夙川瓦照苑で <異界>体験

照の会シリーズ「舞囃子の会」  夙川能舞台 瓦照苑  平成30年2月17日(土)午後2時、2千円 ・舞囃子「養老」上田顕崇 ・舞囃子采女」上田拓司 ・舞囃子「歌占」笠田祐樹 ・舞囃子「葛城」上田宜照  囃子方を含む全出演者の詳細はhttp://www.kanshou.com/kouen_1.htm

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阪急神戸線夙川駅に近い<瓦照苑>というこじんまりした能楽堂は今年の1月2日「松囃子」と題された舞初めを見たのが最初。演者を初め会場の雰囲気までもがとても爽やかだったことが記憶に残る。また客席から窓越しに夙川沿いの松林が見えるので能楽鑑賞の気分を盛り上げてくれる。今日で2度目の訪問。

 

舞囃子が四番。若手、中堅、ベテランが共演し演者がそれぞれの技量を最大限発揮しようとする気概の感じられる舞台だった。また舞手と囃子方がそれぞれライバル意識を燃やすと同時にコラボ(協働)しようという意欲が明らかなのが印象的だった。

 

舞を演じた若手能楽師は全員が舞も発声もインパクトがある。瓦照苑代表の観世流能楽師上田拓司のお二人のご子息こと宜照(よしてる)さんと顕崇(あきたか)さん、それから笠田祐樹さん。上田家と笠田家は先代、先々代から交流があるらしい。  

関連参考サイト:  http://www016.upp.so-net.ne.jp/ueda-nohgakudo/profile.html  http://www.yg.kobe-wu.ac.jp/geinou/07-exhibition1/img2007/2007cmokuroku.pdf  http://yukikasada.com/uedanougakudourekishi.html  http://kasada-shouginkai.org/profile.html

 

さて今回の演目が「舞囃子」と題されているが、これは能楽作品の<舞>の部分を抜き出し、舞手は地謡の声と囃子方の楽の音に合わせて面を着けずに直面で演じる形式だ。

 

まず『養老』を上田兄弟の弟、顕崇さんが舞う。時代背景は5世紀後半と思われる雄略天皇の治世。滝あるいは泉に湧く聖なる水が若返りの奇跡をもたらすという「養老伝説(養老の滝伝説)」を元に仏教伝来以前の日本のカミ信仰が讃えられる。森羅万象に宿ると信じられたカミという超越的存在に対する古代日本人の素朴な期待と信頼と畏怖がないまぜになった信仰心がうかがえる。世阿弥(1363—1443年)の時代にもカミに対する古代の集団的記憶が残っていたのか。

 

またこれは二義的なテーマだが、親孝行が<不老不死>の泉の発見につながる説話を通して孝行の功徳を説く点で仏教的響も感じられる。

 

なお今回は「水波之伝(すいはのでん)」という小書き(特殊演出であることを示すも)が付いているそうで、ネット掲載の解説 (http://www.hibikinokai.com/2005-2013/guide/yourou.html)によると、 「『水波之伝』の小書が付くと、間狂言が省略されて前場が終わるとすぐに後場となり、通常の演出にはない天女が登場する。後シテの舞う「神舞」も緩急の変化が大きい舞になり、後シテの面や装束も通常の演出とは異なったものとなる。山神の持つ性格が強調された演出であり、華やかな天女の舞と勇壮な山神の舞など見所が多い能となっている。」 これは通常の能形式で演じた場合のことなので舞囃子形式では下線部のみが該当しているらしい。

 

ストーリー的には若返りの泉を偶然見つけた若い木こりが人生の終わりに近づいた老いた親にその水を飲ませて体力、気力、生気を取りもどさせるという意味では<死と再生>のテーマを浮き上がらせる。 養老の水を飲んで新たに生命を授かることでその当人のみならず取り巻く世界もまた鮮やかに蘇るといえないだろうか。

 

舞が終わると次の『采女』の支度が整うまで兄宜照さんによる10分ばかりのトーク。話がいつの間にか今年の正月早々味わった失恋体験に及ぶ。失恋は若い当事者にとって人生の一大事だろうが、身近にある自然界の姿、青い空や緑鮮やかな常緑樹と比べれば些細な出来事でしかないと思い至ったとか。人生の階梯における脱皮、成長のきっかけ。この人もまた一つの衝撃を通して死と再生の儀式を一人静かにすませたのだろう。『養老』で不老不死というカミの業(わざ)を目の当たりにして世界、ことに自然界の新鮮な鮮やかさに人間が気づかされる貴重な体験と重なるところがあるとご本人は納得された由。そう私は理解した。気の利いたエピソードだと思った。こういう話ができる若さと純真さ。そんな次第で、雄弁ではなくともユーモアのセンスもうかがえる宜照さんの誠実な話ぶりに好感を覚えた。

 

ついで兄弟のご父君であり師匠でもある拓司さんが『采女』を舞う。キマってる!さすがベテランだけあって(若手ながらいくら舞上手とはいえ)息子さんたちの舞とは格が違う。

 

ちなみに(私が勝手に熱烈応援している)大鼓の名手こと山本哲也さんも登場してワクワクさせられる。

 

大陸(中国語)版「采女」のイメージに刺激を受けたと思われる「采女伝説」はその祖型が日本にも古くからあったらしい。それが後に能に取り入れられたが、どうやら『大和物語』(史実に基づくわけではない各種の説話を集めたもので、10世紀半ばに成立)に収められた伝説を踏まえているとか。采女は大陸伝来の女官の一種で天皇の食事に際して配膳を担当するのが本来の職務だが、妾としての役割を担わされることが珍しくなかった。謡曲采女』は帝の寵愛を失った娘(女官)が悲観して猿沢池で入水する悲劇だ。亡霊となって現世を彷徨う彼女は遍歴する僧侶によって祈り鎮められる。采女は救済されたことを感謝して帝の治世を言祝ぐ詩歌を口ずさみ、舞を披露する。

 

ここで注意すべきことは采女が帝の寵愛を失ったことを恨むのではなく、それとは逆に帝の御代に幸あれかしと心底願う点だ。かつてのような(人間を超越した存在が発揮する)神威に対する畏怖や敬服の念が変質している。現世の絶対者である帝、天皇とその治世(御代)を祝福し讃える役目を負っているように思える。人間を圧倒する威力を発揮する自然を崇拝し神格化した遥か昔の日本の心性が日本という国家を統治する政治制度の発達に影響されて変容した証拠かもしれない。

 

この後15分ほどの休憩。

 

『歌占(うたうら)』では少年時代から大学時代にかけてスポーツマンとしてならした笠田祐樹さんが舞を披露。お正月の舞初めでも印象に残ったとおり今回の舞台も実にパワフルだった。見ていて清々しい。

 

このように力みなぎる若手能楽師の舞だが、ネット上の解説などによると、後半ではなんともおどろおどろしい地獄の情景が展開する。

 

例えばhttp://www.tessen.org/dictionary/explain/utaura)では「決して優美さに絡めとられることのない、むき出しの信仰と呪術の世界。そのナマの中世的感覚の世界」が舞台に展開するという。

 

この作品の眼目はカミの超自然的、超人的威力に畏怖する人間を描くことではなく、人間の人間であるがゆえの苦悩を浮き彫りにすることにあったのではないかと思える。作者は人間とは、人間性とは何かという問いに自ら答えようと試みたような気もする。同時代の観客にもそういう関心が芽生えていたのだろう。

 

『歌占』はこんな話だと私は受け取った。つまり、前半でかつて伊勢の神官であった男が旅の途上での突然死を経て三日後に蘇るが、妻子の元から姿を消す。男は占い師として異郷で暮らしている。後に残された妻子。やがて幼子はある男に連れられて旅に出る。その途上ある占い師に遭遇する。その占い師こそこの幼子の父親だったのだ。真相が判明して占い師は数日間の臨死体験を口にする。(幼子の親探しを手伝っていた)男は地獄の様子を舞で語ってほしいと乞う。その求めに応じて占い師は舞で地獄体験を表現する。この体験の凄まじさは一時的ながら彼をトランス状態に追いやってしまう。やがて忘我の境地から覚め、幼子を連れて帰郷する。

 

伊勢の神官・占い師の臨死体験はテーマ的には典型的な<死と再生>だ。神ならぬ生身の人間が地獄の責め苦を体験する。そういう特異な蘇りの体験が息子を伴い伊勢に帰郷した後復帰するはずの神官職で彼の権威を高めるだろう。いやそれより大事なのは彼が一人の人間として成長する点だ。異界との遭遇が彼を人間として鍛え上げる。臨死体験を通していわば人格の陶冶を実践するということに作者である観世元雅(世阿弥の長男)は関心をもち、同時代の観客もまた興味を覚えたのではないかと思える。

 

しかしこの作品は正直なところ解説なしでは訳がわからない。私自身この作品に馴染みがない。その上事前に謡曲を読んでいなかったのでそのおどろおどろしさが理解できずじまいで残念だった。おまけに今回は舞囃子であるため詞章はかなり省略されている。それだけに全体像がつかみにくいという事情はある。  参考サイト:http://www.tessen.org/dictionary/explain/utaura/utaura2012

 

最後に『葛城』。舞手は上田兄弟、兄の宜照さんが舞う。大峰山奈良県)と並び称される修験道のメッカ葛城山(大阪、奈良、和歌山にまたがる山脈)で厳冬のさなか修行中の出羽国羽黒山から来た山伏が地元の女の庵に宿を借りることになる。粗末ながらももてなしを行う女は問わず語りに自分の正体を明かす。実はこの女、葛城明神の化身だという。過ちを犯したため法力で体をツタカズラでがんじがらめにされていると訴える。実は(7世紀に実在したが、極度に伝説化して超自然的な法力をもつと信じられた)呪術師役小角のよって葛城山と金峯山(奈良、吉野)を結ぶ修行者用の橋をかけるよう命じられる。が、自身の顔の醜さを恥じて夜間しか作業をしなかったため架け橋が完成しなかったという事情がある。

 

ストーリーなどこの作品の詳細は、 http://www.the-noh.com/jp/plays/data/program_058.html

 

劇中のカミ(葛城明神)はカミの性別を人間と同列に論じられないにしても女神としてのイメージが強い。『古事記』によると葛城山に宿る神は天皇雄略天皇)を畏れさせるほどの神威があるので女神よりも男神(「一言主(ひとことぬし」とよばれる)としての性格が強そうである。

 

このような私の推測は学術的根拠のないきわめて私的なものだが、この葛城明神の性別について(2016年に亡くなった)歴史学者脇田晴子氏が性別解釈や性別規制の歴史的変遷という観点から適切かつ興味深い議論を展開している。題して「男神から女神へ 能楽『葛城』の背景」がそれでネットで公開されている。 金剛流廣田鑑賞会のサイトで読める: http://hirota-kansyokai.la.coocan.jp/kenkyu/images/05_kenkyu_katuragi02.pdf

 

ここでまた私の妄想にもどるが、『葛城』に登場する<カミ>が超現実的な存在というよりむしろ人間臭く感じられて仕方がない。元ネタになった『古事記』では葛城を守護するカミ一言主に対して雄略天皇は自軍の武装を解除してへりくだる(『古事記』下巻−3雄略天皇記)。ところが『日本書紀』(巻第十四、雄略天皇記)になると共に狩猟を楽しんでいて対等の関係として描かれる。それどころか天皇は自称「朕」(「朕是幼武尊也」)であるのに対し一言主は「僕(やつがれ)」(「僕是一事主神也」)という具合に下手に出る。この落差は『古事記』が天皇の歴史的権威づけを対内的に公言するのに対して『日本書記』が対外的な権威づけであるという根本的趣旨の違いが反映しているのだろう。

 

両書は8世紀に完成しているが、『葛城』など能楽作品は14世紀あるいはそれ以降に書かれている。たとえ異界のカミを登場させるとはいえ、そのカミにも人間的性格を多少とも帯させているような気がする。

 

たとえば、容貌の醜いことを恥じるところなどある種の人間臭さを感じさせる。もっともこれを人間臭いと見るのは誤解かもしれない。だがカミと人間とを完全な対局とはしないところがミソではないか。能が中世庶民の心をも虜にした理由の一つではないだろうか。

 

今回見せていただいた舞囃子四番。どれもが、神聖なカミの威力を寿ぐ『養老』でさえも人間界とカミあるいは亡霊、霊魂が住む異界とはどこかで通じ合っている。けっして無縁の関係ではない。そんなことを感じる。神格、神性と限りある命をもつ人間とは通い合うのだ。そう期待し、信じる人間の思いが能作品に投影されているような気がする。

 

余談だが、何年か前から謡や小鼓も修行しているという落語家桂南光さん。能にご縁が深いようだ。ぜひ下記のサイトを訪問してほしい。

 

「南光の「偏愛」上方芸能」

(1) <激しすぎる楽器!? 大鼓の巻> https://mainichi.jp/articles/20171124/mog/00m/200/011000c

(2) <大鼓奏者の山本哲也さんとのトーク拡大版> https://mainichi.jp/articles/20171124/mog/00m/200/012000c

 

ついでに南光さんの関連記事(今度は山本能楽堂代表山本章弘さんとのトーク)も合わせて。

https://mainichi.jp/articles/20170825/mog/00m/200/019000c https://mainichi.jp/articles/20170825/mog/00m/200/023000c

 

小鼓方大倉源次郎さんにもインタビュー。

<ぽんっ 神秘の音色、小鼓の巻 神様が宿る大事な「お道具」> https://mainichi.jp/articles/20160625/ddn/014/200/059000c

笑いのきっかけのない狂言は辛い

2018/02/03(土)14時開演【公演名】春秋座 能と狂言 京都造形芸術大学内京都芸術劇場 春秋座 ・プレトーク: 片山九郎右衛門、松岡心平、渡邉守章. ・狂言「清水座頭」野村万作野村萬斎. ・能「三輪〜白式神神楽〜」 観世銕之丞(シテ) 森常好(ワキ)、深田博治(間)  藤田六郎兵衛(笛)、大倉源次郎(小鼓) 亀井広忠(大鼓)、前川光範(太鼓)

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最初の演目?「プレトーク」では片山九郎右衛門さんのお話をもっと聞かせてほしかった。こんなに弁舌さわやかなのだから半時間近い独演会形式が望ましかったのでは?

 

次に狂言「清水座頭」。私は初見だったが、いくら狂言がゲラゲラ笑うものばかりではないとはいえ、もう少し笑い、上品な笑いを誘う演出があってよかったのではなかかと思う。特に結末で願かけに清水寺をおとづれた男女が「結ばれる」場面では観客が素直にほほえみ、祝福の思いがこもる軽い安堵の息をもらす工夫がほしいところだ。

 

万作、萬斎の親子共演だったが、盲人、いや視覚障害者の身ごなしを表現する芸は萬斎さんは父親にまだまだかなわない。万作さんの杖をついて歩行する姿は表面的リアリズムを超越して芸能の表現の域に達している。それに対して萬斎さんはどう見ても晴眼者(目あき)の歩き方でしかない。今後の精進を期待しよう。

 

余談ながら、Professor 渡邉 Moriartyの発言に引っかかるところあり。世間では若い時分からイケメンとして広く認知されている)萬斎さんは(狂言の女の被り物 である)ビナン鬘がよくお似合いだとおっしゃった点。

 

う〜ん、そうかな?女性を演じる狂言方で一番愛嬌があって色気も漂わせるのは京都の名門狂言一家の茂山茂さんをおいて他にはないと思う。でもこれは私とProfessor Moriartyの個人的見解の違いでしかないかな?

 

ネットの能楽用語事典によると、

「びなん」:狂言の女役に多く用いるかぶり物。絹麻などを用いた長さ約5メートルの白布で、演者の頭部に巻きつけ、顔の両側に布を垂らして端を帯に挟む。狂言の女役の多くは素顔で演じるが、ビナンを用いることで、男性演者が女性を演じる不自然さがなくなり、また、狂言の女たちが持つ明るさや力強さが表現される。美男鬘、美男帽子ともいう。http://db2.the-noh.com/jdic/2012/11/post_342.html

 

さて今回の件6千円も払って期待していた能「三輪〜白式神神楽〜」なのに急用で狂言の後退席しなくてはならなかった。残念。

 

舞手もさることながら六郎兵衛ら囃子方の楽の音にふれたかったのにこれまた非常に残念だった。

 

ちなみにこの作品中に影を落としている「美輪」伝説は天の岩戸伝説や苧環伝説などが絡んでいて広大な神話的宇宙へと想像を誘うらしい。

 

中でも苧環(おだまき、つむいだ麻糸を巻いて中空の玉にしたもの)をめぐる伝説や説話は北海道から沖縄まで日本各地に伝わるそうだし、古代ギリシャアリアドネの糸も連想される。

 

夜毎忍んでくる<男>に当の娘がその正体を知ろうとして相手の着物に糸を通した針を刺しておく。(アイアドネの場合、糸が窮地を脱する手がかりになるのと違って)日本の苧環伝説は異性の訪問者の正体を知る手がかりとなる。さらに今回の三輪伝説に基づく能作品では三輪明神が<女体>とされているという複雑な構造になっている。作品に対するアプローチの手がかりがいくつもあって無責任に想像の翼を広げる分には面白いといえば面白い。

 

帰宅後youtubeで『三輪』能を見つけとりあえず満足できた。喜多流福岡喜秀会が平成8年9月大濠公園能楽堂(福岡市)で公演したものだ。シテが女性で藤木治子さん、ワキは坂笛 融さんだった。https://www.youtube.com/watch?v=9L8Eweq0KKo

長谷川伸の名作『瞼の母』、恋川劇団による泣かせる芝居

「桐龍座(きりゅうざ)恋川劇団」 鈴川真子誕生日公演

2018年1月22日、新開地劇場

純座長(番場の忠太郎)と鈴川真子(生母だが、現在は料亭「水熊」の女将おはま)さんの親子共演

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座長の母に対するオマージュの思いが込められた演出。母と子の見えない絆。見えないゆえに実感できない不安にかられざるをえない。

 

やむをえない事情があって愛する息子を後に残して後ろ髪を引かれる思いで婚家を去った母おはま。分かれて30年の歳月、母は世間の苦労を散々舐める人生を送る。文無しで巷さ迷った時期もあった彼女は夜鷹にまで身を落としたこともあったらしい。それでも母の子に対する思いは変わらない。ただし彼女にとって辛いことは風の噂で忠太郎が九つの歳に死んだと知ったこと。それ以後死んだ子の歳を数えて生きてきた。

 

おはまは息子忠太郎の姿を夢に見続ける。夢の中の忠太郎は理想化されざるをえない。なのに忠太郎が生きていたばかりかヤクザ姿で現れる。人の心の闇を見ざるをえない経験をしたおはまは偽忠太郎が財産目当てで名乗って出たと勘ぐってしまう。傷心の思いで追い返される忠太郎。

 

その後娘(忠太郎の異父妹)のとりなしもあって忠太郎の後を追うが忠太郎は姿を隠す。母が家を出てから彼の心に育まれた<瞼の母>に対する熱い想いをさらに熱くしながら忠太郎は流浪の生活に戻る。悲劇を浮き彫りにする演出で素直に泣ける芝居に出来上がっていた。

 

一方今回の演出とは別の演出もありそうな気がする。忠太郎だけでなく母の思い、心中にも焦点を当てると母にも<瞼の息子>があったのかもしれない。思い通りにならない現実に置かれていると人は愛情や思慕の対象を幻想化するものではないだろうか。その結果事実よりもそういう<幻想>の方がより大きな価値をもつ。母の複雑な心中。

 

「おはま」役を女優さんが担当すると母としての素直な、いや、素直すぎる母性愛が否応なくにじみ出てしまいそうだ。

 

こういう母性愛の強調はすでに多くの舞台やスクリーンで見られていてももう一つインパクトがない。そこで「おはま」を男優が演じると原作に秘められている未知の可能性が出るのではないか。恋川劇団の場合、初代 恋川純(太夫元)のおはまを見てみたい。今回は(今回だけに限らず毎回そうらしいが)おはまの夜鷹時代のほう輩おとらを演じる初代 恋川純だが、いつか女形でこの二役を演じ分けてほしい。鬘、衣装それに化粧を変えれば初代 恋川純は見事にやってのけるだろう。    

 

舞台での男優による<おはま>像は2年前「劇団 悠」(大衆演劇)で見た藤 千之丞の演技が印象に残る。また歌舞伎では去年(2017年)12月、市川中車(忠太郎)を相手におはまを演じた坂東玉三郎の名演技が記憶に新しい。

 

男優が持つある種の強さ(こわさ)が女形でも表出され、長谷川伸が創造したおはまのキャラを複層的に浮き上がるように思う。忠太郎にとって<瞼の母>こそが母であるのと似て、おはまにとって20年以上に渡って世間の冷たい風に晒されながら心に育んできた「忠太郎」、いわば<瞼の子>こそがホンモノの「忠太郎」なのではないか。二人はそれぞれに<ずれ、すれ違い>に苛まれていて、それが二人のそれぞれの悲劇なのだという気がする。

 

ちなみに、玉三郎・中車による歌舞伎版では老いた夜鷹を名脇役で歌舞伎の名題(なだい)役者たる(三代目)中村歌女之丞(なかむら かめのじょう、1955年生まれ、成駒屋)が演じたが、女形歌女之丞も賞賛に値する役者ぶりだった。

 

おまけ。玉三郎と中車の朗読劇(2014年10月が動画で201510月にアップされている。

https://www.youtube.com/watch?v=8Glm6QgC-YI

お二人とも実にいい顔をなさっている。

この公演は2014年10月の演劇人祭のものだとか。

http://www.kabuki-bito.jp/news/2014/09/post_1198.html

 

 

 

 

玉三郎の完璧さと壱太郎の初々しい輝き

2018年1月松竹座『坂東玉三郎 初春特別舞踊公演』

「口上」 坂東玉三郎中村壱太郎

「元禄花見踊」 坂東玉三郎中村壱太郎

「秋の色種(あきのいろくさ)」坂東玉三郎中村壱太郎

「鷺娘」 中村壱太郎

「傾城(けいせい)」坂東玉三郎

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(素人判断だが、)この舞台を見て玉三郎は舞踊の頂点をすでに極めているという思いを強くした。

 

もう一点気づかされたことは舞踊のスタイルが江戸好みと上方好みではっきり異なるということ。「元禄花見踊」や「秋の色種」で見せた坂東玉三郎中村壱太郎の相舞踊を通して納得した。そんなこと常識だといわれると反論できないが。

 

女形で踊る玉三郎は現実的な男女の差を排して、いわば中性化した印象をうける。とはいえこれはドラッグ・クイーン(drag queen) のスタイルではない。歌舞伎特有の女形のスタイルであってあくまで男優が演じる<理想化されたフェミニンなイメージ>を追求するのだと思う。江戸歌舞伎がマスキュリンなイメージを強調する荒事を出発点にしているという背景が影響しているのかもしれない。

 

一方、壱太郎(かずたろう)は伝統的に和事を重視してきた上方歌舞伎の芸風が強く感じさせた。玉三郎の姿勢が(極端な言い方だが)垂直方向を印象づけるのに対して壱太郎は身体をしなやかに湾曲させる動きが多いように思えた。この身体所作が理念としての女性を浮かび上がらせる。もちろんこういう対比の仕方は行き過ぎだとは承知しているのだが。

 

長年歌舞伎舞踊をリードしてきた玉三郎だが、その役目は今後壱太郎が担っていくだろうと思う。それほど壱太郎の踊りは将来に向けての可能性を強く秘めている。

 

そういう期待をいだかせるのも当然で、若干27歳ながら壱太郎は三年前に吾妻徳陽の名で日本舞踊吾妻流七代目家元襲名している。吾妻流といえば江戸時代に開かれたが一旦途絶えて昭和初期(1933年)に初代吾妻徳穂(1909—1998年)によって再興されたそうだ。この人は第2次大戦後占領軍の抑圧的文化政策によって封建的だとはげしく否定された歌舞伎の伝統を途絶えさせまいと奮闘した女性だ。戦後十年にならない時期(1954—1956年)にいち早く「アズマ・カブキ」と銘打って歌舞伎舞踊を欧米十数ヶ国で上演している。踊りの才能に恵まれたばかりでなく芸能の維持、発展に情熱を注いだ人だったようだ。

 

壱太郎はその初代の孫、二代目吾妻徳穂(1957年生まれ)に教えを乞うている。またこの二代目は叔父四代目中村鴈治郎の配偶者である。それに何より上方和事の名人四代目坂田藤十郎の孫に当たる壱太郎なのだ。舞踊の素質と熱意の点で大いに恵まれている。

 

そういう背景をもつ壱太郎であってみれば役者としてはもちろん踊り手としても今後の活躍が期待されて当然だろう。

『新世紀、パリ・オペラ座』 ー 視点がユニークなドキュメンタリー映画

原題L’Opera、2017年公開、Jean-Stéphane Bron監督作品

 

芸術家のみに焦点を当てる平面的、一元的芸術至上主義を排して芸術の創造をいわば(昆虫のもつ)複眼を思わせる視点でとらえていて斬新であり説得力もある。

 

ドキュメンタリー映画において芸術家に焦点を当てることが即平面的、一元的になるとは言えないことは承知している。最近の例ではウクライナ出身のバレエダンサーを描く『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』(2016年、Steven Cantor監督)はポルーニンが成長する姿を幼少期から追って迫力のある作品に仕上がっている(2017年10月日本公開)。

 

通例この種の映画では被写体に不利益を被らせる恐れのある映像は撮らないし削除するだろう。リアルな「舞台裏」が印象に残る。私にとって一番衝撃だったのはオペラ座バレエ団のプルミエ(premier常時主役を張るダンサー)が舞台で華やかに踊ったあと舞台袖に引っ込んでから激しい息づかいをして苦しむ姿だ。芸能界、芸術界のスターが絶対人に見られたくない姿ではないか。(本人も承知の上だろうが)そんな姿がスクリーンに大きく映し出される。

 

このドキュメンタリーは本番中のバレエダンサーやオペラ歌手よりもむしろ舞台裏、「裏方」をとらえた場面の方が多い。一口に裏方といってオペラ座を総指揮する管理、運営部門のトップStéphane Lissner総裁(1953年生まれ)だけではない。もちろん彼は財政の維持、在籍団員の監督、新規採用の団員の選考、公演初日間際の出演者の交替、(フランスでは強大な社会的勢力を誇る)労組との交渉などありとあらゆる問題を処理しなくてはならない。さらに(最近世界の大都市で発生するようになった)イスラム過激派によるテロ事件もオペラ総裁と無関係ではない。2015年11月パリ近郊および中心部で起きた事件では130名が命を奪われた。そのうち90名はロック・コンサートの会場であったBataclan劇場(パリ市内)で亡くなっている。オペラ座もけっして安全ではない。

 

しかしこの映画がユニークなのは総裁のような最上級(および中級)の裏方の面々だけだなく、下働き、いや最底辺の裏方にもしっかり目を向けている点だ。オペラ歌手の付き人、衣装の選択係、果ては劇場内清掃担当の人たちも映し出される。エスカレーターの手すりを延々と拭き続ける人もいる。

 

こういう『新世紀、パリ・オペラ座』の視点の斬新さは芸術創造について面白いだけでなく重要な事柄を気づかせてくれるように思える。つまり精神性の極みをめざす芸術だが、そのことを可能にするのは生身の人間が様々な関係を結んでいる現実世界があってこそなのだと。

 

華麗な舞踏で観客を魅了するバレエダンサーや神がかった美しい音声を響かせるオペラ歌手も舞台の裏では生身の肉体という桎梏から逃れられないのだ。病気、怪我、事故などなど。

 

アメリカ人(?)映画批評家Boyd van Hoeij がこの映画のレビューの文中でいう言葉は説得力がある。「『新世紀、パリ・オペラ座』から汲みとるべきメッセージとはなんの苦もなく成就したかのようなふりをする芸術はホンモノと言えないのではないか、と。 (出典:https://www.hollywoodreporter.com/review/paris-opera-review-992276 このサイトでは1分50秒の予告編も視聴できる。)

 

ちなみに映画冒頭に登場し、その後も何度かカメラがとらえるロシア出身の若きバリトン歌手Mikhail Timoshenkoは2016年に期待の新人としてオペラ座でデビュー。歌手としての才能もさることながら性格がじつに良さそうだ。初々しさが全身に溢れている。2年契約だそうだが、プロの歌手として過酷な競争に放り込まれている。現在どうしているのか気になってネット検索したらオペラ座で着々と業績を積んでいるようで安心した。オペラ座の紹介記事はこちら:https://www.operadeparis.fr/en/artists/mikhail-timoshenko

茂山七五三さん七十の賀(古希)お祝い公演で痛快かつ柔和な笑いを堪能

 

演目

•『佐渡狐』:茂山七五三(佐渡お百姓)、茂山あきら(越後のお百姓)、茂山千作(奏者)、井口竜也(後見)

•「わかぎ ゑふによる七五三さんインタビュー」

•『居杭』:茂山七五三(陰陽師)、茂山慶和(居杭)、茂山宗彦(何某)、山下守之(後見)

•『千切木』:茂山七五三(太郎)、茂山千五郎(当家)、茂山茂(太郎冠者)、茂山千三郎、茂山童子、網谷正美、丸山やすし、松本薫、島田洋海(連歌の友)、茂山逸平(女房)、鈴木実(後見)

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佐渡狐』

自覚があるかは別にして人間誰しもライバル意識、競争心はあるものだ。そんな、場合によっては人間関係上ヤバイけど、かといって抑えきれない欲望が生み出す人間模様を描くのが『佐渡狐』だ。

 

越後と佐渡のお百姓(農民をはじめ各種の生産者の総称)がそれぞれ年に一度実施される年貢の物納のため都へ上る。偶然道連れになったこの二人。越後の住人が同行者に対して地元にキツネが居るかと問うたところ、居ないというのは癪なので居ると答える。佐渡びとは腰に帯びた小刀をかけてまで自説を主張する。そこで都に着いたら奏者(領主の取次役)に判定を依頼することで当座の話しはつく。差料(腰に帯びた脇差)を賭けると言い出す佐渡のお百姓。小ずるい佐渡びとは奏者に賄賂を使ってキツネの外見の知識を得る。懐柔された奏者の裁定は当然「佐渡にキツネはおる」と。

 

しかし鳴き声は聞かずじまい。それが仇となって佐渡のお百姓は賭けに負けてしまう。我執は災いの元なのだ。

 

笑いのツボとは関係ないことだが、時代設定はいつ頃のことだろうか。お百姓は二人とも個々の生産者による中央政府への直接的物納の義務を負っている。この制度の基盤にあるのはいわゆる租・庸・調とよばれる税制。それが機能していた律令制の中央集権的政治体制下となると7世紀半ばから10世紀。それ以後、平安時代前期には有力貴族や寺社による荘園制が発達してくるとこの直接的納税の制度は崩壊する。鎌倉時代から室町時代にかけて全国に配置された地頭が生産の現地で領主に代わり徴税に当たるからだ。

 

しかしこんな日本史のおさらいは芸能鑑賞には必ずしも必要ではない。この狂言室町時代あるいはそれ以後に考案されたに違いない。ということは物語の構成に歴史にまつわる、いわば集合的記憶のようなものが混在しているのだろうか。

 

余談ながら、「客観的歴史」に対置させようと不用意に「(歴史にまつわる)集合的記憶」という語句を使ってしまった。「集合的記憶」は学術用語だった。ネット検索で初めて知ったが、フランスの社会学者M.アルヴァックス (Maurice Halbwachs, 1877-1945) が「集合的記憶mémoire collective」という概念を提唱している。歴史認識というものは特定の利害関係で結びつく個々の集団が意識するとしないに関わらず自ら形成するものらしい。参考資料: http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/download.php/AN00072643-00940001-0299.pdf?file_id=69609 http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~slogos/archive/34/kin2010.pdf

 

恥ずかしながらわたしはたまたま学術用語と重なるような言い方をしたに過ぎない。こんなこと狂言鑑賞に不可欠とは言えないのでこれで終わり。

 

さて題名にある「佐渡狐」とは。日本のキツネは北海道を除く日本各地に生息するホンドキツネ(本土狐、体毛が赤っぽいアカキツネの亜種だとか)。ただし離島である佐渡島には一時人工的に繁殖を試みた時期があったようだが、成功しなかったとか。

 

佐渡狐』がすんで今度は老婆に扮した少女かなと思わせる鬼才・奇才の演劇人わかぎ ゑふが登場。彼女は女優・劇作家・演出家:リリパットアーミーセカンド二代目座長)だ。

 

(1980年代以降の関西小劇場演劇界中心的劇団の一つであった)「リリパットアーミー」と聞くと同じく鬼才・奇才の作家・演劇人、中島らも(1952 – 2004年)を連想する。中島の早世はわかぎとのコンビが更なる発展を期待されていただけに惜しまれる。中島とともに磊落で先鋭な笑いを創造し続けたはわかぎだが、茂山狂言とも縁が深い。2007年、2009年は自作の狂言『わちゃわちゃ』を提供している。演出は笑いの知性派と評判された故茂山千之丞 (1923 – 2010年)やその息子茂山あきらが担当。最近では2016年7月茂山家若手狂言師集団「花形狂言」公演のために(ルイジ・ピランデッロ作『作者を探す六人の登場人物』の向こうを張るような傑作笑劇『おそれいります、シェイクスピアさん』を書き下ろしている。

 

横道にそれてしまったが、このインタビューでは当日の主役、茂山七五三を軽く、やさしく、若干ビター・チョコ風味でいじっていて出来のいいコントに仕上がっていた。

 

15分の休憩の後狂言2本。『居杭』と『千切木』。

 

『居杭』は題名どおりの名前の男(今回は少年の設定で茂山逸平の次男慶和がつとめる)が日頃目をかけてくれる何某(なにがし)、この場合後援者(茂山宗彦)の家にたびたび逗留するが、その後援者は何かというとすぐに居杭の頭を叩く。さらに耳を引っ張る。当の後援者に言わせると親愛の情の表現だそう。だが居杭にしてみれば痛い思いをするばかりだ。そこで京都は清水寺の観音さまにお祈りして被れば姿を消せる隠れ頭巾を手に入れる。所在が分からなくなった後援者は陰陽師ー正確には陰陽師くづれ、流しの民間陰陽師かー(七五三)を雇って占術で居杭の居場所を見つけ出そうとする。居杭は頭巾を巧みに使って陰陽師を翻弄する。弱者(社会的下位の者、こども)が強者(権力者、おとな)をやり込める面白さ、痛快さからくる笑いか。

 

伊勢門水が描く『狂言画』(wikiより無断借用)では右手の後援者の耳を引っ張る中央の子役が居杭。頭巾をかぶり姿を消してダンナに仕返しをしている。左手は陰陽師

「居杭」の画像検索結果

 

観劇後<隠れ頭巾>がもつ<透明人間化作用>のアイデアの出所が気になってきた。

 

ネット情報では民話にしばしば取り入れられるテーマだそうだ。岡山県に伝わる『キツネの隠れずきん』、佐渡島の『隠れ蓑笠』など。昔話などに登場する鬼や天狗の持ち物であってその呪力で突然姿をくらます。そういえば表向きの名目などという意味合いで「カクレミノ(隠れ蓑)」という言い草が今でも通用する。

 

民俗学でも昔話や伝説のキーワードの一つとして扱われる。妖怪研究で知られる小松和彦は「蓑笠」を<身を隠す>ための道具(呪具)だと指摘している(『異人論 — 民族社会の心性』青土社、1985年、後にちくま学芸文庫)。一方折口信夫は<変身>と<出現>に注目する。「蓑笠、後世農人の常用品と専ら考へられて居るが、古代人にとっては、一つの變相服装でもある。笠を頂き蓑を纏ふ事が、人格を離れて神格に入る手段であったと見るべき痕跡がある」(『国文学の発生・第三稿』、1929年)。 (注)e本『青空文庫』で読める(17頁):http://www.asahi-net.or.jp/~YZ8H-TD/misc/kodai_kenkyu_2_kokubungaku(ipaex).pdf

 

このような蓑笠による<隠れ>と<現れ>を統合させるのが 大和岩雄(だいわ いわお)は蓑笠の呪術的機能として「かくれる・あらわれるの両義性」を指摘する(『鬼と天皇白水社、1992年)。

 

『居杭』の場合、大和が注目する<隠れ>と<現れ>の両義性がよく当てはまる。劇中で居杭は陰陽師の透視力を借りて居杭の居場所を突き止めようとする旦那を散々からかう場面が印象に残る。隠れ頭巾のおかげで居杭は姿を消したかと思うとあらわれたり、また消えたり。透明人間状態の時の居杭は茶目っ気たっぷりだ。子役の慶和くんが大活躍。

 

ちなみにカクレミノとはウコギ科の常緑亜高木がある。若木の葉の形が伝説上の「隠れ蓑」に似ることからそう名づけられたとか。

5裂した葉

wikiより無断借用)

 

蓑笠の呪術的作用から離れるが、神的な存在がもつ身を隠す能力は民間信仰にもうかがえる。三浦あかね著『三面大黒天信仰』(雄山閣、2006年、新装版2016年)によると日本では大黒様として福の神の代表みたいに親しまれてきた三面大黒天はそのルーツを辿るとインドのシヴァ神の化身であるマハーカーラだという(27頁)。この複雑怪奇な性格をもち容貌怪異のマハーカーラは透明人間に変身できる秘薬を所有するそうだ(28頁)。

 

能楽大事典』(筑摩書房、2012年)ではあくまで推測だとしながらも居杭が後援者の家に押しかけてくると解釈してことわざ「出る杭は打たれる」に由来する、あるいは飯ばかり食う徒食者という意味で「居食い」が変じたことに言及する。これは大蔵流狂言方善竹徳一郎さんのブログで知った: https://zenchiku.blogspot.jp/2015/03/blog-post_30.html

 

祝賀公演の<締め>は『千切木(ちぎりき)』。これは初見だ。いつの世にもいそうな目立ちたがり屋さん。周囲の迷惑も考えず「私ガー!」の根性満載、重症のジコチューである。そんな目立ちたがり屋さんの一人「太郎」を七五三さんが演じる。この「太郎」(主人公の名であって脇役の「太郎冠者」ではない)が連歌愛好家の集まりにやってきては宗匠気どりで場を仕切ろうとする。そんな傲慢ぶりで毎度顰蹙を賈う太郎。

 

やがて参会者も堪忍袋の緒が切れる。ある日のこと皆は太郎を散々に打擲する。仕返しをしろと迫る女房(逸平)に伴われ、実は気弱な太郎はしぶしぶ仕返しに。勝気な女房殿は千切木(乳切木とも書き、乳=胸の高さほどに切った棒の意)とよばれるこん棒で武装する。夫婦は恨みのある連歌仲間の家を尋ねるが、不幸にもというか、気弱な太郎にとっては幸運にもというか、居留守を使われて肩透かし。復讐を果たせず仕舞い。だが気弱な太郎はそれをいいことに女房の前だけは強きに振る舞う空元気。女房に己の情けない姿を見せずにすんだ太郎は夫婦連れで意気揚々と引き上げる。

 

ことわざにもある「諍い果てての乳切り木」そのまま。大辞林によると「時機に遅れて役に立たないこと」をいう。「賊のあとの棒乳切」ともいうそうだ。

 

表記が異なるが、古武術として契木術(ちぎりきじゅつ)がある。樫などの堅い木の棒に鉄製の石突と鎖分銅がついた武具・捕具である(wiki)。動画に「荒木流拳法 契木術」がある。迫力あり。

 

話を戻して<茂山流千切木術>。七五三さんが次男の逸平さんと演じる夫婦は名人芸。逸平さんの女房は見るからに勝気そう。それに対して七五三さんは痩せて長身なのでいかにもひ弱という感じだ。外見のコントラストが効を奏した。

 

連歌の寄り合いの場面があるので登場人物が多いのにびっくり。でも茂山一門の芸達者な面々が勢ぞろいで圧巻だった。

梅若玄祥(シテ) 新作能『紅天女』、能とタカラヅカは反りが合わない!

2017年12月25日、京都観世会館にて。

 

客席に能楽ファンがいない。それも当然か。両隣にいた観客はまともな能学ファンなのかプレ・トークの間ずっと寝ていた。

 

揚幕から出てきた発声不良女優さんのセリフにはドン引きしかなかった。ええッ<自然と人間の共生>だって?

 

この発言が革共同革マル派日本革命的共産主義者同盟 革命的マルクス主義派)の洗礼を受けた枝野幸男率いる「立憲民主党」に代表される現代ニッポンの「野党」のぬるま湯的綱領ならいざ知らず。また朝日、中日、東京新聞が先導するニッポンのマスコミの万年不変の社説なら認めよう。

 

いつの時代であれ能は自然と人間の共生だの、近代風平和主義などという締まりのないお花畑イデオロギーそのものでしかない言説を唱えたりしないよ。

 

自然は人間に対して時に優しく、時に凶暴になるのは子どもでも知っていること。自然と人間との関係は複雑怪奇な葛藤の連続だ。

 

文芸が花鳥風月にばかり酔っているというのはとんでもない誤解だ。

 

おまけにこの女優さんが続けた楽屋裏話めいた言い草はあまりに次元の低い言い訳としか思えない。これがタカラヅカ大劇場なら通用するだろう。能舞台で上演中に私的な発言はありえない。

 

それはさておき、今回の舞台は地謡の面々には申し訳ないが、囃子方の楽音は響くものの台詞なしの能公演としては逸品だったと納得するしかない。