劇団 悠 2015年ファイナル公演 in 姫路

姫路駅そばの映画館「シネパレス山陽座」の一角に新しい舞台(劇場?)が12月27日から開業とのこと。2時間かけて姫路へ出かけた。観客席は適度に傾斜がついていて舞台が見やすい。館内にはほかに3つの映写スペースがあるが、『スターウーズ』など最新の作品が上映されている。27日から年末三日間は劇団 悠の公演。来月は1ヶ月間同じ下町かぶき組の「劇団岬一家」が公演する予定。おそらくその後も下町かぶき組所属の劇団が来演すると思われる。

 

去る11月、12月の明生座公演はあまり見ていなかったので、期間限定公演でしかも年末なら気合いが入った舞台になるだろうと期待していた。姫路は大衆演劇専門劇場がなかったようなので地元の芝居好きにとってこの舞台の創設は喜ばしいにちがいない。そう思っていたのに、観客席が半分も埋まっていない。(こんなこというのは劇団 悠を応援したい私としても心苦しい。)最前列あたりには年配の上品なご婦人方が何人か。座長らにお花(ご祝儀)や花束を贈呈されていた。ひょっとして座長の父、松井誠の全盛時代からのファンではなかろうか。短期間の公演とはいえ初日なのだからもう少し観客がいてもよさそうなのだが。イベント情報が広く伝わらなかったのかもしれない。

 

舞台の構成はいつもどおりの三部構成、顔見せショーのあと芝居『山の兄妹、おちょこの嫁入り物語』、最期は舞踊ショーだった。芝居は人情喜劇というかさんざんおどけた身振りや筋の展開で笑わせておいて、幕切れは人生の教訓を思い知らせてしんみりとさせる内容だ。嫁選びに際しては見かけの美人より心の美人をさがせ。なんだか数年前にはやった「トイレの神様」(歌・植村花菜)の歌詞を思い出した。私見だが、劇団 悠のように生真面目な舞台展開だといささか説教臭い気もする。たとえば近江飛龍ふうのド派手な変顔メークと口角泡を飛ばすおしゃべりなら、説教臭はなくなるだろう。こういうかしましさの方が教訓もわざとらしくなくなり、人生訓も観客の心の隅にそっとしまわれるのではないかな。

 

ケチつけるのは気が引けるが、正直言って今回の芝居は去る12月15日明生座で上演された特別狂言新撰組」で見せた劇団の演技力の高さがウソみたいに思えるほど地味だったように思う。配役を変えるとインパクトがますのでは?たとえば、座長が大地主の後家で主人公おちょこは高橋茂紀。おちょこの兄は嵐山錦之助。後家を演じた高野花子はおちょこ以外の嫁候補のひとり。ただし高野の演技力を考慮すると台本を書き直して嫁入り売り込み作戦を大々的に展開する場面を付け加える。それから吉田将基と和さおりの配役はどうしようか。急には思いつかない。

 

さて舞踊は年配の観客がおおいだろうと予想したのか、演歌っぽいものが多くて若くはない私は多少うんざりさせられた。舞台が暗くなってしまったと残念だ。座長、なおと、錦之助らは自分達の実年齢に合った曲を使って踊るべきだったと思う。でないと、これからまだまだ成長する余地のあるかれら若者の魅力が生かせない。座員一人ひとりがもう少し自由に個人舞踊・群舞を構成できるようにしてもいいのではないか。

 

ここで劇団の基本姿勢に話を転じよう。私の勝手ないい草かもしれないが、この劇団からは伝統的な大衆演劇の枠組みから抜け出た美意識やドラマが生まれるよう期待しつづけている。大衆演劇の役者というと旅役者の子として生まれるという出自をもっていたり、10代前半か半ばで入団して大衆演劇でしか出せない雰囲気や芸風を身につけたひとたちが大多数だ。が、座長松井悠はすこしちがう。かつて「生きる博多人形」とあだなされた松井誠の子として生まれ幼少期に舞台に立ったとはいえ、その後十代半ばになるまで旅芝居とは無縁の生活を送っていた。たしかに劇団中で一番大衆演劇のにおいがはっきりしている。それでも下町かぶき組以外の劇団の座長と比べるとにおいが薄い。ましてや座員たち、嵐山錦之助、なおとは一見大衆演劇っぽい雰囲気を漂わせているが、においがもっと薄い。だが、こういう点は大衆演界で生きていく上でとしてけっして不利にはならないと思う。以前の記事にも書いたのだが、この若い二人を含む座員たちそれぞれに全権を与えて「出ずっぱりショー」みたいな企画を公演地の観客の好みに応じてどしどし打ち出すことで集客力の向上につながる気がする。劇団 悠には下町かぶき組全体の未来を開拓する役割をになってほしい。そのためには母体の方針に縛られずそこから逸脱する行動に出てもいい。大衆演劇界に新風をそそぎこんで、新しい客層を獲得する。そうすることで下町かぶき組傘下の諸劇団に新たな活動の場を提供する効果も出てくるだろう。

 

座員でとりわけ気になるのは高橋茂紀(女優としては「高橋しげこ」を名のる)だ。今回は舞踊ショーで錦之助と相舞踊を見せ、錦之助が平手御酒、「高橋シゲ子=女装の高橋茂紀」が妙心尼の役回り。ヤクザの用心棒として人斬りに出ようとする平手。そんな心の荒みきった平手に仏の慈悲を説いてきた妙心尼は喧嘩場へいく平手を必死に引き止めようとする。大衆演劇の芸風とは異なる高橋の芸の力はこんなシリアスな場面をみごとに滑稽化していた。ぜひとも毎回の公演で5分か10分くらい「高橋しげこ・ショー」が見たいものだ。ちなみに高橋は2008年2月以来「高橋茂紀's BLOG」で自分と所属劇団の活動報告をこまめに続けている。読みごたえ大いにあり。

 

劇団 悠に望むことは大衆演劇のにおいが薄い芸風を逆手にとって存在をアッピールしてほしい。まだそういう劇団は出てきていない。単なるニッチをねらうというようなせこい作戦ではなく、堂々と大衆演劇界にはまれな劇団の個性を打ち出すべきだ。それでこそ大衆演劇の「新世代」をよばれるようになり、観客が、若い世代の観客が注目するようになると信じる。