係でつまずいてしまうだろう。私は事後に知ったのだが、英語版作品評のうち次のものが大いに役立つ。

seenandheard-international.com/

Tchaikovsky Plays the Hand Herheim Gives Him in the Royal Opera's The Queen of Spades. 24/01/2019. United Kingdom Tchaikovsky, The Queen of Spades: Soloists, Chorus and Orchestra of the Royal Opera House / Sir Antonio Pappano ...

 

登場人物の中でもポーリナ (Paulina) がどういう人物なのかわからずじまいだった。同じ女優 (Anna Goryachova) が異性としてズボンを履いた少年(青年?)ミロフゾール (Milovzor) 役でも登場する。上記劇評を読んでポーリナが劇中の主要人物 —— チャイコフスキーになぞらえた作曲家、同じ俳優が演じるエレツキー公 (Prince Yeletsky) 、その友人、軍人でギャンブル狂のゲルマン (Gherman) 、そしてこの二人の男に否応なく関わってしまう貴族の女性リーザ (Liza) —— の一人リーザだと知った。事前に準備しなかった私が悪いのだが。

 

ちなみに昨年2018年2月ボリショイ劇場が上演している。おそらくチャイコフスキーのオペラ版を比較的忠実に再現したと思えるが、詳細はこちらでご覧になれる(英語版)。登場人物は生身の人間というより各登場人物自身の想像力が視覚化されたものを表すとか。この想像世界は一定不変の固定されたものではない。比喩的にも物理的にも<揺らぎ>がキーワードらしい。その趣旨を生かすために各登場人物の登場の仕方も工夫されている。照明装置の助けを借りて(舞台袖の)暗闇から徐々に姿をあらわすのだとか。結構面白そうだ。

16 February 2018 - Репертуар Большого театр

https://www.bolshoi.ru/performances/en/2997/roles/

 

英語版劇評はリンク先が次のサイトにまとめられている。

http://www.bravoopera.com/spettacoli/queen-spades-2019-royal-opera-house-2/

命を愛でる狂言『靱猿」の世界にちなんで

 猿の皮を狩猟にいつも携帯する靭(矢筒)に飾りとして貼り付けるため猿引に向かって猿を「貸せ」と意味不明なことを言い出す大名。小猿の頃からわが子同様に愛情を込めて育て芸を仕込んだ猿を(生き皮を剥がれて)むざむざ殺されてはたまらないと猿引は必死で城名を懇願する。それでも傲慢な権力者はなんだかんだと屁理屈をつけて猿をよこせと迫る。しかし太郎冠者の助成もありようやく大名は諦める。それどころか猿を愛おしく思うようにさえなる。

 靭猿』にうかがえる命あるもののを大切に思う考えには仏教の殺生戒が反映しているのだろう。「放生会(ほうじょうえ)」という言葉を思い出した。事典類(ブリタニカ)によると、放生会は古代日本の朝廷に鎮圧された反乱部族の怨霊を鎮める目的で始まったそうだ。大和朝廷に隷属させられていた南九州を本拠地とする隼人族が8世紀初め反乱を起こすが鎮圧される。その後20年ほどして8世紀半ばに強権的に服属させられて深い恨みをいだく隼人族を慰撫するために鳥獣や魚を自然界に放つようになり、これが一つの習俗となった。生き皮を剥ぐと騒ぎ立てた大名が改心するのも一種の放生会的行いだ。

 放生会については某ブロガー氏(yukashikisekai.com)が興味ふかい体験談を披露している。仏教徒の多い東南アジアではこの風習が現代にも生きているそうだ。カンボジアを訪れたこのブロガー氏は「放鳥」の行事に参加したが、金銭を要求された。スズメ2羽で1アメリカ・ドル払う羽目になったとか。1日の糧を得るのが精一杯の貧しい庶民のたくましい商魂なのだろう。あまり非難する気にもならない。

 このブロガー氏にはさらに面白い逸話がある。10年ほど前の中国での話。次のネットニュースの見出しが出来事の内容を如実に語る。

 「放流したトラック13台分のコイ、末路は下流で住民の食卓へ」

  (www.afpbb.com

当の中国のネットでの反応にはこういう行為に呆れるものが多かったようだ。ブロガー氏はかつて日本に仏教を輸出した中国がこの有様ではどうか思ったらしい。

 だがカンボジアの場合と同様、これも豊かな食卓とは縁遠い庶民のかわいい欲望の表れと寛容な態度をとりたい。

 わが日本はどうかというと、つい昨年9月の九州福岡の放生会で醜態を晒してしまった。

  【閲覧注意!!!】【逮捕の瞬間!!!】【福岡】放生会公務執行妨害逮捕!! 男3人を逮

   捕「酒を飲み過ぎて記憶がない」と否認も 福岡市 (18/09/13)

   https://www.douga-news.net/sokuhou/

こちらは寛容な気持ちになれない。情けないとしか言いようがない。

 人間というもの、自然、天然、ありのままでは如何ともしがたい。やはり倫理の手本が必要かな。

2019年1月新春 能と狂言 —— 蘇りの時節

大槻能楽堂 自主公演能 新春公演>

大槻能楽堂大阪市)、1月3日
★「」片山九郎右衛門(翁、白式尉) 茂山千三郎(三番三[大蔵流の表記]、黒式尉) 片山峻佑(千歳) 鈴木実(面箱持ち)
 笛 竹市学 小鼓 大倉源次郎 吉阪一郎 大倉伶士郎 大鼓 山本哲也
★能「高砂 八段之舞」観世喜正(翁・住吉明神 永島充 福王和幸 是川正彦 喜多雅人 茂山逸平
 笛 杉信太朗 小鼓 清水晧祐 大鼓 亀井広忠 太鼓 中田弘美
狂言靭猿茂山千五郎 島田洋海 茂山千作 茂山蓮(猿)

 

 殊更いうまでもないが、「翁」は能楽の中でも特異な位置づけだ。他の能楽作品と別格に扱われてその主旨は祝言・言祝ぎである。「物語」をほとんど排してもっぱら「儀式」として執り行われる。だから新しい命の芽生えと古い命の再生への期待が膨らむ年明けの公演演目としてふさわしい。

 「翁」は能楽師狂言師がそれぞれ老人の面をつける。その面は白と黒に色分けされ、能楽師が白に対して狂言師が黒である。翁と尉(じょう)はともに男性の老人をさす。

 「白」と「黒」という色彩が並ぶとコクビャクなど対立概念を連想しがちだが、意外なことに相補的な関係にある。オンラインで公開されている徳川美術館の解説がわかりやすい。以下イタリックスの箇所は引用文。


  白式尉と黒式尉は、天下太平・国土安穏・五穀豊穣・子孫繁栄を祈る祝言能「翁」で用いられる能面です。能楽の発生以前から神の面として神聖な祝い事に使われてきました。白式尉は、しわの刻まれた白い顔にボウボウ眉と呼ばれる白い飾眉と長く白い顎髭を生やし、天下の平和を祈り長寿を称える円満福徳の相を表します。対して、黒式尉は、黒く彩色された顔に額と頬に朱を入れています。日に焼け、土になじんだ健康的な好々爺を思わせる面です。

 

 ちなみに「尉」はどういう成り立ちなのだろうか。その語源は某ブロガー氏によると、「尸シは人が椅子などに腰かけている形で、これに二がついた『尸+二』は、人が座って下に二枚の布を押さえる形で、いわゆる寝押しで布を伸ばすかたちと思われる。『火+又(て)』は、火(おき火や炭火)をいれた容器を手にもつ形。尉は、火のし [火熨斗](昔のアイロン)を手にもちで布に当ててシワをのばす意」なのだそうだ。さらに、このように混乱や混沌を正すという意味から転じて天下国家を安定させる働きもあるとのこと。

<出典>https://blog.goo.ne.jp/ishiseiji/e/7f5490f26c2b18413f06957931143761

 

 それから特殊な位置付けの「翁」がどういう構成をもつのかも知りたいところ。能楽師柴田稔さんによると(https://aobanokai.exblog.jp/29176177/)、

  登場人物:翁(シテ方)、千歳(シテ方)、三番叟・三番三(狂言方)、   

   面箱持ち

  場面構成:

   前半 千歳の舞、翁の舞 

   後半 三番叟・三番三の舞  

   

  *千歳の舞:舞が展開する場を浄める露払いとしての役目をもつ

  *翁の舞:白式尉の面をつけることで神として顕現し、天下泰平、国土安穏を祈る

  *三番叟・三番三の舞:五穀成就を祈願

    揉(もみ)の段:躍動的に舞うことによって国家安寧の基本にある豊穣を祈念

    鈴の段:黒式尉の面をつけ鈴を打ち振りながら五穀豊穣を祈り躍動的に舞

     うことによって国家安寧の基本にある豊穣を願う

   翁も三番叟・三番三もそれぞれの立場から同じく国家、国土の繁栄と平穏無事を

    祈願する。

 

 今回の演目のうち『翁』と『高砂』がともに直裁に生と再生 (birth & rebirth)をことほぐ。一方狂言『靱猿』も一見祝祭性が表面化していないが、命をめぐる問答をとおして同様の趣を打ち出すように思う。大名は当初権力を笠に着て威張り散らす。この驕れる権力者は偶然見かけた生き物(猿引が連れている猿)の生き皮をはいで己の靱(矢筒)を飾り立てようとする。だが、猿引の必死の訴えに傲慢な大名もやがて改心する。ここには命を慈しむことの意義深さが浮き彫りになる。

 

若手・新人芸能者の登場と活躍

 タイトルにあげた「蘇りの時節」を如実に表すのが若手、それも10歳前後の初々しい能楽師狂言師囃子方だ。並み居るベテランに伍して堂々たる技芸を披露してくれた。

 「翁」で千歳を演じた片山峻佑(片山伸吾さんの長男)だが、まだ中学1年生ながら堂々たる発声に驚いた。恵まれた才能を引き出し伸ばす片山伸吾さんたちの指導のし甲斐があるというものだ。

 この時の小鼓方の一人大倉伶士郎さんは小学6年生。父大倉源次郎さんと吉阪一郎さんというその道の超ベテランとの連奏をみごとにやってのけた。この少年の腕前は3年前の4月、篠山春日能での舞台を拝見して強く印象に残っている。腕前はさらに向上していて今回もまことに心地よい鼓の響きを聞かせていただいた。

 狂言靭猿」では2011年4月生まれの茂山蓮さんが見世物の猿。猿引役の祖父五世茂山千作さんに連れられて登場。人間の台詞はないものの、物怖じせず猿のモノマネを演じていた。父茂山茂さんは息子さんの舞台が気になるのだろう、特別後見役で猿引の綱を持つ千作さんのそばに控えていた。

 

 今回の新春能と狂言公演はこの3人の若手が登場することで命の蘇りと新たな命の誕生を強く印象づけてくれたと思う。新玉の年を迎えたばかりの時節にふさわしい公演といえる。

能楽「高安流ワキ方」の魅力

「ECO ろうそく能 」なにわ文化芸術芸能推進協議会10周年記念特別公演

 山中能楽堂大阪市阿倍野区阪南町)にて。

 <演目>

  1.トーク「高安流の芸」

  2.仕舞 「和布刈(めかり)」岡 充、

   「春栄(しゅんねい)」有松遼 一、「大蛇(おろち)キリ」小林 努

  3.能『弱法師』

   シテ(俊徳丸):山中雅志(やまなか まさゆき 観世流

   ワキ(高安通俊):原 陸(高安流)、アイ(下人):野村太一郎

   笛 野口亮、小鼓 久田舜一郎、大鼓 白坂信行

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 公演皮切りのトークでは「高安流」を題材に原 大(はら まさる 高安流ワキ方)さんのお話。予定では高安勝久さんと原さんのお二人のトークだったが、高安さんがなにか事情があって御欠席。また高安さんは『弱法師』でもワキ方として高安通俊を演じる予定だったが、原 陸さん(原 大さんの息子さん)が代演。インフルエンザかな?

 東京から来演の和泉流狂言師の野村太一郎さんは若手ながらりっぱに一人前の舞台を勤めていた。何年か前TVのドキュメンタリー番組で祖父の人間国宝野村 萬さん(1930年生まれ)の指導を受ける太一郎さんの姿を見た。孫の芸の下手さに萬さんが苦虫を噛み潰したような顔つきをされたことが印象に残っている。だが精進の甲斐あってか今回の舞台は堂々としたものだった。

 ちなみに会場受付で太一郎さんが下足番をしておいでだった。きっと志願したのだろう。謙虚さも芸能にたずさわる人の大事な要素にちがいない。

 

なくもがなの解説:

 『弱法師』は基本的に説経節「信徳丸」、浄瑠璃「摂州合邦辻」のテーマと共通する。伝説に多く見られる貴種流離譚の一つ。裕福な家に生まれながら讒言に迷わされた父親により生家を追放される青年俊徳丸。生まれ故郷を離れてハンセン病にかかり失明するという不幸を背負いながら一人彷徨うが、神仏のご加護のおかげで父と再会し、めでたく実家にもどる。

  「和布刈」は禁忌を犯した男神に対する女神の激しい怒りが原因で陸と海が引き離されてしまう。その怒りを鎮めようと神官たちが磯で和布 (にき‐めとはワカメの異名)を刈りとり捧げる話。つい好奇心に駆られて妻であるトヨタマヒメ(海神の娘)の出産の場面をのぞいたヒコホホデミノミコト(山幸彦)をめぐる神話が元になっている。

 「春栄」は死に瀕した武士(もののふ)兄弟間の愛を描く。承久の乱が起こった1221年のこと。鎌倉幕府軍と後鳥羽上皇率いる反乱軍が相まみえた宇治橋合戦が背景。

 「大蛇キリ」は八岐大蛇(やまたのオロチ)神話に基づく。(ピンからキリまでというように)キリは能の最後の部分を指し、強い感じの舞になることが多い。

 

 山中雅志さんはその凛とした舞台姿は印象的だ。それから高安勝久さんの代役ながらベテラン(山中さん)を相手にその父親の役を演じた若きワキ方原 陸さんにも拍手を送りたい。

 仕舞を舞い、謡われた高安流ワキ方の面々、岡、有松、小林さんたちは主に京都でなんども拝見している。小林さんは古くからの伝統を踏まえた語り口が耳に心地よい。皆さん体力が充実している年代なので動きがキビキビしていて見ていて気持ちがいい。

 

 個人的ながら印象に残ること。頭の両サイドに剃り込み(?)を入れた原さんのヘヤスタイルがいい。原さんの舞台を初めて拝見したのはちょうど2年前春日若宮御祭でのこと(演目は後に記す)。『羽衣』では天女(シテ)役の金春穂高さんに対して羽衣を拾得し我が物にする漁師白龍を演じ、他方『黒塚』では安達ヶ原の鬼女を演じる櫻間右陣さんを相手に修験者、阿闍梨祐慶として登場。数珠を激しく擦り合わせて魔物を折伏する場面が今も記憶に残る。この時の原さん、ドスの効いた声と個性的なヘヤスタイルが相まって迫力満点だった。

 しかし今回トークショーで聞いた舞台のセリフでない話し方がすごく柔和だったのには驚いた。

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2016年12月春日若宮御祭 後宴之式能
★能 羽衣 金春穂高 原大
 笛 貞光訓義 小鼓 荒木賀光 大鼓 井林久登 太鼓 前川光長
狂言 因幡堂 茂山あきら 網谷正美
★能 黒塚 櫻間右陣 原大
 笛 貞光訓義 小鼓 荒木賀光 大鼓 井林久登 太鼓 前川光範
<参考画像> http://pinbokejun.blog93.fc2.com/blog-entry-1006.html

 

<高安流ワキ方 原 大さんと小林努さんに関する記事>

 「劇空間キョウト」https://www.kyoto-np.co.jp/kp/koto/gekijyou/part2-6.html

 

<次の高安能関連の催し>

 2019年2月13日「八尾と能」

 午後2時から八尾市民文化会館プリズムホールにて。

 内容は解説と実演

 出演者:山中雅志、原 大、原 陸(高安流ワキ方)、安福光雄(高安流大鼓方)

劇団暁『研辰の討たれ』に見る若座長の気概

2018年12月10日(昼)浅草木馬館 

 久しぶりに「劇団暁」観劇。若座長三咲暁人の意欲が感じられる歌舞伎演目の上演。しかも見て楽しい『研辰の討たれ』に出くわす幸運な日だった。この作品は比較的最近(劇場空間で言葉を弾けとばせる才能にあふれた演劇人)野田秀樹とコラボした故・一八世中村勘三郎の舞台で見た。それから純粋な歌舞伎作品として片岡愛之助の舞台も見た。いずれも評判をよんだ舞台だった。

 一方大衆演劇版『研辰の討たれ』はかなり事情が異なる。潤沢な資金を投じて大掛かりな歌舞伎座公演とは違い舞台空間も出演者も制約がかかる。そういう制約にも関わらず、いやむしろ制約を逆手にとって劇団暁は主人公守山辰次こと「研辰」の笑いと悲哀がないまぜになった後半生を凝縮して舞台化していたと思う。例えば道場稽古の場面は研辰を含めわずか六人でそれらしい雰囲気を醸し出していた。特筆に値するのは全編を通して主演の暁人若座長が熱演で観客の心をしっかりとらえていた。(彼が尊敬するという)勘三郎を意識的に真似ていたが、結果として単なるコピペに終わらず演者三咲暁人の個性を打ち出していたように思う。グッジョブ!

 ちなみに当日いただいた劇団暁初代座長三咲てつやが発行する日刊『劇団暁かわら版』によると12月6日には歌舞伎『会談乳房榎』を三咲暁人主演で舞台にかけたとのこと。これも仇討ち譚だが、伝統的な歌舞伎芝居で父の仇を赤子だった兄弟が成長してみごとに討つ物語。いわゆる新歌舞伎の演目に数えられる『研辰の討たれ』のように敵討ちに対する近代的批判の視点はない。それでも21世紀を生きる若者たる三咲暁人がどう演じたのか気になる。いつか見れる機会を待つしかない。

 武家の価値観や倫理観が優勢であった江戸時代に上演された歌舞伎作品と異なり、『研辰の討たれ』は初演が1925年というそう遠くない昔。この近代歌舞伎作品は江戸時代末に起きた現実の仇討ち事件やそれを元にした文芸作品がネタになっている。そのひとつが1823年研ぎ師羽床(はゆか)辰蔵が郷里讃岐舞いもどり、そこで敵討ちにあう事件の実録物(戯曲ではなく読み物)『綾南復讐記』(綾南=アヤナミは現在の香川県綾歌郡綾川町羽床あたり。讃岐うどんでも有名らしい)。もう一つはそれを歌舞伎に翻案した『敵討高砂松。さらに明治になると『敵討研屋辰蔵』(1895年)と題した小説も出版される。これら先行作品を題材にしてベテラン歌舞伎狂言作者木村錦花(1877-1960年)が同時代の観客の心をつかむ工夫を凝らして読み物に整え、次に平田兼三(1894-1976年)が歌舞伎台本に仕上げたそうだ。この辺りの詳しい事情は出口逸平氏が「『敵討研屋辰蔵』考」(2014年、大阪芸術大学紀要『藝術36』)および「歌舞伎『研辰の討たれ』の成立」 (2016年、大阪芸術大学紀要『藝術38』)で論じている。両論文ともネット上に公開されている。またこれらの論考は『研辰の系譜―道化と悪党のあいだ』(2017年、作品社) という1冊の本に進化している。

 物語自体は徳川体制下の封建社会に設定されているが、切り口は仇討ちを批判するという点で明確に近代的なものだ。木村錦花と平田兼三による合作と言ってよい『研辰の討たれ』は徳川幕府崩壊から60年近く過ぎたとはいえ、いわゆる封建的観念がまだまだ払拭されていない昭和元年に舞台にかけられた。それでも鎖国の呪縛から解き放たれた日本は(大正デモクラシーとやらの影響もあったのだろうか)人間の生き方を比較的マルチな視点から考える余裕が出てきたようだ。そういう時代背景があるせいで仇役の研辰は悲哀感の混じるドタバタ喜劇の主人公にならざるをえない。そればかりか父を殺された兄弟が仇討ちの本懐を遂げても心の奥底では虚しさを感じるばかりという結末になるのだ。近代人としての意識が高い木村錦花や平田兼三にとってカタキ討ちが正義でもなく倫理にかなうものではなかった。

 そういう意味で(昭和元年=1925年版)『研辰の討たれ』は伝統的歌舞伎劇というより<近代劇>とよぶのがふさわしい。事件の当事者の周囲に偶然居合わせていたにすぎないにも関わらず「かたき」と「討手」双方の心理を操り、自分達に都合のいい方向へと駆り立てる無責任極まりない<大衆>、<群衆>の存在にスポットが当てられる。こんなことは江戸時代に上演された作品ではありえない。

 しかしこれは今から90年も昔の時代感覚である。21世紀における大衆、群衆の定義は変化していても不思議ではない。だからといって本当に変化したといえるだろうか。勘三郎の求めに応じて、あるいは共同して木村・平田版『研辰の討たれ』に大胆に手を入れた上で演出した野田秀樹による『野田版 研辰の討たれ』だ。この現代版の主役が誰かといえば、研辰であるよりむしろ物見高く自分の言動に責任感などまるでない<大衆・群衆>なのではないか。そういう大衆・群衆の実態を野田は舞台の端から端へ絶えず流れ歩く無名の集団、いわば<浮浪する精神>として視覚化し観客に強いインパクトを与えた。野田(と勘三郎)の洞察力は鋭い。だからこそ今でも語り草になるのだろう。

 さらにいえば野田(と勘三郎)は<現代>だけを問題にしているにではなくおそらく研辰の討たれが現実の事件として怒った江戸時代もまた無責任な大衆・群衆がひしめき合っていたと考えている気がする。これは何も責任ある行動をしろと諭せばすむことではない。大衆・群衆というものはいつの時代もそういうものだ。それが良くも悪くも人間のサガ(性)、生まれつきの性質なのだ。そういう人間が大半の社会にも違う種類の人間もいる。様々な性格の人間が寄り集まっているからこそ時に人を感動させるドラマが現実社会で展開するのではないか。野田(と勘三郎)はそんな風に考えているような気がする。

 話を劇団暁にもどそう。夏樹・春樹兄弟座長の庇護と指導のもと今後劇団の要となっていく暁人若座長には野田や勘三郎の演劇センスも見習いながらその先を行く心構えをもつように期待したい。大衆演劇の伝統的名作を斬新な視点で読み直し、新しい命を吹き込んでほしいものだ。

 

 ちなみに劇団暁の本拠地「船生(読み:ふにゅう)かぶき村」(栃木県)がテレ朝『何コレ珍百景』(2018年10月26日放映)で取り上げられた。どなたかがYoutubeに全編アップロード済み(そのうち「船生かぶき村」の紹介は31分から10分間ほどの箇所)。

(現代)狂言に今も息づく「世阿弥以前の猿楽」のエネルギー

金剛能楽堂

<茂山狂言 笑いの収穫祭2018>
 ~古典・昭和・平成 各時代の選りすぐり三本立~

 ・狂言「素袍落」茂山千作、茂山七五三、茂山あきら

 ・狂言「宗旦狐」茂山 茂、茂山千五郎

 ・新作狂言「かけとり」茂山逸平茂山宗彦、茂山童司

       ◊◊◊◊◊◊◊◊◊◊◊◊◊◊◊

伝統ある茂山狂言を支える親子2世代が繰り出す笑いの波に飲み込まれて快感。

 古典狂言「素袍落」では主人は叔父のところへ太郎冠者を使いに出す。いつもながら調子のよさを発揮して無意識に小智恵を働かせてしまう太郎冠者である。思いがけず酒を振舞われ、その上貴重な晴れ着(素袍)を頂戴する。主人に頂戴物をとり上げられるのを恐れてここでまた悪智恵を発揮するも不首尾。それでへこむ太郎冠者ではない。小手先の知恵を繰り出してまんまと大事な素袍を取りもどす。太郎冠者を演じた五世千作さん。四歳で初舞台を勤めて以来七十年という年月の積み重ねがあるからこそ今回の太郎冠者が生まれたにちがいない。私は狂言を熱心に見はじめてから3年くらいしか立っていない。なのでわかったふうな口をきいてはいけないが、それでも千作さんの芸の見事さには魅せられる。

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http://kyotokyogen.com/actor/shigeyama_sensaku/195027aa_subphoto3_1/

(千作さんの「悪知恵の宝庫ながらも心根が憎めない太郎冠者像」をお見せしたくて無断で拝借しました。画像所有権者の方、すみません。) 

 次いで「宗旦狐」。初めて知ったが、京都では有名な伝説らしい。上京区相国寺に伝わる化け狐、というよりむしろ茶道という芸術文化に通じた、人間でいえば「粋人」だ。外題の由来は狐がが千家茶道の礎となった千宗旦(1578−1658)に化けて茶席に現れるが、そのお点前の完璧さゆえ誰も化け狐だと見抜けなかったそうだ。

 この狂言は昭和の新作狂言で、作者は井口海仙(1900−1982)というこれまた粋人。裏千家宗家の出であり、1950年に創業された京都の書店、茶道を始め美術工芸関係の書籍を出版する「淡交社」の社長を勤めた人だ。そんな事情は初耳だという私の無知は恥じるべきだが、今回新しい発見ができてありがたい。

ちなみに宗旦狐伝説は澤田ふじ子 作『宗旦狐——茶湯にかかわる十二の短編』(光文社文庫)でも描かれている。 

 前説を担当した逸平さんが楽屋で控える宗旦狐役の従兄の茂さんに対して狐ぶりがまだ不足とダメ出し?いわく「ただ舞台で舞えばいいのではなく、狐として舞え」と煽っていたのがおかしかった。このことから推察して、茂山一門の若手の従兄弟同士は仲がいいばかりでなく互いにライバル意識を燃やしているのだ。これは芸能に関わる者として当然のことだろう。

 演目の締めは平成の狂言「かけとり」。これは作者である逸平さんがいうには(故・三代目桂米朝さんの長男)桂米團治さんの同名落語がヒントになったとのこと。米團治さんといえば本職以外の文化芸術の分野でも活躍している才人だ。その才能を生かしてクロスオーバーというか、ジャンルの垣根を飛び越えて落語を活性化し続ける。狂言界で越境を試み続ける若手狂言師の一人である逸平さんが米團治版「かけとり」に感応するのも不思議ではない。

 茂山狂言は二世茂山千作(1864-1950)さん以来京都の豆腐の持ち味同様「控えめで柔軟」であることを一門の方針としているだけあっていつ見ても楽しいし、観劇後も気持ちがほんわかする。

 だが、お豆腐狂言だからといって表向きの柔らかさだけを見ていてはいけない。世阿弥 (1363? ー1443?) が猿楽を高尚な芸術に洗練する以前の野卑でありながらも人間の生命力であり創造力の成果でもある「猿楽」の精神が現代に至るも狂言に引き継がれているのではないか。茂山一門が披露する狂言は厳しい稽古の産物ではあるにしても、いやそれだからこそ舞台に展開する芸はすました秩序を破壊するような笑いを誘発するパワーに溢れている。その精神の次元ではまるで地底のマグマが地表に噴出する際の勢いに通じる。

 能・狂言の元祖たる猥雑な芸能としての猿楽。世阿弥の登場でこういう古い形式の猿楽は消滅したに等しい。世阿弥以前は演者が自らの体を張って行なう<物真似>や<ドタバタ喜劇風の寸劇(スラップスティック)>が猿楽として主に庶民の人気を博していた。世阿弥は親の世代(観阿弥)までの猿楽ではやがて人々に飽きられ長続きしないと考えたのだろうか、自分の生得の美意識、芸術感覚に駆り立てられるようにして高尚な芸術路線へとシフトする。世阿弥の方針は室町時代以降の権力者に受け入れられる。やがて江戸時代になると武家の式楽として規定されて庶民の娯楽とはいえなくなる。(おっと、こんな下手な講釈は無用でした。)

 それでも世阿弥以前の猿楽ってどんなものだったか気になる。『新猿楽記』(平凡社 東洋文庫、1983年)を読むと平安時代中期(1050−1060頃)の猿楽の人気ぶりがうかがえる。作者は学者貴族藤原明衡(ふじわら の あきひら、989?—1066)で一見記録文学形式で一族大勢(妻3人、娘16人あるいはその夫、息子9人)を引き連れてある晩猿楽を見物した様子を身内に対しては結構辛辣な眼差しで描く。藤原明衡は実在の人物だが、家族構成は作り事。それはさておいて猿楽の芸人たちの姿が彷彿する。猿楽芸の描写は当然作者による脚色があるにしても現在見るような枯淡の味わいを特色とする<能>とは似ても似つかない。きっと熱狂の嵐の中で猿楽役者といより芸人たちは得意の技を披露していたのだろう。  

 古い形式の猿楽、能の延長線上に成立した歌舞伎も江戸時代は上演中も観客は静粛にしていなかったらしい。  

 20種類以上もの芸があったとか。猿楽は放浪芸人を含む芸人たちによる<雑芸>の総称みたいなものだったのだろう。博打も猿楽芸の一種だったのがおもしろい。  

 そういう雑芸から能とともに生まれた狂言も笑いを眼目としながら現在では観客も控えめに、上品にしか笑わない、というか芸術鑑賞の嗜みと思い込んでいるせいで笑えない。思うに、東の狂言に比べて西(京都の)茂山狂言はおかしければ大声で笑うべきなのだろう。その方が演者もうれしいにちがいない。今回の公演でも逸平さんによる前説から狂言師の熱情が感じられたし、前のめりで観客に語りかけるスタイルは意図的な挑発だったのだろう。茂山一門は古い時代の猿楽のパワーあふれるおもしろさを再現していると思いたい。

 

 

 

 

 

 

2018年11月文楽公演(大阪)は女性演者が登場かと勘違いした慌て者の私

第1部 午前11時開演

蘆屋道満大内鑑 (あしやどうまんおおうちかがみ)   

 葛の葉子別れの段   

 信田森二人奴の段

桂川連理柵 (かつらがわれんりのしがらみ)   

 六角堂の段   

 帯屋の段   

 道行朧の桂川

第2部 午後4時開演 

鶊山姫捨松 (ひばりやまひめすてのまつ)   

 中将姫雪責の段   

近松門左衛門=作

女殺油地獄    

 徳庵堤の段   

 河内屋内の段   

 豊島屋(てしまや)油店の段

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今回は夜の部一回、昼の部は『桂川連理柵』をもう一で見たくて2回観劇。

今年5月、大夫(義太夫節語り)の大長老他竹本住大夫さんが93歳で逝去。3年前まで現役だった人だ。文楽界を震撼させた大事件だったが、これが長年の伝統に注目すべき変化をもたらした。ようやく世代交代の時節到来だ。おかげで若手の存在感が高まっているのはうれしい。今回はベテラン、中堅だけでなくまだ世間に広く名が通っていない若手の人形遣い、大夫、三味線が実に生き生きと演じている。

 

大夫に目を向けると、今年1月(2018年)豊竹咲穂大夫改め六代目竹本織大夫襲名したが、この方はやや一面的なパワフルさという印象が強かった咲穂大夫時代と違って若々しさの中に貫禄というか、渋みを感じさせるようになってきたと感じる。

 

11月公演の大夫陣の中でとりわけ輝いている(と私には思える)のが豊竹呂勢太夫さん。長いこと大勢の超ベテランの間に挟まって目立たないままだった。健康上の問題を抱えておいでだったのかな。そんな詮索はさておき、『桂川連理柵』の「帯屋の段」ならびに『女殺油地獄』の「豊島屋油店の段」ではその熱演ぶりで存在が際立っていた。

 

分別盛の四十男が親子ほども歳の離れた隣家の娘と男女の関係になるという話の展開だが、これはありそうでなさそうな微妙な筋書きだ。世間に対して義理立てできない窮地に陥った二人は結局心中という道を選ぶ。江戸時代当時、心中事件はいくつかあり、それが人形浄瑠璃や歌舞伎の格好の題材となる。どう考えても大多数の庶民にとって自分たちが事件の当事者になりそうもなかったに違いない。それでも、いやそうだからこそ心中沙汰の主人公になってみたいと夢想するのが人間ではないだろうか。一度たりとも世間の注目を浴びることなく一生を終える庶民のささやかな夢、変身願望だ。

 

一方、これまたありそうで、なさそうな話を描く『女殺油地獄』。既婚女性と根っからの遊び人の若者との間に潜在的に芽生える愛欲が殺人事件を招いてしまう。いつの世も人間社会の出来事といえば意識下のレベルなら小説のネタに溢れているだろう。近松のように文才溢れる人の手にかかれば、ありえない事態も現実化するように見えてしまうから不思議だ。

 

「帯屋の段」にしろ「豊島屋油店の段」にしろ呂勢太夫さんは物語の語り手として一定の冷静さを保ちながら悲劇の主人公に対する観客の思い入れに添い、さらにはそれを一層焚きつけるように語り口に感情をこめる。呂勢太夫さんは冷静さと熱狂ぶりのバランスのとり方が絶妙だったと思う。

 

私にとって今月の文楽公演は心から楽しめる出来栄えであった。

 

おっと、ここで終わるとタイトルの意味がわからんままになる。実は私、今月の舞台には出演していない<女>義太夫と三味線のことでとんでもない勘違いをしてしまった。

 

二度目の昼の部(「信田森二人奴の段」)のこと、オペラグラスで大勢の大夫と三味線弾きの居並ぶ上手脇(通常二人居並ぶなら床=ゆかだが、この場合もゆかと呼んでいいのかな?)を見ると大夫と三味線弾きの集団に女性としか思えない人が一人づついるではないか。今回は世代交代ばかりでなく女人禁制を通してきた文楽が変貌したのか。と思いきやあとで文楽劇場に問い合わせると全員男性だとのこと。私の誤解でした。

 

女性の大夫と三味線弾きはそれぞれ竹本越孝さんや鶴澤寛也さんをはじめ数名おいでのようだが、まだまだ「女義太夫」という表現が生きていて男性とは別くくりのようだ。フェミニストの敵みたいな私だからいうのかもしれないが、もうしばらくは男性陣が文楽を独占していてほしい。