長谷川伸の名作『瞼の母』、恋川劇団による泣かせる芝居

「桐龍座(きりゅうざ)恋川劇団」 鈴川真子誕生日公演

2018年1月22日、新開地劇場

純座長(番場の忠太郎)と鈴川真子(生母だが、現在は料亭「水熊」の女将おはま)さんの親子共演

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座長の母に対するオマージュの思いが込められた演出。母と子の見えない絆。見えないゆえに実感できない不安にかられざるをえない。

 

やむをえない事情があって愛する息子を後に残して後ろ髪を引かれる思いで婚家を去った母おはま。分かれて30年の歳月、母は世間の苦労を散々舐める人生を送る。文無しで巷さ迷った時期もあった彼女は夜鷹にまで身を落としたこともあったらしい。それでも母の子に対する思いは変わらない。ただし彼女にとって辛いことは風の噂で忠太郎が九つの歳に死んだと知ったこと。それ以後死んだ子の歳を数えて生きてきた。

 

おはまは息子忠太郎の姿を夢に見続ける。夢の中の忠太郎は理想化されざるをえない。なのに忠太郎が生きていたばかりかヤクザ姿で現れる。人の心の闇を見ざるをえない経験をしたおはまは偽忠太郎が財産目当てで名乗って出たと勘ぐってしまう。傷心の思いで追い返される忠太郎。

 

その後娘(忠太郎の異父妹)のとりなしもあって忠太郎の後を追うが忠太郎は姿を隠す。母が家を出てから彼の心に育まれた<瞼の母>に対する熱い想いをさらに熱くしながら忠太郎は流浪の生活に戻る。悲劇を浮き彫りにする演出で素直に泣ける芝居に出来上がっていた。

 

一方今回の演出とは別の演出もありそうな気がする。忠太郎だけでなく母の思い、心中にも焦点を当てると母にも<瞼の息子>があったのかもしれない。思い通りにならない現実に置かれていると人は愛情や思慕の対象を幻想化するものではないだろうか。その結果事実よりもそういう<幻想>の方がより大きな価値をもつ。母の複雑な心中。

 

「おはま」役を女優さんが担当すると母としての素直な、いや、素直すぎる母性愛が否応なくにじみ出てしまいそうだ。

 

こういう母性愛の強調はすでに多くの舞台やスクリーンで見られていてももう一つインパクトがない。そこで「おはま」を男優が演じると原作に秘められている未知の可能性が出るのではないか。恋川劇団の場合、初代 恋川純(太夫元)のおはまを見てみたい。今回は(今回だけに限らず毎回そうらしいが)おはまの夜鷹時代のほう輩おとらを演じる初代 恋川純だが、いつか女形でこの二役を演じ分けてほしい。鬘、衣装それに化粧を変えれば初代 恋川純は見事にやってのけるだろう。    

 

舞台での男優による<おはま>像は2年前「劇団 悠」(大衆演劇)で見た藤 千之丞の演技が印象に残る。また歌舞伎では去年(2017年)12月、市川中車(忠太郎)を相手におはまを演じた坂東玉三郎の名演技が記憶に新しい。

 

男優が持つある種の強さ(こわさ)が女形でも表出され、長谷川伸が創造したおはまのキャラを複層的に浮き上がるように思う。忠太郎にとって<瞼の母>こそが母であるのと似て、おはまにとって20年以上に渡って世間の冷たい風に晒されながら心に育んできた「忠太郎」、いわば<瞼の子>こそがホンモノの「忠太郎」なのではないか。二人はそれぞれに<ずれ、すれ違い>に苛まれていて、それが二人のそれぞれの悲劇なのだという気がする。

 

ちなみに、玉三郎・中車による歌舞伎版では老いた夜鷹を名脇役で歌舞伎の名題(なだい)役者たる(三代目)中村歌女之丞(なかむら かめのじょう、1955年生まれ、成駒屋)が演じたが、女形歌女之丞も賞賛に値する役者ぶりだった。

 

おまけ。玉三郎と中車の朗読劇(2014年10月が動画で201510月にアップされている。

https://www.youtube.com/watch?v=8Glm6QgC-YI

お二人とも実にいい顔をなさっている。

この公演は2014年10月の演劇人祭のものだとか。

http://www.kabuki-bito.jp/news/2014/09/post_1198.html

 

 

 

 

玉三郎の完璧さと壱太郎の初々しい輝き

2018年1月松竹座『坂東玉三郎 初春特別舞踊公演』

「口上」 坂東玉三郎中村壱太郎

「元禄花見踊」 坂東玉三郎中村壱太郎

「秋の色種(あきのいろくさ)」坂東玉三郎中村壱太郎

「鷺娘」 中村壱太郎

「傾城(けいせい)」坂東玉三郎

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(素人判断だが、)この舞台を見て玉三郎は舞踊の頂点をすでに極めているという思いを強くした。

 

もう一点気づかされたことは舞踊のスタイルが江戸好みと上方好みではっきり異なるということ。「元禄花見踊」や「秋の色種」で見せた坂東玉三郎中村壱太郎の相舞踊を通して納得した。そんなこと常識だといわれると反論できないが。

 

女形で踊る玉三郎は現実的な男女の差を排して、いわば中性化した印象をうける。とはいえこれはドラッグ・クイーン(drag queen) のスタイルではない。歌舞伎特有の女形のスタイルであってあくまで男優が演じる<理想化されたフェミニンなイメージ>を追求するのだと思う。江戸歌舞伎がマスキュリンなイメージを強調する荒事を出発点にしているという背景が影響しているのかもしれない。

 

一方、壱太郎(かずたろう)は伝統的に和事を重視してきた上方歌舞伎の芸風が強く感じさせた。玉三郎の姿勢が(極端な言い方だが)垂直方向を印象づけるのに対して壱太郎は身体をしなやかに湾曲させる動きが多いように思えた。この身体所作が理念としての女性を浮かび上がらせる。もちろんこういう対比の仕方は行き過ぎだとは承知しているのだが。

 

長年歌舞伎舞踊をリードしてきた玉三郎だが、その役目は今後壱太郎が担っていくだろうと思う。それほど壱太郎の踊りは将来に向けての可能性を強く秘めている。

 

そういう期待をいだかせるのも当然で、若干27歳ながら壱太郎は三年前に吾妻徳陽の名で日本舞踊吾妻流七代目家元襲名している。吾妻流といえば江戸時代に開かれたが一旦途絶えて昭和初期(1933年)に初代吾妻徳穂(1909—1998年)によって再興されたそうだ。この人は第2次大戦後占領軍の抑圧的文化政策によって封建的だとはげしく否定された歌舞伎の伝統を途絶えさせまいと奮闘した女性だ。戦後十年にならない時期(1954—1956年)にいち早く「アズマ・カブキ」と銘打って歌舞伎舞踊を欧米十数ヶ国で上演している。踊りの才能に恵まれたばかりでなく芸能の維持、発展に情熱を注いだ人だったようだ。

 

壱太郎はその初代の孫、二代目吾妻徳穂(1957年生まれ)に教えを乞うている。またこの二代目は叔父四代目中村鴈治郎の配偶者である。それに何より上方和事の名人四代目坂田藤十郎の孫に当たる壱太郎なのだ。舞踊の素質と熱意の点で大いに恵まれている。

 

そういう背景をもつ壱太郎であってみれば役者としてはもちろん踊り手としても今後の活躍が期待されて当然だろう。

『新世紀、パリ・オペラ座』 ー 視点がユニークなドキュメンタリー映画

原題L’Opera、2017年公開、Jean-Stéphane Bron監督作品

 

芸術家のみに焦点を当てる平面的、一元的芸術至上主義を排して芸術の創造をいわば(昆虫のもつ)複眼を思わせる視点でとらえていて斬新であり説得力もある。

 

ドキュメンタリー映画において芸術家に焦点を当てることが即平面的、一元的になるとは言えないことは承知している。最近の例ではウクライナ出身のバレエダンサーを描く『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』(2016年、Steven Cantor監督)はポルーニンが成長する姿を幼少期から追って迫力のある作品に仕上がっている(2017年10月日本公開)。

 

通例この種の映画では被写体に不利益を被らせる恐れのある映像は撮らないし削除するだろう。リアルな「舞台裏」が印象に残る。私にとって一番衝撃だったのはオペラ座バレエ団のプルミエ(premier常時主役を張るダンサー)が舞台で華やかに踊ったあと舞台袖に引っ込んでから激しい息づかいをして苦しむ姿だ。芸能界、芸術界のスターが絶対人に見られたくない姿ではないか。(本人も承知の上だろうが)そんな姿がスクリーンに大きく映し出される。

 

このドキュメンタリーは本番中のバレエダンサーやオペラ歌手よりもむしろ舞台裏、「裏方」をとらえた場面の方が多い。一口に裏方といってオペラ座を総指揮する管理、運営部門のトップStéphane Lissner総裁(1953年生まれ)だけではない。もちろん彼は財政の維持、在籍団員の監督、新規採用の団員の選考、公演初日間際の出演者の交替、(フランスでは強大な社会的勢力を誇る)労組との交渉などありとあらゆる問題を処理しなくてはならない。さらに(最近世界の大都市で発生するようになった)イスラム過激派によるテロ事件もオペラ総裁と無関係ではない。2015年11月パリ近郊および中心部で起きた事件では130名が命を奪われた。そのうち90名はロック・コンサートの会場であったBataclan劇場(パリ市内)で亡くなっている。オペラ座もけっして安全ではない。

 

しかしこの映画がユニークなのは総裁のような最上級(および中級)の裏方の面々だけだなく、下働き、いや最底辺の裏方にもしっかり目を向けている点だ。オペラ歌手の付き人、衣装の選択係、果ては劇場内清掃担当の人たちも映し出される。エスカレーターの手すりを延々と拭き続ける人もいる。

 

こういう『新世紀、パリ・オペラ座』の視点の斬新さは芸術創造について面白いだけでなく重要な事柄を気づかせてくれるように思える。つまり精神性の極みをめざす芸術だが、そのことを可能にするのは生身の人間が様々な関係を結んでいる現実世界があってこそなのだと。

 

華麗な舞踏で観客を魅了するバレエダンサーや神がかった美しい音声を響かせるオペラ歌手も舞台の裏では生身の肉体という桎梏から逃れられないのだ。病気、怪我、事故などなど。

 

アメリカ人(?)映画批評家Boyd van Hoeij がこの映画のレビューの文中でいう言葉は説得力がある。「『新世紀、パリ・オペラ座』から汲みとるべきメッセージとはなんの苦もなく成就したかのようなふりをする芸術はホンモノと言えないのではないか、と。 (出典:https://www.hollywoodreporter.com/review/paris-opera-review-992276 このサイトでは1分50秒の予告編も視聴できる。)

 

ちなみに映画冒頭に登場し、その後も何度かカメラがとらえるロシア出身の若きバリトン歌手Mikhail Timoshenkoは2016年に期待の新人としてオペラ座でデビュー。歌手としての才能もさることながら性格がじつに良さそうだ。初々しさが全身に溢れている。2年契約だそうだが、プロの歌手として過酷な競争に放り込まれている。現在どうしているのか気になってネット検索したらオペラ座で着々と業績を積んでいるようで安心した。オペラ座の紹介記事はこちら:https://www.operadeparis.fr/en/artists/mikhail-timoshenko

茂山七五三さん七十の賀(古希)お祝い公演で痛快かつ柔和な笑いを堪能

 

演目

•『佐渡狐』:茂山七五三(佐渡お百姓)、茂山あきら(越後のお百姓)、茂山千作(奏者)、井口竜也(後見)

•「わかぎ ゑふによる七五三さんインタビュー」

•『居杭』:茂山七五三(陰陽師)、茂山慶和(居杭)、茂山宗彦(何某)、山下守之(後見)

•『千切木』:茂山七五三(太郎)、茂山千五郎(当家)、茂山茂(太郎冠者)、茂山千三郎、茂山童子、網谷正美、丸山やすし、松本薫、島田洋海(連歌の友)、茂山逸平(女房)、鈴木実(後見)

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佐渡狐』

自覚があるかは別にして人間誰しもライバル意識、競争心はあるものだ。そんな、場合によっては人間関係上ヤバイけど、かといって抑えきれない欲望が生み出す人間模様を描くのが『佐渡狐』だ。

 

越後と佐渡のお百姓(農民をはじめ各種の生産者の総称)がそれぞれ年に一度実施される年貢の物納のため都へ上る。偶然道連れになったこの二人。越後の住人が同行者に対して地元にキツネが居るかと問うたところ、居ないというのは癪なので居ると答える。佐渡びとは腰に帯びた小刀をかけてまで自説を主張する。そこで都に着いたら奏者(領主の取次役)に判定を依頼することで当座の話しはつく。差料(腰に帯びた脇差)を賭けると言い出す佐渡のお百姓。小ずるい佐渡びとは奏者に賄賂を使ってキツネの外見の知識を得る。懐柔された奏者の裁定は当然「佐渡にキツネはおる」と。

 

しかし鳴き声は聞かずじまい。それが仇となって佐渡のお百姓は賭けに負けてしまう。我執は災いの元なのだ。

 

笑いのツボとは関係ないことだが、時代設定はいつ頃のことだろうか。お百姓は二人とも個々の生産者による中央政府への直接的物納の義務を負っている。この制度の基盤にあるのはいわゆる租・庸・調とよばれる税制。それが機能していた律令制の中央集権的政治体制下となると7世紀半ばから10世紀。それ以後、平安時代前期には有力貴族や寺社による荘園制が発達してくるとこの直接的納税の制度は崩壊する。鎌倉時代から室町時代にかけて全国に配置された地頭が生産の現地で領主に代わり徴税に当たるからだ。

 

しかしこんな日本史のおさらいは芸能鑑賞には必ずしも必要ではない。この狂言室町時代あるいはそれ以後に考案されたに違いない。ということは物語の構成に歴史にまつわる、いわば集合的記憶のようなものが混在しているのだろうか。

 

余談ながら、「客観的歴史」に対置させようと不用意に「(歴史にまつわる)集合的記憶」という語句を使ってしまった。「集合的記憶」は学術用語だった。ネット検索で初めて知ったが、フランスの社会学者M.アルヴァックス (Maurice Halbwachs, 1877-1945) が「集合的記憶mémoire collective」という概念を提唱している。歴史認識というものは特定の利害関係で結びつく個々の集団が意識するとしないに関わらず自ら形成するものらしい。参考資料: http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00072643-00940001-0299.pdf?file_id=69609 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/archive/34/kin2010.pdf

 

恥ずかしながらわたしはたまたま学術用語と重なるような言い方をしたに過ぎない。こんなこと狂言鑑賞に不可欠とは言えないのでこれで終わり。

 

さて題名にある「佐渡狐」とは。日本のキツネは北海道を除く日本各地に生息するホンドキツネ(本土狐、体毛が赤っぽいアカキツネの亜種だとか)。ただし離島である佐渡島には一時人工的に繁殖を試みた時期があったようだが、成功しなかったとか。

 

佐渡狐』がすんで今度は老婆に扮した少女かなと思わせる鬼才・奇才の演劇人わかぎ ゑふが登場。彼女は女優・劇作家・演出家:リリパットアーミーセカンド二代目座長)だ。

 

(1980年代以降の関西小劇場演劇界中心的劇団の一つであった)「リリパットアーミー」と聞くと同じく鬼才・奇才の作家・演劇人、中島らも(1952 – 2004年)を連想する。中島の早世はわかぎとのコンビが更なる発展を期待されていただけに惜しまれる。中島とともに磊落で先鋭な笑いを創造し続けたはわかぎだが、茂山狂言とも縁が深い。2007年、2009年は自作の狂言『わちゃわちゃ』を提供している。演出は笑いの知性派と評判された故茂山千之丞 (1923 – 2010年)やその息子茂山あきらが担当。最近では2016年7月茂山家若手狂言師集団「花形狂言」公演のために(ルイジ・ピランデッロ作『作者を探す六人の登場人物』の向こうを張るような傑作笑劇『おそれいります、シェイクスピアさん』を書き下ろしている。

 

横道にそれてしまったが、このインタビューでは当日の主役、茂山七五三を軽く、やさしく、若干ビター・チョコ風味でいじっていて出来のいいコントに仕上がっていた。

 

15分の休憩の後狂言2本。『居杭』と『千切木』。

 

『居杭』は題名どおりの名前の男(今回は少年の設定で茂山逸平の次男慶和がつとめる)が日頃目をかけてくれる何某(なにがし)、この場合後援者(茂山宗彦)の家にたびたび逗留するが、その後援者は何かというとすぐに居杭の頭を叩く。さらに耳を引っ張る。当の後援者に言わせると親愛の情の表現だそう。だが居杭にしてみれば痛い思いをするばかりだ。そこで京都は清水寺の観音さまにお祈りして被れば姿を消せる隠れ頭巾を手に入れる。所在が分からなくなった後援者は陰陽師ー正確には陰陽師くづれ、流しの民間陰陽師かー(七五三)を雇って占術で居杭の居場所を見つけ出そうとする。居杭は頭巾を巧みに使って陰陽師を翻弄する。弱者(社会的下位の者、こども)が強者(権力者、おとな)をやり込める面白さ、痛快さからくる笑いか。

 

伊勢門水が描く『狂言画』(wikiより無断借用)では右手の後援者の耳を引っ張る中央の子役が居杭。頭巾をかぶり姿を消してダンナに仕返しをしている。左手は陰陽師

「居杭」の画像検索結果

 

観劇後<隠れ頭巾>がもつ<透明人間化作用>のアイデアの出所が気になってきた。

 

ネット情報では民話にしばしば取り入れられるテーマだそうだ。岡山県に伝わる『キツネの隠れずきん』、佐渡島の『隠れ蓑笠』など。昔話などに登場する鬼や天狗の持ち物であってその呪力で突然姿をくらます。そういえば表向きの名目などという意味合いで「カクレミノ(隠れ蓑)」という言い草が今でも通用する。

 

民俗学でも昔話や伝説のキーワードの一つとして扱われる。妖怪研究で知られる小松和彦は「蓑笠」を<身を隠す>ための道具(呪具)だと指摘している(『異人論 — 民族社会の心性』青土社、1985年、後にちくま学芸文庫)。一方折口信夫は<変身>と<出現>に注目する。「蓑笠、後世農人の常用品と専ら考へられて居るが、古代人にとっては、一つの變相服装でもある。笠を頂き蓑を纏ふ事が、人格を離れて神格に入る手段であったと見るべき痕跡がある」(『国文学の発生・第三稿』、1929年)。 (注)e本『青空文庫』で読める(17頁):http://www.asahi-net.or.jp/~YZ8H-TD/misc/kodai_kenkyu_2_kokubungaku(ipaex).pdf

 

このような蓑笠による<隠れ>と<現れ>を統合させるのが 大和岩雄(だいわ いわお)は蓑笠の呪術的機能として「かくれる・あらわれるの両義性」を指摘する(『鬼と天皇白水社、1992年)。

 

『居杭』の場合、大和が注目する<隠れ>と<現れ>の両義性がよく当てはまる。劇中で居杭は陰陽師の透視力を借りて居杭の居場所を突き止めようとする旦那を散々からかう場面が印象に残る。隠れ頭巾のおかげで居杭は姿を消したかと思うとあらわれたり、また消えたり。透明人間状態の時の居杭は茶目っ気たっぷりだ。子役の慶和くんが大活躍。

 

ちなみにカクレミノとはウコギ科の常緑亜高木がある。若木の葉の形が伝説上の「隠れ蓑」に似ることからそう名づけられたとか。

5裂した葉

wikiより無断借用)

 

蓑笠の呪術的作用から離れるが、神的な存在がもつ身を隠す能力は民間信仰にもうかがえる。三浦あかね著『三面大黒天信仰』(雄山閣、2006年、新装版2016年)によると日本では大黒様として福の神の代表みたいに親しまれてきた三面大黒天はそのルーツを辿るとインドのシヴァ神の化身であるマハーカーラだという(27頁)。この複雑怪奇な性格をもち容貌怪異のマハーカーラは透明人間に変身できる秘薬を所有するそうだ(28頁)。

 

能楽大事典』(筑摩書房、2012年)ではあくまで推測だとしながらも居杭が後援者の家に押しかけてくると解釈してことわざ「出る杭は打たれる」に由来する、あるいは飯ばかり食う徒食者という意味で「居食い」が変じたことに言及する。これは大蔵流狂言方善竹徳一郎さんのブログで知った: https://zenchiku.blogspot.jp/2015/03/blog-post_30.html

 

祝賀公演の<締め>は『千切木(ちぎりき)』。これは初見だ。いつの世にもいそうな目立ちたがり屋さん。周囲の迷惑も考えず「私ガー!」の根性満載、重症のジコチューである。そんな目立ちたがり屋さんの一人「太郎」を七五三さんが演じる。この「太郎」(主人公の名であって脇役の「太郎冠者」ではない)が連歌愛好家の集まりにやってきては宗匠気どりで場を仕切ろうとする。そんな傲慢ぶりで毎度顰蹙を賈う太郎。

 

やがて参会者も堪忍袋の緒が切れる。ある日のこと皆は太郎を散々に打擲する。仕返しをしろと迫る女房(逸平)に伴われ、実は気弱な太郎はしぶしぶ仕返しに。勝気な女房殿は千切木(乳切木とも書き、乳=胸の高さほどに切った棒の意)とよばれるこん棒で武装する。夫婦は恨みのある連歌仲間の家を尋ねるが、不幸にもというか、気弱な太郎にとっては幸運にもというか、居留守を使われて肩透かし。復讐を果たせず仕舞い。だが気弱な太郎はそれをいいことに女房の前だけは強きに振る舞う空元気。女房に己の情けない姿を見せずにすんだ太郎は夫婦連れで意気揚々と引き上げる。

 

ことわざにもある「諍い果てての乳切り木」そのまま。大辞林によると「時機に遅れて役に立たないこと」をいう。「賊のあとの棒乳切」ともいうそうだ。

 

表記が異なるが、古武術として契木術(ちぎりきじゅつ)がある。樫などの堅い木の棒に鉄製の石突と鎖分銅がついた武具・捕具である(wiki)。動画に「荒木流拳法 契木術」がある。迫力あり。

 

話を戻して<茂山流千切木術>。七五三さんが次男の逸平さんと演じる夫婦は名人芸。逸平さんの女房は見るからに勝気そう。それに対して七五三さんは痩せて長身なのでいかにもひ弱という感じだ。外見のコントラストが効を奏した。

 

連歌の寄り合いの場面があるので登場人物が多いのにびっくり。でも茂山一門の芸達者な面々が勢ぞろいで圧巻だった。

梅若玄祥(シテ) 新作能『紅天女』、能とタカラヅカは反りが合わない!

2017年12月25日、京都観世会館にて。

 

客席に能楽ファンがいない。それも当然か。両隣にいた観客はまともな能学ファンなのかプレ・トークの間ずっと寝ていた。

 

揚幕から出てきた発声不良女優さんのセリフにはドン引きしかなかった。ええッ<自然と人間の共生>だって?

 

この発言が革共同革マル派日本革命的共産主義者同盟 革命的マルクス主義派)の洗礼を受けた枝野幸男率いる「立憲民主党」に代表される現代ニッポンの「野党」のぬるま湯的綱領ならいざ知らず。また朝日、中日、東京新聞が先導するニッポンのマスコミの万年不変の社説なら認めよう。

 

いつの時代であれ能は自然と人間の共生だの、近代風平和主義などという締まりのないお花畑イデオロギーそのものでしかない言説を唱えたりしないよ。

 

自然は人間に対して時に優しく、時に凶暴になるのは子どもでも知っていること。自然と人間との関係は複雑怪奇な葛藤の連続だ。

 

文芸が花鳥風月にばかり酔っているというのはとんでもない誤解だ。

 

おまけにこの女優さんが続けた楽屋裏話めいた言い草はあまりに次元の低い言い訳としか思えない。これがタカラヅカ大劇場なら通用するだろう。能舞台で上演中に私的な発言はありえない。

 

それはさておき、今回の舞台は地謡の面々には申し訳ないが、囃子方の楽音は響くものの台詞なしの能公演としては逸品だったと納得するしかない。

『瞼の母』と『鶴八鶴次郎』〜 決断の時

2017年12月の芝居2本

歌舞伎座十二月大歌舞伎第三部『瞼の母』(市川中車坂東玉三郎 主演)  

 長谷川伸 (1884-1963年) 原作 (1930年)

*浅草木馬館『鶴八鶴次郎』(12月4日、劇団 曉、三咲夏樹・三咲春樹兄弟座長主演)  川口松太郎 (1899-1985年) 原作 (1934年)

 

瞼の母』で印象に残るのは原作者長谷川が用意していた複数の結末部(「荒川堤」の場)の案(異本)のうちもっともシンプルな形で結んでいることだ。従来歌舞伎であれ大衆演劇であれヤクザ渡世に身を落とした番場の忠太郎はそういう生き様の悲哀を強調する演出が多いようだ。確かにこれは外題にもある「瞼の母」というイメージを単刀直入に表現する。その意味で説得力もある。

 

前場で番忠太郎は料亭「水熊」の女将おはまこそ自分の生みの親だと察知し期待に胸膨らますが、すげなく追い返される。拒絶され打ちひしがれる忠太郎は親探しを諦めて渡世人として流浪の旅にもどる決心をする。忠太郎にとっては「瞼の母」こそ本物なのだ。そう達観するしかないのだ。忠太郎が荒川堤にさしかかると金目当てで「水熊」の女将のいわば男妾になろうとする遊び人素盲の金五郎が忠太郎に斬りかかるが、手も無く返り討ちに遭う。

 

この場で忠太郎は母の情に駆られて親子の名乗りをしようと後を追ってきたおはま(と異父妹お登世)とはすれ違いのまま顔を合わすことはない。(異本によっては二人が二十数年間ぶりに<再会>する。実人生で生母と生き別れた作者長谷川の秘めた心の一端がそこに表れているのだろう。)忠太郎は「瞼の母」を後生大事にする<決意>を固めているのだ。この忠太郎の姿は心中での葛藤の末に現実的次元の幸福な出会いを<断念>する。現実世界ではこの断念は不幸以外のなにものでもないことは理解できる。

 

生き別れの親子の再会という喜びは文芸の世界では必ずしも読者・観客の心の高揚に結びつかない。今回の『瞼の母』の場合、「瞼の母」にすべてを賭けるという忠太郎の<断念>が浮き彫りにされることで印象深い出来上がりになったと筆者には思える。玉三郎の「おはま」は一つの至芸の境地に達している。

 

ここで懐かしく思い出すのは(特定の劇団に所属しないフリーランス大衆演劇の役者)藤 千之丞だ。彼が松井 悠劇団で演じた「おはま」も、玉三郎とは演技のスタイルが異なるが、至芸の境地に達していた。わが子忠太郎を頑なに拒む態度が内面の動揺をかすかにうかがわせる絶品の演技だった。しかしあの時の出演陣が揃うことはもうニ度となさそうで残念至極。

 

玉三郎と中車の朗読劇(2014年10月が動画で201510月にアップされている。

https://www.youtube.com/watch?v=8Glm6QgC-YI

この公演は2014年10月の演劇人祭のもの。

http://www.kabuki-bito.jp/news/2014/09/post_1198.html

 

さて翌12月4日関東圏の大衆演劇のメッカの一つ浅草「木馬館」で劇団曉の公演を観劇。この劇団は先先代座長三咲てつやが今をさかのぼること24年前に栃木県で旗揚げ。その後11年して同県塩屋町船生(ふなお)に常設劇場「船生かぶき村」を創設した。現在は三代目座長三咲夏樹・春樹(兄弟)が「船生かぶき村」だけでなく関東ならびに中部地方で月単位の公演を繰り広げている。

 

毎回感じるのだが、関西や九州の劇団と比べると関東の劇団は実にあっさりしている。筆者は普段情の濃い芸風に接する機会が多いのでこういうあっさり系は大歓迎だ。(情の濃い芸風は生身の次元に執着し、ややもすれば精神性の高みに飛翔し損ねる気がする。)2年ぶりに見た劇団 曉の舞台には大変満足した。舞踊ショーも楽しかったが、2時間近いやや長めの芝居『鶴八鶴次郎』が特に気に入った。の作品も『瞼の毋』同様歌舞伎や大衆演劇でよくとりあげられる。

 

筆者の思い込みかもしれないが、これら2作品とも<断念>を<決意>するという点で大いに共通するように思える。

 

『鶴八鶴次郎』は大正時代を舞台に当時人気のあったエンターテインメントの一種である「新内」語り師のコンビを巡るひめたる愛と別離の話だ。三味線弾きの女、2代目鶴賀「鶴八」とその母初代鶴賀鶴八に仕込まれた相方で義太夫語りの男、鶴賀「鶴次郎」。二人は将来を嘱望される若き芸人コンビである。二人の芸はすでに一流の域に達している。そのせいか大聖刻の舞台が引けて楽屋にもどるとどちらも相手の芸の不手際を指摘していつも喧嘩になる。

 

実は二人とも密かに結婚を望んでいるのだ。だがそれを打ち明けられないまま、その苛立ちが相手に対する芸の批判となってあらわれてしまう。やがて鶴八は贔屓筋の男と結婚することに。裕福な家のお内儀になるのだ。コンビ解散と愛する女鶴八を失ったことでやけを起こした鶴次郎は義太夫語りを続けるものの芸は荒んで場末の芸人に身を持ち崩す。

 

コンビが解散してはや3年が経つ。以前から鶴八・鶴次郎コンビに仕えていた佐平(三咲夏樹座長の長男、暁人が大健闘)が二人の才能を埋れさせてはいけないと2年ぶりに二人がコンビを再結成できるように仕組む。理想の相方と再会できて喜ぶ二人。

 

だが、夫と別れてでも舞台に立ちたいという鶴八を前にしてこの2年間ピン芸人として芸人稼業の儚さが身に沁みている鶴次郎は思案の挙句にある決意を固める。鶴八には裕福で堅気の生活を手放さず女としての幸せに恵まれてほしいと鶴次郎は強く願う。結局コンビは解消。鶴次郎は場末の居酒屋で佐平を相手に酒を酌み交わしながら心の丈を打ち明けるのだった。

 

この最後の場面は見ようによってはなんとも救いのない、惨めったらしいと思えるかもしれない。しかし本心では鶴八と夫婦になり(コンビで舞台に立ちたかったに違いない)鶴次郎だが、今もまだ惚れつづけている女、鶴八のせっかく手にした幸せを願って清水の舞台から飛び降りるような気持ちで決断した。鶴次郎はきっとサバサバしているはずだ。一方、佐平にしても裏方ながらこの名コンビの芸に惚れ、尽力してきたのだからコンビの解消には彼の心も傷ついている。だが、鶴次郎が辛い思いを断ち切って鶴八に対して見せた心遣いに感動する佐平でもある。

 

今回の劇団 曉の舞台は鶴八を演じた三咲夏樹と鶴次郎役の三咲春樹の抑制のきいた演じ方のおかげで心に強くて残る舞台であったと思う。それから最後の場面を静かに盛り上げてくれた若座長、三咲曉人の功績も記憶にとどめたい。

 

過去に映画芸術家の誉れ高い成瀬巳喜男監督の同名作品(1938年)では鶴八を名女優山田五十鈴が演じたが、女優の場合単なるラブ・ロマンスとしての性格が強くなってしまい<人間探究>の面白みが半減する。男女の物語と同時に<人間の物語>にするには鶴八は女形が好ましいのではないか。鶴八を女形で演じることで過度の情の表出を避けられるように思う。

近松「文楽」—— 特異な心中物

2017年11月国立文楽劇場(大阪)

『鑓の権三重帷子』(やりのごんざかさねかたびら)

『心中宵庚申』(しんじゅうよいごうしん)

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近松門左衛門の心中物といえば『曽根崎心中』や『心中天の網島』など10編以上ある。ほとんどの場合、遊女と商人など惚れ合った男女が世間の理解を得られず世を儚んで自害するストーリー展開になる。中には『卯月紅葉(うずきのもみじ)』やその続編『卯月潤色(うずきのいろあげ)のように若夫婦(従兄妹同士)が夫に対する舅(夫にとっては実の叔父)の悪感情から進退極まって心中へと至るケースもある。

 

だが、今回観劇した『心中宵庚申』と『鑓の権三重帷子』は事情が異なる。両作品とも心中の当事者である男女は世間に対する義理を可能な限り最大限に果たそうという意志は疑えない。それでいながら彼ら自身の誇りというと曖昧になるが、強い自覚に基づく<矜持>を世間に対して見せつける点で特異である。

 

『心中宵庚申』で心中するのは若夫婦だが、夫(半兵衛)は武士の出で事情があって結構大きな商家(青物商)の養子になる。養父母には実子はないものの血縁の甥子がいるが、養子である半兵衛を見込んで店を継がせる。この意味で彼には養父母に対する重大な義理ができる。自分の才能、人柄、将来性に大いなる期待をかけてくれる養父母の意思には逆らえないのだ。

 

半兵衛は好き同士で結ばれた女房千代がいるのだが、なぜか養母は彼女を毛嫌いする。ついには半兵衛に千代を離縁するように迫る。養母に対する義理と孝行心に篤い半兵衛は女房に対する愛も全うするべく究極の判断をせざるをえなくなる。つまり養母の意思を重んじて千代を離縁し、そののち自分たち夫婦が比翼連理のたとえのごとく相思相愛の仲であることを世間に知らしめようと心中を決行する。

 

現代の観客にとっては半兵衛と千代の二人が前近代の実に旧弊な時代と社会の犠牲となったことが痛ましいと思える。しかし筆者には彼らが哀れな犠牲者だとは思えない。逆に誇らしい理想家に見える。二人は世間対する義理を果たし己の尊厳を守るという離れ業をやってのけるのだ。

 

『心中宵庚申』と同様に『鑓の権三重帷子』も<義理と矜持の葛藤>が主題であることを確認したい。ここでいう「義理」は『心中宵庚申』のように世間一般だけでなく武士社会も意識しているように思える。主人公笹野権三は某藩の小姓であって歳は若くともれっきとした武士である。「鑓の権三」と異名をとる武道の達人であり、その上美男子である。人並み優れた武芸の才能と容貌、ことに後者が一人の年上の女性の心を惑乱させて、その結果思いもよらぬ悲劇が彼に降りかかる。

 

笹野権三は同僚であり、茶道の相弟子でもある川側伴之丞(かわづらばんのじょう)の妹雪と密かに契りを交わしている。日頃は馬術で互いにライバル意識を燃やしている二人だが、藩の重大な行事に際して二人は茶道の腕前を競い合うことになる。

 

相手に先んじるには茶の師匠浅香市之進が保管する奥義書を見なくてはならない。折しも市之進は出張中なのでその妻さゐに頼み込んでこっそり奥義書を覗き見するしかない。伴之丞は伴之丞で悪巧みを講じているが、純朴というか機転が利かない権三はさゐにこの願いを直接ぶつける。

 

さゐは以前から権三をぜひ娘菊の婿にとりたいと考えているのだが、娘思いの感情にいつしか自分が権三と契りたいという欲望が重なり合う。ある夜更け、さゐは権三を屋敷に招き入れ奥義書を見せる。ちょうどその時さゐを欺して奥義書を盗み見ようと企んだ伴之丞が屋敷の庭に忍び込んでいて障子越しに権三とさゐの姿を見てしまう。伴之丞は二人が主人の留守をいいことに密会していると上司に訴え出る。

 

ここからの展開はやや強引ではある。夫市之進の名誉を守るため妻であるさゐは権三に向かって二人は不義を働いたので二人でいっしょに夫に成敗される「女敵討ち」の運命を受け入れてほしいと無理を承知で懇願する。(権三の言い分や意思は明かされないまま)権三は承諾し、他国の京都伏見でみごと市之進に成敗されて果てる。

 

さて、近松がこの作品で描く男女関係をめぐる男尊女卑イデオロギー丸出しの倫理観は現代では到底受け入れられない。ましてや「女敵討ち」は封建時代の悪しき倫理観にのとった習わし以外の何ものでもない。同時代を生きた近松自身そう考えていたに違いないだろう。だとすればなぜそういう作品を今尚繰り返し上演し感動する観客が少なからずいるのだろう。今回この作品を初めて目にした筆者も感動した。

 

『鑓の権三重帷子』と『心中宵庚申』は筆者にとっていつの時代であれ己が置かれた状況や環境を簡単に無視することは不可能だろうと気づかせてくれる。少なくとも無視することが困難な場合が多いのではないか。人は誰もがそれぞれの人間関係の中で生きている。確かにその人間関係を切り捨てるしかない状況がありうることは否定しない。己と関わりをもつ人間の顔を立てるというか少なくともその人間の事情に配慮する必要に迫られる。しかしその一方で己の尊厳をうっちゃるわけにはいかない。世間の義理と己の尊厳という究極の二律背反を正面から受けとめるには半兵衛と千代(『心中宵庚申』)あるいは権三とさゐ(『鑓の権三重帷子』)が選んだ自死をおいては他になかったのではないかと思えてくる。

 

正直なところ現実世界で同じことを実行できるかと問われると答えに窮する。だが、現実的な判断とは別の判断がありうると納得させてくれるのが文学・芸術の世界ではないだろうか。

 

この二つの作品が描く世界とは違い、昨今のニュースから読みとれる価値観は首をかしげることが多い。万人が平等だという価値観があまりに平板に理解され、誰もが可能性も能力も同じでなくてはいけないとあちこちでがなりたてる輩がうじゃうじゃいる。それをまたマスコミが煽り立てる。例えば議員が職場である議場に乳児を連れてきて当然か?違うだろ!と言いたくなる。入学試験を全廃すれば社会の知的レベルが向上するか?これに対してはしませんと断言できる。義務教育以後の教育費を全て無償にするって?それはアカン。義務教育の学習内容を必要なだけ習得していないのにそんなことして害悪が生じるだけでしょ!

 

最後になったが、義太夫語りについてはとりわけ竹本千歳太夫さん(『心中宵庚申』)と豊竹咲甫太夫(『鑓の権三重帷子』)のいつもながらのドラマチックな語り口を堪能できてありがたかった。

 

両作品のストーリーは南条好輝さんのサイトが便利:http://tikamatu24.jp/a-19.htm

 

筆者とは解釈が異なるが、『鑓の権三重帷子』のキーワードである「女敵討ち」についてはデジタル論考「女敵討ちを考える〜吉之助流『仇討ち論』・その4」が興味深い:

http://www5b.biglobe.ne.jp/~kabusk/geinohsi17.htm