『シェイプ・オブ・ウォーター』はやっぱり<ポリコレ>根性満載?

つい先日Guillermo del Toro監督の新作The Shape of Water (2017年)を見てきた。時流に遅れがちな私には未知の映画監督だったが、世界的評価の高い作品なので興味が湧いた。

 

この監督はすでに日本のファンタジー映画ファンには有名らしくすでに『ブレイド2 [Blade 2]』(2002年)、『パンズ・ラビリンス[Pan’s Labyrinth、牧神の迷宮?](2006年)、『ヘルボーイ/ゴールデン・アーミー[Hellboy II: The Golden Army]』(2008年)、Pacific Rim (2013年)が公開されている。

 

ちなみにPacific Rim, Uprising (Steven S. DeKnight監督、2018) はPacific Rim (2013年)の続編だとようやく気づいた。デル・トロもプロデューサーの一人だ。去る3月下旬パリで見たが、ストーリー的にもビジュアル的にも迫力なくてがっかりした。 

 

ネットでうかがえる評判からすると大いに期待できる新作『シェイプ・オブ・ウォーター』だが、ハリウッド的ラブ・ロマンスの枠組を踏まえた物語の展開はかなりおメデタく単純すぎるという印象を受けた。またこれは後日ネット検索で知ったことだが、デル・トロ監督自身が「(形が変幻自在の)水は愛だ」(注1)とこちらが気恥ずかしくなるような発言を(見たところ)大真面目にするので私としては引いてしまった。  (注1)出典https://elinstyle.com/post-2218-2218

 

とはいえ現実原則を超越したファンタジー物を得意とするデル・トロ監督ならではの魅力も感じなくはない。とりわけデル・トロ監督作品でモンスター役者としてお馴染みのDoug Jonesの熱演が印象に残った。『大アマゾンの半魚人[Creature from the Black Lagoon]』(1954年) (注2)にオマージュを捧げすぎじゃないかと思えるキュートな滑稽さを醸し出す(水陸)両生類系ヒト・モドキ [Amphibian Man] はなかなかイケてる。 (注2)全編見るならhttps://www.youtube.com/watch?v=LB60SpTZldU

 

この両生類系ヒト・モドキは顔面、特に目のあたりがウルトラマンに似ている気がする。そのためかなりニンゲンぽい。妙にニンゲンっぽいこのモンスターと(事情は明示されないが)口のきけないというハンデを負う主人公イライザ(両生類系ヒト・モドキも主人公かな?)との出会いと交感、さらには心身の交流もうなづける。

 

いわゆる「モンスター」というか「異人」と人間との交流は映画史の中でも重要なテーマのひとつだと思う。この観点から『シェイプ・オブ・ウォーター』をモンスター論で語れないかと考えたりしてみた。

 

話がそれるが、別の作品、『パンズ・ラビリンス』には(ギリシア神話などに由来する)雄ヤギとニンゲンの合いの子であるファウヌス(注3)が登場する。その役は常連のモンスター役者(と言っては失礼かな?)ダグ・ジョーンズが担当し、目玉が手の平にあるという怪物。画像的には宮崎駿のアニメを連想させる。とにかくデル・トロ監督が生み出すファンタジー映画はバラエティ豊なモンスターで溢れているようだ。

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(注3)ファウヌスはギリシア神話の牧神パン相当するローマ神話の神。未見なので映画評を見た限りではダグ・ジョーンズ演じるファウヌスは神格をもたなそうだ。

 

ところが英語圏のウエッブサイトではモンスタ論に関する深堀りの議論がない。それよりネット上では日本も含めて国際的に共通するのは悪役ストリックランド大佐を悪の権化として否定的にとらえる視点だ。モンスター論はそっちのけでストリックランド大佐すなわち政治的抑圧者説で沸いている。

 

このあまりにわかりやすい善悪の定義はネットの映画評で見る限り『パンズ・ラビリンス』ではもっと露骨に噴出する。主人公のいたいけな少女オフィーリアの養父はスペインの独裁者として名高いフランコに心酔するヴィダル大尉。この養父の存在とその思想が善と悪が混交するファンタジーの世界に暗い影を投げかける。

 

しかし本来ファンタジーあるいはおとぎ話の世界はニンゲンの深層心理を色濃く反映ししていて、けっして善良さと慈愛一色に染め上げられたりはしない。デル・トロほどの芸術家にとってそんなこと常識のはずだ。

 

だがスペインの暗黒の現代史を背景にこれだけ通俗的な善悪をめぐる倫理観を全面に打ち出されると監督は世間に受け入れられやすいanti-Francoismなどの政治的イデオロギーにこだわっているのかと思えてくる。一体どっちなんだろう。

 

日本のネットでも同様で、ブログの筆者のみなさん立民(わが日本の野党「立憲民主党」)のシンパかいなと思える。

 

立憲民主党」なんて党名はご党首さんがいまだに若き日の革マル闘士であり続けることから推測して自己犠牲の精神でロシア革命の端緒を開いたパーヴェル・ミリュコーフ(1859-1943年)が中心となって設立した(自由主義政党としての)「立憲民主党」を気どっているようだ。立民やその同類のみなさんは盛んに「リベラル、リベラル」と呪文みたいに唱えていたっけ。

 

朝日新聞』系列の(同じくリベラル系メディアであることを売り物にする)HUFFPOST日本語版さんが必死でエダノンを擁護している記事 :https://www.huffingtonpost.jp/2017/10/01/edano-rikken-minsyutou_a_23229155/

 

巷に溢れる「凡庸な」映画批評とは一線を画して究極の映画批評を追求してきたかの映画批評界の伝説の巨人ともよぶべき<蓮實重彦>が切りひらいた批評精神はどこへ行ったのだろうか。

 

映画批評の分野で俗耳に入りやすい<社会正義>ばかりが喧伝されるのは疑問だ。社会主義リアリズムの過ちを犯す危険性がある。過剰なポリコレ意識(「ポリコレ棒」とかいうマスコミ用語が流行する世の中変すぎ)はごめんこうむる。ニンゲン社会、いや生物、それどころか有機物の世界から軋轢や確執をなくせるはずがない。軋轢や確執の完全消滅を望むなら<死>しかないだろう。

 

<余談> 劇中イライザがTVリモコンを操っていたが、1950年代のアメリカにはリモコンが普及してたのかとビックリ。1956年には(1999年に韓国LG電子に買収された)Zenith社が発売。(このことはネットのブログでもすでに指摘している人がいる。)

 

60年昔のリモコンは超音波方式で誤作動も生じがちたっだとか。その後1980年代初期には現在のような赤外線方式に切り替わったという。

<参考サイト>

http://subal.cocolog-nifty.com/blog/2007/04/post_c85c.html https://www.beoworld.org/article_view.asp?id=76(歴史的経緯がわかりやすい。) The First Television Remote Control! (1961) https://www.youtube.com/watch?v=8BPvBElDZHo 1956: Zenith Space Commander Remote Control https://www.wired.com/2007/10/vg-greatestgadget/